第455話 おいてけぼりのユニス

 

「ね、写真と文章のギャップすごくない?」


 ソファーの背もたれからはみ出ている尻尾を揺らしながら新聞を読んでいたエイミーは、半笑いでその記事を努の方に見せた。

 そこには油ギッシュな身体でにへら顔のままヘッドスライディングをかます直前のルークと、三十回目のアトラクションにでも乗り終わったかのような表情の努を捉えた写真が掲載されていた。絵面だけ見れば歳の遠い弟の遊びに付き合わされている兄のような微笑ましさすらあるが、それに続いている文章は大手のクランリーダーとして落ちぶれた二人を建前的に憐れみながらも嫌味ったらしくなじるようなものだった。


(ルークもこんな記事書かれるってことは、いきすぎた自虐ネタってわけでもないのか)


 今では五社ほどまで増えて寡占状態ではなくなった新聞社のスポンサーには、アルドレットクロウの資金力を元にした名立たる企業からグレーゾーンをひた歩く企業まで満遍なく入っている。

 その中でもアルドレットクロウ工房の大口スポンサーがついている新聞社は努のことをボロカスに酷評していることで有名だが、そこにルークも一緒くたにされていたのは意外だった。普通ならアルドレットクロウのスポンサーを受けている新聞社が、そのクランリーダーを批判するような記事など書けないだろう。

 つまりは本当に彼の言う通り、もしくは想像以上にアルドレットクロウのクランリーダー交代の日は近いのかもしれない。昨晩PTを組んで百十階層で話した時はついつい欲張りすぎちゃった、などとお茶目にここ数年のクラン運営について言及していたが、その通りですねと率直には返せなかった。

 彼はしょうもない下ネタを口にして明るく努めてはいるものの、実際に創設からもう十年近いクランのリーダーを退陣させられるのは相当堪えるのか、時折夢が醒めて現実に戻ってきてしまったかのような顔をする。


(まぁ、子供みたいな見た目とはいえいい歳したおっさんだしな。その辺り突っ込んだらハーフエルフ基準じゃまだ未熟だなんだ言われたけど、本当に未熟だったらとっくの昔にアルドレットクロウ崩壊してるわ)


 ルークとあれからも関わりを持っているのは、今も圧力を緩めないアルドレットクロウ工房を叩きのめすための情報収集という側面もあるにはある。だが『ライブダンジョン!』でのクラン運営は勿論、ここ数年は世界大会で勝つためのチーム作りにも関わってきた努は、彼がどれだけ大変な目に遭いながらアルドレットクロウを維持してきたのかを近い立場で理解できるつもりではある。

 ルークは自身のことを業突く張りと評していたが、努から見ると彼は能力の高いお人好しにしか見えない。ギルドで自分に話しかけるという目的があったとはいえ、普通の探索者なら頑固な油掃除なんて手伝いもしないだろう。

 そんな調子でルークは恐らく、数千人規模の意見が入り混じるアルドレットクロウの要望を全て満たそうとしたのだろう。そして全てを満たすために規模を拡大させたものの、結果として彼自身は何も得ることは出来なかった。

 それは大勢の意見を取捨選択せずに全て叶えようとした、ルークの傲慢による自業自得なのかもしれない。だがそんな彼がこのまま落ち目になるのを見過ごすのは、努個人としては少し気に食わなかった。それにもしルークがアルドレットクロウ内で復権を果たしてくれた際には、思わぬ一手を打てる可能性もあるだろう。


「ルーク、ちょっと勢い落ちちゃってる感じなんだ?」
「三年も探索者休止してた僕と絡んでるくらいだしね」
「だがそれでも、二人の目には探索者としての闘志がまだ宿っていた……」
「誰目線なの?」


 きりりと目を細めて渋めの声のナレーションをし始めたエイミーに努がそう突っ込むと、彼女は訳知り顔で顎を逸らした。


「ルークも中々優秀って印象あるしねー、まぁー、なんだかんだ持ち返すでしょ?」


 そこまで密接に関わってはいなかったといえ、ルークの優秀さをエイミーが疑う余地はなかった。特に印象的だったのは、まだ神台を広告として利用するということが迷宮都市の常識ではなかった時に、賛否両論巻き起こっていた議論を無視してそれを強行したことだ。

 まだ立場も環境も安定していなかったエイミーの行動に続くのは、少なくないリスクを伴う。だがそれでもルークはギルドでエイミーと立ち話程度の会話をした後、大人数のクランごと身を投げ出して見事大規模な広告産業を確立させた。そのおかげでエイミーの仕事も枠組みがしっかりしたことで随分と楽になったので、そんな彼を地味に評価はしていた。


