第576話 兎か熊か

 

 浮島階層のセーフポイントでもある飛行船。骸骨船長に賄賂の宝物を贈り模擬戦の許可を取ったエイミーが甲板に戻ってきたのを境に、コリナとディニエルは宣誓を交わし一定の距離を開けて相対した。

 模擬戦の審判を務めるエイミーが両者の間に立ちドロップした宝石を投げ、甲板の端で見学していたステファニーとハンナは上に投げられたそれを見上げた。コリナは欠伸をかましているディニエルを視界に捉えながら、目だけでその宝石の行方を追う


「死神の目」


 それが落ちたと同時にコリナが詠唱をすると、淡黄色の瞳にうっすらと輝きが宿った。生物の死期が感じられる黒い靄が認識できる彼女の第六感であったそれは、数年前にユニークスキルとして確立され変化もした。

 切り替わった彼女の視界に映ったのは何も変わらず滑らかに矢を番えたディニエルと、自身の頭上と胸から湧いて出てきた黒い靄だった。

 ディニエルがスキルも唱えず放った二射。だが進化ジョブがアタッカーである祈祷師のステータスでは、レベル170超えの弓術士が放った矢を受ければ致命傷は免れない。

 コリナは頭を狙われた矢は身を低くして避け、胸を狙った追撃は肘を引き締めモーニングスターで受け止めるように防いだ。数瞬の拮抗の末、その矢は星球に打ち払われる。

 まるでそこに撃つことが事前にわかっていたかのようなコリナの冴え渡る受け流しに、ディニエルは眉を上げる。


「モーニングスロー」


 そしてコリナはお返しだと言わんばかりにモーニングスターを振りかぶり、スキルの力も合わせて放つ。星球は空気の輪が出来るほどの衝撃と共に投擲され、ディニエルは弓を構えたまま飛び引いて躱す。

 星球はそのまま船外へすっぽぬけるように飛んで行き、遥か彼方に消えていった。その行方をディニエルは冷めた横目で確認した後、作りのしっかりした鉄製の矢を番える。コリナも新たなモーニングスターをマジックバッグから引き出す。


「パワーアロー」
「パワーストライク」


 ディニエルがスキルの力を用いて放った強矢を、コリナも詠唱して相殺するように星球で打ち弾く。それが二度、三度と続いた。たまたま冴えているにしては出来過ぎな結果を前に、彼女は指先で矢羽を弄る。

 祈禱師はそこまでAGI敏捷性が高くはないので、避けタンクのように矢を避け続けることは難しくいずれ隙を突かれて射貫かれる。なのでコリナは死神の目を利用した予測でディニエルの矢を打ち払いながら、距離を詰め始めていた。


(流石に、他の弓術士とは練度が違う。そう簡単に焦ってはくれないか)


 普通の弓術士ならコリナがモーニングスターで矢を的確に弾きながら距離を詰めてこようものなら、多少は焦って射撃の精度がブレたり判断ミスを犯したりする。こうした形で圧力をかけてミスを誘発させることは、幾度の模擬戦で経験した典型的な勝ちパターンだった。

 だがディニエルは一定の距離を維持するためにバックステップしながら、簡単に距離を詰めさせないよう牽制射撃を欠かさない。空中でも一切体幹を乱さず矢を連射する様は、そこらの弓術士では到底真似できない芸当だ。

 後退しながらの射撃はどうしても精度が劣るので、攻め側はどうせ急所には当たらないと割り切って詰めることが多い。だがコリナの腹や額からは黒い靄が現れ、それをすれば勝負が決することを警告していた。


「っ」


 そんな致命の矢を打ち落とし続けながらコリナがじりじりと距離を詰めていた最中、つま先に飛来した矢が寸での所で木の床へと刺さる。一見するとディニエルが狙いを外しただけの一矢。だが彼女は続いてコリナの足元やメイスを持つ手に狙いを定め撃ち始めた。

 死神の目で見えるのは死の気配。それは神のダンジョンで扱うにつれて他人からモンスター、はたまた自分の死期すら把握しその気配を局所的に見ることも出来るようになった。その能力の発展によりコリナの対人戦には磨きがかかり、最前線組からも一目置かれる存在にまで昇り詰めた。

 だが見えるのはあくまで死の気配だけだ。弓術士の矢がコリナの胴体や頭を貫けば死は免れないが、手足の先が吹き飛ぶ程度ではまだ死から遠い。そのため先ほどの射撃は黒い靄がほぼ見えず、予測が難しかった。


