第712話 理論値は理論値
「おい」
「……」
180階層で善戦するも死亡し先にギルドの黒門付近で待っていた努は、PTメンバーの一人が帰って来るや否や瞬きもせずに見つめる。そんな彼の怒気が予想外だったのか、彼女の頭からひょこんと生えた青い髪がそっぽを向く。
努PTはあれから四季将軍:天とも引き続き戦った。既に二十数回は挑んだ経験は着実に積み上がり、実を結びつつあった。
ガルムは四季将軍:天のスキルによる冬刀の攻撃は高確率で、時たま普通の斬撃すら読み切ってパリィする場面も増えていた。
そして努もヒーラーとして180階層の経験則を積み、戦況の空気を読む勘が研ぎ澄まされていた。PTメンバーの挙動を隅々まで把握し、攻撃された直後に緑の気を送り届ける。
状況の一歩先を見通すかのような支援回復は、もはや予測というより予知に近い。腕が斬り落とされたと思ったら繋がっていた時には流石のガルムも目を丸くしたが、すぐに口端を吊り上げ返す刃の如く冬刀をパリィした。
更にヒーラーだけに留まらずマジックロッドで浮かせたテクトナイトを用い、アーミラの首を刈り取ろうとした冬刀を弾いて危機を救う火力支援も余念がなかった。
そんな彼が背後に控えていることは、盾を任されたものにとってこの上ない安心感をもたらす。背中を任せられる仲間の存在がガルムの動きを更に鋭くさせた。
脳に響くような衝撃音が幾度も散らされ、刹那零閃を全て弾かれた四季将軍:天の態勢が揺らぐ。今日のガルムは過去一の冴えを見せていた。
その二人が作り上げた強固な土台の上で、残る三人もまたそれぞれの役割を果たし、着実な戦果を上げていた。
四季将軍:天の初撃こそ捌けなかったハンナであったが、その後は中盤戦まで赤兎馬を一度も離すことなくヘイトを取り続けて避けタンクの本分を果たしていた。
それにスキル任せにせず拳闘士たちが練り上げた踊りを組み込むことでバフの効果時間を底上げし、全体のSTR上げと努の精神力節約にも寄与した。
エイミーはここ数ヶ月でサブジョブ、双剣士の進化ジョブであるデバッファーを鍛え戦術の幅を広げていた。
ただ四季将軍:天は秋将軍:穫の特性を引き継いでおり、状態異常を付与してもすぐに治されてしまう。双剣士得意の出血も通りが悪いので相性が酷い相手であるが、それでもエイミーはここぞという場面で状態異常をかけて健闘していた。
先に赤兎馬を討伐してから各個撃破するパターンが通用しないことが判明してから、アーミラは180階層主戦において突破の鍵を握る存在へと位置づけが変わった。
何より大剣士の進化ジョブがタンクであり、ガルムとスイッチが可能な唯一のメンバーであることが大きい。四人がかりでも押されかねない四季将軍:天を相手にするにはアーミラもタンクの役割を果たせなければ話にならない。
当初はあまり慣れないタンクに手間取っていた彼女であったが、実戦とその後に努が立ち回りをフィードバックすることでタンクとしての動きは目覚ましいほどに成長していった。
更に彼女は180階層においてはメインアタッカーでもあるため、実質二人分の立ち回りを鍛えなければならなかった。ただ無心で戦いに没頭し反省会では努に知識を詰め込まれ気絶するように眠る日々は、壊れかけていたアーミラの心を癒す時間にもなっていた。
そんなアーミラとガルムの二柱をエイミーと努が支え、四季将軍:天と互角以上に渡り合える域に到達していた。
そしてHPの半分を削ると四季将軍:天は空手だった中央腕を背中に回し、彩烈穫式天穹を構えた。白木を基調としたその大弓の両端には小さな式符が浮かび、刻印の役割を果たしている。
赤兎馬は神具にも近いそれを抜いた主人の呼びかけに応え、大規模な爆発を起こしハンナを引き剥がした後に馳せ参じる。
本来ならこの中盤戦に辿り着く前にガルムとアーミラが数度蘇生されていてもおかしくはなく、たまにハンナも事故っているくらいだ。
だが今回はガルムの冴え渡るパリィとアーミラの的確なスイッチ、それに彼女が四季将軍:天のスキルを食らわなかった運も噛み合い、一度も崩れることなくここまで至った。
これなら少なくとも赤兎馬に乗った四季将軍:天のHPを三割まで削り、式神:月も垣間見えるだろうと努は楽観していた。そんな彼の予知を狂わせたのは四季将軍:天ではなく、青い鳥だった。
「退けって言ったよな?」
「……」
「退けって、言ったよなぁぁぁ??? 調子悪い時は一回大人しくしろってさぁ。うっ、ふふふうっー……あれでも見捨てずに蘇生した僕が偉すぎるぅ……」
「あー、ほんと。申し訳ないっす」
そのまま泣き真似を始め嗚咽を漏らした努を前に、ハンナはどこか拍子抜けした表情で謝った。
四季将軍:天と赤兎馬が合流してからは消耗しているガルムとアーミラを休ませるため、じりじりと戦う手筈だった。だが当の彼は彩烈穫式天穹による連射も寸分狂わずパリィし、にぃっと口端を上げていた。
そんなガルムならしばらく耐えられると踏んだ努は、ハンナにブレイキングパラダイスを躍るよう指示した。
それに彼女は待ってましたと練習していたダンスも含めて五種類のスキルを完走し、ついにブレイキングパラダイスも踊り切って全てのステータスを一段階上昇。事前のダンスも合わさり驚異の全ステータス二段階上昇を果たした。
特異的なステータス二段階上昇による身体変化。それに念願のブレイキングパラダイスを一番台で披露できた高揚感。ハンナのブレーキは完全にイカれた。