「それにツトムまで絡んでるしね。もう勝ちじゃない?」
「絶対とは言えないけど……まぁ、大丈夫じゃない」


 いざクランリーダーを退陣した時には酒浸りにでもなって一晩中ぐだぐだとしそうではあるものの、そこからルークが持ち直すことは想像に難くない。それこそ金狼人の子供が生まれないことで揉めに揉めて大手クランという括りから完全に退いたレオンのようにまでは……と言いかけたところで努はユニスの存在を思い出してそれを言うのを止めた。

 昨晩はエイミーの部屋に泊まって今もクランハウスに滞在していたユニスは、借りてきた猫のようにちょこんと食卓の椅子に座っていた。ただ後ろ姿から見えるその狐耳は周囲の音を聞き分けるように反り立っているので、下手なことを言えばすぐに飛んできそうである。


「ツトムは今日も探索するんだよね?」
「そうだね。エイミーは挨拶回り昨日で済ませたんだよね?」
「だねー。昨日会えなかった人たちは予定確認してからって感じだし、しばらくは暇かな?」
「それじゃ、今日はPT組んでさっさと階層更新しちゃおうか。まだ僕も大して進んでないし……まぁ、PTメンバーも喜んで協力してくれると思うよ」
「おっけー!」


 そんな二人の会話に相槌でも打つように、獣人の中でも厚めなユニスの狐耳は動いていた。

 ――▽▽――


「そうはざーーーん!」
「うわぁ……生の双波斬だぁ……」
「……ヘイスト」


 漆黒の空が印象的な九十階層。そこでしっとりとした垂れ耳や黄土色の尻尾を一生懸命立てているようにみえるクロアは、生のエイミーを前に恍惚とした表情を浮かべている。そして二人に支援回復をしていたユニスは、はすはすと興奮しながら大槌で成れの果ての爪を叩き割っている彼女を若干引き気味に眺めていた。


「私もついていくのです!」


 ユニスは朝の会話を聞いて意気揚々とPTを組むことを提案してきたものの、彼女の最高到達階層は未だに九十階層である。だがそんなことをすっかり忘れていた努は彼女のPT加入を了承し、百一階層へと転移した。だがそこにユニスの姿はなかった。彼女が九十階層までしか辿り着いていないからである。

 そんな事情もあって努たちPTは置いてけぼりを食らって涙目のユニスを迎えてから、九十階層主である成れの果てを今更攻略することになっていた。


「石化対策装備あると弱いなー、成れの果て」
「初めて挑む人でもサクッと越えてるっすもんねー」


 以前努が九十階層に挑んだ時は石化対策装備が森の薬屋のポーションくらいしかなかったため、突破できるかは状態異常を治せるヒーラーの腕にかかっていた。しかし今では刻印によって石化や暗黙対策が容易に取れるため、成れの果ての魔眼はそこまで脅威ではない。

 そんな成れの果て対策装備は努が既に趣味で作っていたので、全員ガチガチに石化と暗黙対策を施した装備のため石化の進行は大分緩やかでスキル使用が不可になることもなかった。そんな成れの果てなど努から言わせればヌルゲーに他ならないし、ハンナからも雑魚呼ばわりされるくらいだ。


「なんか、エイミーはセンスに磨きがかかったって感じっすね」


 更に九十階層では明らかなオーバーパワーであるエイミー、ハンナ、クロアの凶悪アタッカーを前には、強みを失った成れの果てなど相手にもならない。開幕から魔流の拳をパナしにパナして後は三人に任せている彼女は、エイミーは儂が育てたと言わんばかりに腕を浅めに組んでいる。そんなハンナに努は若干白けた目をしながら言葉を返す。


「単純にレベル差でステータスが高いっていうのもあるけどね。速さだけなら昔のレオン並みだろうし」


 迷宮都市と帝都にある神のダンジョンはレベルが共通しているため、現在のエイミーは151レベルまで上がっている。数値だけ見れば迷宮都市では最前線レベルとまではいかないものの、ダンジョンの構造上レベル上げのしにくい帝都のダンジョンにおいては高い方である。そして今もアルドレットクロウの上位軍に帝都からきた探索者が食い込んでいることからして、実力が劣っていないことは明らかだ。

 ただでさえエイミーの実力は百階層時点で高かったが、それは帝都のダンジョンで更なる磨きがかかった。そして様々な双剣士の技術を一部取り入れては無駄を削ぐことを三年繰り返している。

 百階層までは努の指南した、近接アタッカーとしては考えられないほど精神力を使いながらスキルを有効的に使う立ち回りでエイミーは評価されていた。だが今は純粋に双剣士の中でも武器の扱いが上手い部類になっていて、それでいてスキルの扱いにも磨きがかかっているので双剣士としては達人といってもいいだろう。


(あいつも三年間金魚の糞だった、ってわけではなさそうだ)


