第566話 汝は人狼なりや?

 

「……ねぇ。当然、二回戦目はあるんだよね?」


 エイミーはアンチテーゼが解除されるまでの5分ほどは湿った苔に顔を埋められ、緑色の色素が付着している。そんな彼女の問いに努は含み笑いを零しながら顔を逸らした。


「今日くらい勝利の余韻に浸らせてよ。死んでるハンナを待たせるのも悪いし」
「引き分けって聞いてるけど?」
「実質勝ちでしょ。僕がフライで抱えなきゃ死んでただろうし」
「ツトムなら落とせないだろうって計算込みで組み付いたんです~」
「それでマジックバッグ盗んで切り裂くとか、アタッカーとしてのプライドってものはないんですかね。最弱の僕があれだけ頑張ったんだから、素直に勝ちを譲るくらいはしてほしいもんだよ」
「負けたらプライドも何もないからね。それはギルドで直してもらってお返しするよ」


 アンチテーゼ中の努が自力で回復できないようポーション用のマジックバッグを双剣で切り裂いていたエイミーは、戦闘での興奮も冷めたのか申し訳なさそうに白い猫耳を畳む。


「予備あるから別にいいけどね。これくらいの破れ具合なら裁縫士に頼むまでもなさそうだし、エイミーでも縫えるんじゃない?」
「え」


 持っていたポーチ型のマジックバッグを差し出しながらさも当然のように言ってきた努に、エイミーは目をぱちくりさせて固まった。

 マジックバッグは迷宮都市に住む者なら誰もが持っている便利な物だが、その価値はそこまで高くない。神のダンジョン内で発見される宝箱から出る物の中でもハズレ枠であり、供給が多いからだ。

 それに裁縫士というサブジョブが出る前からマジックバッグは職人たちに加工され、様々な形に仕立て上げられてきた。努のようにポーション用のポーチ型にしたり、ディニエルのような弓筒型のものなどバリエーションは幅広い。

 マジックバッグはその見た目に反して相当な量の物を入れられるが、穴が開くとその中身を引き出せなくなる。ただそれは一般家庭のお母さんが雑に縫っても何とかなるため、迷宮都市ではマジックバッグの破損はさしたる問題ではない。

 ただ一般人の日常使いでは問題ないものの、こと探索者になると少し事情が違ってくる。

 探索者のマジックバッグには神のダンジョン内で手に入れたドロップ品が入れられるし、他にも装備やポーションなどの備品も入っている。その価値はGに換算すると数千万以上になることも珍しくないので、万が一引き出せなくなった時の損害が洒落にならない。

 基本的に破損したマジックバッグは半分以上が消失していない限りは、他の素材と繋ぎ合わせることで引き出すことが可能になる。ただ技術的にはその辺のお母さんでも出来ることとはいえ、失敗したら数千万がなくなるかもしれないなんて仕事は適当な人に任せられない。

 そのためマジックバッグの中身に応じた高めの報酬金を取ることで、元本保証で修理に応じることで生計を立てている職人もいる。ギルドにもそういった者はいるが損傷具合の怪しいマジックバッグの案件は受けてくれないため、そういった職人に一種の賭けで依頼する探索者も稀にいる。


「つまり……これからもマジックバッグが壊れたらわたしに直してほしいってこと?」
「……何がつまりなのかわからないけど、怪しい雰囲気はわかったからギルドに依頼するよ」


 エイミーの物言いからしてマジックバッグを縫ってくれは毎朝味噌汁作ってくれに近い表現なのだと思った努は、破れているそれを腰に巻き直した。


「ふん、貴様がまともに縫えるかどうかも怪しいがな」
「…………」


 そんなガルムの小言がエイミーは図星なのかまるで聞こえないように無視している。それに努も少し呆れながら諫めるように手を叩いた。


「はいはい、もう作戦は終わったんだからエイミーに三下ムーブしなくていいんだよ。ご苦労様。もう動けるようになっただろうし、帰還の黒門で帰ろうよ」
「こいつは作戦とか関係なくツトムの三下なのは間違いないでしょ」
「黙れ」


 そうこう言い合いしているエイミーとガルムを置いて努はフライで移動すると、二人は渋々といった様子で口論を止めて付いていく。


「そういえばさ、なんでツトムはいきなり模擬戦やる気になったの? なーんかあいつと事前に練習もしてたみたいだし」


 帰還の黒門に向かう道中でエイミーに尋ねられた努は、喋りやすいようバリアで風除けを設置しながら答える。


「アンチテーゼのおかげで相手に大した怪我を負わせることなく無力化できるようになったからね。それに僕はもうこっちの世界で骨を埋めるんだし、一切戦いたくないなんて言ってもいられないでしょ」


