第593話 俺の意識が残っている間に
「えっと、僕は先帰っててもいいですかね? ちょっと予定あるので」
ユニス率いるシルバービーストの三軍PTが先んじて席に陣取っている中、PT契約の解除を済ませたダリルは気まずそうな顔をしながら尋ねた。そんな彼に努はやってんねぇと言いたげな笑みを浮かべ、軽く手を振った。
「全然いいよ。別に大した話でもないだろうし」
「はぁー!? まだ誰も突破してない170階層の貴重な情報なのです!!」
「そんなに貴重ならどうせ明日の朝刊に載るしね。わざわざ皆で残る必要もないよ」
その狐耳により多少のひそひそ話は意味を為さないユニスの咆哮に、努は流し目だけ返しながらダリルに先の予定を優先するよう言った。
「でしょうね。では私も今日は精霊術士たちとの食事会がありますので、お先に失礼します。今日はレヴァンテから雷鳥までてんこ盛りでしたからね。皆も今頃口を開けて待ち望んでいることでしょう」
リーレイアも同業者たちと精霊談義をしていた方が遥かに良いと思ったのか、ユニスの癇癪に目もくれずギルドから出ていった。それに続いて神台を見て彼が帰ってくるのを見計らっていたであろう幼い孤児たちにダリルは目配せした後、鎧を外すため更衣室へと向かった。
ガルムもそんな孤児たちを近くで見守っていたギルド職員や警備団員に目礼しつつ、藍色の犬耳を片方だけ折り曲げた。それに警備団員の獣人たちは習い、門番の竜人は気にしてなさそうに首筋の鱗を掻いた。
「それじゃ、ガルムは残るとしてソニアはどうする? 知り合いはいるみたいだけど」
「せっかくだし残ろうかな。実際、ユニスPTがどうなってあんな様子になってるのか気になるし」
やけくそ気味のユニスはまだしも、ソニアの見知っているシルバービーストの獣人たちもやけに落ち込んでいる様子なので170階層で何があったのか気になるところではあった。
それから食堂のおばちゃんに適当な料理と飲み物の注文をつけた努は、番号札をもらいユニスたちが座っていた席に同席した。そして彼女が噴火でもする勢いで話し出そうとするのを煩わしそうに止める。
「まず前提だけど、僕は骸骨船長が絶対にどうこうなるなんてわかってたわけじゃないからな。だからユニスには可もなく不可もないことしか言ってないし、騙した覚えはないね」
「……でもツトムが噂通り神の子ならわかってるのも頷けるのです」
「おぉ、哀れな人の子よ」
「…………」
「レオンレオンとあれだけ擦り寄っていたのに、鞍替えて帝都で過ごした哀れな人の子よ。彼のものにはあれだけ一途を求めたが、自身の行動はまるで逆。神の子としてもその所業にはドン引きしているところです」
「う、うぅ、うるさいのですぅ!!」
初めこそ努の小芝居を冷めた目で見ていたユニスだったが、そんな言及を当の本人から突き付けられた途端に狐耳を全開に立てて抗議した。その様子をガルムはあまりにも惨いといった顔で見つめ、ソニアは瓶で運ばれてきたオレンジジュースやらワインやらを席に割り振っている。
そのボトルやグラスの割り振りを手伝っていたクロアは、黄土色の垂れ耳をひょこひょこと動かしながら努に尋ねる。
「結構良さげなやつが多いですね?」
「安っぽいやつよりは好きでしょ?」
「大好物です。ありがとうございまーす!」
ボトル片手に満面の笑みで感謝してくるクロアに、努の頭の中にアイドルとは何ぞやという哲学が一瞬回った。
「それじゃ、乾杯―」
そして総勢8名に飲み物が行き渡ったところで努は乾杯の音頭を取り、手始めのオレンジジュースを飲んだ。ガルムはゼノに教え込まれたワインを口にし、迷宮都市においては成人扱いである16歳のソニアは飲み慣れないカクテルにチャレンジしていた。
「で、170階層で何があったわけ? 宝煌龍の瞳は手に入れたみたいだけど」
「…………」
「クロア」
「おっ。仕方がないですねぇー」
思考停止状態のユニスが喋らなそうなのでクロアに話を振ると、彼女は呼び捨てにされて満足そうに頷きながら今日の170階層で起きた概略を説明した。
ユニスPTの宝煌龍採掘は順調だった。骸骨船長との関係が良好なこともあり努たちとは違い水晶体の討伐にも協力的だったので。初めから大砲での砲撃で数を減らすことが容易だった。
水晶体の数は宝煌龍の体の端に近づくほど密度を増す。その中でも瞳の黄玉、金剛石の歯、舌の紅玉など様々な宝石が集まっている顔は最も守護が手厚い。それに宝煌龍も口から金貨のブレスを吐くので、協力的な骸骨船長の存在があってもその付近に着陸するだけで苦労した。
ただそれでも宝煌龍の宝物を納品して限界まで設備を強化し、それに大規模な刻印まで刻み限界突破した飛行船の存在は大きかった。その飛行船の動力を駆使して展開される敵からの砲撃を防ぐ障壁は宝煌龍のブレスをも防ぎ切り、瞳の採掘時間も大幅に短縮していた。
