第529話 ぐしょぐしょの誤解
「一体何なの? あの人は」
まだ探索者歴が浅いソニアとて、努がただ者ではないということはロレーナから耳にタコが出来るほど聞かされていた。他にも古参のリリとララにクランリーダーのミシルまで太鼓判を押していたので、探索者たちが認めるような偉業を成し遂げたのは間違いない。
現に彼女も努が初めて百階層を突破したPTを率いた人物ということぐらいは知っていた。
とは言え、それから三年も迷宮都市を離れて探索者活動を休止していたことも事実だ。なので復帰してからスタンピードの遠征に出る期間の間にはパッとした成果を上げられず、古参の探索者からも迷走しているのではと言われていたほどだ。
だが最前線の探索者たちが迷宮都市に帰ってきた時には、迷宮都市の環境そのものが激変していた。その足元がひび割れていくような衝撃はソニアも体感したし、その原因が努であることを知ってからは多少意識して観察したりもした。
そしてそれからも次々と探索者の枠を外れた成果を出し続ける様には、一種の恐怖すらあった。強力な刻印装備によって中堅探索者は下剋上を果たさんと活気づき、浄化対策に驚異的なレベル上げと最近は話題に事欠かない。
「ガルムから散々聞かされていただろう?」
「そう言う割にはいつもの気障っぽい余裕がないけど」
何てことなさげにそう返したもののソニアからジト目で見上げられたゼノは、困ったねと言わんばかりの顔でダリルとアーミラの方を見据えた。
「私もツトム君の行動にばかり気を取られていたが、むしろそれに追従する周囲の方が脅威に思えるよ。あれが中堅探索者にまで回ると思うと、寒気のする者は多いだろう」
ゼノは幸運者騒動の時から探索者として活動はしていたので、彼の活躍については度々見聞きしていた。そして異例のスタンピード後に無限の輪に入ってからはより身近で経験してきた。
彼の探索者としての成果として最も有名なのは100階層の初突破という実績だが、ゼノが挙げるとすれば九十階層での驚異的な四人蘇生を成し遂げて初見突破したことは外せない。ヒーラーの個人技として伝説となったあの出来事は、今でもステファニーを筆頭に多くの白魔導士が語り継いでいるほどだ。
「今なら神の子って言われてても信じられるかも。こう、下々の者にお恵みを的な?」
「良くも悪くもヒーラーという立場を崩さないだけに見えるがね」
そんな個人技が鮮烈に記憶されているからこそ、努のスタンスをゼノは忘れてしまっていた。元々彼は三種の役割を利用して当時は弱いとされた騎士を連れた三人で火竜を突破し、それを惜しげもなく探索者に広めることで名を上げていたことを。
(……こうして同じPTになったのも、ある種運命なのかもしれない)
三年前の脅しで芽生えた努への不信感とその対応策を講じるのにゼノの思考は手一杯だったが、今となっては彼の過去を振り返り考察する程度には冷静になれていた。
その一番の要因としてはスタンピード遠征から帰還した後、激変していた環境にようやく慣れた頃。妻の書いた記事を見返していた際に過去の新聞記事を目にしたからだ。
努が吹けば飛ぶような存在だった、オルファンのモイという少女。そんな彼女と数奇な運命を辿り戦闘するに至った彼の映る写真は、ゼノからすれば予想外なものばかりだった。
その無知さ故に暴力に走るしかない孤児に対してもこんな顔をするような男が、果たしてあの場面で咄嗟に発したであろう脅しを実行に移すのか。そんな思考が浮かんでからゼノはフラットな状態で考えることができるようになり、自分の知る努の過去を振り返るに至った。
そしてその名声と実績により今となっては大抵の者の記憶から上書きされているであろう、努の汚点。百階層で命惜しさに仲間を見捨てての立て籠もり。
百階層での醜態は黒を超えて生き残った異例の出来事でうやむやになったものの、彼の人間臭さが垣間見えた瞬間だった。死ぬのが怖いなんてまるで初心の探索者みたいだが、そんな心を捨てずに持ち合わせた者が百階層を初突破したのだ。
三種の役割、死を誰にも目撃されずに百階層突破、刻印装備。まさにどれも迷宮都市の環境そのものを変えた神がかった功績であるにせよ、努は異界とはいえ間違いなく人の子だ。自分が死ぬことを恐れる弱さを持つが故に、模擬戦ですら他人を傷付けることを嫌うような者。
それならばまだ、話し合える余地はあるのではないか。思えば自分は努のことを何も知らないといってもいい。ダンジョンや探索者に関わることこそ流暢に話すが、彼は自身のことをほとんど語らない人だった。
だが異界人だということが周知された今なら、話せることもあるのではないか。神がこの世界に呼び出したとあの用紙には書かれていたが、それは何の前触れもなく突然呼び出されたということなのか。それとも神と交渉の末にやってきたのか。
彼がどのようにこの世界と向き合い、その最後は何故あんなにも突然なものだったのか。どんな事情があったのかを聞けば、少なくとも無知による恐怖は薄まるだろう。
(もう少し早くあれを目にしていれば、話す機会はあったのだが……。まったく、間が悪いものだね)
だが努は今日に限って刻印装備の納品のために休みを取ってクランハウスにもいなかったので、ゼノとしてはじれったくてしょうがなかった。だからこそソニアに悟られるほど焦りが顔に出ていた。
「とはいえ、理不尽さを感じざるは得ないね。ここで私たちが費やした莫大な時間は何だったのか……」
「ツトムさんがバッシングされてるの、大抵がそれじゃんね?」
「私としても少々焦りは感じているのは事実だね」
ゼノが指折りの聖騎士として数えられ無限の輪のタンク陣で安定した地位を築けたのは、ダリルやハンナが人生の寄り道をしていた内に立ち回りの実力とレベル差をつけられたからだ。
だが裁縫士の力によってレベルUP中の刻印部分をダリルの着られる装備に移植したことにより、アーミラだけでなく彼のレベルもぐんぐん上がっている。それをまざまざと見せつけられているゼノからすれば、それはそれでたまったものではない。
「次は私たちも着ることになるのかな? あのぐしょぐしょの装備」
あの刻印装備は欠けた王冠のこともあってフードは必ず被らなければならないため、ダリルは減量用のランニングウェアでも着ているような状態でタンクを強いられている。それに珍しい犬人の垂れ耳も合わさったとなれば、ソニアからすればあれが噂のとしか発想が浮かばない。
「……そういうことはガルムで留めてほしいものだが」
「でもあの刻印装備だけはそう簡単に作れそうもなさそうだし、しょうがないじゃん? それに誰かが装備を外させてあげなきゃいけないわけだし?」
「慎みたまえよ」
そう窘めるものの完全にロックオンな目つきをしているソニアに、ゼノはため息をついた。
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