第457話 スポッシャープレイ

 

 元々は貴族であるバーベンベルク家の贔屓している所として有名だった、高級なワインとそれに見合う料理を提供する飲食店であるロウサ。しかし今では迷宮都市の中でも生粋の資金力を持つようになったアルドレットクロウの幹部などが通うようになり、現状はその関係者でほぼ貸し切り状態のためワイン通のスミスは中々予約が取れず歯噛みしている。

 そんな場所の一角には、オーダーメイドで仕立てられたスーツのおかげか外見だけならそこまで浮いてもいない探索者たちが居座っていた。以前から度々アルドレットクロウから招かれている、孤児集団オルファンの筆頭PTであるリキたちである。


「こちらイルラント牛のフィレ肉になります。ボルドーと共にお召し上がりください」
「ども」


 初めこそ料理やワインの説明を聞く度に戦々恐々としていたものの、リキはもうこの店には何度も招待してもらっているため店員の説明にも慣れたものである。他の四人も各々ワイングラスを回して香りを嗅いでいたり、早速肉と葡萄の果実を合わせて頬張ったりなどしている。


「何度食べてもここのイルラント牛は格別ですね」


 そんなリキたちに一般的なテーブルマナーからワインの香りを楽しむことを教えたり、この店に見合うドレスコードの仕立てから取り仕切って一式プレゼントしていた男性は朗らかに微笑んだ。

 彼はアルドレットクロウに必要な素材や魔石、備品や食料などの売買を担当する営業部に所属している者である。元々は神台のスポンサー企業との交渉を主な仕事にしていたのだが、今回はオルファンを傀儡組織《かいらいそしき》にするためにこの仕事を受け持っていた。


「何せ火入れに四時間もかけてますからね。それにイルラント牛もそこらとは物が違いますから」
(この子だけは懐柔に時間がかかると思ってたけど、意外と早く店の虜になってくれた。仕事が楽で助かる)


 オルファンの一軍の中では二番手、リーダーを諫める参謀役ともいえるミーサという少女は孤児の中でなら頭は回る方だった。しかし所詮は孤児の中で比較的マシというだけで、煌びやかな世界への耐性もそこまでなかった。初めこそ高級店に警戒を示していたものの、何度も足を運ばせた今では料理に講釈を垂れるくらいには虜になってくれた。それを切っ掛けに彼女ですら知っていた王都産のブランド物を中心にプレゼントしていくと、良い意味で素朴だった彼女はみるみるうちに都会の女へと染まっていった。

 PTの参謀役がそんな良く見る分類の顧客《カモ》に成り下がってくれればこちらのもので、他のPTメンバーの少女たちにもこういった高級店をいくつも回らせては煌びやかな物品をプレゼントした。その後はいつものように営業して自身からもそういった類の物を購入してもらい、煌びやかな世界に依存させて抜け出せないように仕向けた。

 少年たちはもっと簡単だった。そもそもリーダー格のリキが典型的な成り上がり者であったため、煌びやかな世界に一番憧れていたのでカモがネギを背負って歩いているようなものだった。それに加えてアルドレットクロウと関係の深い美人を少し紹介するだけですぐに虜となってくれた。そんな具合で二軍、三軍も完全に掌握していき、オルファンにとってアルドレットクロウは切っても切れない関係にまで発展した。

 だがアルドレットクロウからすればオルファンは都合のいい鉄砲玉に過ぎない。脳みそが溶けるような金と快楽にずっぷりハマっている、探索者としてのレベルだけはそこそこ高い者たち。それをどうコントロールして何処に差し向けるかは既にアルドレットクロウの、細かくいうとアルドレットクロウの一部幹部や工房の匙加減次第である。


「そういえば、エイミーが帝都から帰ってきたようですね。随分と久しぶりに神台で見ましたけど、意外と実力は衰えていないようで何よりでした」
「俺も見ましたけど、やっぱりあいつは気に食わねぇ。エイミーが帰ってきたのに澄ました顔してやがって」
「実は裏でやることやってんじゃね?」
「許せねぇよなぁ!? 俺も一回くらいアイドル抱いてみてぇー」
「ちょっと、そういう話は後でしてよ。食事が不味くなるから」
(こっちがわざわざ話を仕向けなくてもツトムを憎んでくれてるのもありがたいなぁ。特に二軍の子たちは直接接触して揉めてくれたのが大きい。余計な手出しをせずとも勝手に自滅してくれる。工房からの要望以上だ)


 下世話な顔つきでアイドルとワンチャンやりたいなどとのたまっている少年たちと冷ややかな目をしている少女たちを横目に、営業の男は内心しめしめといった様子でワインに口をつける。

 ワインや料理自体の味こそいいが、正直な話これなら家族と一緒に安酒をだらだら飲む方が余程いい。

 だが今回の仕事がこの調子で上手くいけば、この店に家族で来ることも夢ではないだろう。そうしたらこの何倍も楽しいのだろうなと夢想しながら、彼は孤児たちのツトムに対する恨みつらみに真摯な顔つきで相槌を打って助長させていた。


 ――▽▽――


「あ、今日からただの五軍の人だ」
「すっごい失礼! あと昨日からね!」


 今日は確実にいるだろうなと努は思いながら深夜のギルドに入ると、案の定人気の少ないギルドの受付前にルークは手持ち無沙汰に待機していた。そして努の辛辣な言葉を受けてわざとらしく地団駄を踏んでいる。


