第664話 対階層主を想定した無限の輪の訓練
階層主戦を見越したPT合わせの相手といえば175階層以降にランダムで出現する千羽鶴が主だったが、一週間前からは無限の輪2PTでの模擬戦による訓練も行われることとなった。
「深淵、天空、浮島階層主の傾向からして、次は人型と見た」
「ツトム……立派になって」
そんな努の予測に基づき無限の輪のPT同士での訓練は企画され、あんなに模擬戦嫌いだった人がとエイミーはおよよとハンカチで目元を拭いた。
今のところ175階層を越えているのは数PTなので、階層合わせもさほどストレスなく行える。177階層で無限の輪のメンバーは一堂に会し、セーフポイントで模擬戦の準備を進めていた。
そんな中、模擬戦に向けて長い緑髪を結い直していたリーレイアは遠目に見える神竜人を眺めながらぼやく。
「この結果も模擬戦の戦績としてカウントされるとなると、真剣にならざるを得ませんね。せっかくならアーミラといじらしく斬り合いでもしたいところでしたが」
本来の対人戦であればタンクとアタッカーから妨害は受けるにせよ、ヒーラーを真っ先に狙うのが常套手段である。だが今回はあくまで階層主戦を想定した訓練であるため、基本的にアタッカーは対面のタンクであるガルムとハンナに攻撃を集中させるルールだった。
「あたしとガルムで我慢するっすよ」
そんなリーレイアの物言いにハンナは彼女の肩に乗っているサラマンダーと同じような目をしながら、適当に言葉を返した。だがリーレイアはその言葉に食いつきを見せた。
「では私がハンナを殺し切ったらあとで一揉みということでよろしいですか?」
「あたしに何の得もないっすけど……?」
「じゃあ代わりにコリナの揉んでいいですよ」
「じゃあ私はリーレイアの鱗貰いますね。ファンの友達に売りつけます」
「……まぁ、いいでしょう。ではそんなところで」
「……?」
「返事は?」
「お、おーっす!!」
突如として巻き込まれたコリナが竜人の鱗を所望したことで三者の賭けは成立し、勝ったところで何の得もないことにまだ気付いていないハンナがわけもわからず音頭を取った。
その一方で無限の話の男性タンク陣は互いに鎧の調整を行っていた。その最中にゼノが妙な兜を被ったのでガルムは思わず突っ込む。
「何だそれは。自慢の顔は晒さなくていいのか?」
「兜を被っていても私のオーラは溢れてしまうからね。困ったものだよ」
「確かにやかましいな」
最近はダリルと同じく頭を含めたフルアーマー装備を試しているゼノは、ガルムからの軽口に口笛でも吹くように指を振って応えた。そんなタンク陣を神の眼の画角に収めていた努は感嘆の息を吐く。
「フルアーマー二人は神台映えしちゃうね。刻印装備の総額を考えるとくらくらするぜ」
「今から壊れたことを考えるだけで胃が痛くなりそうですけど……」
ずらりと並ぶ高級車でも見学しているような努とは裏腹に、それを運転する立場のダリルはその不安が顔にありありと浮かんでいる。
「でも完全装備じゃなきゃ階層主戦想定の訓練にならないし、アタッカー陣が手加減してくれるとも思えないしね。訓練代と割り切るしかない。……でもアーミラが神龍化するまでに昏倒させてでも止めてくれ……頼む」
完全装備での模擬戦は確かに対階層主戦に匹敵する実戦の経験値は得られるだろうが、装備の破損や備品の消費による経費が青天井である。実際にオーリからこれぐらい掛かるだろうと見積もられた時は、そこまでGに関心がない努でもうげーとなった。
そんな努にダリルは苦笑いしながら装備の装備と点検を終え、最後に兜を被った。するとゼノはわざわざ兜を脱ぎ、頼もしげな笑みを浮かべて白い歯をキラめかせた。
