第735話 古き良き時代
「…………」
(ライブダンジョンに金と暴力持ち込んでくるの止めてもらえるか?)
何やら気まずそうな顔をしたダリルに朝刊を渡された努は、その記事を見て思わず内心で独り言ちた。
ユニスが熊人の顔面に肘鉄を喰らわせている写真が目立つその記事には、彼女が数億は下らない価値のある刻印装備をPTメンバーに無償で与えていたことが記されていた。だがそれも弱者には無用の長物だった、認識を改めると本人のカチ切れコメントも差し添えられている。
その費用の大部分を占めているフルアーマー重騎士もピックアップされていたためか、せっかくドーレン工房で肉体労働を行い頭を空っぽにしたダリルがしょぼん顔である。
「そんなに心配ならクラン経営の会議、次回参加してみれば? ダリルの装備如きで崩れる経済状況じゃないことをオーリにたっぷり教えてもらうといいよ」
「……ですね」
ダリルにそう勧めながらその朝刊を読み終わった努は。続いてエイミーに新聞を渡す。それを不思議そうな顔で受け取った彼女はその写真を見てにゃーんとした。
「あー、刻印装備やら何やら全部ユニスの持ち出しだったんだ。それでPTメンバーがあの体たらくはしんどいねー。……にしてもツトムの金銭感覚がおかしいことにはわたしも同意するけどね」
「ですよねっ! ですよね!」
「まだGはゲーム通貨とでも思ってるんじゃなーい?」
珍しくエイミーが援護してくれたことにダリルは目を輝かせてぶんぶん頷く。それに努は宙に視線を泳がせながら口を開く。
「今となってはいいバランスになったと思うけどねー。適当な魔道具の投資に投げ捨てたりはしてないし」
「本当かなー? オーリが愚痴ってるの聞いたことあるけど」
「確かにこのクランハウスには余りある冷凍庫の搬入に苦労したことは申し上げましたが、愚痴っていたわけではありませんよ」
休み明けで早々にクランハウスの管理に取り掛かり、五日間で溜まった仕事をこなしていたエプロン姿のオーリは途中でそう補足した。そんな彼女に時代は巨大冷凍庫と息巻き出資を募ったことがある努は、唇を歪めてそっぽを向いた。
「……他の人よりGに重きを置いてないことは認めるけど、別に散財してる方向ではないわけじゃん?」
「ツトムは探索関連には金の糸目をつけなさすぎるからなー。普通は数億の価値あるフルアーマーロストされたら嫌味の一つでも出そうなもんだけど、ツトムはそれが一切ないから逆に怖そうだよね」
「その暴騰してる価値の大部分は自分で刻印して補えるからね。数億丸々損してるわけじゃない」
「それならユニスもツトムと条件は同じなはずだけど、この有様じゃん?」
その証拠記事をびらびらとさせたエイミーに努は肩をすくめた。
「かといってダンジョン内でキレてボコボコにするのはどうなんだよ。……まぁ、ヒーラーにボコられるタンクとアタッカーもあれだけどさ。僕がダリルに殴り掛かったらもはやギャグだろ」
「かもねー」
「このやろ、このやろっ」
「…………」
普段から重装備を着ているダリルはその童顔もあり神台で見る限りでは可愛い垂れ耳ちゃんだが、実際に相対すると180センチ越えの化け物フィジカルである。そんな彼は努のひ弱な小突きに対してびくともせずに呆れた視線を返すばかりだ。
「ダリルならユニスとか一発で捻り潰せるんじゃないの? 男女平等パンチ!」
「……以前の白魔導士ならそうでしょうけど、今は進化ジョブでステータスも変化しますからね。それでいてクリティカル判定のある顔に先手の肘鉄を喰らったなら、勝負はわかりませんよ」
「殺る気とレベルさえあれば性別も体格差も関係ないのかー。怖い世界だ」
種族的に体格の良い者が多い熊人の顔面をぶん殴って沈め、アタッカーの猫人もボコって詰めているユニスは暴力を振るうことに躊躇がない。以前にアルドレット工房の職人を相手にした時にもその片鱗を努は見ていたが、どうやらあれは脅しではなかったらしい。
そんな努のドン引きしている様子を前に、エイミーはえへんと薄い胸を張った。
「私が帝都で可愛がってたからねー。進化ジョブなくても最低限の自衛はしてもらわなきゃ困る環境だったしー、そんじょそこらの探索者には負けないよん」
「恐ろしいこって」
だから探索者は嫌なんだと認識を深めた努は、一度PTを解散しソニアと共に新たなメンバーを探すというユニスの記事を見て自身のことを思い返す。
自分が『ライブダンジョン!』において中級者の部類に入った頃、ユニスと同じくエンジョイ勢の弱さと意識の低さに発狂して4ねksとチャットを叩きつけたことはあった。そして効率クランに入った後もしばらくは思い通りに動かないPTメンバーには苛立ちを募らせていた。
それは自分の最善手を打てるようになった中級者の通過儀礼である。自分がこれだけ最善手を出して有利を積み上げているというのに、エンジョイ勢はそれを平気な顔で崩していく。
