第627話 抑止力
最前線のヒーラーをたぶらかす悪魔の所業も落ち着きを見せ、努たちPTは175階層の黒門にかけられた南京錠の解除方法について模索し始めていた。その一環としてまず巨大社に巣食う色折り神の動向を調査していた。
ただその調査のために最上階にある部屋の前で待機しているアーミラは、障子のある窓に指で穴を開けて中を覗き見ている努を不服そうに見つめていた。
「……なぁ。ここまで上がってきて、やることが覗きか?」
「他のPTがやってくれないんだし、しょうがないでしょ」
「でもよ、てめぇの趣味も明らかに入ってるよな?」
「いやだなーそんなわけないじゃーん」
努はそう弁解はしたもののインクリーパーが色折り神の体にどういった刻印を施し、それがどのような式神に折られるかは刻印士として興味はあった。それに式神に描かれた刻印の内容を知れば弱点をつくことも可能となるので、調査する価値はある。
しかし探索者が一歩でも足を踏み入れれば色折り神が逃げてしまうため、神の眼だけを侵入させて隠し撮りする方法を取っている。神台市場では今頃その映像を見ている刻印士の迷宮マニアがその紋様を確認し、どの刻印が施されているか精査してくれているだろう。
「…………」
こんなものを撮るために神の眼の技術を上げてきたわけじゃないのにと、エイミーは半ば遠い目で障子ごしに気付かれないよう操作している。ハンナはさして興味のない美術館にでも来たような顔をしており、ガルムは不測の事態が起きた時を考慮して見張っていた。
「紙と筆が乳繰り合ってるのを見せられて喜んでんの、モンスター好きの迷宮マニアくらいだろ」
「最近はそういう動画を上位台に映せることも出来るようになったから、マニアから割と好評らしいよ? カンフガルーの貴重なスパーリングシーンとか、普通は小さい神台でかなり運が良くなきゃ見られないだろうし」
「ババァも一番台デビューしてたしな。年甲斐もなくはしゃいでたぞ」
動画機の出現により探索者でなくとも一番台に録画した映像を流せることが可能になったことで、神台の価値自体は飛躍的に上がった。
現在はバーベンベルク家の官僚が行う税金を用いた公共事業の説明や、警備団、ギルドの求人募集などを動画に撮り一番台から十番台までのいずれかで試作的に流されている。
ゴールデンタイムには視聴率8割を超す一番台で流されるその宣伝効果は尋常ではなく、スポンサー業界には激震が走っていた。
今はまだバーベンベルク家やギルドなど公の団体で占有されているが、動画機の数自体はいずれ出回る。そうなればいずれは企業の宣伝として扱えることも可能になるのは明白なので、既にその枠に入るための根回しが進んでいた。
ただそういったCMのような動画の他にも、今までは低階層のために上位台へ映ることが不可能だった景色やモンスターの生態。それらをギルド職員が撮った動画も観衆からは好評を博し、定期的な配信が熱望されていた。
「深夜の神台も大盛り上がりってか?」
「実際、動画機がある程度出回ったらそうなるだろうね。今でさえ大盛況だし」
そんな話を始めたアーミラと努に、退屈していたハンナはこれ幸いと話に割り込んでくる。
「師匠、やけに詳しいっすね~?」
「ルークとかレオンと入り浸ってんだろ? 結構なこったな」
「深夜にしか開店しない幽冥の高品質なポーションをクランリーダー自ら足を運んで仕入れてるんだぞ? 睡眠時間削って通ってる僕に感謝しろ感謝」
「あたしはポーションあんまり使わないっすもんっ」
「ヒールで寝不足解消してんだろ? 変なスキル技術だけは高いよなお前」
「おい、誰がスキル操作はキサラギ以下だ?」
「いや、気にしてんのかよ。つっても脳ヒール出来る方がよくねぇか? てめぇを見てる感じ副作用もなさそうだしよ」
頭をヒールにすることによる寝不足の解消はアルドレットクロウなど効率的なクランにおいては実用化されていたが、それを数ヶ月行った探索者は軒並み精神に不調をきたし続々と脱落していった。
そんな者たちを軟弱者だと鼻で笑いながら強行を続けた探索者は、異様な手足の痙攣や過食、拒食などを発症し探索活動の長期休止をせざるを得なくなった。その白魔導士でも治せず未だに完治していない者もいる精神的な病を恐れ、探索者たちは脳ヒールを行うことを止めた。
だが努は現代知識による脳の洗浄作用をイメージして脳ヒールを行っているので、他の白魔導士よりも効果が高く副作用も少なかった。それは努自身の人体実験と、脳ヒールの実験台となった中堅探索者で証明されている。
「週に三日くらいなら誰でも問題ないと思うけどね。酒とか煙草と同じようなもんだよ」
「一度吸い出したら止まるわけねぇだろ。舐めてんのか?」
「そういえばアーミラ、吸わなくなったね」
「お陰で体調がすこぶる良くて最高だぜ。この体調を犠牲にしてまた吸ったら気持ち良いだろうなァ~~~。想像するだけで震えちまうよ」
