第716話 ミシルにとっての壁
冬将軍。それはシルバービーストのクランリーダーであるミシルにとって、挫折の象徴だった。
一足早く雪原階層に辿り着いて手に入れられた氷魔石の特需による莫大な利益。そのおかげでシルバービーストが救える孤児の数を増やすことは出来たが、代わりに彼は探索者としての活動時間を大幅に減らした。
ただ、その当初からミシルは抗い切れぬ身体の衰えを自覚し始めていた。今はまだどうにかなっているが、この調子ではあと数年でロレーナたちと合わせるのも厳しくなる。その予兆を感じた彼はこれも良い機会だと考え、徐々にクラン運営の裏方に回るようになった。
それから三年後。36の歳になったミシルは嫌な予兆の通りに身体が衰え、ロレーナたちに合わせるしんどさがかなり増した。そして本格的な探索者の引退も見据えて帝都の遠征に向かったが、そこでミナと境遇の近い蠅の王を見たことで気持ちを改めた。
生まれたことそのものが罪。そう周囲に疎まれ目の光を失っていく子供たちに、そんなことはないんだと手を差し伸べるためには、経済力と同時に探索者としての力も必須だ。
その原点に立ち返り、やれるだけやってみようと考えを固めてミシルが迷宮都市に戻ってきた時。一番台で見たのは忘れもしない冬将軍の姿だった。
正確には冬将軍:式らしいが、ミシルからすればかつて逃げた相手に変わりはない。八十階層主と何度か相対した後、もう自分は潮時かもしれないという考えが何度も浮かんでしまった。
だから努への恩返しも兼ねて当時得ていた八十階層主の情報を託し、自分は氷魔石の売買や後進の育成に力を注ぐことにした。
そのおかげかシルバービーストの規模は拡大し、世代交代も進んだ。中でもソニアとマデリンは最前線にも張れるほどの実力を持つに至り、もう自分はやり切ったのだと満足感すらあった。
だがミシルはそれでもまだ足掻くことを決め、ロレーナたちと共に180階層で三将軍全ての特性を引き継いだ冬将軍:式を削りにかかっていた。
「ブレイズオスレイ!」
その詠唱と共に彼の振るう小剣が震え、火花を散らしながら鎧を浅く削り取る。その硬質な鎧の傷から冷気が噴き出しミシルの手を凍り付かせにかかるが、事前にかけていたフィールドリンクというスキルにより彼は凍傷を負うこともなく離脱した。
「シールドバッシュ、レンジソーサル!」
その横合いから三つ指の鳥足で地面を踏みしめ躍り出たのは、青鳥人のリリ。棘付きの盾で冬将軍:式を思い切り殴りつけた後、そのまま正面に付いた棘で刺突しスキルを成立させる。
するとその盾と冬将軍:式を起点とした不可侵の領域が生じ、空気が唸りを上げる。それは三メートル離れたところで止まった。
刺突が当たった敵との間に十秒間の強制的な距離を生じさせる、狩人の特徴的なスキルであるレンジソーサル。初めに教えてもらったスキルコンボを律儀に守っているリリは、そのまま不可視の領域にたたらを踏む冬将軍:式を押して叫ぶ。
「セット!」
その掛け声と共に彼女が事前に仕掛けていた罠スキルの数々が具現化する。地面に設置されたトラバサミの罠が牙を剥き、脛当てごとガチリと噛み締める。更にリリが空中を手で引っ張ると宙に仕込んであった拘束縄が冬将軍:式を絡め取った。
リリは一つのスキルコンボにより罠地帯まで誘導し、一時的ではあるが氷の猛将を単身で制圧した。
狩人というジョブはアタッカーに分類されるが、その立ち回りは罠の設置や毒に近いデバフの使用などもあり防御的な側面が強い。それに進化ジョブはデバッファー兼タンクであるため、180階層ではスイッチすることも多い。
「黒火球」
動きが止まった敵に蝙蝠人のマデリンが呪詛の言葉を紡ぎ、闇の炎を凝縮させた球体が彼女の掌から発射された。漆黒の尾を引きながら冬将軍:式に飛翔する。
するとそれを迎え撃つように冬将軍:式も右腰の刀の鍔を親指でずらした。
風を切る鋭い音と共に、刀から噴き出すのは凍てつく吹雪。冬の息吹と黒火球が衝突する。冷気と呪火は拮抗し、霧と黒い火の粉が舞う。
「あちょっ!」
あくまでスキル同士が相殺したので水蒸気による熱はそれほどでもないが、その中に突入して少し熱さは感じたのかロレーナの間抜けな声が響く。そんな彼女と同じく鳥足に戦靴を履いた拳闘士のララ。
