第445話 110階層主 スポッシャー戦

 

 傍から見ても楽しくオイルアトラクションを攻略するような雰囲気ではないことのわかるハンナが入り口から飛び出したと同時に、茹蛸のように真っ赤であったスポッシャーの外皮は血の気が引いていくように白く変色した。

 真っ白になったスポッシャーは大きな黒いシルクハットの中に触手を突っ込み、白いシルクハットを次々と出しては地面に並べだす。そしてその白いシルクハットに触手が入ると同時、フライで飛んでいた彼女の周囲から空間を裂いて次々と飛び出してくる。


「でっか」


 ハンナから少し離れて杖を構えていた努が思わず呟いてしまうほど、スポッシャーの触手は大きく感じられた。それはただ単に遠近感ということもあるが、その軟体とは裏腹の力強さを感じたのも要因だった。

 流石に階層主なだけあってか、一軒家どころか巨大船すら沈ませられると思わせるほどの迫力があった。オイリーフとはまさしく格の違う力を前に努は空笑いし、遅れて付いてきていたクロアは初めて対峙した色違いのスポッシャーに大きな尻尾を震わせている。


「ほっ、よっと、ととととっ」


 だがそんな大迫力な触手を前にしても、ハンナは怖気づくこともなく真っ正面から迎え撃った。鞭のように鋭い音を立てながら向かってくる触手は持ち前の素早さで避け、その風圧を背の翼で制御しながら細かな乱れ突きを水の魔力が乗った手や足で受け流す。


「よいしょー!」


 そしてその後ろからハンナの逃げ場を無くして追い詰めるようにじわりじわりと忍び寄ってくる触手を、彼女は背負い投げでもするかのような動作で逆に引きずり出そうとした。

 前線で素早く動けるジョブを持つ適正レベルの探索者PTであっても到底捌き切れないであろう、異次元から湧き出る触手の猛攻。しかしハンナはセオリーを無視する奇抜な立ち回りと、それを可能にする魔流の拳による爆発力によって一人で凌ぐことを可能にしていた。

 そんなハンナに自分の力を乗せられたまま水の魔力で引き戻されたスポッシャーは身体をつんのめらせたが、触手の根元にある吸盤で地面に張り付き何とか耐えた。


「エアブレイズ、エアブレイズ」


 双方向の力が合わさってピンと張った触手を見た努はすかさず風の刃を放つ。するとゴムが弾け飛んだかのような音と共に筋線維が断ち切れ、追撃の刃で完全に両断された。ハンナは力がすっぽ抜けたことに驚き、スポッシャーは綱引き中に綱が切れたかのように身体をのけぞらせて痛がるような素振りを見せる。

 だがそんな動作をしている割にはハンナへの攻撃は止んでいないし、斬った張本人である努にも一本の触手が唸るように迫っていた。


「ホーリーウイング、ホーリジャスティス」


 吸い込まれてしまうのではないかと思うほど発生している風圧に背筋を凍らせながら、努はうねうねと動くスポッシャー本体に目をやりつつも迫りくる触手をスキルで迎撃した。

 白魔導士の八十レベル帯で解放される、最大の攻撃スキルであり努の中では産廃扱いを受けていたホーリジャスティス。白魔導士装備の象徴として飾られている十字架の印と共に打ち出される光の波動は、スポッシャーの触手に焼印を付けながら尚消えずに留まり続けていた。


(この派手な演出のために精神力食ってるんだと思うと、ホーリーの方が精神衛生上いいんだよなぁ)


 ただ進化ジョブによってアタッカー寄りのステータスを手に入れた今ならば、精神力は食うにせよ瞬間的に火力を出せるスキルとして重宝することになる。その間にスポッシャーが切断された触手をシルクハットから引っ込めた後、その切断面からひり出すように新たな触手を再生させる姿を遠目に見た努はため息をつく。