そうしてユニスPTは宝煌龍の瞳である黄玉を見事納品し、ブチ切れた様子の水晶体たちを尻目に空へ逃れることができた。
『なぁ、これならもう一つの瞳も手に入れられないか?』
節目が変わったのは骸骨船長のそんな台詞だった。それにユニスは難色を示した。
「いや、流石にまたあそこに行くのは無理なのですよ。宝物も結構使っちゃってるですよね?」
『……ま、引き際は大事だな。顔付近はもう無理か。なら一旦背中辺りで宝物納品してくれねぇか? この瞳に手を付けたら本末転倒だからな』
「いいのですよ」
それからユニスたちは宝煌龍の背中付近で宝物を納品し、飛行船の動力源を確保させた。ただその時点でPTメンバーであるクロアや灰色の猫人は嫌な予感を募らせていた。
「それじゃ、黒門よろしくなのです」
『……確かに瞳の黄玉は最高だ。でも、何か間違った骨を繋いじまってるような、変な違和感があるんだ。……顔は無理ならせめて尻尾はどうだ? 宝煌龍の尾は白金で出来てるらしい。それを手に入れれば、この違和感が拭えるかもしれねぇ』
その要求は宝煌龍の宝石を全て掘り尽くすまで続くのではないか。そう予感したクロアが口を挟もうとしたが、ユニスはあっけらかんと口にする。
「なら一度黒門出してもらっていいです? で、明日に瞳を2個取ってみるです。多分、一個だけだから違和感があるんじゃないです?」
そんなユニスの提案に骸骨船長は嬉しそうに眼光を細めたが、残念そうにその光を消す。
『そう言ってくれるのは船長冥利に尽きるが、お前たちは旅人なんだろ? 黒門を出したところで帰ってくる保証はない』
「えぇー? それは話が違うのです。元々、宝煌龍の瞳を納品したら黒門出すって約束だったのです。約束破るですか?」
『宝煌龍の瞳を手に入れて前提が変わったからな。どうやら俺はお前らの言うところの階層主? ってやつらしいぜ。つまり、俺が死なない限りこの先に進む黒門は現れないってわけだ』
骸骨船長は宝煌龍の瞳を納品されたことがトリガーとなり、忘却していた自身の立場を思い出し始めていた。そして神のダンジョンに存在するモンスターと同様に芽生えた、探索者を排除する本能を押さえつけながら何とか会話を続けていた。
『戦闘の準備をした方がいいぜ。階層主としての本能ってやつか? 今にもてめぇらをぶっ殺したい気持ちで溢れてる。なんなら俺の意思が消えるまでにケリをつけてくれ。俺もお前らを殺したくねぇ』
「ユニス……」
こうなってしまえばもう戦うしかないと思ったPTメンバーは、困惑しているユニスに覚悟を決めるよう声をかけた。だが彼女は瞳を震わせながらそれを拒否した。
「なら帰還の黒門! 帰還の黒門を出すのです! 一旦落ち着くのです! そうすればどうにかなるのです!」
『……問題の先延ばしにしか、ならねぇと思うがな』
骸骨船長は空洞の眼窩にある掠れた光を何とか維持しながら、ユニスの要望通り帰還の黒門を出現させた。そして仲良く会話までしていた骸骨船長の敵対に愕然としている中、ユニスの矛先は努に向かった。
「いや、何でだよ」
突然白羽の矢が立った努からすれば当然の突っ込みに、ユニスは淀んだような瞳を返す。
「船長に悪気とかは一切なかったのです。瞳を納品してからおかしくなったのです。ツトムが先行してたらこうはならなかったのです」
「責任転嫁の論理がぶっ飛んでるな。急にぶん殴られた気分だよ」
「お前が高笑いしてる姿が一番に浮かんだのです。だからツトムが黒幕なのです。船長は悪くないのです」
「夢で誰かに罵倒されたら本人に怒るタイプ? 凄いね」
とはいえ努は完全に論理が破綻しているユニスの不幸姿を肴に今もうきうきでワインを飲んでいるので、彼女の主張は意外にも筋が通っていた。ただガルムの視線が厳しくなってきたのでちょっとした進言はすることにした。
「フェンリルの前例を見るに、一度敵対してから仲直りするのは無理っぽいよね」
「ですよねぇ」
「169階層とかに行っても飛行船が階層主化してるかは気になるね。あとはPTメンバー変えたら飛行船リセットされるかとか、色々試してみたら?」
「……確かに、まだ倒さなきゃいけないと決まったわけじゃないのです」
「十中八九無理だと釘は刺しとくよ。また騙されたとか言われるのもたまったもんじゃないし」
「……なら、今日は飲んで忘れるのです。じゃなきゃやってられないのです……」
そのことはユニスもある程度察しはついていたのか、努と同じワインの瓶を引っ掴むと煽るように飲んだ。それに続いて一様に酒を煽り始めた他のPTメンバーを前に、ソニアはこうはなるまいといった顔をしていた。
ユニスとツトムのお互いに分かりあったじゃれ合いホント好き