ドンマイという言葉は、最低限の知識を付けてきた者がヒューマンエラーを起こしてしまった時に投げかけられるものだ。何の予習もせずに参加してきて案の定床を舐め続ける奴らにかける言葉ではない。
ガチ勢の入り口を抜けたが故の偏りに、その価値観しか受け入れられない器量の狭さ。傍から見ればそんな奴は痛々しく映るだろうが、上級者の中にはその黒歴史を築いてきた者も少なからず存在する。
そこを通っている者に対して努はかつての自分を見ているようで苦々しくは思うが、器が狭いなどというつもりは毛頭ない。結局のところエンジョイ勢とガチ勢の棲み分けをすればいい話であるし、大した実力もない癖に倫理観だけはご立派な雑魚よりはマシな部類だ。
(しかしユニスが今更そこに行くとは思わなかったな。ロレーナは育ちが悪かったっぽいし、その分の理不尽耐性でもついてるのかね)
シルバービーストにはエンジョイ勢が多く見受けられるため、ステファニーに次いで実力のあるロレーナもその違いには辟易とさせられていると想像していた。ただ彼女は実力差を本当に気にしている様子もなく探索者を続けているので、その通過儀礼が必要ない人種のようだ。
ロレーナはその白い兎耳を持って生まれたことで幼少期から不吉の象徴とされ、唯一の味方であった母に逃がされた後も追われて命からがら生き延びている。そんな環境で育った彼女からすれば、追手もおらず探索しているだけで生活できる現状に不満を持ちようがなかった。
(あのユニスに付いていく気概のある人、シルバービーストにいるのかな。ハングリー精神ある人は多そうだから何人かは見つかりそうだけど、ユニスが納得できるレベルが来るかは怪しいところ)
あれほど苛烈な面を見せた彼女のPTに入りたい者がいるのかは怪しいところだが、それでも最前線の刻印装備が無償で付いてくるのは大きい。探索者として装備差で負けるほど悲しいこともないので、実力に自信がある者にとっては大きなメリットになる。
ユニスの新たなPTが果たして成立するかどうかは少し気になるところだが、自分が考えていても仕方のないことである。いずれ結果は出るだろうと思いながら視線を上げると、青い鳥人がクランハウスの階段を滑るように降りてきた。
「さっ!! あたしたちもさっさと式神:月までいくっすよーー!」
探索の準備を手早く済ませてきたハンナがやけに元気な声をかけてくる。休みの間に思いのほか攻略が進んでいたこともあり。努PTの中で最も気合いが入っているといってもよかった。
準備万端といった様子の彼女を見据えた努は、保安検査員さながらの視線になった。
「属性魔石、隠してないな」
「隠してないっす! ……だから、そろそろこの装備変えないっすか? あれからやらかしてないっすよね? あたし?」
「その装備はゼノ工房で職人さんがそれはもう苦心して作った一品だぞ。それに観衆からの評判もいいし」
「苦労の方向性が間違ってるっす! ぜったいこの隙間とか作るのに苦労してるっすよねぇ!?」
そう言ってハンナが万歳してみせると、脇下から横腹にかけて少し空いている隙間が強調された。普段ならどうということはないが、彼女が避けタンクとしてダイナミックに動くことで下乳が僅かに窺えることが計算し尽くしされた隙間である。
通称乳袋も彼女のバストサイズを目測だけで完璧に捉えた職人の目利きにより、あまり胸のラインが出ないようにしながらも着心地が良いよう調整されている。ハンナの悩みである肩こりも特殊な金属を用いたワイヤーで胸をしっかりと支えることで解消されていた。
「職人の仕事に拍手を送るほかないね。並々ならぬ執念だったよ」
「いらないしゅーねんっす……」
「でも着心地はいいでしょ?」
「……この着心地で普通の装備がいいっす」
「そうは問屋が卸してくれませんよ。それにそもそも、初期の民族衣装みたいな装備より断然マシじゃない?」
実際マイクロンをお蔵入りしたことで職人からクレームを申しつけられている努の譲らない姿勢に、ハンナはぐぬぬと唇を噛む。
「あれはほら、あの時はまだ装備の選択肢が少なかったじゃないっすか。でも今は装備いっぱいあるし、多少の改造も出来るようになったっすから」
「技術の発展は時に古き良き時代をも駆逐してしまう悲しき性だね。でもダンジョン産装備の改造は腕の良い職人しか出来ないし、それも細部を変えるのが限度だよ。その制限の中で僕が妥協できる性能も加味した上での装備だし、それを簡単に変えろと言われましても」
「建前てんこ盛りだね。でも一理はあってるよ」
「うぅ……。休み明けだと余計に恥ずかしさがあるっす……」
自分でお洒落したいのでダンジョン産装備の改造についても詳しいエイミーの補足に、ハンナは五日ぶりに少し露出のある服を着たせいかもじもじと身をよじっていた。
それこそ『ライブダンジョン!』でも似たような装備をサブキャラに着せていた努は満足そうに頷き、ダリルはその紳士ぶりを発揮している彼に呆れ顔だった。
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