第678話 180階層戦:神台市場
ギルド、ギルド第二支部、神台ドームと観衆が神台を視聴する幅は増えたが、人離れした探索者に怯えることなく無料で見られる席が多いのは未だに神台市場のみである。その分治安の悪化が懸念されたものの、多少は人が分散したことによる混雑の解消で観衆同士のトラブルは減少傾向にあった。
「ようやくだな。ツトムはお姫様とエルフのご期待に添えるのかね?」
「仮にもタンクとヒーラーを導いて90階層でもミラクル起こした人だからね。初見突破もあり得るんじゃない?」
「流石に無理だろー。不死伝説も今日で終わりだ」
「はいにわかー。そもそも黒杖手に入れた時には死んでたし、百階層も死亡判定だから」
「その時はモグリだったから死んでるかはギルドでもわからんだろ。それに百階層はステファニーたちも同時に出されてたから、死亡判定は通りませーん」
そんな状況下でも土曜の10時から無限の輪が予告した180階層への挑戦には、多くの迷宮マニアが押しかけていた。特にツトムを昔から見知っている者たちは敢えて神台市場にまで足を運び、旧知の者とあれこれ議論していた。
それに新聞やギルドが始めた動画機による神台報道でも、前人未到の180階層に挑む無限の輪については大枠を取って触れていた。そして努がまだダンジョン内で一度も死亡したことがないという記録やステファニーとの因縁を見出しにし、観衆の注目を集めるキャンペーンも打っていた。
忽然と姿を消し三年間は迷宮都市から離れていた努については、新規の観衆からすればステファニーとロレーナの師匠だったくらいしか情報が見受けられない。ただここ最近の浮島、帝階層の攻略により人目につくようになり、そこに弟子との因縁や不死伝説も相まって大衆の注目も戻ってきていた。
そんな努率いる無限の輪がとうとう180階層に潜る予告をしたことで、観衆たちはこぞって庶民に優しい神台市場に足を運んでいた。今年一番の繁盛を予感した屋台の女将は張り切って呼び込み、大将は鉄板を目一杯使って焼き物を捌いている。
「おいおい、ここまで来て賭けねぇのかよ?」
「どうせ今回も生き残るんだろ……。ガルムにも脅されちゃ敵わん」
「いーやハンナがやらかして全滅あるぞ! 黒門開いたらもう締め切られる! 間に合わなくなっても知らんぞ!」
「ううぅぅぅ……!」
努の生死を賭けた賭場も盛況ではあったが、100階層の悪夢がどうしても忘れられない輩が多いせいか努死亡に賭ける者は少なかった。一番台に映ったガルムもダメ押しで急遽変えた者も多い中、今月の給料を握り締めていた男は泣く泣く努死亡に賭けた。
そしてついに神台が切り替わり180階層の光景が一番台に映し出されると、観衆たちは拍手で出迎えた。屋台で家族の分の軽食をいくつか買っていた父は慌てて自由席に戻っていき、まばらに空いていた席も次々と埋まっていく。
「冬将軍……?」
「鑑定。正確には冬将軍:式だってさ」
「にしては随分とお利口さんだな」
迷宮マニアたちは180階層主について冷静に分析しながら文をしたため、観衆たちは見覚えのある冬将軍にどよめきの声を漏らす。
「流石に弱すぎるな。ってことは腐れ剣士かファラリスパターン?」
「腐れ剣士じゃねーかな。ファラリスほど雑魚が出てくる感じもなさそう」
「あのリボンで冷気対策か。流石刻印士のツトム様だぜ」
「ユニスしょんぼりしてそう」
そう考察している間にアーミラが冬将軍:式を抑え込み、エイミーがその隙に双剣をねじ込む。そしてアーミラがパワースラッシュを叩き込もうとした直後、春将軍:彩が乱入した。
「ガルム強ぇ……。あの将軍二人相手してまだ余裕ありそう」
「ガルムを真似してまたノーヘルが流行るぞぉ」
「犬人が全員できるならとっくの昔に増えてるだろうにな」
刻印装備の流行った今ではダリルのようにフルアーマーも珍しくなくなったが、僅かな感覚のズレを嫌って頭装備を付けない獣人は多少いる。だがそれはあくまでガルムの後追いでしかなく、プロの感度設定を真似ているだけに他ならない。
いくら人より聴覚が優れ背後の空気を察せる尾の感覚があるとはいえ、ガルムのように背後をも見透かすような芸当が出来るのは極一部の獣人だけだ。VITの加護が薄い頭部はせめて装備で補うのがセオリーであり、刻印装備による視界や聴覚の確保が可能になった今では猶更である。
