第720話 こいつ、脳内に直接……!?
ガルムとリーレイアが帰ってきたところでダリルへのセクハラを止めた努は、朝食が始まり皆が食べ始めたところで張り詰めていた肩の力を抜いた。こうして朝食を作った立場で見てみると、ガルムとダリルの食べっぷりには清々しさすら感じる。
二人の大きな身体に詰め込まれていく炭水化物とたんぱく質。アーミラやリーレイアも戦士として日々の鍛錬を欠かさないからか、女性にしては結構な量を平らげている。
山盛りのサラダや大鍋にたっぷりと入ったポトフ、その他副菜がみるみるうちになくなっていく様には自然と笑みが零れる。
(作る立場からするとエイミーいたらちょっと面倒だっただろうな。新鮮な魚はマストでオーガニックの野菜やらうるさそうだし。ハンナも小さい割によく食べて、コリナは言わずもがな。その点ディニエルは野菜と少量の肉出しとけば満足するだろうし楽かなー。オーリさん、マリベルさん、いつもありがとな……)
アーミラたちと比べれば小食に見えるエイミーであるが、それでも努からすれば一般男性くらいは食べるし食材の質にはかなりのこだわりが見える。今日はそれを考慮する必要がなかったので努は一安心しつつ、サラダをもしゃもしゃ食べる。
そして朝食が一段落して空になった皿などが次々と下げられていく中、努はキッチンに立って洗い物の準備を始める、流しには使い終わった食器は山のように積まれていた。ナイフとフォーク、スプーンに箸とコップも五人分ごちゃっとしており、その裏には調理に使ったフライパンや鍋などの大物も控えている。
「食器の量がすげぇや」
「今日は大皿ばっかだから楽な方だぞ」
追加の皿を運んできたアーミラがさらりと言ってのける。
「確かに普段は小鉢やらジュースやらあるもんね。食洗器でも導入するか……?」
「オーリなら手洗いの方が洗い残しもなくて速いとか言い出しそうだけどな。それにゼノが持ち込んでるたけぇグラスとかは魔道具じゃ洗えねぇぞ」
「そうなんだ。うきうきで魔道具屋に行って最新型を注文してくるところだったよ」
「微妙な顔をされるのがオチでしょうね。人の価値観で決められた高価な魔石を精霊にしたり顔で渡すようなものです」
「へい……」
赤と緑竜人に挟まれている努が肩身を狭くしている中、最近彼女に同じようなことを注意されたダリルも唇をぎゅっと結んでいる。ガルムは犬耳を立てつつも知らん顔で食器を拭いていた。
「それじゃ、精霊祭いってきまーす」
そしてようやく食器を片付け終わったところで努は軽く伸びをした後、昼頃から始まる精霊祭の準備をするため声をかけた。すると同じく精霊祭に向かうリーレイアが目を合わせてくる。
「人気が落ち着いた頃に私も伺いますね」
「おっけー。ガルム、夜飯は多分いらないからよろしく」
精霊祭の打ち上げか何かあるだろうと思いガルムにそう伝えると、彼は軽く頷いた。
「わかった。ただ、明日はPTを組む日だからな」
「へい。忘れないように致しやす」
「しばらくは三下みてぇだな」
そんな茶々を飛ばしたアーミラに見送られて努はクランハウスを出た。今日も晴れ晴れとしている街路を歩いて迷宮都市の東側にある職人街へと向かう。
今日から精霊術士を筆頭に様々な人たちが精霊にちなんだ出し物をバザーの形式で売るため、その準備に勤しんでいる者が見受けられた。
サラマンダーが熱しているオーブンで焼かれたクッキーの香ばしい匂い。その通りには光精霊であるアスモが吐き出した糸を用いて編まれた髪飾りがずらりと並び、陽光を受けて煌めいていた。
黒い金魚の見た目をしている闇精霊のレヴァンテは水の中にでもいるかのように宙を泳ぎ、餌やり体験でもらった魔石をつついている。それを興味深そうに見ている子供たちの和気あいあいとした声。
「おいで~。おいで~。おいでませ~」
そんな中、少し遠くから舌足らずな子供が客引きでもしているような声が響いていた。ただその声に少し聞き覚えのあった努は、気のせいかなと思いながらもその声の方向へと向かう。
表通りから一本外れた物陰に囲まれたゴミ置き場。人目が届きづらいその薄暗がりで、少しだぼついた上着を着ている黒髪の少女がぽつんとしゃがみ込んでいた。
努に気付くこともなく地面を見つめながら「おいでおいで」と何かを呼んでいる。
バザーの呼び込みというにはあまりに場違いで、どこか不気味さすらあった。だが数年経っても変わらない背丈と後ろ姿には見覚えがあったので、努は臆せずに声を掛けた。
「こんな所で何を呼んでるの?」
「……えっ?」
努の問いかけに肩を跳ね上げた少女である紅魔団のミナが、びっくりしたまま振り返る。見開いた目が努を捉えた時、ミナの足元に団子のように集まっていた蠅たちが一斉に飛び散った。
空中に舞い上がっていく黒い群集と耳がぞわつくモスキート音に努がギョッとしている最中、彼女は背中を震わせながら言葉を発する。
「……えっと、私の言ってること、わかる?」
「そりゃあわかるけど。……あれ?」
努が返答しながら違和感を覚える。確かに会話は成立していたはずだが、ミナの口は完全に閉ざされていた。腹話術の練習でもしていたのかと思い浮かびはしたが、それにしたってわけがわからない。
すると彼女はだぼついた上着を脱いで、背中から生えている繊細な膜で構成された虫の薄羽を露出させた。
その翅がさざめくたび、大人には高周波すぎて聞き分けられない振動が空気を揺らす。すると努の脳内にミナが発する言語が直接伝わってきた。
(虫にしか通じない言語を自然と聞き取っちゃった感じか? そういえば日本語に翻訳されてるんだっけ)
努は異世界出身でありながらこちらの言葉を自然と理解することが出来る。大昔に王族が大魔法によって統制した言語は勿論、ミナが蠅に向けて語り掛けていた言語すらも自動翻訳して理解することが出来ていた。
「なんで、わかるの?」
「……何言ってるかワカリマセン」
「嘘。呼んでるってツトム言ってた。わかってた」
「まぁ、ちょっとした事情があってね。内緒にしてくれる?」
棒読みも瞬時に見抜かれた努が開き直って人差し指を立てると、ミナは蟲化を解いて翅を塵に変えて今度はちゃんと口を開いた。
「いいけど、代わりにちょっと協力してほしいことがある。暇?」
「これから精霊祭の出し物があるから暇じゃないね。それと180階層攻略もあるからしばらくは忙しいけど、出来ることなら協力はするよ。……蠅の王関係?」
「うん。それじゃ、約束ね」
ミナは努と約束を取り付けた後、手持ち無沙汰になったのか後ろ手を組んで気まずそうにゆらゆらし始める。そんな彼女に努は苦笑いしながら手を振って別れ、フェーデが確保している設営場所に向かった。
言葉として発せられてるなら翻訳されて意思疎通可能だとすると凄いな