第738話 狼マニア
「おーおー。今日も昼から集まってやがるなー野郎ども」
「誰が野郎だ」
「…………」
迷宮マニアとしてはすでに古株に数えられる、黒縁眼鏡を掛けた犬人の男。その野暮な一声に女性の迷宮マニアは眉をひそめて返すが、付き合いの長い連中は反応もしない。視線はただ神台へと注がれていた。
彼らが陣取っているのは冷房が完備されたギルド第二支部でもなければ、入場料を払って腰に優しい席で観戦できる神台ドームでもない。昔からの馴染みである神台市場の自由席だ。
背もたれもない尻が痛くなるベンチに屋台の呼び込みが絶えない喧騒もすべて込みで、ここが一番落ち着く。
犬人の男もかつては毎日のようにここで神台に張り付いていた。しかし努が現れてから六年近く経った今では仕事の裁量と責任が増え、家には妻子も待っている。だから足を運べるのは週に数度、それもここぞという時でなければ長居はできない。
それでも古参仲間と並んで神台を見上げるこのひと時だけは、何年経っても捨てがたい。
「進行は?」
「アルドレがそろそろ式神:月。無限の輪はもう少しで星に入るかくらい」
「そろそろ二ヵ月経つけど、本当にツトムの言う通り三ヶ月で何処かしら突破しそうだな」
「また半年待たされる身にもなれってな?」
「毎日見てる方が少数派だからな」
「でも毎日観てなきゃ落ち着かないんだよなー。迷宮マニアが異常なんだよ」
一番台にはステファニーPT。二番台にはツトムPT。二つ並んだ巨大画面を見比べながら、男はそう言って眼鏡のブリッジを軽く押し上げる。
一、二を争っているのはステファニーPTとツトムPTだが、その下を大きく突き放しているわけでもない。三番手争いはアルドレットクロウの二軍と無限の輪のゼノPTに、シルバービーストのロレーナPTも加わっての三竦み。
ただいずれも共同戦線を組んでいるため、互いに情報共有をしながら180階層を攻略している形だ。その中で異彩を放っているのは、珍しいジョブである冒険者入りのロレーナPTである。
(式神:月のフィールド系デバフ、冒険者がいれば完全に無効化できるみたいだからな。祈禱師も多少は軽減できるから式神:月からは白魔導士が渋い。もっとも、初見の人が神台で見てもそれがいまいちわからないんだが)
式神:月がその姿を露わにした後は時間が経つにつれて暗雲に覆い隠され、辺りはどんどんと暗くなっていき視界が制限される。
ただ神台で観衆に真っ暗な画面を見せ続けるわけにもいかないためか、神の眼の暗闇補正がかかっているので180階層に挑む探索者たちの苦労がわかりづらい。
その補正は一応切ることが出来たのでゼノが実際にそれを切った状態で神台に映したことで、本当に暗くなって見づらくなっていることは観衆にも周知された。ただ傍から見ると急に探索者の動きが悪くなっているようにしか見えないため、観衆からしても歯痒い思いである。
(その観点からすると、どっちも式神:月からは渋いんだよな。ツトム、気張ってくれよ)
その中で孤軍奮闘に見える努PTであるが、その分彼は迷宮マニアたちと交流することで情報は仕入れている。その選ばれし一人であった男は二番台をチラ見して内心呟きながら、一旦進行の早いアルドレットクロウの方へと集中した。
ディニエルが放った矢は濃密な月色の眼光に変化した四季将軍:天の刀で全て叩き落され、ラルケの零距離一刀波も弓矢で牽制されて近づけてさえくれない。
リスクリワード運用のホムラは式神:月が現れると完全にメタられるため、現在は本来の暗黒騎士らしい立ち回りに戻している。アルドレットクロウが盤石であるイメージを固めた立役者であるタンクのビットマンに、ヒーラーのステファニーは言わずもがな。
「ここ」
二人が築き上げた硬い地盤の上で舞うのはエルフのディニエル。式神:月によって読まれた彼女の立ち回りや手癖。しかしそれはディニエルが敢えて残したものであり、式神:月に辿り着いた途端にそれを修正することで四季将軍:天の意表を突いた。
