第660話 貴女の死を望みます
人を五人は乗せられそうな馬が草を食んでいる彫像が特徴的な178階層のセーフポイント内は桜木に囲まれているが、その中心は踏み固められた広場のようである。
ディニエルが上空に放った鏑矢が甲高い音を上げて折り返し、間もなく地面へ着弾することを知らせる音色を響かせる。その間に所定の位置についていたステファニーとユニス両名は口を開いた。
「宣誓。死に晒せ」
「宣誓。てめぇがなのです!」
そして鏑矢が地面に落ちると同時にステファニーは浮島階層の宝箱からドロップする天翔の薙刀を手にフライで浮かび音もなく近寄り、ユニスはマジックバッグに手を入れて指の間にポーション瓶の先を挟んでいくつか引き出した。
「マジックロッド」
ユニスが投擲した毒々しい色のポーション瓶は、割れることもなく彼女の前方三ヵ所にごとんと落ちた。それらをステファニーは桃色の瞳で捉えながらスキルを口にし、前後両方に刃があるのが特徴的な薙刀を宙に浮かび上がらせる。
メディックの使える白魔導士に毒が通じないことは百も承知だからこそ、ユニスが設置したポーションは不気味に映る。ステファニーはそのノイズを頭の隅に置き、ポーチ型のマジックバッグから更にもう一本薙刀を引き出す。
マジックロッドによって浮かせられる杖は一本のみであるが、白魔導士に適用される杖の武器補正に本数制限はない。実質二刀流の形で中段の構えを取ったステファニーに対し、ユニスも帝都階層産である覇桜の薙刀を引き出す。
その杖の黒い柄にはステファニーの持つ物よりも多くの刻印が施され、先にある薄桃色の刀身にまで及んでいた。一種の美術品にも見えるその紋様は呼応するように輝く。
ユニスの身長より余裕で高いその薙刀を両手で掲げるように構えた彼女は、様子を窺うように背後の尾先を揺らめかせる。一見すると可愛げのある動物の威嚇行動のようにも見えるが、その得物は現状の最高峰である。
その得物、見せ刀ではないのか。それを確認するためステファニーは左手に軽く力を籠め、空中の薙刀を操作し射出する。
「はぁっ!」
ユニスは体幹をぶらすことなく薙刀を振り下ろし、その軌跡を刻印の光が追う。彼女に向けて空中から放たれた薙刀は弾き落とされ、そのまま身を翻し遠心力をつけてステファニーに斬りかかる。
それから数度薙刀同士での打ち合いが発生したが、ユニスは舞うように回っての一撃でそれを受け止めたステファニーを大きく後ずらせた。桃色の目が強い衝撃と痛みで歪み、思わず空中でたたらを踏む。
「っち。エアブレイズ」
体格、レベル共に分があるのはステファニーであるが、武器においてはユニスが勝る。それに殺し合いが元々神の禁忌に触れない帝都のダンジョンで活動していたこともあり、ユニスの杖術は見事なものだった。
小手調べついでに出来ることならその首をこの手で刈り取ろうと考えていたステファニーは、すぐにその殺意を引っ込めて間合いを離した。
「エアブレイズ。ちっ」
スキルでの牽制を打ち消し再び斬り合いの間合いに入ろうとしたユニスだったが、その狐耳は背後からの風切り音を察していた。身を翻して掲げた薙刀を回しステファニーの操るマジックロッドを弾くが、今度はまだ追いすがってくる。
ユニスは舌打ちと共に最低限の間合いを維持しつつ、大振りの振り回しで再び宙に浮いたマジックロッドを弾き飛ばす。
「どうしたのです!! 数度合わせただけで斬り合う気概もなくなったですか!!」
「その牙が見かけ倒しでないことは理解しました。ホーリーレイ。ホーリーレイ」
「セイクリッドノア」
じんじんと傷む右腕で模擬戦のスイッチが入ったのか、ステファニーは瞳孔の開いた目で聖属性の光線を二本反射させながら放つ。それをユニスは満月を模した聖属性の塊で打ち消す。
「ホーリーウイング」
「エアブレイド」
フライで浮かぶステファニーから放たれた礫のような大きさの羽根矢。その攻撃は強行突破できる範囲だと目測したユニスは、風の刃で道を切り開き彼女に迫る。