「おぉ? 何だありゃ?」
「にょわーーってなんだよ」
「にょわーー!? にょわーー!?」
「……腐れ剣士の更に派生か。一体倒すごとに合体的な?」
「ってことは夏と秋も出てきたり?」
「……にしては何か順番おかしくねぇ? 何で春から出てこない」
「そこは冬将軍さんの顔を立ててよ」
冬将軍:式が討伐され春将軍:彩から腕が生え出たことに観衆は驚愕し、子供たちはハンナの鳴き真似に興じた。迷宮マニアたちは春夏秋冬とはどうにも結びつかない将軍の並び順に小首を傾げた。
そして気が抜けるような鳥の鳴き声がした直後、爆発と共に現れた夏将軍:烈。それがガルムに深手を負わせたことに今度は迷宮マニアが驚愕した。
「はぁ? ガルムのVIT、刻印装備合わせたらS+に入ってるだろ? 何で吐血までするほどの深手を?」
「内臓のクリティカル判定は心臓だけだろ? そこに受けてもないのにどうして?」
「……あの爆発、受けタンク殺しだったり?」
「だとしたらハンナやらかしすぎだろ。馬鹿踊りしてる場合じゃねぇって」
そうこう話している間に秋将軍:穫もガルムを背後から急襲し、夏将軍:烈の溜め爆撃を受けた彼は消滅した。ハンナではなく彼が死んだことで神台市場にどよめきが走る。
「うわー、ハンナ強い!」
「あれで変なダンスさえしなきゃな」
「あと魔流の拳変に使ったり、指示無視さえしなきゃなー」
「アーミラ優秀―」
「エイミー、よくあの爆発検証してくれた。高いVIT殺しか」
夏将軍:烈の爆発を防塵膜で防ぎ大立ち回りを見せたハンナや、各自動いたアーミラとエイミーに観衆たちは舌を巻く。そんなPTメンバーを指揮しながら支援回復を送っている努を、彼女らに飛ぶスキルで判断していた迷宮マニアたちも深く頷いている。
「おっ、ここで切るのか神龍化!」
「大分早くね?」
「でも夏将軍:烈は相当厄介だし、悪くないんじゃない?」
「いや普通は秋将軍:穫からでしょ。実質ヒーラーみたいなもんだし、仕留め損なったら目も当てられない」
「だよな。リスクが見合わない」
アーミラに神龍化を切らせた努の判断に関しては賛否両論あったが、比率的には否の方が多かった。セオリー通りに行くなら相手の回復手段を断つのが先決であり、ハンナで抑えられている夏将軍:烈を急いで殺し切る必要もない。
「すげぇぇぇ!!」
「アーミラ様ぁ!!」
「見た? エイミーのあの健気なアシスト」
「おっ、ツトムの出番も来た。骨折は白魔導士の腕の見せ所だよ」
ただ夏将軍:烈とアーミラの真正面でのぶつかり合いには観衆も大きく盛り上がり、その歓声は天をも揺らした。しかしその後秋将軍:穫を倒したにもかかわらず冬将軍:式が復活したことで場は静まった後に爆発した。
「えええぇぇ? 復活したけど?」
「これ、また初めからやり直し?」
「……あっ、これもしかして無限ループ?」
「無限の輪には無限の輪ってわけ」
「一体に纏めなきゃ無限ループって感じかなぁ。冬将軍:式を敢えて残した状態で戦うとか? 冬から倒すと途切れちゃったし」
「なら武器破壊も有効そう。さっきの秋将軍にはあの黒槍が受け継がれなかったし」
「秋将軍倒したら太陽の位置まであの門の位置に戻ったし、あれが沈むまで耐えるとか?」
「あー、四将軍出してから一気に倒さなきゃいけないとかありそうー」
まるで時が逆行するように景色までもが戻っていった一番台を前に、迷宮マニアは目を色めき立たせ早口で捲し立てる。その届かない考察の中で努が採用したのは、冬将軍:式を残したまま戦闘を進めることだった。
「なるほど。確かに冬将軍:式は全然張り合いなかったもんな。敢えて残さなきゃいけないならそれも納得だわ」
「それはそれで技量が求められるだろー。常に2:2:1編成を強いられるのは渋そう」
冬将軍:式を軽く追い詰めて春将軍:彩を出現させた努PTは、先ほどと違い春将軍から殺しにかかった。そんな二度目の戦闘風景を前に観衆たちは今のうちだと屋台の買い込みや用を足しに向かい、酒の売り子もこれ幸いと声掛けを強めた。