「それが出来ればツトムPT顔負けなのよ」
「手抜きはディニエルの専売特許だからな」
「式神:月でも見抜けない絶妙な手の抜き具合ってわけ」
現状では彼女だけが進化ジョブを制限することもなく、メタ読みを更にメタることに成功している。そんな彼女がこじ開けた突破口を起点に、ホムラも時間切れまでに殺し切れるよう奮闘する。
だが式神:月が現れてから三十分が経過する頃には戦場が夕暮れ時のように暗くなり、思うようには動けなくなる。その中でも式神:月の恩恵を受けている四季将軍:天だけは従来通りに動き、探索者たちを殺しにかかる。
「パワーアロー」
流石にダークエルフほど夜目が利くわけではないが、彼女は夜の森での狩りを小さい頃から行ってきた。本来であれば最も視界不良の不利を被るはずであるディニエルはその勢いを落とさず、味方への誤射もせずに火力を出し続ける。
そんな彼女にヘイトが向かないようにビットマンとホムラもタンクの役割を全うし、二人が死なないようステファニーも全力で支援回復を回す。ラルケは赤兎馬のヘイトを持つ最低限の役割をこなし、ディニエルの射線に入らないよう徹底している。
「鑑定。……あと一割半ってところか」
神台からの鑑定は一段階精度が落ちるため、四季将軍:天を鑑定することでわかるHPは詳細な数字が出ずにバーでしか表示されない。黒縁眼鏡で鑑定補正の入っている彼はそうぼやきながら、食い入るように一番台を見続ける。
そして式神:月が現れてから45分後。照らすのは細い三日月からの僅かな月明かだけ。対策としてステファニーが持たされた光源確保の魔道具もその光をすぐに失い無力化されていく。
四季将軍:天の眼光とステファニーが時折放つフラッシュにより一瞬だけ開ける視界のみで何とか戦うも、近接戦をせざるを得ないタンク陣が遂に倒れる。
「駄目かー。こうなったら普通に祈禱師の方が有利なんじゃね?」
「魔道具でも光源確保できないのがね。式神:月に全部吸われてるっぽい」
「観測者とは一体……。しかも倒したら雷鳥の二の舞でしょ? どうしろと」
「神の眼も特に変化ないらしいしなー」
それからはステファニーとディニエルが暗闇の中でもがくも、四季将軍:天の放つ矢雨で全滅し一番台が切り替わる。そこに映るは式神:星を何とか潜り抜け、彩烈穫式天穹の洗礼で死んだハンナを蘇生させているツトムPTが映し出される。
するとステファニーPTが全滅して少し肩を落としていた迷宮マニアの一人が、にやにやと犬人の男に視線を向けた。
「おい、また狼少年チャンスか?」
以前に努たちが立ち回りを制限する中で式神:月まで辿り着きそうになった際、犬人の男は突破するかもと騒ぎに騒いで皆を呼び寄せた。ただ結果としてはあっけなく全滅してしまったため、巷では狼少年と揶揄されていた。
「……前に式神:月まで辿り着いた時はここでハンナが死んでなかった。ま、少しでも怪しかったら呼べとは知り合いたちには言われてるしな。今日も呼んでやるよ」
「前みたいにテンションぶち上げで誰から構わず声かけなきゃいいんだよ」
「っるせー。180階層突破する可能性を見逃す方が損だと思ったんだよっ」
浮島階層で手に入る動画機のおかげで、その映像を後から確認することはできるようになった。だがたとえ神でも、階層主突破の際に観衆が一体化でもしたかのようなあの熱狂とうねりだけは再現することはできない。
「おーいガキ共―。お駄賃やるから伝言頼むわー!」
その兆しが少しでも見えた時は呼び出すよう、犬人の男は仕事中の迷宮マニアたちから言い含められていた。なので彼はそこら辺の子供なりお昼時が過ぎて暇そうな屋台の店員などに声をかけ、労働中の迷宮マニアたちへの伝言を済ませた。
やっと追いついた!
更新ありがとうございます!