第642話 理想の朝食
「えっと、大丈夫?」
カムラとルークに見切りをつけてギルドに帰ってきたまではいいものの、まだ探索ノルマを達しているわけではない。そんな現実が頭の裏から追いついてきて白目を剥きかけているセレンの顔を見たエイミーが思わず尋ねると、彼女はその表情をパッと戻した。
「これで突破でもされたら懲戒ものでしょうが、それならば私の見る目がなかったということ。大丈夫です。エイミーが気にすることではありませんよ」
「そう? んじゃ、頑張ってねー」
「…………」
段ボールから抱え上げられて人肌の暖かさを知った後、そっと元の位置に戻された子猫のような顔をしているセレン。そんな彼女にエイミーはくつくつと笑いを堪えながら戻ってきた。
「うそうそ。あの調子で突破も出来なきゃ赤字は確実だろうし、ハンナの分くらいは補填するよ」
ハンナにまんまと片道切符を掴まされて残ったPTメンバーたちは、千羽鶴を相手にまだ勝負を投げてはいない。だが元々召喚士というジョブの関係上魔石を消費するルークに加え、ドロップした魔石を砂に変えていくハンナもいるとなれば黒字になるわけがない。
それに、とエイミーは言葉を続けながらこちらの様子を遠巻きに窺っているアルドレットクロウの情報員たちを横目で見やる。
「ハンナに釣られて目が曇った男性陣を見限ったエイミー。そういう画があれば悪いことにはならないでしょ?」
「もしそういう報告書が上がるのであれば、セレンとエイミーに訂正させますよ。カムラのお育て役は御免ですので」
「なるほどねー。じゃあちょっと無限の輪の方見ていい? ハンナがバテるまで見所なさそうだし」
「問題ありません」
そんな取引も成立しエイミーとセレンはギルドの食堂でコーヒーを買い、努PTが映る二番台が見える席に陣取った。昼休憩でもないこの空いた時間に食堂を利用することにセレンは罪悪感が勝っている様子である。
だが席に着くなりやたらふーふーコーヒーを冷まし始めたエイミーの姿で緊張も取れ、セレンもアイスコーヒーに口をつけながら第二形態の百羽鶴と戦闘中の努PTに視線を移した。
「ツトム、アーミラ、ガルムの安定感たるや。あれこそが最前線の探索者PTのあるべき姿です」
丁寧に挽いた豆をフィルターに入れ、ケトルで小さく円を描くようにお湯を注いで淹れたコーヒー。日の光を浴びて輝く半熟のスクランブルエッグに、オーブンで編み編みの焼き目が付いたトースト。セレンから見た努、アーミラ、ガルムが行う三種の役割はそんな理想形だった。
「それにあの復活ジャンキーがお兄ちゃん以外のヒーラーになびくとは。ツトムは一体どういう手を使ったのでしょうか?」
「まずはホムラちゃんの望むヒーラーを実践してあげて、それで信頼を勝ち取ったとかかなー?」
「出来ることならそこも見たかったですね。何処ぞのお兄ちゃんは妹の支援回復は俺しか出来ないと思ってそうですし。……初見であのホムラに合わせられるのも驚きですが」
あのホムラがリスクリワード運用をせずに普通の暗黒騎士みたいな立ち回りをしていることにセレンは驚きつつ、初めてPTを組む彼女を相手に信頼を勝ち得ていた努に舌を巻く。
リスクリワード運用のホムラに合わせられるヒーラーは、兄が迷宮都市にやってくるまでついぞ現れることはなかった。ステファニーならあるいは、という声こそあったが当時のホムラに一軍と組めるほどの実績はなかった。
それからウルフォディアの二人突破によってそれも叶いそうになったが、ホムラが兄に後ろ髪を引かれたことでその機会は後回しとなった。そして今、彼女は白魔導士の努と組み初めて兄以外のヒーラーに信頼を寄せ始めている。
そんなホムラが単身で舞うように百羽鶴を削っている最中、色折り神の祈りに馳せ参じた千羽鶴が部屋に突入してきた。それで遂に力尽きかけていた彼女は這う這うの体で努に近寄る。
そして何やら努が神の眼を呼び寄せてから満身創痍のホムラの頭を掴んでオーバーヒールをすると、彼女の着ていた深紅のドレスが一瞬で真っ白になった。
「えぇ……?」
その後も感電したように身体をバタつかせている彼女の頭を手で捻って施術を終えた努は、身の潔白でも証明するように神の眼に向かって手をひらひらさせた。その後ろで痙攣しているホムラを前にエイミーはドン引きである。
「…………」
セレンは無言で大きな眼鏡を外してテーブルに置いた後、顔を手で覆って動かなくなった。ブラックコーヒーに砂糖と蜂蜜をどぼどぼ入れるような有様に腹から声が漏れるような音を鳴らす。
「なに……? えっ、なに……?」
「いつから深夜の神台になったわけ?」
「最近ツトム通ってるから……」
「神台市場で流していいのかあれ? 子供も見てるんですけど?」
「……なるほど。ならばあれを白魔導士に練習させるか?」
「無理だろう。脳ヒールは危険すぎる」
「ツトムに指南でも依頼してみるか? 三種の役割や刻印からして、情報を秘匿する者でもあるまい」
ホムラの溶け様にはギルドで神台を鑑賞していた者たちも困惑の嵐であり、まともに考察しているのはアルドレットクロウの情報員くらいである。
そんな怪しい一幕があったものの、努PTによる千羽鶴戦は続行している。探索者、百羽鶴、千羽鶴の織り成す三つ巴の中、あくまで百羽鶴を視界に捉えながら戦闘は続く。
「やっぱりコリナよりはやりやすそうだねー。ツトムが認めてるだけはある」
その最中にカムラPTも千羽鶴戦に入り、式神:鶴を倒して無色の魔石を回収しながら魔流の拳を使うハンナは縦横無尽に飛び回っていた。
そんなハンナとルークの召喚する式神たちへの支援回復にカムラは徹し、時折進化ジョブを使い彼女の障害となるモンスターをモーニングスターで打ち払っている。ただその顔はまさしくグロッキーといったところで、ハンナの無茶苦茶加減に振り回されていた。
千羽鶴の内部からむくりと顔をもたげた巨大鶴から放たれた極太の光線。それを飛んで避け様にハンナもまた数十の魔石を砂にして溜めた魔力を全解放し、千羽鶴がよろめくほどの拳をお見舞いしている。
「本当に千羽鶴倒せるのでは……?」
「十中八九無理だろうけど、絶対に無理とも言えないのがハンナの怖いところだね。今の調子ならアルドレットクロウの一軍より先に倒せたりするかも?」
「……このままじゃ懲罰ですよ」
「へーきへーき」
ハンナは確かに最後の仕上げにおいては神龍化を持つアーミラ以上かもしれないが、その個人技は何時間も続けられるわけではない。そのことを同じPTで見てきたエイミーは理解していたが、セレンは気が気でない様子で神台を見る他なかった。
骸骨船長からビデオレコーダーがドロップしてるんだから、どっち道見る事になる。
スミスパパが撮る事を許可してればだけど。