第446話 110階層主 スポッシャー戦:神台市場

 

 巨大な画面で映し出されている一番台のヴァイスを中心とした神台周りは今日も盛況である。迷宮都市を統治しているバーベンベルク家によって設けられた公共の観客席はいつものように満席で、片手間で食べられる庶民的な屋台料理から、わざわざ店員が席まで運んでくるような高級志向の料理まで飛ぶように売れている。

 大きなマジックバッグを背負った売り子たちは忙しなく歩き、空になったコップに飲み物を注いで回っている。観客の無用な混雑やトラブルを防ぐために警備団はいつものように人々を誘導し、お手洗いや出口付近には目を引く商品を並べた様々な店が連なり今日も商売をしていた。

 そんな一番台を中心地とした上位の神台市場に比べると、四十番台付近からは施設側が観客動線を考慮したり警備団が誘導する必要がない規模に収まっている。ただそれでも人通りは多く、観衆も特定の探索者を熱心に見ている者で多く賑わっていた。

 だがその中でも数十人規模でしか見られないような小さい神台である百番台の周りに、今日だけは異様な人数が集まっていた。それは百十階層にてスポッシャーと戦っている努たちを見学することを目的とした古参の迷宮マニアによるものもあるが、その周囲を囲っている者たちの目的は違った。


「もう少しツトム様を映す頻度を上げてほしいですわね」
「さっきからそればっかじゃん」
「こちらから操作することが出来てもよろしいですのに」
「無視すんな」


 最前列で百番台を視聴しているステファニーと、そんな彼女に喰らいつくかのように喋っているロレーナ。


「あいつ、本当にアタッカーも出来たのね」
「…………」


 その他にも忌々しげにスポッシャーを睨んでいるアルマと無言で努を見ているセシリアや、ギルド長の娘であるアーミラに森の薬屋のお婆さんなど、迷宮都市で顔の知れている者ばかりがこんなところに集まっているせいか野次馬が大量発生していた。

 ただ初めは感激したように騒いでいた野次馬も、ステファニーから誠意のこもったお願いを聞かされてからはかなり静かになった。そんな一見丸くなったような対応をしていた彼女は、身体をわなわなとさせながら百番台を凝視している。


「素晴らしい」


 前線をある程度押し上げた後にクロアへ本体に直接攻撃するよう伝え、自身は三本の触手を請け負っていた努。そんな彼のスポッシャーを倒すためだけに考え抜かれた立ち回りと、それを再現しうる彼自身の実力にステファニーは舌を巻いていた。


「よくあそこまで精神力追い込んだ状態で支援スキル当てられるよね。……別にあんな芸当をやらなくても、初めから自分で火力を出して攻撃スキルの精神力消費を補えば楽できるのに」


 同じ白魔導士だからこそわかるスキルごとに違う細かな精神力管理、それに付随するデメリットの中でもあれほどまで動けているのはある意味狂気的ともいえる。これが三年ぶりに探索者へと復帰し、刻印にかまけていたという人の初陣だとはロレーナにはとても思えなかった。


「白魔導士の近接戦を完全に否定する気はありませんが、最近はアタッカーにかまけてヒーラーを疎かにする者が多いのもまた事実ですわ。少しはツトム様を見習って頂きたいものです」
「ま、それについては私も同感ですけど~」
「……ふん」


 近接戦を行う白魔導士の中ではトップともいえる兎人のロレーナを一瞥したステファニーは、興味なさげに鼻を鳴らして神台に視線を戻した。


「にしても、相変わらずミスりませんな~。もし捕まったらギルドに飛んでいくのに」


 努が三本の触手を相手にしてからは、一手でも間違えれば捌き切れずに崩壊するような冷や冷やとさせられる場面が多かった。だが当の本人はムカつくほど澄ました顔で進化ジョブの切り替えを繰り返しながら、むしろその精度を上げて触手を圧倒していた。

 この調子じゃぬるぬる油まみれの努を見ることも叶わないかと、ロレーナはがっくりしたもののそれからも神台から目を離すことはなかった。


「ハンナも、凄まじいな……。流石、魔流の拳を正式に継承したと言われるだけはある」
「アタッカーとしても、避けタンクとしても二段飛ばしで成長してないか? あれなら最前線でも通用するんじゃね?」
「…………」