 そんな努の物言いにエイミーは目をまん丸にして、ガルムは感激したような顔で静かに頷いた。


(結局こっちでも現実とは向き合わなきゃいけないからな。……日本の現実の方がマシだったかもしれない)


 迷宮都市はこの世界の中でも比較的治安が良いとはいえ、日本と比べてしまうとはるかに悪い。それに路上で武器を引っ提げた孤児集団から因縁をつけられて実際にナイフで刺されても、それが探索者同士であれば大した問題にもされない。それが神のダンジョン内ならば尚更だ。

 迷宮都市の合法的な暴力組織である警備団は、一般民衆が誰かに害された時は徹底して動く。だが探索者同士の諍いに関しては不干渉を貫くことが多い。回復スキルで治る程度の傷害などはほとんど取り沙汰されず、殺しに発展したら動くくらいだ。

 なので探索者の中でも名が知られている努が自衛も出来ないと認識されると、それから先ずっと武力での脅しに屈する他なくなる。無限の輪のメンバーに護衛されるといっても限度がある。だからこそ努はモイとの戦闘はその現実に向き合わされてやらざるを得なかった。

 ただ自身の心を蔑ろにした割にその結果としては怪しいものだ。一度刺されて酷い顔を晒しての勝利なので武力による圧力は有効なのではと思われても仕方ないし、かといってまた人を達磨にするなんて真っ平御免だ。


「これから他のクランメンバーとも模擬戦するとか嫌でしょうがないけど、他の探索者にビクビクしながら活動続けるのも厳しいしね。ま、アンチテーゼが見つかっただけヨシって感じだよ」
「だね。前までのツトムって攻撃にまるで殺る気が感じられなかったけど、今日はしっかりウザかったよ。いい線いってる!」
「……まぁ、あそこまで避けられたり無効化されるとは思わなかったけどね。撃つスキルは避けるわ、置くスキルは当たらないわで散々だったよ。結構自信あったんだけど」
「わたしにブーストを教えたのが運の尽きだったね。あと苔」


 にひひと笑ったエイミーは先ほどの戦闘を思い返したのか、ふと気付いたように呟く。


「ツトムはあれだね。一回殺しちゃった方がいいかもね」
「……どういうこと?」
「んー。今日もそうだったけど、本気でわたし殺したいとか思ってなかった? ほら、マジックバッグ抱えてた時とか」
「…………」


 そんな彼女の言葉を努は否定したかったが、実際に自身の命が賭かっている場面では他人を蹴落としてでも生き残りたいと思ってしまうことは事実だった。モイに刺されて反撃した時も踏みとどまったとはいえ、殺意的な衝動に身を任せてしまいそうにもなった。


「あぁいうのって、ここぞという場面で足を掬われるパターンが多いんだよねー。何ていうか、欲しいものほど手に入らない的な? 何事でもあるじゃん、そういうの」
「とはいえ、殺し慣れたらそれが収まるってわけでもなさそうじゃない?」
「何事も慣れはあるからね。明日の朝にでも一回殺してみる? 付き合うよー」
「……やっぱ骨、埋めたくないかもです」
「貴様っ……!」


 自分なりにこの世界に順応しようと努力はするつもりだが、殺人を推奨してくるような輩と果たして価値観が合わせられるのか努は疑問だった。そんな努の言葉を引き出してしまったエイミーに、ガルムは激昂したように尻尾を逆立てる。


「せっかくツトムが模擬戦に前向きになったというのに、冷や水をかけるとは!」
「神のダンジョン内の模擬戦なら遅かれ早かれ殺しも殺されもするでしょ。リーちゃんとか嬉々として殺しそうだし」
「それは今からでも気が重いね。ま、自分が勝っても殺さない分マシにはなったけど」
「……まずは加減を知る者に手合わせを願うといい」
「ならコリナとかゼノとか?」
「ダリルも問題ないだろうな」
「にしても、別の世界とはいえよく一人も殺さずに今まで生きてこれたよね。移動中に盗賊とかから襲われたりしないの?」
「盗賊とか、創作の話でしか聞いたことないし見たこともないよ。あとモンスターもいないし、戦争も僕が生まれる数十年からないし」
「それこそ創作の話でしか聞いたことないが……。魔石や魔道具も無しに人間が生活できていることも、何度聞いても信じがたい」
「その辺りはゼノもびっくりしてたよね」