アーミラはここ一ヶ月ほど禁煙に成功しているので既に峠こそ越えたが、ふとマジックバッグをごそごそして煙草を探す仕草はしばしば見られる。そして煙草を入れていないことを思い出してため息までがワンセットだ。
そうこう雑談している内に式神に対する刻印映像は十分取れたので、努は休憩から上がるように身体を伸ばす。
「そろそろ取れ高も問題ないだろうし、取り敢えず一回戦ってみようか」
「ようやく来たね。わたしたちの取れ高が!!」
色折り神とインクリーパーに対しては撤退が可能であることは、先行していたアルドレットクロウの二軍を神台で見て確認している。なので努は気楽に戦闘準備を始め、エイミーは神の眼を戻して嬉しそうに双剣をくるくるさせた。
「私が初めに色折り神とインクリーパーのヘイトを取る。ハンナは後ろの式神を頼む」
「了解っす!」
「今日は様子見で撤退するからそのつもりでね」
タンク陣とヒーラーで軽い打ち合わせも済ませ、ガルムが先頭で最上階の部屋に踏み入る。
「ヘイスト、プロテク」
「コンバットクライ」
槍のように尖った赤い闘気が紙を仕舞いこむ色折り神を暗殺するように突き立ったが、ガルムに敵意を向けることもなく奥へと引っ込んでいく。その代わりにインクリーパーがツレに手でも出されたように怒り狂い、床から生えた筆型の触手が乱舞した。
「コンバットクラーイ!」
その後ろから身をもたげるようにして起き上がってきた式神の数々にハンナも赤い闘気を飛ばしてヘイトを取り、部屋の隅から音も立てずに走るエイミーが式神:鶴の首を双剣で刈り取った。
その間に色折り神の上を滑らかに走っていたインクリーパーの筆先が、穂先が乱れたまま墨汁が固まってしまったような刺々しい形に変化した。それを柔らかな触手の根元で振るい、フレイルを扱うような形でガルムにお見舞いした。
「タウントスイング」
そんなインクリーパーの攻撃にコリナとの模擬戦に近いものを感じながらも、ガルムはその硬質化した筆先を盾で迎え撃ち更にヘイトを稼ぐ。
「一刀波ぁ!」
ラルケにガン処理されたのが余程悔しかったのか最近そのスキルを練習しているアーミラは、フライで飛び上がってから振り下ろす大振りで巨大な斬撃を飛ばした。
屋根と床に切れ込みを入れながら飛ぶ斬撃。しかしそれはインクリーパーに届く前に勢いを無くして消えた。そして切れ込みの入った屋根や床は染み出てきたのりのような液体で補填され、最後には和室の造形に戻される。
「これじゃ無理か」
触手型モンスターは大半がその本体を地中に埋めているため、そこに直接攻撃できるならそれに越したことはない。それこそ槌士のスキルであるグランドクエイクなどで地面を揺らしてやれば、触手型モンスターは溺れたミミズみたいに混乱することも多い。
だがこの一室は色折り神によって作られ、インクリーパーの球根はそれに守られている。なので床を抉り取っての直接攻撃は不可能に近かった。
「神龍化すりゃ届くか?」
「派手にやると千羽鶴出てくるかもしれないから止めときなよ」
「あれはあれでいつか倒してみてぇが、今じゃねぇなぁ」
努に忠告されたアーミラは面倒くさそうに大剣を肩で担ぎ、諦めたように呟いてガルムの援護に向かう。
ステファニーPTが巨大社を空から攻略しようとした際に出現した千羽鶴を、努はズルを許さない抑止力として見ていた。なのでハンナに魔流の拳で巨大社もろともぶち壊させてもあれが出現すると予想していた。
千羽鶴は式神:鶴を無限の如く出現させ、自身は艦隊のように君臨しタンクでも耐えられるか怪しい砲撃をばら撒いてくる。そしてディニエルのパワーアローでも蚊に刺された程度の傷しかつかない頑丈さを兼ね備え、巨大社を守るように鎮座する。
帝階層においてはいずれ攻略しなければならないモンスターなのかもしれないが、少なくとも今戦わなければならない相手でもない。それに千羽鶴まで出張らなくともここで鶴に苦しめられることに変わりはない。
(百羽鶴、完成までの妨害は出来ないっぽいなぁ。少なくともあれは倒さなきゃ駄目か)
色折り神が逃げた奥で作成されているであろう百羽鶴。ガルムの不意打ちコンバットクライでも色折り神のヘイトは取れず、奥の部屋も屋根や床同様に守られているため無理に破壊しようとすれば千羽鶴を呼びかねない。
「師匠! やろうと思えばいけるっすよ!」
「やったら即時撤退になるぞ! やるなよ!?」
「えー!? わかったっす!」
「エイミー! ハンナに魔石拾わせるなよ!」
「りょーかい!」
ここで一発ぶちかますのも悪くないと思っているであろうハンナの返事を一切信用しなかった努は、エイミーに細心の注意を払うよう警告した。
「わっ、わかってるって、言ったのに!」
「わかってる奴の声色じゃないんだよ」
「ひどいっすーーー!!」
そんな彼にハンナは泣き言を喚きながら式神:鶴の光線を避けていた。
「紙と筆が乳繰り合ってるのを見せられて喜んでんの、モンスター好きの迷宮マニアくらいだろ」
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