第408話 二人弟子の岐路

 

「…………」


 アルドレットクロウのクランハウスに備え付けられている百人は容易に収まる食堂の一角で、巻いた桃髪が特徴的なステファニーは朝刊を見て固まっていた。周りの騒ぎでそのことについては認識していたものの、その事実が新聞にまで書かれていると急に努の引退に現実味が湧いてくる。

 何故? という疑問だけがステファニーの内情を支配する。その文字が心の中をぐるぐると回り、彼女は目を回しているように動かしながらひたすらに新聞記事を追っている。

 その近くで栄養バランスの考えられた野菜中心の朝食を口にしていたソーヴァと、朝からお菓子ばかりをつまんでいるルークはそんな彼女の異様な様子を見て少し席の距離を離す。


「ツトムさんから手紙をお預かりしています」


 その後ろで待機していた一軍のマネージャーである女性からの声に、ステファニーは恐ろしいほどの速度で振り向いた。その勢いによってずり落ちそうになったトレーはビットマンが、そこから飛び出したナイフをドルシアがすかさず掴むと、気づかれないよう静かに戻す。

 やるじゃないか、とそこはかとなく言うようなドルシアからの無機質な視線に、ビットマンは軽く目礼をした後に食事を再開する。そんな二人の密かな活躍など全く目に入っていないステファニーは、マネージャーから渡された手紙を興奮した様子で受け取った。


(筆跡からして間違いないっ!)


 便箋の裏に書かれた字を見てそれが努本人のものであることを確認したステファニーは、ソーヴァがドン引きするほどの笑顔を浮かべながら丁寧にその便箋を開いた。


「…………」


 朝食を食べるのも忘れてステファニーはその手紙を何度も読み直し、何か自分に向けて隠されたメッセージが書かれていないかを確認した。ルークたちが朝食を終えて既に食堂からいなくなっていた頃合いに彼女はようやくその内容に納得したが、心から満足できるような内容ではなかった。

 手紙の内容としては家族関係のことで突然地元へ帰ることになったことへの軽い謝罪と、これからも最前線での活躍を期待していると書かれていただけだ。

 そもそも努は家族がもし危篤状態になったとしても、果たして神のダンジョンを捨てるのかという疑問がまずあった。弟子時代に朝昼付きっ切りで努と過ごすことがあった時に、彼のダンジョンに賭ける情熱がとてつもないことを知った。その後も常人では到底成し得ない速度で階層更新をしてきたあの彼が、そんなことで地元に帰ることなどあるのだろうか。

 これからも期待している、という言葉は嬉しかった。嬉しかったが、それ以外のことも期待していただけに残念だった。


(これを機に無限の輪へ誘って頂ければ、私はすぐにでも向かいましたのに……)


 ステファニーが一番期待していたことは、努が地元に帰っている間の後任として自分を指名してくれることだった。もし努の代わりになるヒーラーが誰かといえば彼女は自信を持って自薦できるし、客観的な評価からしても間違いないだろう。

 そうなればドルシアでも引き抜いて無限の輪に移籍し、彼が帰ってくるのを待つことができた。そしてあの忌々しい祈祷師以上の成果を必ず叩き出し、彼が帰って来た頃にはその差を明らかにさせるのだ。そして正式に努からも認めてもらい、その後は……。


(……いけない、いけない。こういった妄想はもう止めるようにしましたのに)


 一時は狂気すら孕む強い感情を持ち合わせていた彼女ではあったが、今は虚像の信仰からは醒めて落ち着きを見せている。しかしそんな強い感情の形は変われど、大きさが減少したわけではない。むしろ九十階層、百階層の活躍を見て、今では気が狂いそうになった練習の日々の狭間で作り出されたツトムを越えているといってもいい。


(現実的なことから考えましょう。まずはツトム様が帰ってきた時にも、最前線で居続けること。話はそれからですわ、ふふふ……)


 そうすれば彼の期待に応えられるし、もしかしたら、なんてこともかもしれない。そうすればまたあの時のように褒めてくれるかもしれないと考えると、ステファニーの顔には自然と深い笑みが浮かんだ。