 割と努目当てで百番台まで見に来ていた迷宮マニアたちがそう呟き、アルマが押し黙ってしまうほどハンナの活躍もまた素晴らしかった。単純に魔流の拳の継承者として飛躍したということもあるが、努との連携も異様に取れていたことが大きかった。

 スポッシャーの触手は個別にヘイトがつくようになっているので、基本的には一人が何本受け持つかがブレることはない。だが前線を押し上げていくにつれて、白いシルクハットでの触手転移はランダム性を帯びてくる。スポッシャーが無作為にシルクハットの位置をシャッフルするからだ。

 そのため突然ハンナの周りに異次元の境目が五本より多く出てくることもあれば、努の方に集中してしまうことも起こり得る。たとえ自分の近くに出現した触手がもう片方を狙っていたとしても、もしそれを無視する判断を間違えれば即座に引きずり込まれてしまうため迎撃せざるを得ない。


「ハンナ! 上がそっち行くぞ!」
「りょーかいっす!」


 努はその驚異的な視野の広さを持ってスポッシャーのシャッフルをもある程度見切り、八本の触手がどちらを狙っているか目測を立てることが出来た。だが流石に触手三本を捌きながら全て間違いなく当てられることまでは出来なかったので、各々自分を狙っていない触手を迎撃してしまいヘイトが乱れた。

 しかしその乱れが起きてからハンナは自力で考えて、というよりは直感の赴くままに行動した。その結果として、彼女は自分を狙っていない触手を攻撃してしまうことはなくなった。それはいわば勘に等しいものではあったが、何千もの触手攻撃をかいくぐることで得た経験を元にしたそれは確かに当たっていた。

 そして努はそんなハンナの読みを参考にしながらも再びヘイトを安定させ、また乱されては修正を繰り返して何とか耐え忍んでいた。


「パワースイング! どりゃあああぁぁぁ!!」


 そんな二人の驚異的な粘りによって単身で最短距離を突き進むことが出来たクロアは、まどろっこしいことを抜きにした大槌を大きく振りかぶっての一撃をスポッシャーの頭に繰り出した。

 スポッシャーの身体を支えていた下の吸盤が千切れ飛び、吐血するようにタコ墨を吐きながら滑り飛ぶ。白いシルクハットからずりずりと触手が抜け、そのまま油田の水車へと激突した。ボウリングのピンのように木材が派手に打ちあがる。


「美味しいところ、全部持っていったなー」


 その後ひらりと落ちた黒いシルクハットと所々に落ちていた白いシルクハットを潰して回るクロアに、迷宮マニアは半笑いで呟く。その後にスポッシャーはようやく本番かと言わんばかりに意気揚々と触手を回しながら油田から出てきたものの、異次元のシルクハットを持っていなければ巨大蛸のモンスターに他ならない。

 それからは特に危なげもなく立ち回り始めた無限の輪を横目に、迷宮マニアたちは記事を書いたり感想を言い合ったりしていた。


「ハンナは期待通りだったけどツトムなぁ……。ちゃんと探索者一本に絞れば、最前線にも戻れるかもしれないのに」
「もうちょっと大人しくしてくれたら、記事も書きやすいのになぁ。職人関連の人たち大分敵に回してるし、関わるのダルいわ」


 スポッシャーにもはや勝ったも同然なのはいいが、支援回復しながらここでも刻印し始めた努には迷宮マニアたちも呆れていた。そして今でも生産職たちの言い分を完全に無視し、むしろ煽るかのように刻印している努のことを良いように書くのは、損得勘定で考えれば損であることは明白だ。


「なら書かなければよくない?」
「いや、腐っても迷宮マニアだし、書くけどさぁ……。でもなぁ……俺も安全圏でやいのやいの言ってすんなりお金貰いたいわぁ……。これ、絶対記事の修正頼まれて交渉する羽目になるじゃん。めんどくせー。そもそも生産職敵に回してもいいことないんだし、ツトムもムキにならずに大人の対応してくれれば楽なのに」
「俺も正直ツトムの実力が伴ってない方が都合は良かったけどな。まぁ、そういう賢い奴らはこんなところにまで来ないで、予約席でも取って優雅に上位の神台見てるだろうよ」
「違いない」


 だがいくら得であるからといって、何年も探索者を見てきて正当な評価をしてきた自負と読者の信頼を裏切るわけにはいかない。しかしこれで面倒事が起きることには変わりないので、古参の迷宮マニアたちは強情だが実力も見せた努に恨み節を吐きながらも客観的な記事をしたため始めた。

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