第685話 ムーのスイング
翌日の早朝。普段よりも厚みのある朝刊には各クランの180階層主戦の総評が出揃い、努はそれをクランハウスのリビングで読んでいた。そこには珍しくゼノとコリナも居合わせており、庭にいるハンナはいつもの場所に座り込んで瞑想にふけっている。
無限の輪の努PTは初見の180階層主戦で善戦したものの全滅し、二度目は潜らなかった。そして神台市場で障壁席に向かう様子と深夜の神台市場に消えていく様を上手いこと激写され、職人共も最前線の探索者もギルドもてんで駄目だとこき下ろし犬と猫に窘められる姿もイラストで載せられた。
そんな努の不適切発言は死に酔っての失言とされ、探索者として未熟この上ないと酷評されている。そしてその陶酔から冷めたであろう夜にも発言の撤回は見受けられず、老害探索者に言われっぱなしの三者も舐められたものであると報道されていた。
(僕の発言っぽく自論かましてんじゃねぇぞゴミ共)
ただ幸運者騒動で影響力を落としてからギルドや貴族に大きな顔を出来なくなっていたソリット社は、努の発言内容については一部同意していた。そのため彼の発言を盾にしてギルド第二支部建築における大企業との癒着や、魔貨を取り巻く腐敗した裏取引などを懸念する記事をこれでもかと載せて波紋を広げている。
(ゼノたちはムー頼り。エレメンタルフォースもまだ運用が怪しい。クロアもここに来て足手纏い感が出てきたし、PTの一体感出るまではどん詰まりだな。じゃあなフルアーマー。)
対する無限の輪のゼノPTは昨日のうちに三度180階層に挑み、四季将軍:天付近で敗れていた。ただゼノPTは式神:星の突破に苦慮しており、今のところ安定した突破は見込めていない。
一戦目はPTの総力を持って式神:星の粉砕に挑み、見事突破した。ただそこで有効札を全て切ってしまい、四季将軍:天と赤兎馬を前に戦況は瓦解し全滅した。
そのため二、三度目では良い塩梅で式神:星を突破する方法を模索したが、全滅を見越しての蘇生と火力を抑えての突破はどちらも見込めなかった。
式神:星を突破するには少なくとも進化ジョブを解放したコリナと、エレメンタルフォース状態のリーレイアは必須である。ただその両名が死力を尽くして突破したところで、四季将軍:天はのんびりと待ってはくれない。
式神:星を降らせた四季将軍:天の動き出しに淀みがないせいで、敢えて全滅してからの蘇生もあまり有効ではない。それで生き残れはするが、いくら初期値とはいえ五人蘇生はヒーラーのヘイトを無駄に溜めることとなり先に繋がらない。
それに努PTの反省を活かして武器破壊のバランスを取ったところで、四季将軍:天の強さが尋常ではないことに変わりはない。
今のところは秋将軍の薙刀に冬将軍の刀を引き継がせるのがマシとされているが、上腕の薙刀、下腕の刀。そして中央で組まれている四季将軍:天の腕は無手であろうがアタッカーに致命傷を負わせ、タンクですら近寄りたくない打撃を乱打してくる。
それに二武器を受け継いだ赤兎馬も努たちの時より余計に強化されるため、ハンナのように余裕を持って釣れないのも問題である。なのでまずはタンクがその人馬の動きを実戦で見極め、ヒーラーが適切な回復をしなければ戦況が持たないだろう。
180階層主の動きに慣れ、場合によっては対策装備も新調しなければならない。ロストはある程度抑えられるとはいえ、まともな実戦経験を積むにはロスト対策に装備をマジックバッグに突っ込んでなどいられない。
兎にも角にも上等な帝階層産の装備に刻印、次いで金と時間。180階層に挑み続けるにはそれらが必要であり、それは努とゼノどちらのPTリーダーも同じだった。
努が新聞を一通り読み終わってオレンジジュースを一口飲むと、妻の記事に目を通していたゼノも顔を上げて目を合わせた。朝食待ちで手持ち無沙汰にしているコリナはそんな二人の様子を窺うように視線を彷徨わせている。
「わざわざ朝からクランハウスに出向いてくるのも珍しいね、ゼノ」
「なに、ツトム君が二日酔いしていないか少し心配していただけさ! 問題はなさそうだね?」
「まぁね。僕も丁度ゼノとは話しておきたいことがあった」
「……それで? 酔いが冷めても昨日の発言について撤回するつもりはないと?」
「酔ってて言い方が感じ悪かったのは認めるけど、僕の本音でもあるからね。何が最前線だよ、後攻取って大半が僕ら以下とはね」
一度吐いた唾は飲み込めず、それでも吐きかけた者との関係を取り戻したいのならまずは謝罪が第一だろう。だが努は自分が唾を吐きかけたままに値する程度の奴らだと思っている。
四季将軍:天に彩烈穫式天穹を抜かせたのはアルドレットクロウの一軍のみであり、その他のPTは途中から検証に切り替えたと言い訳を並べる始末。最前線と呼ばれていた者たちに至ってはまだ左遷先から帰ってきてもいないと、努は鼻で笑った。
