第554話 悪魔が笑う時

 

「これ、全員ロストしたら破産でもするのでは?」


 ギルドの更衣室から出てきたリーレイアは虹を硝子に閉じ込めているような色合いの胸当てが特徴的なレザーアーマーを着込み、レイピアの鞘や持ち手に刻まれた刻印を興味深そうに観察している。そんな彼女の疑問に努はひび割れているような笑顔を浮かべた。


「破産まではしないけど、数日寝込む自信はあるね」
「勿論ロストしないよう努力はしますが、絶対とはいきませんよ? それにあまり装備が傷つかないよう気遣いすぎても本末転倒ですし」
「今までみたいにうっかり使い捨てにでもしない限り文句は言わないよ。一応予備もあるしね」


 そう返した努は彼女に続いて更衣室から出てきたPTメンバーを、新しく納品されてきた外車でも見るように眺めた。


「次回からはダンジョン内で着替えた方がいいかもしれんな。余計な目を引きすぎる」
「ま、探索者に対しての宣伝って名目もあるし」
「ゼノなら進んで見せびらかしそうなものだがな」


 ガルムは白銀の聖鎧を加工してサイズを調整し、その盾や直剣も天空階層からドロップした物に一新し努が自ら刻印を施している。目玉の刻印は騎士の進化ジョブにあるパリィの強化だ。

 パリィの受付可能時間を少し伸ばし、その後にクリティカル判定となる攻撃猶予を増やす。それに加えてクリティカル判定の攻撃をした場合の効果増大と、パリィを主軸に置いた装備編成。


(少し、って文面がどこまでなのかも検証しないとな。それが1秒なのか、0.5秒なのか、10Fなのか)


 それは実際にこのパリィ刻印を装備した第一人者であるガルムがやってみなければわからないので、場合によっては使い物にならない場合もある。ただ努の感覚からすればそういった猶予時間の増加はあるに越したことはない。


「これだけの重さだと底抜けしそうで心配ですしね……。フライするにしても気は遣いますし」
「これから基本はフライ生活なんだし、慣れておいた方がいいよ」
「浮きっぱなしは健康に悪いらしいですよ……」


 ダリルも同じように聖鎧を加工したものではあるが、彼の場合は重鎧に仕上げるために天空階層産の装備を三つほど解体し鍛接たんせつする必要があった。そのため彼の重鎧に関しては迷宮産の装備加工に熟達したドーレンが腕を振るい、努が指定した刻印を工房の弟子が彫ることで最前線に足り得る刻印装備に仕上げていた。

 ただ重騎士のバッシブスキルによってその体感重量は軽減されているが、タワーシールドも含めればダリルは数百キロほどある。そんな歩行要塞がもし転びでもしたらギルドの床が悲鳴を上げるため、彼は基本フライで浮いている。

 そんなダリルに施している刻印はスーパーアーマー関連が目玉だ。モンスターの攻撃を受けても一切怯まなくなるスーパーアーマーは重騎士が90レベルで覚えるスキルだが、素のままではデメリットが大きすぎるので使われていなかった。

 だが刻印士が70レベルから施せる刻印によってスーパーアーマー時に被ダメージを半減することが可能になり、小規模なダメージならば無効化することすら出来る。その重さ故に一旦態勢を崩されると弱かった場面でも不動を維持し、衝撃を一身に受けられるが故に自然とカウンターにもなる。

 今までのショボい装備では熟れたトマトのように噛み潰される場面でも、刻印のある状態なら空中に溶接された鋼鉄人形に成り得る。それを嚙み砕こうとすれば牙は欠け、空き缶のように蹴り飛ばそうものならタンスに小指をぶつけた騒ぎではなくなるだろう。

 傷一つない白銀の重鎧を着ているダリルは珍しい天空階層産のオーダーメイド品であるため、周囲の探索者からの注目も大いに浴びている。そんな珍しい大型犬を連れているようなPTの中、リーレイアは気まずげにフライで浮いて受付の列に並んだ彼にプレッシャーでもかけるように話し出す。


「あれを売ったら一軒家でも買えるのでは?」
「装備の原価だけで億超えてるし、刻印も数千万はかかってる。それに職人や刻印士の仕事代とかもろもろ含めると凄いことになるね。この中でもぶっちぎりで高いよ」
「刻印の模様も何処か気合いの入れようが違いますよね、私たちとは」


 挑戦的な刻印が施されたタンク陣とは違い、他の三人の装備は汎用的なものが多い。スキルによる精神力消費の減少や特定のステータスUPなど、テンプレのような刻印の組み合わせがほとんどだ。特徴的なものといえば特定の精霊との相性を上げる刻印くらいである。