 そしてようやく考えの坩堝から立ち返った彼女は放置されて乾燥していた朝食を口に詰め込んで飲み込んだ後、すぐに神のダンジョンへと向かう準備を始めた。


 ▽▽


 ユニスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の努を見つけなければならぬと決意した。


「ど、どういうことなのですぅぅ~~~~!?」


 努が探索者を引退して地元へ帰ったと報じられた朝刊を見ていたユニスの手は怒りのあまり震え、そのまま新聞を破り去る勢いだった。

 つい先日百階層を攻略するという偉業を成し遂げた努がいきなり探索者を引退するなど、あってはならないことだ。仮に引退するにしたって順序というものがあるだろう。

 しかし彼女はそれから更に激怒した。その後無限の輪のクランメンバーや他の探索者にも色々と尋ねたところ、どうやら努は地元に帰る前に手紙を残していたという。だがステファニーとロレーナにはそれがあり、自分にだけは送られてきていない。

 その事実にユニスは怒髪天を衝く勢いで怒り狂い、その日は同情したロレーナに慰めてもらう形に落ち着いた。

 配達ミスかもしれません、というロレーナの言葉を頼りに半日ほどで何とか立ち直ったユニスは、とぼとぼとした足取りで金色の調べのクランハウスへと帰宅した。その道中に読み捨てられていた新聞をふと目にして拾い、努が地元に帰ったと報じられている記事を見つめる。


(……このままで、いいのですか?)


 少なくともあと数年はこんな関係が続いていくのだと思っていた。その間にまたお団子レイズよりも凄いスキルの応用を開発したり、三大ヒーラーの中に食い込んでやろうと画策していた。

 だが、その目標の先にいた努は突如として姿を消してしまった。

 これは夢なんじゃないか? と今日何度も思いはしたが間違いなく現実だ。努が本当に迷宮都市まで出ていったことは、バーベンベルク家と警備団の物々しい発表からしても間違いない。

 何で、としか言いようがなかった。とにかく意味がわからない。そうして今日の内には考えが纏まらないまま、ユニスはクランハウスにしょんぼりしたまま帰った。

 それから一日、ユニスは二つの未来を想定して悩みに悩んだ。一つはこのまま金色の調べのヒーラーとして居残り、今まで通りにレオンを振り向かせるよう努力すること。もう一つは金色の調べを抜けて努の後を追うか、他のクランに移籍して待つこと。

 自分で決心して何年も費やしたレオンへの思いを断ち切ることは、ユニスにとって何よりも苦痛なことだった。それに彼の築いたハーレムを捨てさせて自分だけを選ばせるという目論見は、半ば不可能に近いことだ。だからこそ、他に逃げようとしているのではないかという自分の気持ちが嫌だった。

 だがこのまま居残って未来の自分が後悔しないのかと言えば、それは嘘になる。切り替えるにはこれが最後のチャンスかもしれない。それに、努を追うことはレオンにハーレムを捨てさせることよりも厳しいことかもしれない。それでも自分が後悔する未来だって有り得る。


「今までお世話になったのです」


 そしてユニスが最終的に導き出した結論は、地元に帰ったという努の足取りを追うことだった。長年一緒にダンジョンへ潜ってきたクランメンバーとレオンに直接別れを告げ、自分の持ち得る全ての知識を記した書類をミルウェーに託し、ユニスは金色の調べから脱退した。

 そうしてクランハウスを出てから、本当にこれで良かったのだろうかという思いがよぎる。思い返せば未成年の時レオンに一目惚れし、金色の調べに自己犠牲ヒーラー枠で何とか入った時も不安はあった。

 だがそれでもレオンへの思いを糧に頑張れた。その気持ちを持って今度も頑張ればいい。そう思うと背負っていたマジックバッグも少しは軽く思えた。


「首を洗って、待ってるのですよぉぉ!!」


 そしてユニスは迷宮都市の外門からフライで飛び出た後、空に向かって叫びながらまずは王都や帝都とは逆の方向にある村々に向かい始めた。

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