 3人は今後の努の模擬戦相手や異世界について雑談しながら森階層からギルドに帰還する。


「ちょっとー! ガルムなんであたしを殺したっすかー!! 不意打ちで首チョンパは酷いっすー!」
「…………」
「……いや、まぁ、僕も同罪だから」


 ただギルドに帰ってからケロッとした様子で抗議してきたハンナを前にしては、ガルムも何も言えなくなっていた。それに元々レイズのために死んでくれと頼んでいた努はそうフォローしたが、その声色は彼女と違い明るくはなかった。

 コメント
  • 匿名 より: 2023/05/22(月) 12:01 PM

    アルマさんは幸運者って二つ名の原因になったことと、それが元でPT組めなくて一番苦しい時期の努から視線逸らしたことで印象最悪だっただけだね
    あとは周囲に持ち上げられ天狗になって勝手に黒杖に依存して勝手に病んで勝手に立ち直った感じだから、努には実質大して益にも害にもなってないw

  • 匿名 より: 2023/05/22(月) 12:57 PM

    だからツトムもアルマにはちょっとチクチクするだけだしね
    女性陣で一番気安い関係まである(なお恋愛には発展しない模様)
     
    カミーユと良い感じだったりハンナの胸につられてたり他がアプローチしてるのは本編で描写されてるんだからこういう話題になるのは至極当然では?

  • 匿名 より: 2023/05/22(月) 1:38 PM

    恋愛の話とかライブダンジョンでいらんってのもまぁわかる意見ではあるけど、コメントでちょっと言及するぐらい許してくれよな、それぐらいキャラが魅力的で面白いんだからさ

  • 匿名 より: 2023/05/22(月) 2:57 PM

    カミーユに関しては帰還前の時点でもキープしてる描写あったし、恋愛フラグが全く無い作品って訳じゃないんだから過剰な嫌悪はなんだかなと思う。
    自分が読みたくない展開にはするんじゃねえぞって作者さんに牽制してるみたい。

  • 匿名 より: 2023/05/22(月) 3:20 PM

    薄い本が出るくらい売れるように応援するしかない

  • 匿名 より: 2023/05/22(月) 3:26 PM

    作者に牽制はうがった見方だと思うけど、今回は特にエイミーのツトムへの好意が描写されてるから、読者が恋愛に関して盛り上がるのは自然ですな。
    ちょくちょくガルムが嫁とか本妻とか言われてるのは草だがw

  • 匿名 より: 2023/05/22(月) 7:45 PM

    エイミーは一方的
     
    努は誰とも性的にフラグ立ててない
    にも関わらず恋愛特化のチラ裏妄想を東漸の顔して続けたら嫌がられるのはヨソクデキルでしょ

  • ↑日本語不自由くん発見w より: 2023/05/22(月) 8:00 PM

    更新されてるぞ

  • 匿名 より: 2023/05/23(火) 1:36 AM

    さすがにそれは読み直した方がいいぞ……
    ツトムは自分の経験上クラン内恋愛は絶対しないって決めてるだけでそういう描写色々あるよ

  • 匿名 より: 2023/05/26(金) 10:10 AM

    努が誰かに恋心を抱いた描写でも何処かにありましたかね?
    自分から性的接触でもしましたかね?

  • 匿名 より: 2023/05/27(土) 4:22 PM

    行間読めないのに伏線まみれのライダン読んで楽しいのか……?

  • 匿名 より: 2023/05/28(日) 1:07 AM

    その条件だと多くのラノベが恋愛してはいけないことになるなw

  • 匿名 より: 2023/05/28(日) 11:11 AM

    ☓行間
    ○妄想

  • 匿名 より: 2023/05/28(日) 5:45 PM

    ツトムがカミーユと良い感じなのもハンナの胸に興味あるのもただの事実だから……

  • 匿名 より: 2023/05/28(日) 6:29 PM

    努が巨乳に目が行ったのは最初だけで後はほぼ無いとハンナが言ってるのは無視か
     
    恋愛は相手に特別な性的興奮を抱く愛情のことなんだってよ
    純愛やらプラトニックやら言うやつも根底には必ず特別な性的興奮が伴っていてそれがなかったら恋愛ではなく親愛や友愛など他の愛情なんだってさ
    創作物の恋愛描写は他人が性的に興奮して盛ってるところを見たいかどうかになるから反応がはっきり分かれて当然よ
     
