第723話 指輪を外して
昼からは努が契約した個体のフェンリルが腹ペコの状態で待機していたこともあり、フェーデが用意していた魔石の在庫はあっという間に底をついた。
ただ努が結構な量の魔石をリリスから仕入れていたこともあり、売り切れによる機会損失は起きず精霊ふれあい会は夕方まで完走した。
「アスモの出血大サービス凄かったね」
本来であれば光精霊がダンジョン外で吐き出す糸は精々記念品程度しか取れないはずだが、努が契約している繭状態のアスモは捧げられた光魔石に応じてしゅるしゅると絹を下ろした。
それはお土産というよりもはや原材料であり、噂を聞きつけた商人たちによって光の大魔石が完売するほどだった。
「これ、次回からは控えた方が良さそうです……。バザーの売上規模じゃないので絶対後で徴税される……」
「あ、そうなんだ」
商売っ気のある客が出てきてからは一人一個までの制限をつけたが、それでもこの精霊祭においての売上額でいえば一、二を争うかもしれない。中身を見るのが怖い売上が入っているマジックバッグを前に、フェーデは遠い目をしていた。
「それじゃ、お願いしまーす」
「はい……」
ただフェーデはアルドレットクロウのマネージャーにその事務作業を丸投げし、ようやく解放されたとばかりに肩をほぐす。
努はそんな彼女の後ろで哀愁漂う背中を見せ、夕暮れ時を歩く事務員の姿を目で追っていた。休日に祭りを楽しむ者もいれば、その裏方で働いている者もいる。自分も夕飯をすっぽかすまでそのことを少し忘れていた。
「打ち上げ! 行きましょう!」
「アルドレットクロウだとあぁいうのは楽そうでいいね」
「腐っても最大手クランですから!」
「僕に限ってはコメントがしづらいよ」
「淀まぬ水たまりはないと言いますし」
「アルドレットクロウを水たまり扱いとは中々やるね」
「だってクランメンバーが殺されたのになぁなぁで済ませようとした奴らが上で淀んでますし? 少数の紅魔団にビビり散らかしてますし?」
「しまった、ブレーキが効かないんだった」
少年少女特有の尖りが抜けきらないフェーデの危うい直球トークを前に、努は苦笑いを浮かべる。
表向きには氷狼姫と二つ名が付きアルドレットクロウの上位軍として名を馳せているフェーデであるが、その実態はまだ若く感情の起伏も機敏な少女に過ぎない。
それにお祭り気分も合わさって言葉選びを間違えればいくところまでいくであろう彼女を前に、努は身が引き締まる思いだった。
「お陰様でめっちゃ稼げたので、今夜は奢りますね!」
「そう? ごちそうさまでーす」
「あとで飛び切りのお店行きましょっ。まずは乾杯です!」
そう言って人混みの中をかき分けるように腕を引いたフェーデの遥か後ろでは、上空に張り巡らされた障壁に人が乗って設営の準備をしている姿が見受けられた。恐らくあれを土台にしてウンディーネの水門を構築し、そこに精霊が集まれるような場所を作っているのだろう。
そんなセレモニーの設営風景を眺めつつ祭りの屋台通りを抜け、その奥にある屋外ビアガーデン風の店へとフェーデは足を運んだ。精霊祭限定の会場には木の丸卓と椅子が無造作に並べられ、頭上には様々な精霊を模した色のランタンが揺れている。
「良さげなワインいっちゃいましょう!」
「おっ、ミスティウッドのやつあるじゃん。それじゃあこれにしようか」
「えー、一番高いのいっちゃいましょうよ」
「高ければいいってわけでもないからね。それに僕もまだ飲み慣れてないから」
以前の飲み会でゼノが持ち込んでいたワインと同じ銘柄を発見した努は、ぶーたれるフェーデをやんわりと制してそれを頼む。それと手書きのメニューから数品の小料理を頼んだ後、早速店員がワインとグラスを運んできて注いでいく。
「それじゃ、かんぱーい!」
「乾杯―」
かちんと軽くグラスを鳴らし合っての乾杯。この世界では15歳で成人とされているので、フェーデも努と同じ白ワインを口にした。そして想像以上に飲みやすかったのか彼女は目を丸くする。
「ツトムさん! これいい感じですね!」
「でしょ。でもあくまでワインだからあまり飲みすぎないようにね」
「わかってますって!」
そうは言いつつそんな白ワインが珍しかったのかフェーデは何度も口をつけた。先付けのチーズはすぐになくなり、彼女の口からはアルドレットクロウに対する愚痴が零れる。それを聞いている内に四色の前菜が運ばれてきた。
赤い辛味蒸し鶏に、色鮮やかな香草サラダ。そして別皿に添えられた青の冷製ゼリーには努もにっこりである。お米と合わせさえしなければ文句はないのだ。
それをつまみにしてグラスを空にしたフェーデはおかわりの白ワインを注いだ後、努の手元に視線を落とす。
「で、それは結局何なんですか? どうせすぐバレるんですから教えてくださいよっ」
「少なくとも精霊術士用ではないから安心しなよ。鑑定したら守精指輪って出たから、それで効果は想像してくれ」
「……ピンチの時に精霊が現れる的な? 精霊術士なしでそれ出来るならめっちゃ強くないですか?」
「どうなんだろうね。これ付けてるとマジックバッグをロストしかねないってエイミーに脅されたから、あんまり検証できてないんだよね」
