第483話 この世界の現実

 

 確かにモイの境遇には同情の余地があるのかもしれない。他のPTメンバーから虐げられていた様子からして、別に自分の意思でリキが主導するオルファンに在籍しているわけではないのだろう。それに今日は何とかして時間帯をズラしていたことからしても人の良さは垣間見えた。

 しかし何か気に障ることを言われたからといって、刃渡り6cmを余裕で越す双剣で人に斬り掛かれる精神は到底理解できない。それは彼女然り、この世界の探索者然りだ。

 小学生の時にしか喧嘩をしたことがないような自分が平和ボケしているといえばそれまでだが、それにしたってこの世界の暴力性はおかしい。多少の怪我なら回復スキルですぐに治るという下地もあるからか、統率の取れている警備団すら努からすれば恐ろしい印象がある。

 そんな環境なのだからモイが平気で斬りかかってくるのも仕方がないだろう。努も少しだけだが海外のスラム街を実際に歩いたことがあるので、それと同じようなものだと思えばその行為に納得はできる。

 だがその理論とは真逆の妙な怒りも覚えていた。それはダリルを裏切っている癖に被害者面している彼女への苛立ちか、はたまた『ライブダンジョン!』に暴力を持ち込まれることへの怒りか。理由を明確にはできないが辛辣な言葉を吐き捨てるくらいの昂りがあることは確かだった。


「フライ」
「……!」


 そのスキル名を口にして地に足を踏みしめた途端、モイは羽ばたき始めた鴨でも仕留めんばかりに距離を詰めてくる。上空に逃がしたくないが故の雑な一直線。すると努は逃げの姿勢から一転して杖を前に向ける。


「七色の杖」


 白魔導士の進化ジョブの中で唯一の近距離スキルである七色の杖は、装備している杖によって効果が変化する。そしてドーレン工房協力の下で近接戦にすら耐えられる強度の杖に刻まれた刻印には七色の杖を強化するための属性強化に、対人戦を考慮して警備団が使用する武器と同じような弱体刻印が施されている。

 その紋様が光る緑色の杖から射出された風の塊は、努に向かっていたモイの身体を容易く後ろに吹き飛ばして壁に叩き付けた。その反動をフライで制御しながら見送った彼は、横目で闘技場の門を開放した三人の様子も窺う。


(ジャガノとあの探索者二人は担当してくれるっぽい。……とはいえ、突然不意打ちなんてこともしてきそうだしな。ロイドだけはマークしとかないと)


 先ほどの会話で多少は関係改善の兆しが見えたとはいえ、ロイドをおいそれと信用できるわけもない。ただあの探索者二人はいつの間にかジャガノとの戦闘に意欲を示していて、本気で戦いに挑んでいるように見える。何か彼自身から吹き込まれたのだろうか。


(……130レベルの双剣士だとそう簡単に気絶してはくれないか。いい塩梅の威力調整だったと思うんだけど)


 咳き込みながらも地面に落ちた双剣を持ち直して立ち上がるモイと、それを上空から見つめる神の眼。そして飴玉の緑ポーションを口に含んで近づいてくる彼女を見て努は残念そうに息をつく。

 孤児たちと当たった際にどう無力化するかについてはガルムやエイミーなどに相談していたが、結局のところ害意のある者は物理的に動けなくする他ないというのが結論だった。

 PTの構成上ヒーラーは努に限られるので、足さえ潰してしまえばあとはジャガノに任せるだけで事足りる。なのでエアブレイズで足を斬り飛ばせばいいとエイミーは何てことなさげに答え、ガルムはあまり傷つけたくない努の気持ちを考慮してか首を絞めて失神させることを勧めてきた。

 基本的に他の探索者と比べると華奢な孤児相手、それも黒魔導士などの遠距離系ジョブならば肉弾戦に持ち込めたかもしれない。だがモイは双剣士なので白魔導士の自分から近づくのは自殺行為だ。それに多少の怪我は緑ポーションで回復されてしまうため、勝負を決めるにはそれこそ足を切断するほどの決定打が必要になる。


「双波斬」
「エアブレイズ」


 様子見で放たれた斬撃とその威力に合わせられた風の刃は拮抗し弾け飛ぶ。七色の杖を警戒してか安直に距離を詰めてこないものの、双剣士の間合いは近接戦に特化している。モイは双波斬を放ちつつじりじりと近づいてくる。

 だが努は意外にもそこまで遠距離スキルを使用せず、むしろ接近戦を望んでいるようにも見えた。それを強者故の油断と受け止めた彼女は表情を暗くしながら間合いを詰める。


「ブースト、岩割刃」


 一瞬速度を上げてからスキルの力が乗った強烈な降り下ろし。そのスキルを使用した攻撃だけは身を引いて避けながら、努は杖のリーチを活かして双剣士が得意な間合いに踏み込ませない。


(エイミーに比べれば子猫みたいなもんだな)


 模擬戦でエイミーに散々地を転がされた経験のある努からすれば、モイの動きは彼女の酷い下位互換そのもので対処しやすい。


(まぁ子猫といっても、化け物の子だしヒーラーが勝てるような相手じゃないんだけど。そもそも人の首絞めて失神させた経験もないし、近づかせるのは愚策だった)


 とはいえ対モンスターへのDPS勝負ならまだしも、純粋な近接戦闘で白魔導士が双剣士に勝つことは余程の実力差がなければ厳しい。実際のところ近接戦のみでは攻撃を捌いて近寄らせないのが精一杯であり、ガルムの穏便な案が実行不可能であることを悟った。

