第600話 死なばもろとも
リーレイアたちはギルドに帰還し神台を見ていた探索者やギルド職員からの軽い慰めを流しつつ、すぐ魔法陣の列に並び165階層へと転移した。
『……?』
飛行船にモンスター化の症状が見られその性能が格段に上がっているとはいえ、165階層では以前と変わらず駆動機関に故障が発生する。宝煌龍の後で再び旅人とそんな階層に連れてこられた骸骨船長は、わけがわからなかったのか故障のアナウンスも忘れて困惑していた。
そして旅人たちは特に何を話すわけでもなく飛行船をさっさと出ていき、骸骨船長は浮島に不時着してポツンと取り残された。
『……いや、まさか。そんなこと……』
何故旅人たちがここに戻ってきたのか、骸骨船長は初めわからなかった。だが何も言われず一人置いて行かれて何十分も経つ間に思考は巡り、思わず嫌な予感を否定する言葉が漏れる。
駆動機関がイカれて空を飛べない時に限って出現した、自分を飛行船ごと食らわんとする巨大な宝箱の化け物。以前には浮島ごと落として消滅させ事なきを得たその存在を思い出した彼は、カタカタとあばら骨を震わせた。
浮島に不時着して一時間後。かなりの遠方に巨大な黒い宝箱が飛来し浮島が揺れた。だが以前のように浮島がぱっくりと割れることはなく、その微かな衝撃音だけが響く。そして骸骨船長の予感を現実にするその足音は、時が過ぎるにつれて近づいてきていた。
『こんなことして、脅しのつもりかよぉ!? ふざけんじゃねぇぞ!!』
そして緑色の泡を吐きながら飛行船を食らわんとする巨大ミミックがいよいよ目視できるまで近づいてきたところで、骸骨船長はそれを引き連れるようにフライで飛んでいる旅人たちに角笛越しで叫び散らした。
そんな旅人たちは這う這うの体で動いていた巨大ミミックを一先ず置いていき、鎧を着た騎士とねずみは引き連れていたモンスターの討伐にかかった。そして二人の旅人は速度を上げ、骸骨船長のいる飛行船の先頭に着地する。
「先ほど何か仰っていたようでしたが、私たちには聞こえませんでした。何を仰っていたのですか?」
『……姐さん。どういうつもりだよ?』
旅人の中でも見所のあった緑髪の少女にそう問いかけると、彼女は小首を傾げた。
「このままあのミミックに食われるか、瞳を納品してその難から逃れるか。そういうことですよ」
『そういうこと? その後旅人のお前らに首の骨を折られる予定がなけりゃ、いくらでも納品してやるさ。……なぁ。今からでも間に合う。話し合おう。俺たちはまだモンスターじゃねぇだろ?』
「……貴方の立場には同情する余地はあります」
苦々しい顔でそう言った姐さんに、骸骨船長の目がパッと輝く。だが彼女は損切りでもするような無表情になり、船内に転がっていた宝煌龍の瞳を見据えた。
「ですが、宝煌龍の瞳を話もせず納品して勝手にモンスター化したのは紛れもなく貴方です。自分は身勝手な判断をしておいて、こちらには誠意のある対応を求める。筋違いだとは思いませんか?」
『……確かに、欲に流された俺の責任もある。そこは、申し訳ねぇ』
骸骨船長は勝手に瞳を納品したことをまず詫びた。ただ下げていた頭を上げた彼の表情は、不審そのものだった。
『でもよ、姐さんたちは多分わかってたよな? あの瞳を納品したら俺がこうなることをよ。その俺を倒して先に進もうって魂胆だったんだろ?』
「確信していたわけではありませんが、そんなところだろうなという予感はありましたよ」
『なら、何でそれを話してくれなかったんだ。……そりゃ、瞳を納品したのは俺が悪いさ。欲に負けたのも事実だ。でもよ、こんなことになるかもしれねぇって少しでもわかってりゃ、思い留まるくらいはしたと思うぜ』
「……それなら、一つ提案を」
そんな骸骨船長の懺悔にリーレイアが新たな提案をしようとしたところで、空気に徹していた努が口を挟んだ。
