第673話 へい出待ち
「まいど」
闇に溶け込むような低い声で商売成立を告げた幽冥の店主であるダークエルフに、努も笑顔で片手を上げてから店を出る。
数日前に行った無限の輪のPT対抗戦で破損した装備の被害額を補填するため、刻印装備やダンジョン産の薬草などの大口取引をあらかた済ませた努は一山越えたと伸びをする。薄っすらと白んできている空が何処か清々しい。
「やっ」
そんな店を出たばかりの彼に、この時間に出歩いているには珍しい背格好の少年が声をかけた。ホカホカのマジックバッグにでも入れられていたのか、彼の手に持つ黄金色のスープが入った瓶は湯気立っている。
「夜の店の前で出待ちは人道に反してない?」
ルークから近くの屋台で売られているモロコシ印のコーンスープを受け取った努は、それで指先を温めながら尋ねる。すると彼はあどけなさの残る顔に似つかわしくない下卑た笑みを浮かべた。
「そんなに薬を買い込んで、ツトム君は一体何処のお店に行くつもりなのかなー?」
「まだ薬が必要なほど鈍ってないんで」
「皆が待ちに待ってる180階層に潜る当日だっていうのに、朝からお盛んなことで」
おじさん嫉妬しちゃうとコーンスープをちびちび飲むルークに、努も瓶の蓋を外して肩をすくめる。
「そういう日でもクランのために尻拭いをしなきゃいけないのがリーダーの辛いところだね」
「そんな目で見られましても。僕は今の立場の方が楽しいし?」
「そうなんだ」
半目で言葉を返してきたルークに努は雑な相槌を打ちながら丸瓶に口をつける。じっくりとコーン本来の甘みを引き出したスープの味に、ぷりっとした粒入りなので歯触りも良い。
「そもそもの話、僕がアルドレットクロウを結成したのも召喚士として色んなモンスターを召喚するための組織を作るためだしっ」
「確かに初心者の召喚士にとっては夢のような環境だろうけど、実力がついてきた召喚士ならその枠組みの狭さに不満を持ち始める頃じゃない?」
「その枠組みの中でもまだやりようはあるよ」
「にしてはポケットマネー出しすぎだと思うけど?」
「……何? ツトム君、もしかして僕のファンなの?」
迷宮マニアでも気付いていないルークの自前による魔石持ち出しを言い当ててきた努に、ルークは下着を隠すようにもじもじした。そんな彼に努は白けた視線を返す。
「誰が召喚士の刻印装備作ったと思ってるんだよ。神台見てどのジョブにも多少は覚えがあるんだから、魔石消費が合わないことくらいはわかる」
「いやいや、二軍のマネージャーにしかバレてないんだけどね? それにそこまで露骨に浪費してる感じでもないじゃんか」
「うちにも魔石バカスカ使う伝道者様がいるんでね。魔石のコスト感覚は他の人より自然と身に付いてる」
「なるほどねー」
そう言ってコーンスープを一気に飲み干したルークは、瓶底をトントンと叩いて残った粒も食べようと頑張っている。努は少し余したスープをくるくると回して粒を纏めてから一気に飲み干し、瓶に余すことなく食べ切った。
「そういうツトム君はどうなのさ、180階層に向けての準備は」
「ぼちぼちだね」
「当日なのに意気込みが薄いのなんの。記者のインタビューだとしたら0点だね」
「正直なところ、他のメンバーの意気込みが凄すぎて引いてるね。それに最近はインタビューされることも減ったから。何でかなー不思議だなー」
「……いる?」
「いらない」
マイクでも向けられるようにまだ粒の残った瓶を差し出された努は、何が悲しくておじさんの残飯を処理しなきゃならんのだと断った。ルークはその残骸を隠すようにマジックバッグへと放り込む。
「PTとしては結構纏まりが良いよね。ガルムエイミーの並びだけで僕としてはちょっと感動ものだし、気合いが入る気持ちも多少はわかるよ」
「そりゃどうも」
「あのハンナが選んだとは思えない布陣だね」
以前から非常に安定感が高く最近ではパリィによるファインプレーも光るガルムに、アタッカーらしからぬ視野の広さでPTの潤滑油でありながら帝都で鍛えた個人力も強いエイミー。
その二人だけでもPTの安定感は増しているが、そこにヒーラーの努が加わることでまさに盤石の構えと言える。そんな地盤の上だからこそ避けタンクのハンナやユニークスキル持ちのアーミラが暴れ回ることが出来る。
「でも、あのステファニーに勝てる未来は僕にはどうしても見えないね。しかもそこに狂人枠のホムラも入った。十中八九勝てないんじゃない?」
しかしルークはこの三年もの間も修練を欠かさなかったステファニーやディニエルを間近で見ているので、そんな彼女らが努PTに負けるビジョンは見えなかった。それに二軍のカムラが潰れた代わりに奇才ホムラが一軍に加入したことで、一軍の戦力に磨きがかかった。
いくらあの努と言えど三年の空白期間は大きく、PTメンバーもハンナやアーミラは狂人枠ではあるが完全ではない。ムラっ気のある二人を制御しながら初見の階層主を突破できるかは微妙なところだ。
「八九あるだけマシじゃないですか? それに先手を譲る舐めプもしてるし」
「普通に考えるとそうなんだけど、ツトム君は良くも悪くも普通じゃないからねぇ。良く見知った師匠を精神的に削るための妙手でしょ?」
「何のために苦労して浮島階層を初見突破したのやら。流石は僕に最も近い弟子だね。師匠のされたら嫌なことを見透かしてきやがるよ」
「……そういう言葉は、本人に直接言ってあげてよ」
「嫌ですよ。温いったらない」
今のステファニーは何時ぞやのことを思い出すような気迫を持ち、師匠の一挙手一投足すら見逃さない目付きをしている。努の賛辞を聞けばそんな彼女の精神はとろけるだろうにと、ルークは同情した。
そして中身もなくなりどんどんと冷たさを増してきた丸瓶を片手に、努はそろそろお暇するよとルークを見つめる。すると彼も軽く頷いて手を差し出し丸瓶を回収した。
「今日は僕も神台で見させてもらうよ」
「呑気なもんですね。カムラはいつになったら立ち直るんですか?」
「ツトム君もそうならないよう願ってるよ」
「弟子に引導を渡されるのも悪くないと思いますけどね」
そう言って立ち去ろうとした努の背中を見たルークは、何となく引き留めたくなって未練がましく声を掛ける。
「たとえ途中で折れておじゃんになったとしても! 大事なのはその後にどう挽回するかだよ! 二回戦、三回戦だってあるんだから!」
「せやな」
「あれぇー!? なんか雑になってる!! 対応が! おーい!!」
ルークなりに180階層で仮に負けたとしても次があると励ましたつもりだったが、努にはあまり刺さらなかった。そして努が完全に見えなくなったところで彼はポツリと呟く。
「どっちも、報われてほしいなぁ……」
出来ることなら180階層が終わった後には、師弟の拗れが治ることをルークは祈った。
170が複数のパーティに初見突破されるくらい刻印装備がインフレしてるからなあ……
運頼みじゃなくて自分で初見突破した方がいいと思うが
ステ子が盤外戦で勝てたとしてもそれはヒーラーってよりパーティリーダーとしての勝利になっちゃうし