第444話 クロアにやれるの?

 

 努、ハンナ、クロアの三人が黒門から転移してくると同時に、百十階層の奥にある大きな油池に設置されていた水車が徐々に動き始める。その水車から運ばれていく油は各アトラクションへと運ばれていき、最難関と名高いボルダリングには壁からランダムに配置された取っ手やロープが浮き出てきた。

 その油回しやアトラクションの起動は、最奥にいる巨大な蛸がせっせと触手でハンドルを回して行っている。そしておおよその起動が済むと、スポッシャーは金曜ロードショーよろしくシルクハットを取って挨拶した。

 そんなスポッシャーの様子を見て鼻で笑った努は、魔石を砕いて魔力を身体中に循環させていたハンナに尋ねる。


「実際にこっちへ転移してくるとやけに大きく感じるんだっけ?」
「そうっすねー。あたしはそれで捕まった気がするっす」
(本当に百十階層まで潜ってきちゃったけど……。大丈夫なのかなぁ……?)


 呑気な調子で喋っている二人を前にしているクロアも、神の眼もあってか緊張感のない犬耳を招き猫のように丸めた手でくしくしと掻いている。だがそんな可愛らしい動作とは裏腹に、内情は不安で一杯だった。


(ハンナはスポッシャーを討伐しようとしたことはあるみたいだし、ディニエルに匹敵するって期待も持てる。正直、無限の輪が攻略速度を落としてでも迎えに来るっていっても不思議には思わないしね)


 先ほど刻印階層中ボスの巨大樹の化け物であるオイリーフで戦闘の慣らしをした時にも感じた、ハンナの圧倒的な個の力は今でも推し量れない。人の中でも更に小さいその体躯で一軒家を易々吹き飛ばせるような巨大根のぶん回しを容易に受け流したり、避けタンクであるにもかかわらずレベルの高い自分よりも明らかに火力を出したりと滅茶苦茶だ。

 それは唯一無二となった魔流の拳という存在があってのことなのだろうが、それに加えて彼女のリスクを恐れない子供のような無邪気さのある立ち回りも噛み合っている。長年アタッカーとして活躍してきたクロアから見れば危うい選択肢を彼女は押し通し、思いもよらない結果を生み出していた。

 そしてそれを努が補佐して上手く軌道修正すれば、ハンナは確かに三大アタッカーにも負けず劣らない力を発揮するだろう。彼女自身、完全に努に背中を任せることを厭わない信頼を持っていることも大きい。


(ツトムさんは今でもヒーラーとしてPTの力を十全に引き出す力と、リーダーとしての指揮力があるのは間違いない。でも今回の問題は、スポッシャーの触手を捌けるだけの戦闘力があるかどうかにかかってる。だけど見る限りじゃ、アタッカーとしては並みの域を出てない)


 だがそんなハンナでもスポッシャーの触手は五本を相手取るのが限界だ。残る三本はツトムとクロアでどうにかするしかないのだが、彼が二本も担当できるのかは今でも疑問であり大きな不安材料の一つではあった。

 確かに白魔導士の進化ジョブはアタッカー並のステータス値とスキルを使えるようになるため、理論上ならばスポッシャーの触手二本を相手にしても追いつけるだろう。だが三年間神のダンジョンから離れていてアタッカー経験もない努にとってそれは、完全な机上の空論である。

 頭で理解しているからといって、すぐに想像通りの行動と結果を生むことなどできない。もしそれが出来るのなら進化ジョブのある今、アタッカーとヒーラーを兼任できる白魔導士が山ほど生まれているだろう。だがそれが可能なのは上位の神台に映っているような数少ない白魔導士だけで、その中でもアタッカーとヒーラーの得意不得意が分かれている。

 そもそもアタッカー志望だったにもかかわらず不幸にもジョブは白魔導士だった者は最前線で戦えるものの、そちらに力を入れている分ヒーラーとしては二流にならざるを得ない。その逆も然りのため、両方が迷宮マニアから評価されるまで出来ているのはそれこそ一番台のステファニーくらいだろう。


(……クロアに、やれるの?)


 ただ、希望がないわけではなかった。アタッカーとしては期待できないにせよ、努はただのヒーラーではない。今も上位の神台に鎮座している無限の輪の創設者で、一番初めに百階層まで到達した者である。それに一度とて死んだことのない彼が無策で階層主に挑むわけがない。

 そんな彼の強みとしてクロアが最も評価しているのは、アイドルだったエイミーを百階層を攻略する探索者にまで押し上げたマネジメント能力にある。


(それこそあのハンナだって元々は私みたいにそこそこのアタッカーだったって話は聞く。無限の輪でも元から規格外に強かった人って、意外とディニエルくらいしかいない)


 初期のメンバーは各々の事情でギルド職員に転職していたガルムとエイミーで、二人が一時離脱した後はダリル、ディニエルにハンナ、アーミラと続いて五人PTとなった。そしてハンナが避けタンクとして名を馳せ始めた頃にゼノ、リーレイア、コリナも加入した。

 特に後半の三人が加入した時にはクロアも探索者としての活動を始めていたため、そのメンバーのパッとしない印象は今でも覚えてはいる。だが今ではその三人の名前を知らない者の方が少ないだろう。

 努にはエイミーを初めとして、様々な探索者を指導して伸ばす力もある。その力を見込んだからこそクロアは大炎上の中を突っ切ってこの臨時PTに加入したのだ。そしてそんな彼の力は、この現場で発揮されるのではないか。


(槌士のスキルも全部把握してたし、実際立ち回りについて聞いてみても妙に納得感があった。あとは実戦で、って感じなのかな……)


 後はこの百十階層で身を持って成長してみせよ、ということなのではないかとクロアは予期していた。そうしなければ突破することが出来ないという追い詰められた状況でこそ、アタッカーとしての実力が伸びるということなのだろうか。


(実際、今日はいつもと違う感じがする)


 思えば今まで攻略情報があまりない相手に挑むという経験もなく、久々に違うPTを組んで階層主に挑んでいることもあってか妙な高揚感があった。この戦いで自分は大幅に成長できるのではないか、という期待もあってクロアは取り出した巨大槌の持ち手を強く握りしめる。


「フライ」
「コンバットクライ」


 そして努とハンナのスキルを始動する声と共に、スポッシャー戦は幕を開けた。

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