「レインアロー。ダブルアロー」


 死神の目による予測を理解したディニエルは死から遠ざけた射撃に加え、その手数も増やした。いくら必殺の予測が出来ようがそれが全身に数十となれば全てを打ち落とすことなどできない。

 コリナは雨のように降り注ぐスキルによって生み出された矢の範囲から逃れ、その逃げ先に放たれた強烈な連射矢を両手のモーニングスターで瞬時に叩き落とす。

 そこからは一転してコリナが圧力の強い攻めを凌ぐ苦しい形となった。基本的に死神の目で感知できない身体の端を狙った射撃を徹底され、時折確認でもするように致命的な一矢が放り込まれる。


「っぐ」


 その徹底した射撃を避けようとしたコリナの足運びを見込んで撃たれた、セオリー外しの狙い澄ました一矢。それは彼女の足の甲を容易に貫き、縫い留められたように動きが止まる。


「モーニングスロー!」


 追撃の矢が撃たれる前にコリナは手を払うようにして投擲し、ディニエルに回避の一手を取らせた。その間に歯を食いしばって矢を折り、足を上げて引き抜く。


「パワー……」


 とんでもない勢いで飛んできたモーニングスターを避けたディニエルはすかさず追撃をしようとしたが、日が遮られ影が生まれたことで詠唱を中断する。

 苦し紛れに放たれたように見えた星球は彼女の背後にあった木柱を貫通して破壊し、それに支えられていた帆が風のたなびく音を立てて落ちてきていた。


『おぉーい!! どんだけ暴れてんだ! 俺の船がー!?』
「まぁまぁ船長、補填するんで」
『……ったく、ほどほどにしてくれよ?』


 モーニングスローで船に結構な被害が出て骸骨船長は悲痛な叫び声を上げていたが、エイミーが追加で出した宝物を前にすると眼窩がんかの奥で光っている目を嬉しそうに細めた。


「治癒の願い、祈りの言葉、迅速の願い、治癒の祈り、破邪の祈り」
「ツイストアロー」


 そんな騒ぎに乗じて進化ジョブを解除しここぞとばかりに願い始めたコリナの声をその長い耳で聞いたディニエルは、手を組んで祈る彼女をすぐさま殺しにかかる。

 スキルの力による捩れで当たった対象の体を食い破るように進むツイストアロー。しかしそれは死神の目によって予見され、祈るためにモーニングスターを捨て置いた彼女は全力で逃げた。


「ちっ」


 進化ジョブを解除した今のコリナなら矢を打ち落とす力もないので容易く殺せるが、必殺の一撃は死神の目で予見され避けられる。かといって先ほどのような致命傷を避けた一撃では殺し切れず回復されるだけだ。

 一つ舌打ちを漏らしたディニエルは落ちてきた帆を風の属性矢を用いて吹き飛ばし、視界を確保する。そして先ほどと比べてAGIも落ちた彼女と距離を詰める。

 再び進化ジョブになるためには一定の回復量が必要であるが、モーニングスターに自分で頭を打ち付け血を流しているコリナはその要件を満たしている。ただ祈祷師は白魔導士と違い回復の願いが叶うまでラグがあるため、まだ回復できていない今が絶好の機会であることは間違いない。

 その間に死神の目で予見できようが避けられないほどの近距離で殺すか、最低でも部位の欠損はさせておきたい。そのためにもディニエルは臆することなく前に出た。

 だがもしもその途中で回復が済んで進化ジョブに切り替えられれば、その詰めた距離分が途端にコリナの有利に置き換わる。なのでディニエルはか弱く逃げる兎が熊に化けた時を見越し、あくまで安全な距離を維持していた。

 そして祈禱師の願いが叶うであろう時が経つと、ディニエルは最後の追撃を以て反転し距離を離した。それと同時に聖なる波動がコリナに舞い降り、彼女は狙われた頭を横に引きながら矢を右手で掴み取っていた。


「熊より質が悪い」
「むぅん!!」


 十数メートルは離れているのでディニエルのぼやきはコリナに聞こえなかったが、悪口であることは何となくわかったのか手に持っていた矢をお返しするように投げつけた。

 コメント
  • 匿名 より: 2024/04/05(金) 10:19 AM

    「むぅん!!」
    作画:原哲夫or板垣恵介

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