(近接戦で与えたダメージはあれでチャラだし、かといって遠距離攻撃でもしようものならシルクハットで倍返し。これも難易度高めのギミック戦みたいなもんだよな)


 一度油まみれにされたアルマがブチギレて百十階層に転移して早々にメテオを放ったところ、それを異様に伸びるシルクハットで飲み込まれた後に背後から放たれてPTが全滅した話は有名だった。そういった事例も確認されているので遠距離攻撃は避けた方が身のためである。

 そしてスポッシャーがシルクハットに触手を入れたのを確認した努は、フライで宙を舞った。それから出来るだけ周りを見回した後に空気が歪み始めた場所を発見すると、すぐにその場から離れる。するとそこから空間を突き破るように触手が飛び出してきたので、すぐさま攻撃スキルで迎撃して近寄らせないようにした。


「クロア、僕の方は大丈夫だからハンナの近くで援護を頼む。吸盤にさえ気を付ければ近距離でも火力で押せる。そのまま二人を先頭に前線を引き上げていくから頑張ってくれ」
「あっ、はい!」


 先ほどから何やら気合十分な顔つきで自分の周りをうろちょろとしていたクロアに指示しながら、努は触手を一切近づけない立ち回りを徹底していた。そんな彼女はそれでも少しだけその場に留まりはしたものの、二本目の触手すらも近づけさせていない努を見てからはハンナの援護に向かった。


(クロアからはアタッカーとしてそこまで期待されてなかったのかな。……絶対ハンナが変に介護したせいだろ。そのせいでスキルの練習台も減って色々試せなかったし、ありがた迷惑にもほどがある。……まぁそれでも、刻印に言及しないで付いてきてくれるだけありがたいんだけどさ)


 しかしだからといって引退した老人扱いをされるのも癪には触る。だからこそここで少しはアタッカーとしても活躍できることを証明しなければならない。

 確かにクロアの白魔導士に対する推察は的を射ていたものの、努に限ってはそもそもヒーラーの認識が初めから違う。支援回復だけがヒーラーの仕事ではないことは『ライブダンジョン!』で理解していて、それを見越した立ち回りは少なくとも七十階層から磨いてきた。


「エアブレイズ」


 ヒーラーの火力は確かにアタッカーやタンクに比べると低いが、階層主戦ではそれも馬鹿にならない。そしてそれを理解して支援回復の合間にヘイトとの兼ね合いを考えながらも攻撃し続けてきた百階層までの経験が、努には確かにあった。


「ホーリジャスティス。エアブレイズ、エアブレイズ……エアブレイド、ホーリー」


『ライブダンジョン!』で培った効率的なスキル回し、それをこなすためならば精神力消費のデメリットを無視することも厭わなかった。努は一般的な白魔導士よりも圧倒的に速いスキル回しでの波状攻撃を瞬く間に繰り出し、スポッシャーの触手二本を完封していた。

 そして急激な精神力消費で吐き気を催しながらも、最後にささやかな微調整のホーリーを繰り出したところで努は心の中で呟く。


(解除)


 その途端に白魔導士の進化ジョブは解除され、努はそこから絞り出すようにスキルを口にしながら杖を掲げた。


「ヘイスト、メディック、オーラヒール、ハイヒール。……ヘイスト」


 支援スキルが触手の間を縫うようにしてハンナとクロアの二人に付与され、回復スキルは努を付け狙い返り討ちにあってズタボロだった触手二本に当たって傷を癒していく。

 だが乾いた雑巾から最後の一滴を絞り出すかのようなヘイストで、努の精神力は零に等しくなった。もはやフライによる僅かな精神力消費すら、彼にとっては拷問に等しい苦行となっていた。

 吸盤まですっかり治癒された触手は若干戸惑うように右往左往したものの、すぐに気絶寸前の努へと狙いを付けて飛び出す。


(進化)


