第604話 お見送り

 

 努が大規模な障壁展開をダリルの懐で防ぎ、同じくガルムの懐に収まっていたソニアが四等分にされていた頃。フェンリルに首根っこを掴まれて逃走を余儀なくされていたリーレイアは、その態勢のままシルフに追い風を吹かせて尚も続く障壁から逃げていた。

 ただいつまでも咥えっぱなしの態勢では逃げ切れないと察したのか、フェンリルは渋々と首を横向きにしてリーレイアに背を掴むよう促した。それに彼女は鼻血でも出そうな顔で従い、騎乗用具を掴み氷狼に初めて跨った。


(……これ、浮島全域にまであるのでは? この状況こそありがたい限りですが、その後は困りますね)


 普段はここまで近づけもしないフェンリルへの騎乗は役得すぎてにまにましてしまうが、もう浮島の半分ほどは走っているにもかかわらず光の結晶が見えなくなることはない。

 そしてそれは浮島よりはやや小さい宝煌龍の全長範囲でようやくなくなり、リーレイアとフェンリルはソニアのようなバラバラ死体にならずに済んだ。

 ただ浮島の反対側まで逃げてきてしまったので、この膨大な量の障壁を割りながら進んで合流するのは骨が折れそうだとリーレイアは困ったように息をつく。


『グルゥ……』
「すみません」


 いつまで乗っているつもりだとフェンリルが威嚇するような唸り声を放ち、その背に肌を刺すような冷気が発生し始める。リーレイアが一言謝りすぐに降りると、氷狼は契約主の下に向かうため自身の体に氷の鎧を生み出し障壁を割りながら走り去っていった。


「……走りますか」


 まさか階層主戦で孤独なマラソンが始まるとは思わなかったが、フェンリルの構築した獣道を辿れば早く合流できるだろう。彼女は愉快そうに笑う褐色のシルフを頭に乗せ、フライも織り交ぜて飛ぶような疾走を始めた。

 だがその途中で獣道はあくまで獣道であることをリーレイアは自覚させられた。


(直線上に行くのはフェンリルでなければ無理ですね。慎重に行かなければ合流どころか刻印装備のロストまであり得る)


 突如として発生した障壁に体を貫かれて死亡したカンフガルーと、偶然にも部位一つの切断で済んだ個体。そんなモンスターたちが臨戦態勢でフェンリルの構築した獣道をうろついていた。

 そんな中でリーレイアがおめおめと姿を晒してしまえば初めこそどうにかなるが、その騒ぎを聞きつけたモンスターが寄ってきてしまえば詰みかねない。それにVITの高いミミックなどは無傷かつ臨戦態勢であるため、この障壁がある状態で見つかるのは不味い。

 努が蘇生してくれる一縷いちるの望みに賭けてもいいが、そうすると刻印装備は確実にロストする。いくら刻印士の努がいても今の環境でそれは致命的な痛手になり得るので、リーレイアは隠密行動でフェンリルとは別のルートで合流することにした。


 ――▽▽――


(殺し切りは次かな)


 レイズを通してPTを立て直し骸骨船長の必殺技を中断させていた努は、その後障壁のない上空から飛行船に降り立ち再び頭蓋骨をボコボコしていた。

 ただ今回は船員水晶体が思いのほか厄介というソニアの進言を聞き、そちらにガルムとダリルを派遣しているため火力が足りない。杖で殴るにつれて怒りを溜めるようにわなわなし始めた馬鹿でかい頭蓋骨を前に、努は船内にいる三人に撤退命令を発した。

 骸骨船長の必殺技こそ中断させたが、水晶体が納品した宝物が無駄になったわけではない。触れる者を発狂状態にさせ死に至らしめる瘴気を発しながら、その幽霊船はかつてのように飛行しようとしていた。


「あ、これガン逃げで! 最悪ダリル蘇生かも!」


 即死であろう瘴気を振り撒きながら迫らんとする幽霊船をいち早く察知した努は進化ジョブを使い真っ先に逃げ、その声を聞いたソニアたちもすぐに離脱する。

 障壁を薄い氷のように割りながら幽霊船は進軍を開始し、徐々にその速度は上がっていく。初めこそ遅いがAGI敏捷性の低いタンク職よりは速いであろうその速度を見て、ダリルは早々と替えてもらった刻印付きのタワーシールドをマジックバッグに仕舞い始めた。


