第647話 廃人への信頼
蠅の王にミナ、帝の子供を中心にした騒動で様々なクランや人物の思惑が渦巻き、その裏では神華とその使徒であるロイドが暗躍している帝都。
そんな帝都も蠅の王との和平が成立し人質は解放され、バーベンベルク家長男であり決定権を持つスミスが帝と交渉し有利な条件付きでその災厄を引き受けることも決まった。それによってようやく迷宮都市へ手紙を送れるようになり、努の下にも届くようになった。
ただシルバービーストが帝都にいる内に届くもわからない手紙の返事をしたためるよりも、努は帝階層をこのPTでどう攻略するか思考することを優先していた。そして翌日の朝刊にアルドレットクロウの一軍メンバーであるビットマンが暗黒騎士のホムラと入れ替わることが発表され、それに拍車がかかった。
(あのPTメンバー入れ替えでハンナが避けタンクとしてまともになりそうなのはいいけど……)
新聞記事を見ながらちらりと朝の食卓につくハンナの様子を窺うと、彼女は目ざとく努からの視線に気付きおもむろにビシッと姿勢を正し始めた。背中から生えている青翼も敬礼するようにキビキビと動いて畳まれている。
叱責も暴力も通じない彼女であるが過去に借金漬けで奴隷のように働かされた苦い経験はあるからか、詐欺で数億溶かしても許してくれた無限の輪から放り出されるのは恐怖として認識しているらしい。
それに魔流の拳継承者として過大に膨れ上がっていた自分の等身大な実力を体感したからか、指示の通りがやけによろしかった。そんな様変わりしたハンナにアーミラとエイミーは初めからやれと言わんばかりの目つきである。
(とはいえホムラ一軍加入で差引マイナスじゃねこれ? ビットマン、欲がないよ欲が)
前日のPTメンバー入れ替えで白魔導士でも問題なくむしろ良いことすらあると体感したホムラは、元々予定のあった一軍移籍の話を蒸し返し始めた。それにそろそろ仕事をセーブして子供との時間を大切にしたかったビットマンはこれ幸いにと快諾し、一軍のタンクは入れ替わる形となっていた。
「今度は負けん」
昨日はホムラに花を持たせる形となったガルムは、リベンジに目を燃やしその長身に見合う量のご飯をもりもり食べている。その宣言を勘違いしたコリナも焦るようにこんもりと盛られた白米をぱくぱく食べ始めた。
そしておかわりを伺おうとした見習いの者をすり抜けて我先にしゃもじを取ろうと厨房に向かった二人を横目に、リーレイアは目玉焼きのつるりとした黄身をナイフで割る。
「その心変わりもいつまで持つか。この際、アルドレットクロウに一度移籍させるのも手だったのでは? そこでハンナも探索者としての基礎は学んだのでしょうし」
「ならエレメンタルフォースばっか言ってるリーレイアも移籍っすよねー?」
「…………」
「くぅ~。ハンナの正論パンチ効く効くぅ~!」
「やめな?」
エレメンタルフォースはしばらくうんざりな努は気分爽快と言わんばかりに丸めた新聞で肩を叩き、隣のエイミーがそれを窘める。
随分と楽しそうなクランリーダーにダリルは苦笑いを零しつつ、見習いの者におかわりを所望する。そしてアーミラは少し嫌そうな顔をした後、じろりとハンナを睨んだ。
「大人しくなったのは結構なこったが、馬鹿の心変わりが信用ならねぇのは俺も同じだぜ? それにクランリーダーとはいえツトムの言うことだけ聞くってのもな」
「アーミラ……愛してます」
「死ね」
思わぬ方向からの助け舟にリーレイアの口から自然と愛の囁きが漏れ、嫌な予感はしていたアーミラは舌打ちからの罵倒を返した。そんな赤と緑の竜人が戯れている間に席を立って新聞をしまった努は、そのついでにダリルの背後に回る。
「ま、こっちの言うことを素直に理解して実行してくれる優秀なタンクが恋しくなるのは事実だよ。ゼノとコリナと組んで随分と楽しそうだなぁ~?」
「お陰様で羽を伸ばしてますっ」
厭味ったらしい努の肩もみにダリルはこそばゆそうにしながら答えると、ハンナは唖然とした様子で二人を見つめた。
「え? あのコリナがっすか?」
「優秀な生徒でも相手にしてるような感じだよ、ダリルに対するコリナは」
「ずるっすね。じゃあ師匠があたしをいたわるっす」
「はいアルドレットクロウに移籍」
「そんな気軽に言うもんじゃないっすよ!? ……うぅ、酷いっす」
別にアルドレットクロウだって悪い移籍先じゃないとハンナは言い返しそうになったが、そう言うとツトムは本当に移籍の手続きを進めそうだったのでその言葉を何とか飲み込んだ。
「今のハンナは多少枷が付いてるくらいが丁度良いよ。魔流の拳を極めてきたのは素晴らしいけど、最近はその力に振り回されすぎだ。進化ジョブ覚えたての探索者みたいだから、僕が避けタンクを思い出させてあげるよ」
