第585話 どの口が
ゼノ工房でドワーフと決裂した翌日に努は早速ギルド第二支部にいたヴァイスたちに話しかけ、昨日の出来事について説明した後に天空階層の宝箱から引き当てた各々の装備に刻印することを提案した。
それから数日もしない内にその提案は通り、努は装備への刻印を済ませた。ただドワーフと一悶着はあったのか紅魔団のクランハウスを努が訪れた際ヴァイスの顔色は優れず、当人のミナもアルマの影に隠れて様子を窺うばかりだった。
だがそれでもアルドレットクロウの探索者から命が狙われるかもしれない状況において、ツトム製の刻印装備があるのが心強いのは事実だ。そのため紅魔団は装備と刻印油に努個人への報酬を提供したが、彼は自前で手に入れていた浮島階層の刻印油を用いて無償で済ませた。
「対人用は一先ずこんな感じで大丈夫ですかね」
神のダンジョン外では蘇生ができないため、最も危ういのがクリティカル判定を受けての即死である。たとえVITの高いタンクでも同レベルのアタッカーならば首への強烈な一撃は致命傷になり得る。
そのため努は深淵階層用の仕様に近しいものを組み合わせて刻印した。クリティカル判定の縮小とダメージ軽減に、一定の確率でダメージそのものを軽減する精霊の加護。それにVIT上昇と精神力消費の減少。
そういった防御寄りの刻印装備とそれに類する武器を九人分、速やかに提供した。武器と防具を合わせた合計の刻印数は14枠と、現状の環境では最高峰と言ってよい。
そんな中でヴァイスは不死鳥の魂の効果で現状では不死とのことなので、彼にだけは違う刻印を施した。主に精神力消費の軽減や、稀にスキルの精神力消費を無効化する精神の気まぐれ。
それに装備再生というマイナーな刻印も施した。神のダンジョン内なら死亡判定を受けると敗者の服が自動的に付与されるが、外のダンジョンではそうもいかない。仮に死んで蘇ってもすっぽんぽんは困るだろうとのことで、少々刻印枠は食うが彼にとっては有用であろうそれを付与した。
「……感謝する」
そんな装備が納品し終わり翌日には出立という中、紅魔団のリーダーであるヴァイスは数時間かけて刻印を済ませた努と連れの職人たちにそう述べて頭を下げていた。ただその隣にいたアルマは呆れたように努を見下げていた。
「あんたねぇ……。一体どういう風の吹き回し?」
「最近になって紅魔団とアルドレットクロウどっちの味方だって問われたから、素直に答えただけだよ」
「ならドワーフたちといざこざを起こさず、アルドレットクロウに刻印装備を渡さないで欲しいんだけど? うちのクランリーダー、死なないのに死にそうな顔してるわよ」
先日の伝説的なドワーフに対する失礼な態度で怒り狂う二番手とそれ以下の者たちの説得に、口下手のヴァイスが苦労したことはその顔色からして明白だ。そういえば昨日の伝説的なドワーフとやらも彼のように寡黙だったなと努は思いながらも、文句を言ってくるアルマに鼻を鳴らす。
「先に舐めた口聞いてきたのはそっちのドワーフだし、それは自分たちでどうにかしてくださいよ。それにアルドレットクロウには一着しか刻印装備渡してないですし、紅魔団に僕が入れ込んでるのは誰でもわかるでしょ」
「入れ込むならどっちかにしなさいよ」
「それ、フェーデからも言われそうで今から気が重いんですよね」
「そりゃそうでしょ。あの人たちからすれば敵に塩を送ってるようなものよ。それにしても――」
アルマはそう言って自分の腰辺りに抱きつく形で隠れていたミナをずいと前に押し出した。三年前と変わらず少女の見た目を維持している彼女は大きな岩をどかされて日に晒された虫のように驚き、日陰に戻るようにアルマを盾にする。
「本当にヴァイスの言う通りあんたがこいつに同情的だとは思わなかったわ。それこそアルドレットクロウに密輸してでも殺しに来る血も涙もない奴だと思ってた」