「追いつかれそうになったら少しでも止めてみます」
「了解」


 幽霊船の飛行と瘴気がいつまで続くかわからないこの状況では、最悪を想定しておく必要がある。すぐ外せるような装備は外したダリルにマジックバッグを託されたガルムは短く答え、見送るように肩を盾で軽く叩いてフライの速度を上げた。


「えっ!?」
「悪いね。よろしく」


 そして真っ先に逃げたにもかかわらずダリルが装備を外しているのを見て引き返してきた努も、そう言って託すように肩を叩いてから離脱した。


「行けなくてごめーーーん!! 頑張ってーーー!!」


 そんな二人の励ましと遠くから大声で叫んだであろうソニアの微かな声をその垂れ耳で捉えたダリルは、兜鎧の下で困ったような笑みを浮かべた。そして重騎士なだけあってかこのPTの中では最も遅いフライの速度で精一杯逃げた。


「タワーウェル! スーパーアーマー!」


 だが空中にある薄い障壁をなぎ倒しながら飛行してくる幽霊船には速度で負け、ダリルは最後の悪足搔きとしていかりとなることを選んだ。

 以前に落下する飛行船こそ持ち上げてみせたものの、突進してくる幽霊船が相手では為す術もなくダリルはその身が耐えきれない衝撃を吸収してひしゃげた。だが幽霊船は氷塊にぶつかったかのようにその速度を落とし、進路が少し歪んだ。


『オオオオオォォォ!!』


 骸骨船長の意識はもうあってないようなものだが、それでもかつての命の恩人を轢き殺したことに何か感じたのか怨念の声が何処か物悲しい。だが駆動機関が止まることはなく再び進軍を開始した。


「あの判断はどうなの?」


 撤退指示を出した努が私情で引き返したせいで自分だけダリルに直接言えない形になったソニアは、フライで飛びながら恨みがましい目つきで彼に尋ねた。それに努は澄ました顔で答える。


「あぁやって直接励ましてやった方が精一杯足止めしてくれるってわかってたからね。おかげで飛行船の速度大分下がったし、引き返した手間以上の時間は稼げてるでしょ」
「あぁ、うん。神の眼を前に凄いこと言ってる」
「難儀なことだな」


 そんな努の口ぶりにガルムはやれやれといった様子で呟きつつ、眼下に見える手負いのモンスターを一瞥する。


「しかしあれがいつまでも続くようでは危ういぞ。下のモンスターを見る限り、あの黒い気に当たるのは不味い」


 幽霊船の瘴気に毒されたモンスターたちは悶え苦しむよう地面を這いずり、全身から血を噴き出して死に絶えている。それはミミックですら例外ではないので、恐らくガルムでも耐えきれないだろう。


「どうせ最後の悪足搔きだろうし、最悪このまま燃料切れを待ってもいいね」


 骸骨船長の本体を二度に渡ってボコボコにしていた努からすれば、その体力はもう二割もないと目算はついていた。それに水晶体も粗方狩り尽くされ、残った宝煌龍の瞳もその輝きを失っていたので最後の悪足搔きにしか見えなかった。


「あれ、5分で止まるかなぁ」
「それは僕たち次第だね。取り敢えず追いつかれはしなさそうだし、ソニアはあの気に当たらない範囲から攻撃しておいて。ガルムは万が一の待機。僕はリーレイア迎えに行ってくるよ」


 そう言った努の下にフライを使い軽々と跳んできたフェンリルが現れ、褒めてと言わんばかりに黒い鼻先を押し付けた。その背に乗りリーレイアと合流したいことを告げると、氷狼はまだまだ元気そうに長い舌を出してすぐに駆け出した。


「……魔法は通りづらいんだよね?」
「エクスプロージョンでいいのではないか? 爆破は物理的な側面も強い」
「ダリルのためにも頑張りますかっ」


 彼だけギルドの黒門で戻され神台越しに突破を祝わせるのも忍びないので、ソニアは気合を入れて距離減衰のない爆発を幽霊船の前面にある頭蓋骨に浴びせた。そこにはもう障壁は張られていないので先ほどよりもダメージの通りは良さそうだった。


「流石に二度目は駄目ですか」
「え、リーレイア乗せてくれてたんだ。偉いぞ」


 フェンリルが鼻を利かせたことですぐに見つかったリーレイアは、またこの女に跨られることは我慢ならなかった氷狼に口で咥えられる形で運ばれた。そして障壁のない上空に抜けてこちらに退きながら骸骨船長に爆発を浴びせているソニアたちと合流する。