「……なんか、さっきよりもしぶとい気がする」
「それな。アーミラが多少バテたとはいえ、エイミーハンナはまだまだ。努もそれを見越して進化ジョブ切ったか」
そして春将軍:彩が一足先にその身から光の粒子を漏らして退場すると、冬将軍:式がその意思と扇子を背中に収めて受け継いだ。先ほどと同じ鳥の声が響くと同時、建造物が爆発し夏将軍:烈が姿を現す。
「夏将軍:烈が鬼門だなこりゃ。あの四将軍の中じゃ一番強いんじゃね」
「それを冬将軍:式が受け継ぐことを考えると、あの黒槍は破壊しないと不味い。ガルムが腐るのは致命的だろ」
「ツトム君。状況判断がよろしいねぇ。もしかして俺たちの声聞こえてる?」
「流石、深夜まで出張って神台巡りしてるだけはある」
「この前見かけたからしばらく追跡したけど、マジでまともな神台しか見てなくてビビったわ。男なら神台個室に吸い込まれるもんなのに」
VIT無視の爆発を引き起こす黒槍が受け継がれる脅威については努も認識していたのか、多少手こずってでも破壊する意思は感じられた。努は普段と違い氷魔石の使用を許可してハンナに手渡し、彼女は目を丸くして挙動不審になり始めた。
「……まぁ、及第点?」
「いや良くない。さっきと違ってヘイトも受け継がれてる。下手すりゃツトム死ぬぞ?」
結果としてハンナは氷魔石を使用した魔流の拳の中で最も使い慣れていた氷天波を用いて、黒槍の破壊に成功はした。ただその反動を制御することが出来ず身体に流れる魔力で凍り付き自滅した。
先ほどと違い夏から冬へと受け継がれているのは能力だけでなく探索者のヘイトも共有することを、春を受け継いだ冬将軍:式の挙動で努は見抜いていた。ハンナを蘇生してしまえばガルムでも抑えきれない。
だがそれはこのまま先ほどのように進めばの話である。ガルムは努にしばらく回復しなくていいことを告げると、凶悪な笑みを浮かべて春と夏をその身に宿した冬将軍:式に斬りかかった。
夏を吸収した冬将軍:式はその両脇腹から枯れ木のような手を同時に生やし、四刀流の構えでガルムを出迎えた。以前と違いバランスの取れた体幹と四つ腕から繰り出される確かな剣技を前に、ガルムはみるみるうちに追い詰められた。
「出たね、狂犬ガルム」
「主人を守るために身体を張るか。ここで死んだらそれこそ終わりだが……」
刀で鎧を幾度も打ち据えられ、左の犬耳が斬り飛ばされたガルムの髪が血で濡れる。それでも彼は一切怯まず、むしろその動きに精彩さすら増して冬将軍:式のヘイトをこれでもかと稼ぐ。エイミーとアーミラも決死の覚悟である彼の邪魔をしない範囲で火力を出し、努はガルムが遂に力尽きかけたその時に最低限のヒールをかけて命を繋いだ。
その甲斐もあってかお団子レイズをこさえても余裕があるほどのヘイトをガルムは稼ぎ切り、蘇生されて復帰したハンナにバトンを託した。再三の指示も無視して随分な無茶を通させたガルムに努は軽く毒づきつつ、ポーション二種を飲ませて斬られた犬耳の傷口をヒールで塞ぐ。
「よし、耐え切ったーー!!」
「ガルム君さぁ……。お団子レイズまでこさえさせてハンナまで完全回復させるヘイト稼ぐのは過保護すぎない?」
「見た? あのツトムの顔。飼い犬に手を嚙まれるとはこのことだな!」
努の指示はあくまでハンナの蘇生分のヘイトを稼ぐことだったが、ガルムは無茶を通してより大きなヘイトを稼ぎ切って四つ腕の冬将軍:式から生還してみせた。
残るは秋将軍:穫と冬将軍:式のみとなった戦場は、ヘイトを消化しアーミラの完全回復を待つためか緩やかに進んだ。巻き戻っていた太陽は既に沈み、夜を従えるような光を放つ満月が両者を静かに照らした。
「さて、最後は残った冬将軍か。これ倒したら終わりかな?」
「どうだろ……」
「階層主と言われれば納得の見た目と強さだけどなー」
そして秋将軍:穫を手早く始末されると、鈴虫がさざめいた。光の粒子は吸収され薙刀が回転して冬将軍:式の背後に浮遊し円環を為して収まる。死線を潜り抜け徐々に安定の循環を取り戻した無限の輪の面々は、春夏秋を吸収した冬将軍:式を前に気合いを入れ直すように息を吐いた。
春の死で夏が現れる?
ならば建物を先に壊せばいいじゃない
(建物を壊すと結構ボスが怒るが)