第672話 一つ席の空いた打ち上げ
買い出しに行ったクランメンバーたちが帰ってくるまでにガス抜きを終えた努たちは、少しはマシになった様子でPT対抗戦の打ち上げに入ることが出来た。
コリナたちが買い出ししてきたオードブルはマリベルがキッチンで温め直して食器に盛り付け大食卓に運ばれ、オーリが十数人分の食器を手際よく並べていく。ゼノは洗練されたソムリエのように瓶の下部を持って白ワインを注ぎ、クロアがそれをクランメンバーたちに渡していく。
そのワイングラスを最後に渡されてクロアに視線で前に行くよう誘導された努は、揃い踏みのクランメンバーたちを見回す。雰囲気だけで見れば階層主戦でも終わったかのようなものであるが、以前のワイン会でいたメンバーの一人がいないことを思い出して苦笑いが零れる。
「なんか、180階層でも攻略したみたいな雰囲気だね」
「狂戦士ムーの討伐を祝した打ち上げだろ?」
「…………こらっ!」
オードブルに目が釘付けとなっていたコリナはアーミラからのイジりに反応が大分遅れたが、その後威嚇でもするように吠えた。それにハンナやリーレイアが声を出して笑い、ゼノやクロアたちはにこやかな顔をしている。
「それじゃ、乾杯―」
「乾杯―」
「あじゃーっす。じゃっす。じゃっす」
クランメンバーたちはワイングラスを掲げて乾杯し、周りにいるメンバーにわざわざグラスを当てにいったハンナの青翼が楽しげにパタパタと揺れる。
「随分と飲みやすいですね、これ」
「香りは少しハーブっぽい匂いも混じって独特ですけど、ちゃんと白ワインですね。流石、ゼノの貯蔵庫から引っ張り出しただけありますぅ」
あまり酒を嗜まないリーレイアでもすっと飲める口当たりの良い白ワインに、コリナも満足気にハーブの乗せられた貝の焼き物をぱくぱく食べてマリアージュを楽しむ。そしてすぐにおかわりを所望し、今後はオーリに白ワインを注いでもらいに行く。
そんなコリナを横目に乾杯の音頭を終えて席に戻った努は、ワイングラスを回して香りを楽しんでいるゼノと視線を合わせる。
「確かに飲みやすいね。もしかしてこれがお噂のミスティウッド?」
「そこの店で卸されている、エルダースプリング・ブランという銘柄だね。ワインを飲み慣れていない人たちには打ってつけだろうと思ってね」
「おー。貴重なものをわざわざ出させて悪いね」
「今回の物はそこまで値段が張るわけではないし、構わないさ」
「でも最近ダークエルフの知り合いからも聞いたけど、ミスティウッドはワイン通にしか売らないらしいじゃん? 値段は張らなくても買えるのは少数でしょ」
深夜にしか店を開かないポーション屋である幽冥の店主を務めるダークエルフと世間話をした際、ミスティウッドのブランドについては聞き及んでいた。そんな努の指摘にゼノは白い歯をきらめかせた。
「まぁね! だが今回ツトム君が負担した費用に比べれば、些細なものだろう?」
「オーリと目、合わせられないね」
「はっはっは! 私も妻からゼノ工房の経費には目を光らされているが、その比ではないだろうね!」
「ま、この借りは脳ヒールで返すよ。ヤバそうな時には遠慮なく呼んでね」
「いざという時には頼らせてもらうよ。妻に話したら人身御供にされそうだがね?」
ワインの礼も兼ねた申し出にゼノは冗談めいた顔で返しながら、招き入れるように手を振って白ワインに合うつまみを取りに向かった。
オードブルの初動がすぐ無くなることを見越してか、マリベルが忙しなく追加の料理を運んでいる。その中で魚料理を中心に取り分けているエイミーにゼノは仰々しく声をかけた。
「エイミー君。今日は随分とお世話になったねぇ?」
「一戦目だけでしょ」
「その一戦目だけでとんでもない目に遭わされ、三戦目にも惨い殺された方をされたのだが? それも二度!」
魚住食堂と比べると何処か新鮮さが足りない白魚の刺身を口にしているエイミーに、ゼノは三戦目に内臓を抉り出されて即死させられていた。そんな彼女と対面していたダリルも末恐ろしげな顔で頷く。
「暗殺者って言われてもしっくり来ますよね……。あの鎧の隙間を縫うような刃もそうですが、普段はあまり使われない岩割刃があそこまで強力だとは思いませんでした」
「全くだね!! 熟練の暗殺者でもあぁはいくまい! 最前線のステータス持ちがやることではないよ!」
「いつもの模擬戦じゃ防具の破損は気遣うしね。それに刃も駄目になるから実戦限定だよーん」
「岩割刃は固い相手に使うとスキルボーナス付くからなー。お互いの装備気にしない前提ならフルアーマーは恰好の的かも」
努はそう補足しながら肉と魚どちらを食べるか目を右往左往させていると、直接乾杯して回っていたハンナが二杯目のグラス片手に彼の近くに寄ってきた。
「師匠、じゃっす」
「これ、グラス割れないの?」
「慣れっすよ」
「クランハウスのグラスを何回か割っていた覚えはあるがね」
「もう何年も前の話っすよ」