「契約――サラマンダー。契約――ウンディーネ、ノーム」
「意外と時間ないから手早くね。安定した蘇生位置確保したいから」


 数々のエクスプロージョンで既にボロボロになっていた幽霊船への止めは何でも良かったが、リーレイアはエレメンタルフォースの準備をしていた。それに努は蘇生時間の都合もあってかそれだけ言うと杖を細剣に重ねる。


「エレメンタルフォース…………あの」
『…………』


 だが努が契約できたのはウンディーネのみで、フェンリルは契約を破棄せず未だ健在だった。そして三つの結晶化した精霊たちを怪訝な目で見下ろしている。


「……えっ待って」
「さっさと終わらせるよ」


 ただこのまま契約を解除して他の精霊に手柄を奪われるのは癪だったのか、フェンリルは氷の結晶となりその一団に加わった。そしてそれらが回転し精霊輪となったところでリーレイアは上擦った声を上げ、努はさっさとエレメンタル何某を打つよう指示した。


「ス、ステカ見たい! 絶対新しいスキルあるっ!」
「割るぞー。3、2、1」
「エレメンタル……バースト!」


 氷精霊の結晶化など初めて見たリーレイアの懇願も虚しく、努は人質にナイフでも突きつけるように頭上の精霊輪を握った。彼女はフェンリルの精霊スキルを予測して言おうか逡巡しゅんじゅんしたものの、本気で割られそうだったので最高火力のスキルを放った。

 四色の混じった光線に何処か冷気が見えるエレメンタルバーストは、骸骨船長の所々欠けていた脳天を貫いた。そしてその光が骨の中から溢れ出すと共に、幽霊船はみるみる内に氷細工と化した。


「バリア、レイズ」


 幽霊船の勢いが衰え発されていた瘴気も消えたところで、努はバリアで蘇生場所を確保してそこにダリルを蘇生させた。


「それ付けてると本当に天使みたいですね?」
「ここは地獄だぞー」


 まだ精霊輪が頭上にある努は仰向けの状態で蘇生が完了し目を開けた彼を起こしてヒールで労わりつつ、光の粒子を漏らし始めた幽霊船を見送る。


「さて、ドロップ品はなーにかなと」


 階層主といえば極大魔石が付き物であるが、宝箱がドロップしやすい浮島階層なので多少は期待も持てる。そんな努を筆頭にPTメンバーが幽霊船に向かうと、その船頭に見覚えのあるシルエットがあった。

 案山子かかしのような見た目の骸骨船長は枯れ草のように項垂れている。そして努たちを知覚するとその顔を上げた。


「ア――」


 骸骨船長が何かを言おうとした矢先、投げ飛ばされた無骨な杖がその顔面に直撃し砕いた。それを投げた当人はあまりにも綺麗に当たったことに驚いている。


「言い残したいことはあるか? ……なさそうだね」
「……どの口が言ってるんですかね」


 そんな努の戯言に、止めを刺そうとレイピアを抜いていたリーレイアはそう突っ込みながらその細剣を収めた。そして海賊帽子を除いて粒子化し天に昇って行った骸骨船長を憐みの目で見上げた。

 コメント
  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:51 PM

    フェンリルでも人一人咥えながらじゃ逃げきれないなら、他にヒーラー担いで流れるのってレオンとフェーデくらいしかいない?
    フェーデの好感度だと他の誰かを運ばせるのは無理か?
    逃げ切れたとしても、合流がキツイか。今回はツトムラブフェンリルとかいう実質ユニークスキルがいたし

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:51 PM

    まってた

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:52 PM

    完全初見突破ー!これは神台視点が更に楽しみですなー!!
    海賊帽子が残ったってことは、スポッシャー戦のようにイレギュラーな倒し方だったのかな。実は帽子シリーズとかあるのかなw
    努、刻印士としてだけでなくマッサージ士としても稼げそうなのに、人材派遣的な感じで努レンタルを始めたらボロ儲け出来そう。精霊士達がこぞって金出してくれるよ。1日トレーナーとか講師とかもきっと需要ある。
    階層主を一番に初見突破したので、ディニエルも突破した後戻ってくる感じかな。ソニアも良いキャラしてるからクロアみたいにアッサリいなくなるとそれはそれでちょっと寂しくなるな。