「代わりに傷を負い持ち主を守ることが防具の本懐であるにせよ、私とて無為に傷付けたいとも思わない。それこそツトム君がタンクを活かすように、私も労わることとしよう。アーミラ君を昏倒させるのはダリル君の役目だ! 頼むぞ!」
「普通に一回負けてるので無理そうです……」
神のダンジョン外でアーミラの龍の手による一撃をその身で受けた経験のあるダリルは、二度と御免だと言わんばかりに黒い尾を下げる。
「今は刻印装備もあるしレベルも大分追いついただろうし、大丈夫じゃない?」
「でもツトムさんたちって、もうレベル180後半ですよね……?」
「そうだけど、ステータスが露骨に上がったわけじゃないし誤差ではあるよ。刻印装備の差の方が如実に出るね」
「ガルム君からも聞いてはいるが、脳ヒールの乱用にはくれぐれも気を付けたまえよ。その副作用で探索者を引退せざるを得なくなった者もいる。……しかしハンナ君やエイミーはまだしも、その例を間近で見ていた二人が受けているのは何処か末恐ろしいね」
「ツトムが問題ないと判断したのなら問題ない」
「はっはっは。狂犬再来といったところかな?」
真顔でそう言い切るガルムに、ゼノは皮肉を零しながら意見を求めるように努と目を合わせた。
「自分で実験して色々な探索者でも試してるから短期間なら問題ないとは思うけど、くれぐれも常用はしないよう気を付けるよ」
「そうした方がいいだろうね。……ただ、最近子供たちが深夜も元気一杯でね。夫婦ともども寝不足が続いているから私も少々興味はそそられている」
「じゃあどうしようもなくなったら脳ヒールしてあげるよ。まずはゼノが奥さんのために実験台になるといい」
「私も狂人になる他ないか……」
「人のことを言えたものではないな」
片目を閉じながら流し目をくれている姑みたいなガルムに努はけらけらと笑い、ゼノもやれやれと銀髪を払った。
「…………」
「…………」
「気―まーずーいー」
そうこう無限の輪のメンバーがやり取りを交わしている中、ほぼ初対面であるアーミラとクロアは無言を埋めるように大剣と大槌を整備していた。その間にいるエイミーも手慰みに双剣を研いでいたが、いよいよ耐え切れなくなり愚痴を零していた。
ただクロアからすればエイミーは昔からのファンガールであり、アーミラもギルド長に瓜二つな娘ということもあり有名人枠である。そのためガチガチに緊張してろくに口が聞けず、アーミラはそんな彼女に気を遣うこともなく大剣の手入れに勤しんでいた。
「じゃ、そろそろ始めるよー」
そしてエイミーが仲を取り持ってアーミラとクロアがぼちぼち会話をし始めた頃、努の号令でPTごとに集まり始めた。それから努PTも五人集合し、ゼノ、ダリル、コリナ、クロア、リーレイアと対峙する。
「宣誓、よろしく」
「宣誓ぃーー!! 良い戦いにしよう!!」
PTリーダーである努とゼノに続き、他のメンバーたちも宣誓を口にしてセーフポイントでの殺人は容認された。二つの神の眼はゼノとエイミーの操作から解放され、自動操縦に切り替わる。
「コンバットクライ」
「コンバットォ、クライィ!」
「フライ、ヘイスト、プロテク」
「飛翔の願い、迅速の願い、守護の願い」
そしてタンク陣は赤い闘気を放ったのを皮切りに、身軽なリーレイアとエイミーが先陣を切る。それに大得物を持つアーミラとクロアも続き、ヒーラーの努とコリナの詠唱が響く。
「さぁ! かかってきたまえ!!」
「双波斬」
無限の輪による対階層主戦を想定した訓練は、エイミーが飛ばした斬撃をゼノが銀盾で打ち払う衝撃音で幕を開けた。
首チョンパされたのに名前さえ覚えて貰えてないロレーナ可哀想…