「なるほど。……ちなみにリーレイアと契りを交わした証ってことは?」
「そういう物ではないね。むしろ逆というか、精霊側からもらったからね」
「あっ、ウンディーネ? いや、それなら私が殺されてるか……」
「冗談にも聞こえないのが恐ろしいところ」
そうこう話しながらグラスを重ねるうちに、ワインボトルは空になっていた。飲み干したのは八割がたフェーデであり、最後に水を飲ませた努が頃合いを見て店を出た。
すっかり暗くなった空には障壁魔法をウンディーネが生み出した水がカーテンのように伝い、アスモの糸で紡がれた縄は光り輝き夜空を彩っている。
イルミネーションの淡い光に照らされているフェーデの顔はすっかり紅潮していた。気が抜けたにへら顔を隠しもせず足取りも怪しい。
「うわっ! 酔ってるー!」
「もう帰る?」
「何言ってんですか! まだまだ精霊祭はこれからですよー!! 二件目! 今度は隠れ家に!」
「ま、最悪ヒールするよ」
「いやいやまだまだ全然いけますからっ! 野暮なことしないでくださいね!」
へべれけの彼女は更に西側の奥まった場所へと向かい、少しセレモニーから外れた控えめな外観の店まで来た。
「ここ、普段は予約制なんですけど、今日は精霊術士限定で開いてくれてるんですよ。みんな精霊術士だから精霊とも一緒に飲み食いできる!」
「そうなんだ。まぁ連れなら大丈夫って感じ?」
「ですね! 連れ連れ!」
フェーデが嬉しそうにお店の説明しながら扉を開けると、確かに飲み食いしているのは精霊術士が大多数だった。その証明としてテーブルに上がっているサラマンダーは火を飲み、ウンディーネはカウンター横の水場に入って涼んでいる。
「お、フェーデじゃん! なんだー? ツトムとデートかー?」
「へへへへへ、そんなところです!」
「酔っ払いの介抱してるだけですよー……」
同士として気心知れている者も多いのか、フェーデは店内にいる結構な数の精霊術士たちから声をかけられていた。それに彼女は満面の笑みで答え、努はすげなく返しながら二人席に座った。
「んー。契約――シルフ、フェンリル」
フェーデは少し迷った後に自分はシルフと契約し、努はフェンリルにした。すると両者がそよ風と共に席の横に姿を現す。
「ツトムさんのフェンリルが機嫌損ねてるの、珍しいですよね!」
「そうだね」
『…………』
じろりとした上目遣いでおすわりをしているフェンリルの頭を努が撫でようとするも、その手はがうがうと甘噛みされて拒否される。
どうやら昼間に別個体が努を守ったことが相当お気に召さなかったらしく、珍しく冷めた対応を見せていた。何でバレてるんだよと努は独り言ちつつ骨付き肉を献上すると、フェンリルは渋々といった様子でかじり始めた。
「お昼はどうも。これ、めっちゃ有難いです」
「思いのほか反響があってびっくりしましたよ。次回からはもうなさそうです」
「あぁ、ですよね。でも浮島階層の祭壇でツトムさんみたいな繭形態になれば、少し供給は増えると思うので」
その店では他の精霊術士と話すことも多かったが、努はフェーデと精霊ふれあい会をしていたおかげで話題に事欠かなかった。それを取っ掛かりにして精霊祭のことや180階層のことなども聞けたので、努としては満足だった。
そんなこんなで二件目の滞在時間はかなり長く、会計の頃にはフェーデも騒ぎ疲れたのかでろんとした目をしていた。そして彼女と共に店を出た努が遠目でセレモニーを眺めていると、フェーデがとととっと前に来た。
「まだ私は時間ありますけど……どうしますー?」
フェーデが小さく笑みを浮かべながら顔を上げてくる。頬はまだ僅かに赤く、目元にはほのかな潤みもあった。
もう散々飲み食いはしたので三件目は流石にないだろうが、まだ時間はあるというフェーデ。何かを期待するように見上げてくる彼女を前に努が口を開こうとした瞬間、彼の指輪が薄く輝いた。
『…………』
主人の危険を察知してぬるりと現れたウンディーネが、感情の波がない眼差しでフェーデを見下げていた。そんな水精霊を前に彼女は水鉄砲でも食らったような顔をしている。
「邪魔」
努が右の薬指から守精指輪をするりと外してマジックバッグに放り入れると、驚いた表情をしたウンディーネがばしゃりと溶けて消えた。光の粒子と共に蒸発していく粘体を前に、フェーデも目を見開きながら努を見上げる。
「……えっ?」
努が指輪を外した動作でこの先を想像したフェーデの声。セレモニーの音楽が微かに聞こえている最中、心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。沈黙がそれをより際立たせる。
その神妙な間で手汗が滲み始めた中、努はとぼけたように口を開く。
「それじゃ、帰ろっか。クランハウスまで送るよ」
「へ? あっ、はい……」
彼の声掛けに肩を跳ねさせたものの、その内容に拍子抜けしたフェーデ。明日は久々にIGLなしの臨時PTだぜと気合いの入っている努。そんな両者はセレモニーを傍目に迷宮都市の中央区へと帰っていった。
まあフェーデから見たら色々と恩義も好感度も高いからねぇ、努