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:53 PM

    船長戦のタンクは、タワシ構成で味方を守れる重騎士か、自力で耐えて蘇生できる聖騎士が主流になりそう

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:53 PM

    「ア――アンチテーゼ使わないの?」

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:54 PM

    ソニア好きだな。
    シルバービーストは解散して無限の輪に吸収されないかな。

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:54 PM

    正直、骸骨船長って次から次へと手を変え品を変えだから最後の「アー」も罠にしか見えないよねw

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:55 PM

    ウルフォディア二人攻略を見ていた神運営が、
    「なんでタンク使わんの?なんでアタッカーとヒーラーだけで倒そうとしてるん?」
    ってなってタンク必須ボス出した可能性

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:57 PM

    アスタラビスタ、ベイビー もしくは
    あねさん、パンツ見せてもらって…
    のどちらかやな

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:58 PM

    ダリルが刻印装備ないと紙装甲なの証明したから他のPTが障壁からの砲撃耐えれるかわからなくなったな
    ダリルの刻印装備は努の趣味でアホみたいに金かけてるから他のクランにそれだけ金出せるか問題

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 8:58 PM

    明らかにタンクの見せ場な階層主だったもんねえ
    タンクがあの手この手で乗り切るのは心底カッコイイ

  • ez(ベリーハード) より: 2023/12/11(月) 9:02 PM

    情報量多すぎて観戦組楽しそうだな
    後日談で一番楽しいわこれまではスポッシャーが一番楽しかったけど更新された
    冷凍さん流石や

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:04 PM

    フェンリル「帰らんが?」

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:08 PM

    システム上この階層みたいにどうせ復活して
    ようこの前はやってくれたじゃねーかとか言ってきそう

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:10 PM

    砲撃は基本遠距離職が撃ち落としでタンクが全体障壁をタワーシールドとかでギリギリ耐えるとかが試されそうだけども
    船障壁1回割りで1人船長4人で水晶体と駆動部か宝物壊しまくって砲撃のみに誘導?

    初見撃破できなかったら船長が学習してメタった攻撃とかヒーラー狙いしてきそうで嫌やな

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:11 PM

    2023/12/11(月) 8:50

    ア_I’ll be back(サムズアップ)

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:12 PM

    ガルムの懐……くんかしながら昇天したのか

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:13 PM

    船乗りのタブーみたいな弱体ギミックはあるんじゃないかな

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:14 PM

    何か話してもスカシッペのライダン版メガンテでも撃つ準備にしか見えんしNPCとしても船も宝も溶かした船長とか価値無いからレアドロ残して消えて諸て?

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:14 PM

    更新お疲れ様です。

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:19 PM

    レイピア抜いたリーレイアが近くにいたし、最後の言葉は「アネゴ云々」だったんだろうね、済まねえとかに続いたのかな
    後やっぱ海賊帽子ドロップはスポッシャーみたいな完全討伐報酬か

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:23 PM

    更新お疲れ様です〜

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:24 PM

    アラホラサッサー
    あしたまにあーな

    のどっちかだと思う。

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:25 PM

    最後に「ア」と来ればそらもう「アルテマ」よ
    最後まで初見殺しがいっぱいだね

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:26 PM

    わんわんかわいい

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:29 PM

    階層主になった後は自我が無さそうだから、他のPTの骸骨船長は階層主になる直前までの情報が共有されるのかな。これで階層主としての情報も共有されてたら対策されまくってどう戦えってんだって言いたくなるしな。まぁ階層主にさせるまでの難易度は上がってそうだけど。
    ライダンでの暗黒騎士がどういう戦い方するかは殆ど情報ないから分からんけど、案外この階層で重騎士や聖騎士並みに活躍出来そうな気がする。水晶体倒す役とか、全体攻撃生き残れるならその後の障壁割りとか。カムホムPTの戦い方が見たい!

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:33 PM

    更新助かる
    努と精霊の可能性無限大だな

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:33 PM

    階層主のHPが少なく感じるのは、さりげなく刻印装備の火力がエグいだけじゃない
    あるいは、船を守ってる障壁がとにかく堅くて船自体は柔らかいとか
    障壁の耐久値まで含めたら他の階層主と同じぐらいのHPになると思う

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:38 PM

    ワンコは子供を運ぶ時口に咥えて連れて行くので、それはそれで一部の過激派精霊術師は狂喜しそうですね

  • 匿名 より: 2023/12/11(月) 9:45 PM

    宝煌龍採掘もあったのに
    骸骨船長があんまHP多くても
    コンテンツとしてたるいしな

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