野暮な突っ込みをするなとゼノを鋭い視線で牽制したハンナは、ちょんと努のグラスに乾杯してちびりと飲んだ。そして早く杯を開けろと顎をしゃくる。
「ヒール持ちの僕に挑んでくるとはいい度胸だね」
「街中で私用のスキル発動は厳禁っすよ。もし使ったら警備団に通報するっす」
「じゃあアンチテーゼも無しね」
「……まぁまぁ、そんな細かいことはいいじゃないっすか」
そう言って青翼で肩でも抱くようにしてくるハンナに、努はしょうもなさそうにゼノと視線を合わせた後に白ワインを飲み干した。するとその機を窺っていたリーレイアがワインのボトルを持ってきた。
「どうぞ」
「……どうも」
それこそコリナにアルハラしているアーミラのように並々と注がれると思っていたが、リーレイアが注いだのは香りも楽しめるささやかな量だった。それに意外そうな顔をした努に彼女は心外なと口を結ぶ。
「良いワインをがばがば飲ませるほど下品ではありませんよ、私は」
「それは助かるよ。僕は酒がばがば飲んだ方が偉いっていう歳でもないし」
するとリーレイアは良いことを思い付いたと瞳を輝かせたが、周囲の目を気にしてか努の耳に顔を寄せて囁いた。
「神竜人という高貴な存在が酒に溺れて下品な姿を晒す、というのは大好物ですが。是非お持ち帰りしたい」
「勘弁してくれ」
「いいじゃないですか、酒の席なんですし」
そう言ってハンナに当て付けでもするように肩を力強く抱いてくるリーレイアに、努は思わず立ち竦む。まるで大蛇でも巻き付いているかのような感触。
「神龍化した後のアーミラと、随分な会話をしていたそうですねぇ? 私も是非、練習させてほしいものですが」
「八つ当たりもいいところだろ」
「神竜人も、新たな精霊たちも私から奪っておいて何をのたまっているのですか?」
「神竜人は奪ってないし、精霊に関しては僕が仲介して契約貰ったくせして、随分な態度だね。あれがなかったら雷鳥の自爆すら出来なかったろ?」
「えぇ、確かにその通り。私がツトムに八つ当たりする合理性などなく、むしろ感謝すべきです。PT対抗戦であれだけ煽られようが、頭を地につけるべきなのでしょうね」
また白々としたものに戻ってきた努の首筋にリーレイアは爪を立て、存在しない鱗でも掻くようにかりかりする。
「経済的、人道的、合理的な観点から言えばツトムを害することは不利益が過ぎる。ですが、それをも超える感情的な理由があるならば、その不利益をも無視して暴力に訴える輩もいるでしょう」
「怖い世の中だね」
「ツトムがどれだけ理を持って人をやり込めようが、最後に物を言うのは暴力です。それをお忘れなきよう」
「勉強になるよ。でも暴力は一つより二つ、二つより三つあると尚いいよ」
そう言った頃にはリーレイアの手は努の首元から強制的に離されていた。その獣耳で耳ざとく会話を聞いていたガルムとエイミーの手によって。
「ガルムさん、エイミーさん。少し懲らしめてやりなさい」
「あぁ」
「冗談です。少し頭を冷やすくらいでいいよ」
長老みたいな一芝居を打ったにもかかわらず真顔で頷いてきたガルムに、努は慌てて訂正した。するとエイミーは鉄製のバケツで冷やされたスパークリングワインを見やる。
「丁度よく氷水あるし、そこに頭突っ込もうか?」
「師匠、また女の子に氷水かけるっすか……」
「皆にドン引きされるから止めようね。せっかくの楽しい雰囲気が台無しになるよ。リーレイアも被害者面止めてねー」
その間にも敢え無く捕まった犯罪者みたいに項垂れていたリーレイアを解放させた努は、苦笑いしているダリルや何事だとこちらを見ていたクロアの視線を散らすように軽く手を叩いた。
「そういうのはディニエルが帰ってきた時にやってやるっすよ」
「帰ってきた時は歓迎でシャンパンでもぶっかけてやるか。普通に関節キメられそうじゃない?」
「っすねー。でもやってやるっす。ついでに師匠にもやってやるっすよ」
「ではハンナ。賭けの清算をしましょうか。私は二度殺したので二揉みです」
「へ?」
「よそでやりなよ、よそで」
いつの間に回り込んでいたリーレイアに後ろから脇を抱えられて拘束されたハンナは、一階にある大浴場へと引きずられていった。それにアルハラから逃れるためにコリナもそそくさと続く。
すると飲み相手がいなくなったアーミラはワイン瓶片手にきょろきょろと辺りを見回した後、努を見てにたーっと口角を上げた。
「次の相手はてめぇかぁツトム?」
「首まで真っ赤じゃん。ワインを掴んで飲むんじゃないよ」
「いいだろ、こっちは安もんだぜ」
「そこは冷静なんだ」
「ゼノがうるせぇからな……」
「ワインが絡むと怖いんだ、ゼノ」
「いや、マジでうるせぇからなアイツ……。道化みてぇな声で一生ワインのうんちく話聞かされてもみろ。犬も喰わねぇぞ」
大分酔っている様子な割に冷静な一面を残していたアーミラのぼやきに、努はけらけらと笑った。
更新ありがとうございます。
みんな楽しそうで何より。