    本当は恋愛描写って一番書くのが難しいもののひとつ

  • 匿名 より: 2023/05/28(日) 7:46 PM

    クランメンバーとそういうのはだるいからみないようにしてる499話読めばツトムが普通に性欲

  • 匿名 より: 2023/05/28(日) 7:47 PM

    途中で送っちゃったわ
    だいたいわかるからもうええか

  • 匿名 より: 2023/05/29(月) 9:12 PM

    まぁわかるw
    面倒が勝ってるだけなんだよな
    ただなんとなくだけど、ASDっぽい白黒思考なコメントしてる人が一部いるよね
    そういう人には、いくら説明してもおそらく理解できないと思う
     
    ASDは先天的に脳の構造が特殊だからそういう特性を持ってるだけで別に頭が悪いとか劣ってるってわけじゃない
    むしろ勉強できる知能が高い人もわりと多い
    だけど、そう言う人はそもそも脳機能的にそういった複数の感情が複雑に絡み合った状況や表現を理解するのが極めて苦手な(もしくは全く理解できない)ものなので、一般的な定型発達の人と感覚が違うためこの辺の話をしても平行線になりやすいんだよ
     
    まぁ結局何が言いたいかと言うと、別にどっちが正しいとかじゃないし悪いことでもないから、そういう考えもあるんだと思ってあんまり深く触れない方がいいと思うよ

  • 匿名 より: 2023/05/29(月) 9:59 PM

    スオウはツトムと向いてるとかちょっと薄いとこの話してる時に妄想だって言われるとまあって思うけどねえ
    話をするなと言われるとなー

  • 匿名 より: 2023/05/30(火) 12:59 AM

    他人の脳味噌勝手に判断して勝手に理解できないと諦めて諫める感じ

  • 匿名 より: 2023/06/03(土) 2:50 AM

    今回も面白かった
    毎回安定して面白い話が供給されるの本当にありがたい

  • 匿名 より: 2023/06/08(木) 12:52 PM

    更新おつ!ハンナおつ!

  • 匿名 より: 2023/06/08(木) 8:02 PM

    忠犬ガルムですねえ

  • 匿名 より: 2023/07/08(土) 6:15 PM

    初期3人の会話はほっこりできますね

  • 匿名 より: 2023/07/09(日) 5:45 PM

    性欲はあっても自分で解消すれば良いと実行してきてて恋愛するつもり無いって言ってる人に、性欲がある!恋愛するのが当然!って前提なのってどうなんですかね

  • 匿名 より: 2023/08/19(土) 11:57 PM

    一時期ダレてると感じられる時があったけど。

    安定的に面白いって本当にすごい。
    ダレないから延々と読めるわ。

    作者の努力と、才能か。
    ありがたやありがたや…

  • 雪虫 より: 2023/08/22(火) 11:40 AM

    そういえば処理してるようだがお店に行ってるとしても噂にはなりそうだし、宿で自己処理かな。

    。。。クラン内恋愛は破滅の入り口とか考えてるようだが、余所のクラン員やソロ冒険者だと逆に面倒が起きそう。

    オーリ系の何者か、かな?
    。。。でも強い人じゃないと危ない。

  • 匿名 より: 2023/08/28(月) 7:19 PM

    マジックバッグ=味噌汁なのか…

    妻子持ち探索者は「カカア!俺のマジックバッグ縫っといてくれ!」とかやるのがメジャーなんだろうか

  • 匿名 より: 2023/09/12(火) 4:30 AM

    エイミーお前…そういうとこやぞ!
    ガルムの安心感よwもうガルムで良いのでは?ww1番のお仲間ポジは確立できましたな!
    そして最強の森の薬屋のお婆さんwww

  • 匿名 より: 2023/09/22(金) 8:27 AM

    恋愛いらんて
    別に男と女が居てたら普通の範囲でしょ
    男女間の友情がどうこうは言わんけど
    そも、コミュニケーションは相互だから片方は意識してないからもう片方からの秋波があっても恋愛的要素は存在しません!
    は無理あるでしょ
    エイミーの心情は全く無視デスカ?
    後、ツトムはトラブルが嫌なだけで別に不能じゃないんだから困らない訳でもないでしょ
    ハンナに胸押し付けられた時に羽弄って反省してただろ

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