その途中で身体の所々に羽根矢を受けて血が滲み始めたものの、ユニスの間合いに持ち込んだ。上段から足を切断する勢いで放たれた渾身の刃をステファニーは受け止め、今度は押し返そうとする。
「ぜいっ!」
するとユニスはひょいと薙刀を回し、石突で彼女の脛を強打した。石を砕いたような手応え。
「ホーリー、ジャスティスっ!!」
ステファニーは尋常でない息を漏らしながら聖なる十字架を放ち、何とかユニスを遠ざける。
白魔導士の進化ジョブによるステータス変化で多少はVITが上がるとはいえ、アタッカーの攻撃を受け切れるほどではない。その強打でステファニーの右脛骨は粉砕骨折していた。
「へっ……んんっ!?」
ステファニーに痛手を与えたことにユニスは満足げだったが、自身の身体に残っていたホーリーウイングを見て驚きの声を漏らしていた。
現代知識を持つ努のヒールがその効用を向上させるように、スキルはイメージによってもその性質を変容させる余地がある。
努や鳥人の白魔導士のホーリーウイングが何処か違うことに気付きイメージを明確化していたステファニーのそれは、ユニスの身体に刺さっても形状を維持し血の羽毛を数え切れないほど生み出していた。
ステファニーの可憐なドレスから窺える右足には赤黒い痣、ユニスは上半身血だらけになり痛み分けの形。まだ模擬戦は始まったばかりなので一旦は進化ジョブを解除し、互いに回復するのが定石ではある。
だが進化ジョブを解除しようとしたユニスとは裏腹に、ステファニーは痛々しい右足を晒したまま戦闘を続行した。それにユニスは応戦するように歯を剥いて薙刀を上段に構えたが、彼女は空中に浮かびながらマジックロッドと攻撃スキルを放つに留めた。
「獣と真正面から力比べはしませんよ。じわじわと追い詰め、弱ったところで止めを刺します」
「…………」
ユニスは血を流し消耗しているものの、回復するタイミングは自分で選べる。だが白魔導士同士の模擬戦では進化ジョブを解除した隙を狙うのが定石であることは、帝都のダンジョンが長い彼女でもわかっている。
しかしステファニーに確かな痛手を与えたことでユニスは血の味を覚え、その目をかっぴらいていた。
(斬る……斬り殺すっ!!)
先ほどステファニーが狐の首をこの手で狩りたいと思っていたように、ユニスもまたこの手で斬り飛ばしてやりたい激情に駆られていた。数年前に埋められていた自分には送られなかった努からの手紙という種は、ステファニーの手によりスノードロップとして芽吹いていた。
頭に血の昇ったユニスはステファニーの強がりにも乗せられ、出血したまま構えを解かず早期決戦に挑んだ。
ユニスが事前に撒いていた三つのポーションの内、一つだけは色だけを変えた緑と青ポーションの混合物であることも抜け落ち、彼女は修羅と化した。だがステファニーはそれに怖気づくこともなく、切り傷や石突による打撲こそ負うが致命傷は避けた。
「ハイヒーぐっ!?」
そしていよいよ余力がなくなり回復するであろうタイミングを完全に読まれ、ユニスはステファニーから苛烈な追撃を受けた。人間より遥かに優れた聴覚を持つ獣人に不意打ちは通じないことを理解した彼女は、巧みなマジックロッドによる正面からの二刀流による手数の多さで追い詰める。
互いに長い得物故に一定の間合いは保たれるが、最後にステファニーは薙刀が振れないほど肉薄した。そして横合いから飛び出た天翔の薙刀は、ユニスの腹を貫いてねじれる。
「がああっっ!!」
「間抜け」
光の粒子を漏らしながら最後の死力を振り絞り放たれたユニスの頭突きを、ステファニーは受けることもなく武器を捨てて間合いの外に逃げた。
そしてユニスが完全に消滅したところで片膝をつき、進化ジョブを解除して自身をヒールで癒す。
そうして模擬戦を勝利したステファニーに、審判のディニエルが近寄る。
「最後の詰めで怯えすぎ」
「追い詰められた獣はどうとか、エルフの言葉にありませんでした?」
「尽きかけた残り火、村燃やす」
「……火の始末には気を付けますわ?」
白魔ですら単身戦闘能力がないといけないこの世界こわこわ