第605話 神台ドーム
迷宮都市の一般大衆からすればその死生観や圧倒的な身体スペックの差など、恐ろしさも垣間見える探索者たち。ギルド第二支部にある新たな神台というものを見てみたいものの、そんな探索者たちのひしめく空間は緊張してしまうのが正直なところだ。
そんな観衆の心情に寄り添って作られていたのが、ギルド第二支部からさほど遠くない位置に建設された巨大な神台ドームである。
神台市場を参考にリデザインして設計され、開閉可能なドーム型の屋根が特徴的なその建物内にはギルド第二支部と同じく画質の良い神台で溢れていた。中央に鎮座している巨大な一番台こそ目立つが、その下に連なる番台も神台市場よりは大きくその席や通路は大幅に拡張されている。
それに人気が高い一、二、三番台は複数台設置が為され、殺人的な混雑の回避に大きく貢献していた。更に開閉可能な屋根を活かしバーベンベルク家の障壁席や、ファーストクラス並みの強気な値段設定の個室VIP席なども出揃っている。
「つまんないのっ!」
そんな神台ドーム内の中でも一番台が見やすい王道の指定席に座っていた男の子は拗ねたようにぐずり、残されていた母親は困ったような笑顔を浮かべながら慰めていた。
無限の輪のファンであるその子のために、今日は少なくないお金を払いこの特等席を用意していた。だが当の無限の輪は170階層から早々に出てしまい、今はどうやらかなり下の神台に映っているようだった。
「三十二番台だってさ。見に行くか?」
「……行く」
そんな無限の輪が映る神台を探しに行っていた父親が帰ってきてそう告げると、男の子は不機嫌ながらも呟いてすぐに立ち上がった。それに三歳年上である姉の女の子はわがままな奴だと首を振り、母親と一緒に残ってアルドレットクロウの二軍PTの様子を眺めていた。
(やったなぁ、これ)
今日が誕生日である息子がお目当ての無限の輪は一番台から早々に離脱してしまい、その思い通りのいかなさに大分ぐずっている。その様子に父親である彼も一緒になってぐずりたい気持ちは湧いていた。
仕事の付き合いでのランチや飲み会の会計を気にするくらいの懐事情である父親からすれば、神台ドームで支払う値段は中々のものだ。四人分の入場料とそこそこ高めな指定席。場内での飲食代も強気な値段設定であり、子供たちには好きに買わせたが親たちは一番安い食べ物と飲み物で済ませた。
それにも関わらず息子は望んでいた映像が見られずご機嫌斜めであるため、父親からすれば大分払い損であるのは否めなかった。
しかしそんな理不尽を前にしても挫けないのが子供と大人の違いである。彼はそれをおくびにも出さず、楽しげに振る舞いながら数十人は余裕で見られる大きさのある三十二番台で無限の輪を観戦していた。
「えっ?」
そしてようやく息子の機嫌が戻ってきて安心していた頃、その映像が突然電源でも抜かれたような音と共に真っ暗となった。しかもそれは三十二番台だけでなく、神台ドームの象徴的な一番台すらも消えていた。他の神台こそ普通に動いているが、その不備にも見える事態に観衆たちはざわめいている。
「あーーー!!」
「あちゃー」
その理不尽さに息子は耐えきれずに大声を上げ、父親はそう漏らしながら彼を急いで抱きかかえた。とはいえ泣いているのは息子だけではない。その異常さに感化された子供たちは不安そうにぐずりだし、警備団員もテロ紛いの事態が起きたのではと身構えている。
父親の判断も警備団員に近しく、何かあってはいけないとすぐに息子を確保して離さなかった。
だがその後一番台は夜でも明けるかのように映像が復旧し始め、そこには急速に変化していく幽霊船の姿が映し出されていた。そして神の眼を見てぎょっとした様子のソニアが近づき、どういう原理だと騒いでいる。
そんな様子を見た観衆たちの反応は二分していた。すぐに三十二番台の席から離れる準備を始めた迷宮マニアやそれに類する者たちと、父親同様よくわからず呆けている者。
「すみません、何が起きたんですかね?」
その身支度をしている中では比較的余裕のありそうだった男性に父親が息子を抱えたまま声を掛けると、彼は泣きべそをかいている子供を一瞥した。そして迷宮マニアがかけがちな眼鏡のズレを直す。
「恐らくですが、無限の輪が相手をしていた骸骨船長が階層主化したので、その影響でここから一番台に切り替わったんだと思います。……これから一番台周りはかなり混み合うと思うので、見るなら早く移動した方がいいですよ」
「……なるほど。ありがとうございます」
父親は子供たちや妻と違いそこまで神台に感心がないので、骸骨船長の階層主化など詳しい事情はわからなかった。だがそれを察した迷宮マニアの補足で話の筋は理解したのか、頭を下げて感謝しすぐに家族と合流するべく移動を始めた。
「助かった……」
そんな迷宮マニアの予言通り、一番台に続く道は父親が通り過ぎて少し経った頃には人でごった返していた。ドミノ倒しが起きて人死にが出ないよう警備団員の怒号が聞こえる中、家族と合流できた父親は安堵の息を吐く。
「良かったね、この席取っておいて。もしあそこにいたらむくれるどころの騒ぎじゃなかったでしょ」
「そうだな」
そしてみるみるうちに自由席が埋まり立ち往生している観衆もいる中、キラキラとした目で一番台を見つめる息子と娘たち。自分にもこんな純粋に物事を楽しめる時期があったかなと父親は思いながらも、妻とこんな子供たちの顔が見られたなら奮発した価値はあったねと笑い合った。
いや、暗くなるのが異常だとすれば、番組が変わる時は突然映像が切り替わって、それが正常なのかな。
だとすれば一個ずつ台がずれてても「他の台は正常」か。