 そんな二人の話をダリルは聞こえないフリをしていて、ガルムとソニアは何やら最近流行ってきた獣人の耳に付けるピアスについて話している。灰魔導士の刻印装備についてソニアとちょっと話したかった努は、いつの間にか彼女と話すグループが分かれてしまったことに内心がっくりした。

 そして返事を急かすようにレイピアの鞘を三本指でタッピングしているリーレイアに、努は渋々と言葉を返す。


「精霊術士の進化ジョブは代わり映えないしね。目玉と言えば特定の精霊との相性一段階上げるが精々だし」
「とはいえ、それは精霊術士からすれば喉から手が出るほど欲しいものです。今日にでも大騒ぎになるのでは?」


 その刻印さえあればこれまでまともに呼び出すことすら出来なかった精霊と契約を結ぶことが出来るようになり、元から契約は出来ていた者は新たな精霊スキルが数個は開放される。それだけで立ち回りの幅はかなり広がるので一段階の差は大きい。


「霊玉一つで騒動になってるみたいだしね。まぁあれは永続的なやつだから話が違うか?」


 最近アスモとの相性を一段階上げることが出来る霊玉が銀の宝箱からドロップしたが、その所有を巡って結構な騒ぎが起きている。それは宝箱を開けた個人に所有権があるのか、そのPTにあるのか、はたまた元となるクランにあるのか。それを自分たちで使うのか、売りに出すのか。

 大手クランならばその線引きはしっかりしているのであまりごたつくことはないが、中堅クランでは曖昧なことが多いのでトラブルに発展しやすい。現状ではPTメンバーの内の一人が持ち逃げしたとか、逆にクラン内で匿っているだとか情報が入り乱れて霊玉の所在は不明のままだ。


「自分の好きな精霊の相性を上げられるなら70レベルの刻印士は熱望されるでしょう。このまま制限していてはむしろ恨まれるのでは?」
「もし逆恨みされたら精霊に言いつけちゃうもんね」
「貴方のそれは冗談にもなりませんよ。……ただ、それが本当に出来るのかは是非誰かで実験してほしいところですが」


 フェンリルに乗れるほど相性が良くリーレイアが進化精霊と契約できるようになった原因とも推測されている努の言葉は、精霊術士からすれば洒落になっていない。実際、そんな世間話を小耳に挟んでいた猫人の精霊術士は触らぬ神に祟りなしと足早に離れていった。

 そんな耳の良い獣人たちが足早に周囲から離れていくのを見て、努は気が抜けたようにため息をつく。


「あまり驚かすなよ。最近、精霊術士たちといい感じなのに」
「どうせみんな精霊目当てですよ」
「別にいいでしょ。話の切っ掛けに困らなくてこっちとしては助かるよ。ほら、ペット飼ってる人同士の交流みたいな感じでさ?」


 様々な犬を連れて散歩している公園で、一人だけ着ぐるみ並の巨大犬を連れていれば自然と注目は集まるし話題も事欠かない。そんな精霊術士たちとの交流を努はまだ煙たがってはいない。

 フェーデとのフェンリル交流が神台に映ったことで多少声を掛けられることは増えたが、同時にほぼ全ての精霊と契約を結べるその異質さからか畏怖の念を持たれてもいる。むしろ最近では神台市場に行く度に、訳知り顔で視聴者目線とやらのアドバイスをかましてくる迷宮マニアの方が疎ましいくらいだ。


「わからなくもありませんが、もし人に噛みついたらそれは飼い主の責任だということはお忘れなきよう」
「それこそ雷鳥とでも契約しなきゃ大丈夫でしょ。それに精霊術士の人、そこら辺大らかじゃない? 精霊祭でも随分と無茶してるみたいだし」
「もしフェンリルに噛みつかれようが笑って許す者が大半でしょうね」
「ムツ……何というか、良い人多いよね精霊術士って」
「どうも、ありがとうございます。ところでムツ、とは?」
「何でもないよ」


 ライオンに指を噛まれても笑顔で許したという動物大好きお爺さん。そんな人を幻視していた努はさも自信ありげに礼を言ってきたリーレイアを無表情で凝視した。それを彼女はにたにたと笑って受け止めるだけだった。


「その笑顔、どうにかならないの? 魔女みたいだけど」
「おや、まさか人の笑顔にケチをつけるとは。そういうツトムも刻印している時、悪魔みたいに笑ってますよ?」
「何だかんだ、まだ味はするからね」


 今はまだ刻印装備に頼っている探索者は二流扱いされている認識はあるが、一番台に映るPTが変わってしまえばそうも言ってられなくなる。その日を楽しみにしながら刻印している努の底意地の悪さが窺い知れるような言葉に、リーレイアは訳知り顔で頷くだけだった。

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