「それにこれは前向きな引退なんだからね! 古参の人たちにもちゃんと説明して新しいクランリーダーと摩擦が起きないようにした分、あっちにも色々譲歩してもらったんだ!」
「そこまで譲歩してもらうなら副クランリーダー辺りを狙っても良かったんじゃないですかね」
「強がりとかじゃなくてそれも可能ではあったけど、僕はこれから五軍で本格的に探索者として頑張るよ」
「今まではクランリーダーの名誉的なこともあって五軍でしたけど、実質的には十軍以下だと思いますよ。今までクランリーダーの仕事ばかりしてたんですから」
「……ねぇ、こんな夢見るいたいけな少年に現実を突き付けていじめるのってどうなの?」


 確かに俯瞰して見ればルークは一流探索者を夢見るいたいけなハーフエルフの美少年で、自分は現実を突き付けて無理だ無理だと批判するだけの底辺探索者に映るかもしれない。


「年甲斐もなく非現実的な夢見てる痛いおじさんの間違いでしょ」
「解釈の仕方が捻くれすぎてない? あと前も言ったけど、人間の基準で考えるの止めてよ! これでも結構傷付いてるんだからね!」


 だが努からすればルークはショタのアバターを被っている36歳独身下ネタ好きのおじさんにしか見えないし、ただがむしゃらに夢を語っているようにも見えない。


「どうせ事前交渉で資金面は担保してもらってるんでしょうし、召喚士のデメリットは大分軽減されてるじゃないですか。後はルークがどれだけ上手く召喚して運用するかってことですけど、その様子じゃそれも既に考えてますよね?」


 努は夕刊でルークがクランリーダーを退くことを知ったが、新聞で見る限り確かに彼の言う通り前向きな引退のようだった。どうやら神台を使って引退会見のようなものをルーク自身が開き、そこで新たなクランリーダーの紹介やアルドレットクロウのこれからの展望などを話し合ったりと、傍目から見れば円満な風に見えただろう。

 ただ以前に情緒不安定なルークが話していた通り、彼は功を焦ってアルドレットクロウのリーダー失格の経営をしてしまい結果的には自分の首を絞めるようなことになってしまった。表向きこそ前向きな引退に仕立て上げたものの、実質的には降板させられたことに変わりはない。実際数日前までのルークは十年近くにもなるクランリーダーからの降板が余程堪えていたのか、顔色は土のように暗くテンションの上がり下がりも何処かおかしかった。

 なのでいざクランリーダーを交代するような時には何をしでかすかわかったものではなかったが、新聞で見る限り引退会見は穏やかなものだった。そして実際にルークを目にしてみると、憑き物が取れたような顔をしていたので努は慰める心配はないと思った。

 そんな努の予想は正しかったのか、ルークは途端にしょんぼりとした顔から粘り気のありそうな笑顔を見せた。


「……落ちぶれたクランリーダー同士、傷を舐め合うっていうこともしたかったんだけどね。残念」
「流石にルークよりは落ちぶれてないんで」
「いやぁー? ツトム君も中々に落ちぶれてるって周りからは評価されてるよ? 何せ三年も空白期間があったんだからね? それは明らかに損失だし、それを本当に刻印だけでひっくり返せるのかなー? ゼノからの融資も成果が出ないとそう長くは続かないだろうし、無限の輪の一軍でも評価が分かれてるんでしょ? いくら過去に実績があるとはいえ、ずっとこの調子じゃいずれは僕より酷いことになるんじゃないかなー?」


 ルークはねちねちと楽しそうに言いながら人差し指を努の張っていたバリアに這わせて、最後に背伸びと同時に首のところでピッと切った。だが胡散臭そうな半目で見下ろしてくる彼に一転してパッとした笑顔を向けた。


「でも安心してよ。流石に僕も恩知らずではないからね。もしツトム君が本格的に落ちぶれたとしても、傷の舐め合いくらいはしてあげるよ。それに皆から刻印の可能性を否定されても、僕だけは信じてあげるからね?」
「別に誰から信じてもらおうがもらうまいが、僕の進展は変わらないですけどね。何も博打感覚で刻印してるわけじゃないんで」
「確かに話を聞いた限りじゃ可能性は感じたけど、あくまで机上の空論じゃん。それを実現するのが大変なんだけど……ツトム君なら本当になんとかするかもしれないねぇ。というか、何とかしなきゃ割に合わない労力割いてない? いきなり倒れたりとかしない?」


 朝から夜までは探索者として、それから深夜までは生産職として努は休まず稼働している。そんな彼の努力量をここ最近間近で見てきたルークは、机上の空論が現実になるかもしれない可能性を感じることができた。


「ルークさんの方こそ机上の空論にならないといいですけどね。結局ルークが腐ってる間でも他にパッとした召喚士が出てきてないことは事実ですし、今から王道で一軍に上がるのは無理じゃないですか?」
「いやぁー。そもそも僕は、召喚士として大成するためにアルドレットクロウを作ったからねー。なまじクランが大きくなってからは色々なことに目が眩んで随分と遠回りしちゃったけど、初心に帰るだけさ」


 その言葉に噓偽りはないのか、ルークの目は年甲斐もなくわくわくした様子だった。そして心の底から溢れるような笑顔のまま、ステータスカードの更新を済ませて魔法陣へと向かう。


「今日でしばらくスポッシャーともお別れか……。ちょっとハマってきたところだったんだけどなぁ」
「そうですか」
「というか、今度プライベートで召喚してみようかな? 一回召喚してそこまで強くなかったから見向きもしなくなったけど、目的によっては中々……需要もあるんじゃない? ねぇ、ツトム君?」
「スポッシャー自身が刻印油を分泌するわけじゃないんで、僕は遠慮します」
「あっ、そっか。確かに滑りがないと痛そうだね。それなら潤滑剤も大量に準備を……おーい! ツトムくーん! 置いてかないでー!」


 召喚考察している内に階層転移しようとしていた努にそう叫びながら、ルークは少しはしゃぎ気味に魔法陣へ一足飛びでギリギリ入った。

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