昨日とさして変わらない努を前にコリナは幸薄げに笑うと。食卓にある椅子を引き寄せてへし折った。そのまま咀嚼でもされるように椅子は粉々になっていき、残骸が努の前に放り出される。
「呪詛には浄化が常ですが、私は星球の方が好みです」
呪詛とは闇の叫び。光の星はその叫びを裂き、穢れを清めるために振るわれる。暴力ではなく浄化、破壊ではなく赦し――しかし、呪詛に屈しぬため、破滅と化さねばならぬ時もある。
突然旅に出た主人の言いつけを守って家の番犬を果たした飼い犬。だが帰ってきた主人はその行いをぬくぬくとした家で留守番していただけだと断じている。その犬が弱り、病に伏せた時に周りで支えた者たちの気持ちを考えたことはあるのか。
王都で習った聖句を引用し手を払って木粉を落としたコリナに、努もにっこりしてその残骸を端に蹴っ飛ばす。
「どれだけ上から規制され、弾圧され、殺されたとしてもその主張を受け継ぎ叫ぶ奴がいる。それが果たして呪詛なのか否かを判断するのは、教会じゃなくて民衆だよ」
「魔女狩りを行ったのもまた民衆ですよ? 吊るされる格好の贄に見えますが」
「既に吊るされて焼かれた後だよ。くすぶった死体を辱めるのは感心しないね」
その遺骨でも拾うように残骸をマジックバッグにひょいひょいと入れた努は、ドワーフも顔負けな迫力のコリナに向き直る。
「リーレイアみたいな御託を並べられることには驚いたけど、コリナは実力で示した方が早いんじゃない?」
そう提案して折れた椅子の足で緩い素振りをし始めた努を前に、コリナは怒りを逃すように息を吹く。
「……それで? これで仮にツトムさんが勝ったところで何も残らず、むしろクラン内には不和しか生まれません。外で個人的な喧嘩の売り買いは結構ですが、内輪揉めまで引き起こす必要はありますか?」
「無限の輪はシルバービーストみたいな慈善団体じゃないし、アルドレットクロウみたいな営利団体でもない。神のダンジョンを攻略するためのクランだ。その目的のためなら内輪揉めも結構なことだよ。……まぁやり過ぎた時はガルムとエイミーがストッパーになってくれるし? そちらも致命傷だけは避けて頂けると……」
そう言ってお伺いを立てるように彼女が壊した椅子の足を差し出してきた努に、コリナは不承不承と言った顔でそれを受け取る。
「……わかりました。まだ納得は出来ませんが、お望み通り180階層の突破に力を注ぐことにします。はぁ、何でこんな歳にもなって怒ってるんだか……」
「コリナはむしろこれから脂が乗る頃でしょ。白撃の翼から引き抜いた時の想定とはかけ離れた成長具合だけど、これからも祈禱師として期待してるよ」
「…………」
あの努からそう言われた照れ隠し半分、何が脂だと怒り半分。コリナはホームラン級のスイングをかまして努たちの髪を揺らすと、それを片手にハンナのいるベランダへと出ていった。
そんな傑物が去っていくのを見送った努は、風圧で軽く乱れた銀髪を整えていたゼノと目を合わせる。
「……ガルムにでも凄まれてるかと思ったよ」
「そのガルム君を想ってのことだろう。彼は君に託されたクランリーダーを慣れないながらも三年間こなして無限の輪を守り、それを残った私たちが支えた。少しはその気持ちも鑑みてくれたまえよ」
「それは本当にそうだ。ありがとね。でもそれとこれと話が別なんだなこれが」
「コリナ君に言おうか?」
「……それで? ゼノはどうせビジネスの話でしょ? 安全で楽しい楽しい打ち合わせといこう。僕もこれから刻印作業で大変なんだ」
ゼノ工房にも多少は仕事を投げられるが、180階層に挑むための刻印装備の大半は努が仕上げることになるだろう。そして努製の刻印装備はゼノPTとしても欲しいところで、その取引材料はいくつかある。
それから努はゼノと互いのPTで融通し合える帝階層産の装備やドロップ品の相談や、180階層においてはPTで生んだ収益の契約を変えるか否かなど、様々なことをPTリーダー同士で事前に打ち合わせした。
つーととつとむ。つーととつとむ。
そしてゼノとの軽い打ち合わせも終わりを迎えた頃に、ベランダから聞こえてきた妙な歌。そのリズムに乗って手をくるくるしているハンナと共にステップを踏んで侵入してきた、不吉と呼ばれる白耳を立てた兎人。
「つーととつとむ♪ つーととつとむ♪ つーととつとむ♪ なんじゃこりゃあぁぁぁぁ!?」
帝都遠征から帰還し皮肉まみれな朝刊記事を目の当たりにした努の一番弟子であるロレーナは、ハンナが広げた新聞に兎耳乱れ突きを披露した。
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