「もう余計なことは言わない方がいいよ。どうせ無駄だろうし」
「…………」
『おいおい、随分な言い草だな?』
「そろそろここから離れなきゃいけないしね。バリア」
そんな努の無機物でも相手にしているような呟きと共に、その背後から絶望の足音が飛来した。毒によって体を蝕まれながらも箱底の触腕を使い飛んできた巨大ミミックは、ご馳走を目の前にしたように緑色の涎をまき散らしている。
「あと一跳びってところかな」
巨大ミミックが飛来した風圧をバリアで防いでいた努は、そう目測を計りながら呟く。その死刑宣告に骸骨船長は軽口を叩く余裕もなくなったのかその骨々を震わせている。
『姐さん!! 頼む、助けてくれ! 死にたくない!!』
「…………」
「行くよ」
『あんなのに食われて死ぬくらいなら、俺はこんな瞳いらなかった! 今持ってる宝石も全部渡すから!! 頼む、助けてくれよぉ!! こんな死に方、あんまりだろぉ!!』
そんな命乞いをオーケストラの奏でる音楽のように目を閉じて聴いていた努は、神の眼を連れてその場を離脱する。そして神の眼に声も届かなくなったところで、リーレイアは獣人にも聞こえないような声量で囁く。
「あのミミックに食われれば、助かるかもしれません」
『は……?』
「まぁ、信じられないでしょうけど。私でも信じません」
そんな心の保険をかけたリーレイアは取ってつけたような笑顔を見せた後、案山子のように刺さっている骸骨船長を引っこ抜いて逃げるよう促した。そして唖然とした様子の彼を置いて離脱すると同時、入れ替わるように巨大ミミックが飛び上がった。
『ぎっ、うぎゃああぁぁぁ!!』
巨大ミミックに飛行船の先頭をかぶりつかれたと同時、骸骨船長は本当に食いつかれたような叫び声を上げて倒れこんだ。
骸骨船長は飛行船と痛覚を共有しているわけではない。なので浮島から落ちようが海賊船レースで砲撃されようが関係ないが、こと巨大ミミックだけは違う。こいつに食われたら自身の存在そのものが毀損される確かな予感があった。
そしてその牙は骸骨船長の存在を明確に抉り取り、足でも食い千切られたかのような喪失感が彼を襲った。もうその足は捕食されて戻ることはない。
そのままけんけん足のような状態で骸骨船長は必死に船頭から逃れ、彼女の言葉が全くの嘘であることをその身で悟る。今も巨大ミミックにばりばりと食われている飛行船に応じて、自分の存在そのものが消えていく。
『そうかよ。なら心が死ぬまでぶっ殺し続けてやるよぉ!! 俺も散々我慢してたところだしなぁ!?』
骸骨船長は呪言を吐き散らし、その目の光を消して宝煌龍の瞳を納品した。すると165階層は24時間制限の黒でも落ちてきたかのように一瞬暗転し、すぐに復帰した。
『アアアアァァァァ!!』
骸骨船長はその空洞化した眼窩に宝煌龍の瞳が埋め込まれ、復活した幽霊船の前面にその巨大な顔を露わにして階層主と化した。その姿を見た巨大ミミックはようやく主人を見つけた犬のようにか弱い鳴き声を上げた後、散々飲まされた毒ポーションにより毒殺された。
その階層主化で神の眼は一番台に切り替わり、旅人たちは戦闘態勢に入った。
――▽▽――
時は少し遡り、思いがけぬリーダー手当で張り切っていたリーレイアが170階層の攻略プランを提案していた時。宝煌龍の瞳が二個納品されず階層主化しなかった時のB案を見た努は唸っていた。
「骸骨船長に巨大ミミックで脅しをかけるの、いいね。これなら階層主化せざるを得ないでしょ」
「もし大人しく食われたとしても、それで検証は出来ますからね。とはいえ、それこそ死ぬほど嫌がっていましたから有り得ないでしょうが」
リーレイアPTが浮島落としで巨大ミミックを討伐する際、骸骨船長は何よりも食われることを恐れていた。そのため失敗した際は飛行船を落として巨大ミミックに食われないよう配慮していたが、彼の怯え具合は印象に残っていた。