その熱狂で尋常ではないヘイトを稼いでいることも忘れ、ハンナは避けタンクに戻りコンバットクライを放った。そして赤兎馬に騎乗した四季将軍:天から放たれた春風の矢で胴を消し飛ばされた。努が止める間もない早業だった。
その時点で努はここでハンナを蘇生しない方が式神:月の全貌を見られるのではないかという感情がよぎったが、彼女が神台を見て学習できるとも思えないと理性で私情を抑えた。
幸い二段階上昇のバフがある内は余裕があったので、それから四分五十秒後に努がハンナを蘇生することは容易かった。彼女はせっかくのブレイキングパラダイスが台無しだと嘆きつつ、装備を整え戦線に復帰した。
ただハンナの動きは先ほどより明らかに精彩を欠いていた。せっかくのブレイキングパラダイス状態が一瞬で終わってしまったことへの無力感が、彼女の青翼に重くのしかかっている。
ガルムは絶好調、ハンナは絶不調。PT全体としては釣り合いが取れているものの、彼からすれば何故これだけ耐えているのに戦況が好転しないのだと疑問を抱くのも無理はない。
努が尻拭いしてやれと声をかけてから多少持ち堪えたものの、遂にガルムの冴え渡っていたパリィの精度も次第に陰りを見せてきた。
それから遂に死んだ彼を見て功を焦ったハンナは、努の退けという指示が耳に入らなかった。そしてカウントバスターの連撃を途切れさせないように無茶もしたことで死を重ねた。
そこからは序中盤で築き上げた有利が嘘のように消え、均衡が崩れて戦局は一変した。そして四季将軍:天のHPが四割を切ったところで、努の抱えるヘイト許容量が限界を迎えた。それから連鎖するように各員倒れ、全滅することとなった。
「……」
(こーれキレてます。トロールかます時はマジで終わってるからな。本当にセンスないし実力も疑いたくなる。でも避けタンクならよくある話だ)
どちらの意味でも過去一のキレを見せているガルムに努も内心愚痴りつつ、避けタンクの性質上仕方のないことなので溜飲は下げる他ない。仏頂面のガルムに向かってにやにやしてみせると、彼はようやく自分の状態に気付いたのか深く息を吐いた。
(でもあのハンナにブレイキングパラダイスを初お披露目させたらどうなるかは、今思い返せば予想はつけた。僕も浮かされてたな)
120点の働きを魅せたガルムに加え、もしハンナも理論値を出せれば式神:月をも関係なく180階層を突破できるかもしれない。全てが上手くいけばもしかしたら、という夢を見て理論値を追いかけ、結果としてその代償は高くついた。
少なくともハンナに安定択を取らせれば彼女が暴走することもなく、式神:月の出現くらいは拝めただろう。それはガルムだけでなくアーミラも思っていたのか、目が獲物を狙う爬虫類みたいになっている。
「ハンナを躍らせたのは僕だ。睨むなら僕にしなよ」
「……はっ、お優しいこったな」
「最後の指示無視以外は特に問題ない。次回からもブレイキングパラダイスは使うかもしれないからな。次は暴走するなよ」
「おーっす!」
「……もし次、指示を無視したら死ぬより酷い目に遭わせてやるからな」
怒られた途端に萎縮して黙り込むでもなく、拗ねた態度を見せてもいない。ハンナの能天気な返しは大変よろしい。ただ彼女の尻拭いをした二人の手前これで済ますのは不味いと思ったので、努は声を低くして警告した。
するとハンナは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、ぷっと噴き出した。
「なっ、なんっすかー師匠? 死ぬより辛いって……もしかしてごーもんでもする気っすか? でも爺ちゃんくらい厳しくないとあたしには効かないっすよー?」
いくら師匠でも生粋の武闘家であったメルチョーの苛烈さには遠く及ばない。敗者の服から深い谷間を覗かせる彼女が小馬鹿にしながら努を宥めると、アーミラが代わりにいきり立つ。
「なら俺が代わりにシメてやるよ。クソ阿保間抜け鳥が」
「まぁ、まずは僕に任せてくれ。ハンナがそこまで言うなら明日には準備しとくよ」
「いや、師匠。冗談っすよ。みんなも、今日は本当に申し訳なかったっす。初めて踊れたからつい暴走しちゃったっす。次からは気を付けるっす」
「そんなに遠慮しなくていいよ。僕が直々に手を下してやる」
「師匠が嫌がるようなことはあたしもさせたくないっすよ? でもまぁ、それで師匠の気が済むならそれでもいいっすけど……」
言葉を選んでそう言った彼女に、ガルムとエイミーも静かに同意を示している。オルファンの件で努が人を傷つけたくないことはよくわかったし、それは模擬戦の際にもアンチテーゼを必ず使うことからしてそうだろう。
そんな彼がハンナに折檻が出来るとは思えない。腕がなるぜと肩を回している姿はハッタリにしか見えない。他四人はどうすれば強がる彼の面目を立てつつ、場を収められるか頭を捻った。
「アーミラ。休憩の時にカミーユのこと話してもいいかな?」
「……あぁ、いいぜ」
「みんなもいて大丈夫?」
「構わねぇよ。相談もしてたしな」
そう言って白猫の方をちらりと見やったアーミラは、何やら悪巧みをしていそうな努を前にケラケラと笑った。
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