第625話 窮猫主を嚙む
ユニスの少し汗ばんだ頭皮や若干の獣臭がある狐耳に触れた手を流水で洗っている努は、神の眼をクロアに任せて魔道具に水魔石を継ぎ足しているエイミーに話しかける。
「あとは一軍が上手いこと見てくれてることを祈るばかりだね」
「一番台は動画機で録画される流れみたいだし、どちらにせよ大丈夫だと思うけどねー」
「せっかくならライブで見てもらいたいじゃん?」
「うん。効果はわたしが保証するよ~?」
多少なりとも努に好意を持っている者には効果が抜群であることをその身で体感していたエイミーは、その明るい声とは裏腹に真顔で魔道具の中で青い輝きを失っていく水魔石を眺めている。
そんな彼女をガルムは盾を持った状態で見守った後、すぐさまの危険はないと判断し努に目を向ける。
「あまり、追い詰めてやるな」
「おっ」
「……飼い猫は、平気で爪を立てる。追い詰められれば人を食うのも辞さんぞ」
「酷い言い草だ」
ガルムがエイミーをフォローしたことに努は感心したような声を上げたものの、続いた言葉で思わず笑ってしまった。そしてロストでもしたように魔道具をぼんやり眺めている彼女を見やる。
「エイミーも大袈裟に言ってるだけだから大丈夫だよ。そもそも、三年越しの恋愛感情が今も続いてるとは思えないし」
「…………」
そう言われてもあまり信じていない様子のガルムを前に、エイミーはにへらと笑う。
「わかってんじゃーん? ユニコーン好きのワンちゃんにはわからないんだろうけどー」
「……いるんだ。ユニコーン」
「いるよー? 婚前の家族が総出で会いに行く、なんて地域もまだあるみたいだし?」
まだ神のダンジョン内では見たことがないモンスターであるが、外のダンジョンではその姿が確認されているユニコーンが非処女絶対許さないマンのはこちらの世界でも変わらないらしい。
そんなユニコーンの豆知識を語ったエイミーは、言葉を区切ると少し太目に整えられた白眉を下げた。
「ま、そのせいでツトムに迷惑かけちゃったしね。三年空いて感情の整理も出来たし、自重するよそりゃ」
「迷惑かけたのはお互い様でしょ。でもディニエルも帝階層終わった後は帰ってくるし、何とか元通りにはなりそうだね」
「……つまり、また寄りを戻してもいいよ的な? にゃにゃ?」
「付き合ってもいないのに元カノ面、怖いねー」
「でもわたしの部屋に突然訪ねてきて身体触ったじゃん! あれは実質付き合っているとも言える行為じゃなーい?」
「……それ、いつの話だ?」
「いやいやいや!? 代理のギルド長にもなびかずにわたしをまたPTに誘ってくれた! あの運命の日!」
もう五年前近くもなるであろうあの日について朧気である様子の努に、エイミーは信じられないと言わんばかりに目を見開いている。そんな二人を前にユニコーン扱いされて放逐されていたガルムは眉を顰めた。
「元通りになるかは、これからの私たち次第だぞ。あのアルドレットクロウを下し、帝階層主を先に倒す。現状では厳しいと言わざるを得ない」
「ツトムなら大丈夫ですぅ~。ねーツトム~?」
いつもとは立場が違うことが余程嬉しいのか、エイミーは努をべたべたに擁護しながら満面の笑みを浮かべている。それにガルムは飼い主を取られたような苦々しい表情のまま、それに甘んじている努にも厳しい視線を向けた。
「数年迷宮都市から離れていたから知らんのだろうが、ステファニーもカムラも手緩い存在ではない。それはツトムもよく理解しているはずだ」
「ステファニーは言わずもがなだし、カムラも王道の祈禱師じゃ全一だし、厳しい戦いにはなるだろうね」
「勿論、私も最善を尽くす。だがそれだけでどうにかなるとも思えん」
そんなガルムの言い草に、帝都で数年探索者として活動していたエイミーはしょうもなさげに息を吐く。
「迷宮都市と帝都、どっちも経験したわたしから言わせればそこまで差があるとは思わないけどね~。それがツトムなら猶更じゃない?」
「僕も三年間故郷でのんびり家族と団欒、ってわけではなかったからね」
夢みたいなこの世界との唯一の繋がりだったマジックバッグ。それを金貨で満杯にするために努はあらゆる手段を模索して駆けずり回った。結果としてはプロゲーマーとして莫大な賞金を稼いだことでそのマジックバッグを満杯にし、実家に出現した黒門で帰郷を果たした。
だがその道程は順風満帆とはいかなかった。『ライブダンジョン!』で鍛え上げた実力はある程度転用できたものの、別ゲーのプロチームに勝てるほどではなかった。それから努は配信活動で資金を確保しつつ、あくまで数年以内に帰るため異様な努力を重ねた。
(また別ゲーで大会優勝しろってわけじゃないしな。それも今回はライブダンジョンに近しい現実的な競技だし、経験もある)
火竜に食われる探索者を神台で見て死に怯えていた以前ならまだしも、今となっては爛れ古龍を通じてその耐性もついた。そして世界各国の化け物たちとしのぎを削った経験もあるのでステファニーにも勝てるビジョンは浮かぶ。
そんな努の三年間の経験により裏付けされた自信もある発言は、主人を見定める狂犬からもある程度までは信頼されたようだった。
「……ならば175階層でディニエルに証明しなければな」
「あっ、でもすぐには無理だよ? 180階層で勝つの目標でよろしく」
「…………」
「そこは男らしく勝つって言ってあげなよ」
「ステファニーの覚悟キマり具合による」
「直接刺されないといいね」
「でもステファニーは単に同じ弟子枠の不出来な輩には負けたくないって気持ちだろうし、ユニスとキャットファイトするだけじゃない?」
「いーやツトムにも向かうねあれは。気を付けた方がいいよ」
もう自分は前みたいに燃え上がるほどの感情は抱けなくなったが、ステファニーは違うと半ば確信しているエイミーはそう忠告した。
「随分と、楽しそうっすねぇ……?」
そんな三人の姿を模擬戦から一足先に抜け出していたハンナは、木陰から顔を出し恨めし気に見ていた。
その声を二人はその獣耳で捉えてはいたものの、特に触れることもなく団欒を続けた。そしてじりじりと近づいては呟くハンナが努に気付かれるまではその攻防は続いた。
最早ガルムが一番かわいいまである