 それにモイもこちらが手を抜いていること自体は察したのか、スキルを撃たれれば致命的な隙を見せるのも構わず強引に距離を詰めてくる。多少の犠牲覚悟の彼女から距離を離すには、その隙を突くしかない。

 この至近距離でエアブレイズを撃てばモイの動きを止める大怪我を負わせることは可能だ。だが努は模擬戦ですら人を傷つけすぎるスキルは放てなかった。それも相手は女子供だ。どうしてもその一線を踏み越えられなかった彼は躊躇した末に足を引いた。

 その隙をモイは見逃さなかった。


「ぎっ」


 フライで上空へと退避する間際、包丁を右腕に刺し込まれたような感覚。思わず杖が手から零れ落ち、鈍い音を立てて地に落ちる。それを追うように鮮血も流れ落ちた。


「…………」


 まさか自分の攻撃で武器を落とさせるほどの深手を負わせられると思っていなかったモイは、意外そうに目を見開きながら血に濡れた双剣を見つめる。そしてハッと気付いたように地面へ落ちた杖を回収し、マジックバッグに収納して努に拾わせないようにした。


「ヒール」


 進化ジョブのままのヒールですら治るような軽傷。実際その怪我具合には過剰な精神力が込められた努の一言で、右腕の裂傷は時を巻き戻すように治っていく。

 ディニエルに足を撃たれた時と比べればマシな痛みだ。双剣を突き刺された時こそ強烈な痛みを伴ったが、数秒でそれも収まった。即座にヒールで治したということもあるが、異常事態による興奮でアドレナリンが大量に分泌され痛覚が鈍っていることが大きいのだろう。

 実際ディニエルに撃たれた時も足の痛みでずっと動けないということはなく、喧嘩腰で会話できるほどに痛覚は鈍っていた。その後に痛覚が戻ってきてから刺さった矢を抜かなければならないあの絶望的な状況に比べれば、今は随分と楽である。


「…………」


 だが双剣で腕を引き裂かれる痛みは探索者ならば日常なのかもしれないが、努にとっては非日常そのものだった。その強烈な痛みは努が日本で培ってきた良識を越え、憎悪がその外側にはみ出した。

 この衝動に身を任せれば殺人だって出来るのかもしれない。先にあちらが刺してきたのだから、これはあくまで正当防衛だ。加減なんてせずにスキルを放って足を消し飛ばしてしまおう。そして腕を刺された腹いせに多少いたぶってから、ジャガノの方に投げ飛ばしてやる。その方がモイのためにもなるだろう。そこまで徹底してやれば彼女は帰った後にオルファンから私刑を受けることはない。


(……結局、我が身が一番可愛いんだ。ごめんよ)


 しかしそんな憎悪と理論を並べ立てたところで、努はその衝動に身を任せられなかった。自分の心がその行為を拒否していた。だがその代わりに自分の身を差し出すということもできないので、努は初めて死体の解体道具にでも手を出すような顔でマジックバッグを漁る。

 四つの攻撃に特化した刻印が施された深い青色の杖。先端の宝玉に禍々しい触手が幾多にも巻き付いている深海階層の宝箱から手に入るそれをマジックバッグから引き出した努は、据わった目で地上のモイを見据える。


「双波斬」
「エアブレイズ」


 弱体刻印の代わりにSTR強化の刻印が施され、精神力も加減されていないエアブレイズは斬撃を塵にしてモイの右腕に迫る。先ほどまでとは比べ物にならない威力に彼女は目を見張りながら身を捻って避けると、それは地表に切れ込みを入れ砂を巻き上げながら消えた。


「七色の杖」


 そのエアブレイズと同時にモイに接近していた努は彼女の下半身に向けて杖を差し向ける。すると杖の先端を覆っていた触手がうごめきながら魔法陣の形を作り出し、露わになった目玉のような宝玉が深い青色の光を帯びた。


「っ! あぁ!!」


 モイは危機を察知して横に避けようとしたが、宝玉から発射された小さな渦潮うずしおはその見た目とは裏腹に彼女の左足をいとも容易くねじ切った。骨も構わずに噛み砕き咀嚼しているような音。


「ヒール」


 そして真っ赤に染まっていた渦潮は消化を終えたかのように再び青色へと戻り、バランスを崩して倒れていたモイに喰いつこうとした。それを努は宝玉を手で覆うことで停止させ、ワニにでも喰い千切られたかのような彼女の左足を治療した。

 すると真っ赤な断面を見せていたモイの左太ももの傷は塞がったが、足先まで再生することはなかった。その隙に彼女は残った右足を軸に獣のように努へと飛び掛かった。

 それは片足がなくなろうとも全力で戦ったという、彼女なりのオルファンへの義理立てなのだろう。こちらをじっと見ている神の眼を横目に、努はその悪あがきを杖で防いで距離を取る。そして両手を地につけ右足だけで立とうとしている彼女に容赦なく杖を向けた。


「エアブレイド。ヒール」
「ああああああぁぁぁぁ!!」


 横向きに放たれた風の刃が通り過ぎると、地をついていた手首と膝が両断されて彼女は糸でも切れた人形のように倒れ込む。血が流れ出ている綺麗な傷口はすぐに治療され、後には双剣を握っていた両手と膝下が地に残る。

 それでもまだ彼女は反抗しようとしていたが、手首から先がなくろくに立つこともできない足ではどうしようもない。


「最悪だ」
「…………」


 そしてモイの首元の服を掴み死体袋でも引きずるようにジャガノの方に運んだ努は、そうぼやきながら彼女を抱えてフライで飛ぶと海に捨てるように放り投げた。

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