第688話 輪の循環
ガルムとエイミーと臨時PTを組み三種の役割を広めた努が、ダリル、ハンナ、ディニエル、アーミラをクランメンバーとして設立した無限の輪。その後ゼノ、コリナ、リーレイアも加入し計十名となった無限の輪は、100 階層を初攻略し迷宮都市の頂点に立つクランとなった。
だがそのクランリーダーである努はそこで消息不明となり、そんな彼を追うようにクランメンバーも離脱していった。そして残った五人と同盟クランのシルバービーストで再構成された無限の輪は、以前のものではなくなっていった。
それから三年後にクランリーダーの努が帰還し、離れていたクランメンバーたちもほとんど戻ってきた。しかしその空白期間によってクランメンバーたちがお互いに自然と理解できていた価値観や常識などが通用しなくなり、無限の輪は歪みを抱えながら動いていた。
「あたしも差し引き二割にしてほしいっす!」
「これ、ハンナの給料内訳ね。いつの間にこさえてた借金の返済計画がこれで、僕が無利子で立て替えた代わりに給料から二割取ってる。本来なら利子込みで0.5割増し取られる計算だぞ。それと一割は先取り貯金してて、残高はこれ」
「なんか少ない気がするっす!」
「先月は村の知り合いの結婚式に派手な花束やら、贈答品やら贈りまくったんだって? 招待客にも引き出物で大盤振る舞い。他にもすぐ使わなくなる最新の魔道具やらを買い込んでるな。オーリの帳簿に書いてある」
「……そういえばそんなこともあった気がするっすね」
こんなに使っているわけがないとオーリが提出していた明細に目を走らせたハンナは、全部思い当たる節があったのか途端にトーンダウンした。
歪みが生じていた無限の輪に必要だったのは、クランメンバーとの価値観や常識を改めて共有するための対話だった。努はクランリーダーとして全体会議で無限の輪の価値観を定義した後、個別に面談しクランメンバーたちの現状を聞いた。
「私はミシルほど長く探索者をやれるとも思えませんし、そろそろ終わりも見据えなければいけません」
「とはいえすっぱり辞めるわけでもないでしょ? それに少なくとも経済的な心配はない」
「……そろそろ結婚したいですぅ。私より強い男の人と」
「……いや、それは物理的にも経済的にも無理でしょ」
「…………」
「それこそ料理人とか、探索者とは別の専門職とかなら尊敬できるんじゃない?」
「あー、それなら狩人さんには尊敬の念があります! 外のダンジョンのモンスター、私が獲ってもまだ美味しく出来ないんですよねぇ」
無限の輪では最年長であり翌年には30歳になるコリナは、身体の衰えによる探索者引退も視野に入っているので出口戦略について思い悩んでいた。取り敢えず今後は食道楽を通じて出会いを探し、シルバービーストと共同で子持ちでも探索者を続けられるような仕組みを考えることとなった。
「ゼインはそろそろ生まれて半年だっけ?」
「そうだね」
「将来は髪色が黒いゼノにでもなりそうだね。顔つきもフィロより似てる気がするし」
「妻からもその心配はされているね! それに娘は私の銀髪を受け継いで生まれてしまったから、将来が恐ろしいものだよ」
「そりゃよかったね」
努は王都のスタンピードで民衆を見捨てる行動を平然と取り、別れ際には家族を人質に取るような脅しまでしてきた。そのためゼノは彼と一線を引くことになったが、そのことについては遂に妻のピコに察知され白状させられていた。
それなら知り合いの家族程度の仲で留まらず身内に引き込んでしまえばいいと、ピコは努を家に招待しまだあやふやながらも喋れはするフィロと交流を持たせ、ゼインを腕に抱かせた。
確かにゼノの言う通り、努は冷徹に一線を引いていたのはピコにもわかった。だが帰ってきてからはそれも大分薄まった印象があるし、身内に優しいことはハンナを見ればわかることだ。それにオルファンへの対処からして子供にも甘い。
「それにしても180階層はまた厄介そうだ。特に夏将軍の爆発はまさしく煮え湯でも飲まされているようだよ。VIT無視とは人道に反していないか?」
「祈禱師は即時回復じゃないから、ヒールに比べると苦痛の時間が長くて困るよね。ご愁傷様」
「それにコリナ君の回復感覚はガルムに近い。ダリル君には慣れた地獄だろうが、私が慣れることは未来永劫ないだろうね。私のヒール技術がどんどんと上がっていくのを感じるよ」
「それはマジでそうだよね。白魔導士に近しいスキルセットってこともあるけど、ゼノはヒーラーの適正あるのはひしひしと感じるよ」
それにゼノと努は戦闘時の痛みに関する価値観が近く、ヒーラー談義も出来るようになってきたのでいざ話して見ると打ち解けるのも早かった。それに加えてピコの身内戦略も噛み合うことで、二人の間にあった線引きの境目は緩められた。
「……見ました? アーミラのあの親を慮る顔。私が慰めてあげたくてたまりませんよこれは」
「そう」
「それに私の名前を呼んだ時のあれ、格好よすぎません? じゅんじゅん来ました」
「せやな」
先ほどのやり取りで完全に神竜人ファンガールと化したリーレイアは、特に問題なさそうだった。それに彼女はアスモの成体を見るまでは努から離れるわけにいかないと建前を並べ、ギルド長に裏で話を通すならと彼の不遜な態度にも納得を見せた。
「……僕もいつかは出来ますかね」
「残ったオルファンの運営はもうやってるでしょ? そのまま自分の手が届く範囲で孤児たちを救えばいいよ。それを続けていけばいずれその範囲も広がっていくだろうし」
「でも、ツトムさんほど広がるとは思えません。どれだけ持ち出ししてるんですか?」
「刻印に関しては僕の手間暇かけてるけど、金銭的な持ち出しはほとんどないよ。初めはダリルの言う通りそうしてたんだけど、オーリに不健全な運営って言われてからは僕抜きでも回るようにした。実際、いなくなっても回ってたでしょ?」
「……オーリさん、優秀すぎません?」
「腐っても貴族の元従者だからね。金勘定はマリベルも得意らしいから相談してみれば?」
ダリルは将来的に孤児院を立ち上げたいようなので、将来的な話が多かった。大規模に資金と人を集めての運営で失敗したこともあり、彼は引き続き小規模ながらも自分の手が届く範囲で食うに困っている孤児たちを守ることに決めた。
そうした話し合いを努はガルム、エイミー、アーミラ、クロアにも行ったことで、既に時刻はおやつ時になっていた。ただその地道な意見と価値観の擦り合わせにより、歪みが生じていた無限の輪は正常な循環を取り戻した。あとは最後のピースが加わるかどうかである。
その時間は無限の輪にとってかけがえのないものであった。その輪は新たな無限に向けて循環を始めた。
だが物事には二つに一つ。二者択一ということもある。それこそダリルに啓示した通り、人には手の届く範囲というものがある。関わる者全てを助けるなど神の御業であり、神の子ですらない努が助けられるのは無限の輪だけだった。
ゼノとピコさんの子供はピノだと思ってたのに…