 しかしその触手二本の治癒で進化ジョブへの条件を満たしていた努は、派手な演出と共にステータスとスキルが組み変わり精神力が全回復する。


「ホーリーウイング、エアブレイズ」


 息を吹き返したように目を見開いた努はすぐさま広範囲に渡る羽根の弾丸を飛ばして触手を怯ませ、風の刃で切り裂きながらその反動を利用して後方へと移動する。そして再び進化ジョブ解除の条件である攻撃ダメージを稼ぐため、的確に触手へスキルを当て続けた。

 今の努がしている立ち回りは、進化ジョブを持った白魔導士とそこまで変わりはない。状況に合わせてヒーラーとアタッカーを切り替えて戦うことが、上位神台に映る白魔導士のポピュラーな立ち回りである。

 特筆すべき点は、その精神力消費にある。努のスキル回しは他の白魔導士から見れば正気の沙汰とは思えないだろう。探索者なら誰もが嫌がる急激な精神力消費に、精神力が半分を切って尚スキルを使い続ける二重苦。戦闘中にそんなことをすれば判断が鈍ることは間違いないので、努のしていることは自殺行為にしか見えない。

 勿論努も吐き気を催すほどの倦怠感や、徹夜明けのように脳の神経が切れているかのような状態を好ましいとは思わない。だがコリナや他の白魔導士たちと同じように武器を持って前線に立ち、全体攻撃などを受けても自分で治癒しながら戦うようなことと比べれば大分マシに思える。それに効率的なスキル回しが出来ないことの方がストレスという廃人の観点もあって、机上の空論を押し通していた。

 進化ジョブの攻撃スキルでスポッシャーの触手二本を徹底的に近づかせないようにしながらも、支援スキルが切れそうになるタイミングで白魔導士に戻りPT全員に付与する。そして精神力を零まで絞り切ったと同時に再び進化し、精神力を全回復した状態でアタッカーに戻る。


(取り敢えず及第点は出せたか。支援回復も三人なら問題はなさそう。だけどこれを五人PTで、ヘイトも管理してやるとなると骨が折れるな。一新されたステータスに新スキル、刻印装備、青ポーションを加味すれば出来なくはなさそうだけど、流石にいきなりは無理そうだ。実戦練習は必要不可欠だな)


 そして三回目のジョブ解除と進化を滞りなく済ませて現状維持が可能なループの状態に入ってから、努は精神力に余裕のある時に更なる効率化を図るための考察をし始めた。そして事前に立てていた進化ジョブの精神力回復を利用したアタッカーとヒーラーを兼任する理論を体現した上で、スポッシャーとの実戦の中でそれを更に改善しようとしていた。


(ハンナ、以前に増してわけわからん動きはするけど前よりもヘイスト当てやすくはなってるな。それにディニエルが警戒してただけあって、相当な化け物ぶりだな。あそこまで独自路線突き進んでくれたのは大きい)


 いくら努が理論値を叩き出したといえど、今回の階層主戦はハンナがスポッシャーに捕まってしまえばそれだけで終了という厳しい条件であることに変わりはない。だが彼女は努の期待通り、熟練度を増した魔流の拳を駆使して触手五本を見事に押さえていた。それどころか時折触手を引っ張り出してスポッシャー本体にまで影響を与えるなど、前例のない立ち回りで期待以上の活躍をしていた。


(クロアも期待値を下回ることはない。初めて戦うモンスター、それも即死持ちに致命的なミスもしてないし良くやってる方だ)


 時折ハンナが吹っ飛ばした触手にぶつかりかけてはいるものの、槌士であるクロアもその鈍重な武器にしては器用に戦っている。セオリー通りの戦い一辺倒の弊害で情報量の少ない最前線間際で停滞してしまったにせよ、彼女が実力派であることに変わりはない。

   そんな三人の奮闘によって前線はじりじりとせり上がる。それにハンナの触手を介した本体への攻撃もあってか、それは想定以上の速さで進んだ。

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