「おーっす!」
「けっ。そんなご優秀なタンクに何も言わねぇでクラン出ていった奴がよく言うぜ」
久しぶりにリーレイアから付け狙われたからかひとたまりもないといった様子で突っかかってきたアーミラの言葉に、ダリルの垂れ耳が更にぺたんとなった。
「ヒール。でもこれからはそんなことしませーん。すみませんっしたー」
努はそれを元気づけるように緑の気を纏わせた指先で摘まんで持ち上げ、謝罪の言葉を口にした。するとその犬耳は芯を取り戻したように持ち上がり、ダリルはくすぐったそうに頭を振って彼の手を除ける。
それを見たエイミーもふんっと張り切るような顔をして白い猫耳をゆっくりと畳み、そのままアイコンタクトで努の来訪を待った。だが彼は適当にヒールを頭に飛ばしてくるだけだった。
「にゃんでっ」
「お前さ、猫人としてのプライドはねぇのか? にゃんにゃん言えって指示されたら殺意向けてくる奴らがほとんどだってのに」
「そんなプライドでツトムは撫でてくれるのかって話―!」
「しかし実際のところ、また何か起こるかもしれない200階層も迫ってきました。突破の見込みが立ったら今度はクランハウスにでも縛り付けておく必要がありそうですね?」
(リーレイア、涙拭けよ)
直接言えば拳が飛んできそうな冗談を努は心の中で飛ばしつつ、来たる200階層のことを考える。
「とはいえもう故郷に別れは告げてきたし、ここに骨をうずめる覚悟はしてきたけど」
「そうは言いつつやっぱりいざとなったら帰りたいとかぬかしそうですが」
「そりゃあ、行ったり帰ったり出来るならそれが理想だけどね。でもそういうちょっかいはもうかけてこなさそうじゃない?」
「何かそういう取引でも交わしたのですか? 神様と」
「僕としてもあっちから勝手に呼び出したんだから一度くらい直接頭でも下げてほしいんだけど、あれっきり何もないね。神様も薄情なもんだ」
そう言って肩をすくめる努をリーレイアはまだ疑わし気な目で見ていたものの、本当にもう嘘はついていないと感じたのか冷めた目を背けた。
(実際行き来出来るようなったにしても時間間隔の問題がな。よくあっちで三年いて普通の時間軸で戻ってこれたもんだ、神運営ありがとな)
努がこの異世界で過ごして三年後に帰郷した時は、およそ夏休み10日分くらいの時間しか経っていなかった。つまり異世界の三年は現実世界の10日に換算できる。三十年なら約100日。三百年なら約1000日だ。
もしその計算式を当てはめるならば、現実世界で三年プロゲーマーとして過ごしていた努が異世界に帰ってきた時、おおよそ三百年後になっていてもおかしくはなかった。もしそうなっていたら唯一の生き残りであるディニエルにでも即ぶち殺されていただろう。
その時間軸のズレについては恐らく神運営からの配慮があったのだろうと努は認識していた。神運営のロールバック様々である、
(それこそ数時間だけ現実に帰って醤油味噌とかの調味料持ち込めたりしたら夢が広がるけど、その度に時間軸の調整あるとしたら流石に神運営もキレるだろ。僕も爛れ古龍の初見殺しと理不尽強化にはキレたいけどな)
神運営に対して一切の不満がないとは言わないが、時間のロールバックなり神のダンジョンの調整が『ライブダンジョン!』にリスペクトを感じることなどを鑑みれば、ようやっとると言わざるを得ない。
努は神に目通りが立ったことこそないが、神のダンジョンを見ればわかる。『ライブダンジョン!』廃人ですやんと。努からすればその認識があるだけで神運営に対して一定の信頼は置けるというものである。
(まぁ、それはそれとしてこっちも対抗策くらいは準備しておきたい。帝都の神ダンが対抗馬になればいいんだけど、クソ運営っぽいしな……)
帝都にある神のダンジョンの情報を見聞きする限りでは、まさに爆死して採算が取れないと見限られハーフアニバーサリーもないソシャゲのような有様である。
あれでは話にもならないので、いっそのこと一度潰れるまで待つ他ないだろう。そうすればその拍子にひょっこり神様なり何なり出てくるかもしれない。それから神運営に対する架け橋なり、いざという時の移住先になるかもしれない。
そんな展望を考えながらキョウタニ君―? と撫で圧をかけてくるエイミーをいなしつつ、努はご飯のおかわりをしに厨房へと向かった。
「ご飯ないマジか」
「うっぷ」
「まだいけますぅ」
米びつに二十人前ほど詰められていた炊き立ての白米は既に空となり、給食のおかわりがアイデンティティにでもなっている生徒のようなコリナとガルムが苦しそうに壁へ寄り掛かり座っている。その惨状に努はドン引きした後、オーリに白パンをもらい退散した。
ホムラ加入による千羽鶴再戦マジじゃん。ディニエル壊れちゃう〜