「実際、食われたら骸骨船長の人格が失われて生まれ変わる可能性があるし。そうなると瞳の納品もリセットされるかもしれないしね。どっちに転んでも良さそう」
165階層を突破したPTは概ね骸骨船長からの好感度が跳ね上がる。モンスターに食われかけているお姫様を助ける強制イベントのようなものなので、それは当然である。
ただその強制イベントまでは骸骨船長に探索者たちが特定の名を呼ばれることはないため、巨大ミミック討伐に失敗して食われても飛行船の設備がなくなるだけで好感度のリセットまで入っているかはわからない。
巨大ミミックによる飛行船の捕食は、設備だけでなく骸骨船長の好感度や階層主化をもリセットする効果があるのではないか。それがゲーム脳である努の見立てであるため、骸骨船長が食われるのを嫌がって階層主化してもいいし、食われてもリセットが入るかの検証が出来るのでどちらに転んでもいい最高の案だった。
「でもこれ、観衆から凄い不興買いそうじゃない? 大丈夫そ?」
人の言葉を話す骸骨船長相手にそんな所業が許されるのかと問うソニアに、リーレイアは何を今更といった顔で答える。
「ガルムたちは気まずい顔でも浮かべていれば問題ないでしょう。二人は元より不興を買っていますし、関係ありませんね」
「そういえばソニアって、なんであんなに一部のお嬢様方から嫌われてるの?」
「……それには深ーいわけがあって」
ソニアがドブネズミどうこう言われているのを神台市場で耳にしていた努の問いに、彼女は涙ちょちょ切れといった顔をした。それにリーレイアは呆れ顔でその訳を話す。
「あまり深い訳ではないですが、ソニアも一部の観衆から言われているように初めからくんくん変態少女だったわけではありません。元々、ソニアは一般的なシルバービーストの孤児と同じようなものでしたし、ガルムへの態度もそれに近しいものでした」
「くんくん変態少女って、ドブネズミより酷くない……?」
そんなソニアのショックを受けた顔を微塵も気にしていない様子で、リーレイアは話を続ける。
「普通の孤児が探索者として強くなって、憧れのガルムとPTを組んだ。ただのよくありそうな美談ですが、その様子を快く思わない女性ファンは意外と多かったようで。ぽっと出のネズミがガルムに色目を使ってるだとか、普通の探索をしていても好き放題言われるようになっていました」
「初めは気にしないようにしてたんだけど、事あるごとに言われてシルバービーストにまで怪文書やらなんやら送りつけられちゃってさ。それならもう消えた方がいいかなーって」
良識的な観衆が大多数であるが、その母数が増えれば一人や二人は質の悪いファンが発生してしまうものだ。そして遂には自分を拾ってくれたシルバービーストにまで迷惑をかけてしまったソニアは食事が喉を通らなくなるほど追い詰められ、探索活動も休止した。
「でもさ、それでもずーっと言ってくるからさ。多分私がずっと消えても変わらないんだろうなーって。だったら徹底的に仕返ししてやろうと思ったんだよねー。クソババァ共に」
だがそれでもシルバービーストへの抗議が止むことはなかったので、ソニアは窮鼠猫を嚙んだ。ガルムの頭くんかくんかである。
「で、ドブネズミって呼ばれるようになったってわけ。これからもドブネズミとして小汚く生きていく予定だよー」
「ガルムへの接触は初めこそ仕返しの行動でしたが、次第に自身の欲を満たすためだけになっていきましたね。被害者ではありますが、今となっては立派な加害者です」
「中でも犬人は格別だね。死の窮地から救ってくれた安心の匂い。ダリルもガルムの弟子なだけあって中々の素質を秘めてるね」
「おー、人一人救ってるじゃん。誇りなよ、その臭い」
そんな努の戯言に、二人はふさふさの尻尾を振って彼のふくらはぎを強く引っ叩いた。
くんかくんかは幸せ
分かる