「血も涙もありますよ」
「そりゃ、オルファンとの戦闘記事で多少は認識も変わったけど、ヴァイスの前で害虫駆除とのたまうくらいでしょ? 私でもそこまでは言わないわよ」
「……いや、ぜんっぜん言ってるし!! この前もうるさいから虫除けのお香するとか言ってた!!」
紅魔団の中では最も自分に辛辣であろうアルマの信じられない口ぶりに、ミナは思わずといった様子で目を見開き突っ込んだ。だが努の生暖かい視線を察するとすぐに顔を引っ込めた。
「相変わらずデリカシーがなさそうで何よりだね」
「クソガキに変な気を遣っても付け上がるだけよ。それにミナはハーフエルフみたいに身体の成長が遅いだけで、歳自体は12になったしね。そろそろ物の分別も付く頃よ」
「あー、なるほど」
良く言えばヴァイス、悪く言えばルークと同じであるミナの外見事情に努が得心のいったように頷くと、アルマは少し目線を逸らした後に黒い長髪を払った。
「ま、それはそれとして礼は言っとくわ。ありがとね、このクソガキに肩入れしてくれて。正直助かるわ」
「あ、ありがとう、ございます……」
アルマはそう礼を言った後に促すようにミナの背中を押すと、彼女も続いてたどたどしく言葉を続けた。
「お礼はユニークスキルの検証でいいかしら? 龍化も興味津々だったって聞いたけど」
「蟲化も多少興味はありますけど、別にPT組めるわけでもないですしそこまでですね」
「なら帝都から帰ってきた時には貸し出してもいいわよ? 無限の輪は今、アタッカー枠空いてるでしょ?」
「えっ」
いつの間にかクラン間での人材派遣が決められそうになっていたミナは、呆然とした顔でアルマを見上げる。それから少し無言が続くと、助けを求めるようにヴァイスの方へと振り返った。
「……あまりミナを身内だけに留めるのもな。無限の輪なら悪いようにはしないだろう」
「浮島階層終わった後は一度空くと思うんで、実際のところ行けますね」
「そ、それが目的!? じゃあ返す!」
「ごめん、冗談なんで、それは受け取って下さーい。逆に返されてもそれを装備できる人いないんで」
「…………」
そんな二人のやり取りを聞いてすぐに持っていた小盾を突き返してきたミナに、努は子供サイズの装備を受け取っても困るのでと断った。
「でもそろそろ外に出してみるのは本当にいいんじゃないかしら? 無限の輪ならガルム辺りが責任持って管理してくれそうじゃない? 万が一の戦力としても申し分ないし」
「ま、今日は大分長居しちゃったんでその話は追々で。それじゃ、帝都遠征頑張ってくださーい」
無限の輪にも元アルドレットクロウであるリーレイアとハンナがいるし、ミナに対する解釈も一枚岩ではない。なので努は話を濁しつつ足早に去って行った。
そんな彼が立ち去ってからようやく緊張の糸を解いたミナは、刻印の刻まれた小盾に視線を落とす。
「……なんで、あのお兄さんは味方してくれたの? それも今になって」
今置かれている自分の立場が危ういことは、ミナも子供ながらに理解はしていた。だからこそ、そんな自分に肩入れしてくるような人は何か理由があるはずだ。
それに何故この危ういタイミングで刻印装備を渡してきたのかも、ミナからすればよくわからなかった。それこそ恩でも売りたいなら、あの憎きウルフォディアに有効という呪寄装備をくれた方がよほど有効だ。
そんな疑心暗鬼に陥っている彼女に、アルマはあっけらかんと話す。
「単純に同情されてるだけじゃない? 命まで狙われてるのを見過ごしたら寝覚めが悪いとか、そのくらいの理由な気もするわ。ま、色々とラッキーだったわね」
「…………」
そう言い切るアルマの物言いに、ヴァイスはもう対人トラブルは懲り懲りだと言わんばかりにため息をついた。
現実じゃ何もできんネット弁慶だからこんなとこで粘着してるんだぞ