スキルで構成されたその罠も消滅させていた冬将軍:式に、二人は打撃を叩き込み隙を作る。そして怯んだところで肉薄したミシルが再び小剣を震わせ、右刀を狙って破壊する。これで残りは一本ずつ。
その武器破壊により激昂して四つ腕を広げた冬将軍:式が凍てつく波動を放ち、そのカバーに狩人のリリも入る。呪術師のマデリンは呪いで蝕まれた身体を休めながらも後方支援の機会を窺っていた。
「お待たせさんっ。ヒール、メディック」
そんなマデリンの肩をタッチして進化ジョブを解除したロレーナは、彼女の身体を癒した後に首を回した。
ロレーナのPTは他と違い役割の線引きが薄い。それは器用貧乏な冒険者というジョブであるミシルと、走るヒーラーとして前線に出るロレーナの影響が強い。
元々ロレーナは進化ジョブが出る100階層以前から前線を走り回り、その危なっかしさを迷宮マニアに指摘されることも多かった。ただ不吉の象徴と呼ばれついには同族から狩りの対象にまでなっていた彼女からすれば、仲間がいるだけで天国のようなものだ。
「にしてもいいよねーツトムたちは。冬将軍で楽できて」
「……ガルム前提」
前線にいる三人の怪我待ち状態となったロレーナの愚痴に、マデリンは低めの声でぼやく。
ロレーナPTは四季将軍:天に夏と冬の武器は受け継がせたくないため、今もこうして時間をかけて冬将軍:式の武器破壊に努めている。四季将軍:天に四つのスキルを撃たれればひとたまりもないからだ。
ただ努PTはガルムのパリィでその内三つは対処できるため、わざわざ冬将軍:式の武器を破壊せずに済んでいる。それに赤兎馬も夏と冬を受け継がせると爆発と冷気のシナジーにより無限に爆破してくるため、それを避けられるのも羨ましい限りである。
ただ騎士のパリィを前提にするのは戦況が安定化しないとのことで、冬将軍:式の武器破壊をしていないのは現状努PTとユニスPTのみである。共同戦線に入っているPTは軒並み夏将軍と冬将軍の武器破壊の面倒さに愚痴っていた。何が四季将軍:天だ、夏と冬が強すぎると。
そうこう話しつつもロレーナPTは冬将軍:式の武器破壊を済ませて倒すと、除夜の鐘が鳴った。そして式神:月を背景に四季将軍:天が顕現し、そこに赤兎馬が合流した後に上空へ矢を放ち星を降らせる。
「逢魔が時。禍星」
マデリンが静かに詠唱を始める。これまで受け続けてきた呪いの蓄積が臨界を越えたことでそのスキルは成立し、彼女は全ステータスを上昇させた。そして式神:星にも負けない規模の黒い球形を生み出し、上空にゆっくりと放つ。
その巨大な黒球が式神:星に着弾すると、重力を捻じ曲げるが如く呑み込んでいく。光の粒子をも逃さぬそれはブラックホールにも近い性質を持つ。その禍星は触れた物全てを吸引し、破壊する。
その代わり重度の呪いを重ね掛けした状態でなければ使用できず、マデリンはロレーナに触れられての回復を受けていなければ動かすのもままならない。それにその動きも緩慢であるため、対モンスターでは当てることが非常に難しい。
「禍津」
そんな禍星で式神:星を喰らい切ったマデリンは続いて一定時間無敵になる禍津を使い、四季将軍:天の前に出た。
そのまま四季将軍:天の目前に出ると、彩烈穫式天穹から放たれる強烈な矢の一撃を、無音で吸い込んで消し去った。
一分間、その身は無敵。だが時間が過ぎれば必ず死に至る。この代償付きのスキルは、呪術師という職の代名詞ともいえるものである。
四季将軍:天は矢を無効化された事実に目を細めた。わずかに感心した素振りを見せると、ゆっくりと矢筒から一本の矢を引き抜いた。
それは探索者のスキルを打ち消し、貫く退魔の矢。蘇生の芽を持った努を死に至らせたあの矢が今、マデリンへと向けて放たれる。
矢は彼女の胸を正確に射抜いた。心臓に穿たれた穴から、彼女の命は音もなく抜け落ちる。
「ここからなんだよねぇ……」
ロレーナが如意棒を両腕に挟み込み、ぐっと肩をすくめながらつぶやく。
退魔の矢には発射数の制限がある。それを使い切らせるのは、呪術師の真価が問われる場面だ。だがそれでも式神:月の正体が明かされぬ限り、この戦いに勝機はない。
四季将軍:天の眼光が、まだ光を失わぬまま彼女たちを見据えていた。
やっぱ全一のガルムってぶっ壊れてるんだなあ