 そんなエイミーとPTを組んでいたというユニスもまた、ヒーラーとしての成長は著しかった。

 これはジョブごとの役割に限らず共通していえることだが、レベルは適正なのに実力がない探索者は大抵視野が狭く状況判断も遅いし、何より他責思考だ。

 絶好の隙があるからといってやたらめったらモンスターに手出しして、ヘイトを買いすぎて自滅するも自分の責任だとは露とも思っていないアタッカー。とにかくモンスターのヘイトを引くことだけに集中してしまい、攻撃には参加せず位置取りも気にせず縮こまるも自分の役割は果たしていると思い込んでいるタンク。

 そして全ての支援回復を完璧に請け負おうとするが現実問題上手くいかず、余計に頭が混乱して戦況を乱しては味方の動きが悪いと愚痴るヒーラー。自分は少なくとも八割以上は期待値を出していると思い込み、相手の視点も見ないで自分勝手にPTメンバーを批判する。

 ある程度自分の立ち回りを確立して中級者になった、もしくは上級者気取りの中級者は大体このパターンに入る。そして以前のユニスは他責思考こそなかったものの、理想の動きが出来ずに苛々して余計に立ち回りが乱れる、なんて光景は神台で何度か見かけた。それでいて状況判断を間違えてタンクを見殺し、もしくは手厚く回復しすぎて他に手が回らなくなるといったことも見受けられた。


(三年真面目にヒーラーやって何一つ成長できませんでした、っていうのも変な話だけど。そこまで才能ないとか逆に才能あるみたいなもんだし)


 自分ではなく迷宮マニアでもユニスにヒーラーとしての才能がないことは理解していただろう。何せ火竜戦から多少光るものを見せながら、それからの努力量も気が狂うほど多かったステファニーという存在を見た後では、ユニスが見劣りするのは明らかだ。ユニスならあっという間に全滅するような場面でも、ステファニーなら持ち直すなんてことはザラにあった。

 才能がない、センスがない、安心感がない、何だかパッとしない、見ていてつまらない。表現の違いこそあれそういった類の評価をユニスは受けてきたし、努とてたまにほんとセンスねぇなと思うこともあった。ただ判断能力の遅さはあったが決して頭が回らないわけではなかったのでスキル開発という側面で実績は出したものの、結局努の弟子の中では最下位という評価は拭えなかった。

 だがそんなユニスでも迷宮都市とは環境の差こそあれど、変わらず神のダンジョンに潜ってヒーラーをしていたことに変わりはない。ステファニーのように教典もなければ、ロレーナのように強烈な個性もなかった。だがそれでもユニスは努に教えられたことを元に自分の頭で立ち回りを反省しながら、エイミーや他の探索者と切磋琢磨してきた。

 そんな彼女の立ち回りは完璧に対策された九十階層というレベルに見合わない場所であったとしても、以前と違い確かに光るものが垣間見えた。この調子なら少なくとも上位の神台に映っている白魔導士レベルには到達しているだろうし、少なくとも装備で対策を取れていなかった過去の成れの果てを倒す際にヒーラーを任せていいぐらいのものを彼女は持ち得ていた。


「なんか他の白魔導士と違うっすよね? 帝都にいたからっすか?」
「帝都はダンジョンの仕様が違うみたいだし。その辺りも関係してるんじゃない。詳しくは知らんけど」
「師匠を越える日もそう遠くないって感じっすか?」
「今は完全に三人共々抜かされてるでしょ。今度は僕が教えを乞う番だね。行かないけど」
「師匠、ドンマイっす!」
「なんか凄い雑な慰め押し付けられたし、刻印でもしてようかな」
「あーまたそういうことするっすか。別にあたしはいいっすけどね」


 そう言い捨てて唇をぶるぶるぶると震わせたハンナは一足飛びでエイミーたちの方へと飛んでいき、最後の一撃だけ奪わんと勇ましく向かっていた。その後努は手慰みに刻印を刻みながらも、ユニスが支援回復する様子はしっかり観察していた。帝都という違う環境で鍛えられたユニスの立ち回りには純粋に興味があったからだ。


「師匠、ここは刻印駄目な場所っすよ。炎の魔石が炸裂して爆発しちゃうっすから」
「刻んでるだけで刻印はしてませーん、見分けられない馬鹿乙でーす」
「よーし本当にやるっすからねー」
「やめろ馬鹿」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんっすよ!」


 そして無事成れの果てを倒した後、刻印をしたらしたで小学生のようなだる絡みをしてくるハンナに努も小並感で返したが大人しく装備はしまった。そんな二人をユニスは横目でジッと見つめはしたものの、九十階層攻略に付き合わせている罪悪感もあってか文句までは言わなかった。

コメントを書く