第727話 手向け
努が初見で潜った180階層以降、ステファニーは神台で彼の姿を見ることが出来なくなった。先手を譲り神台でその動きを見てから挑んだにもかかわらず、努PTの進行度まで辿り着けなかった事実が彼女に重くのしかかったからだ。
故に努の姿はもう目にしたくなかった。見てしまえばその重圧がより増してしまう気がした。再び見られるようになるのは自分が180階層を突破した時か、せめて彼の進行度を越した時くらいか。
そんな心境のままステファニーは180階層戦に向けて共同戦線を組み、自身の立ち回りを削いで尖らせることに努めた。
余計な支援、余計な回復、余計な攻撃、余計な動き。それらを削ぎ、180階層突破という結果に届くまで尖らせる。そうやってステファニーは160階層も突破してきた。
「なんかさー、流石に私の回復薄くない?」
「いえ、ホムラならもう少し削れるくらいですが。一応お試しになられますか?」
「……本当かなー?」
暗黒騎士のホムラは掘り出し物だった。確かに一癖も二癖もある人物と能力であるが、彼女は追い詰められるほどにその真価を増す。それをちんけな回復で乱されることを何よりも嫌うが、その塩梅をギリギリまで探られることに関してはあまり嫌がらなかった。
「凄い隈」
「……ヒール」
「あ、治るんだ」
既に160階層で最強の二人として名を馳せたディニエルとはもはや阿吽の呼吸である。そんな彼女をエースアタッカーとし、それをステファニー、ビットマン、ラルケが支える形だ。
「脳ヒールしてないだろうねっ」
「してませんわ」
「あとはホムラがブレなきゃ式神:月とやらが出てくるまではいけそうじゃない? ビットマンとラルケも良い味出してるし」
「赤兎馬が合流してからのヘイト管理が鬼門ですわね。それこそ触れるヒールで抑えてもいいくらいです」
「あーねー」
共同戦線を組んでいるシルバービーストの走るヒーラーであるロレーナと意見交換をしつつ、HPが五割を切った際に合流してくる赤兎馬戦について振り返る。その時に彼女を介して努PTの情報を貰うくらいがステファニーには丁度良かった。
そんなステファニーPTは精霊祭の最中に一日休暇を取り、久々にディニエルが早起きしたことでアルドレットクロウの一軍は朝から180階層に潜っていた。
「やっぱり朝に起きるの大事かも」
休み明けで久々に早寝早起きをした状態であったディニエルの動きは冴え渡っていた。その類い稀な弓の腕は勿論、アタッカーとしての視野も広くこのPTのエースに恥じない活躍をしていた。
そんな彼女に触発されたホムラも、二重のリスクリワード運用を用いて狂い咲く。その二人を堅実に支えるタンクのビットマンに、一刀波によるパリィにも似た手法を確立させた大剣士のラルケが前線を担う。
そしてステファニーPTは遂に四季将軍:天のHPを三割まで削り、式神:月を開眼させることに成功した。
「うぎぎぎぎっ」
しかし式神:月によってその不安定な立ち回りを看破されたホムラは、春のスキルも交えた集中狙いによって圧殺された。今まで彩烈穫式天穹による射撃を弓矢で相殺していたディニエルも、フェイントを混ぜられることでそれが安定しなくなり戦線は崩壊。
「何あれ。式神:月が出てから急に人みたいになった」
「あれを先に壊さなきゃ駄目的な?」
「……どうでしょうね。何はともあれ、お疲れ様でした。まずはあそこまで到達できたことだけでも素晴らしい戦果ですわ」
式神:月によるメタ読みには対応できずステファニーPTは全滅し、ギルド第二支部の黒門に吐き出された。だが180階層の新たな到達点に初めて足を踏み入れたこともあり、ギルド第二支部で神台を見ていた者たちは朝から湧いていた。
同じく観戦はしていたロレーナは何だかなっといった様子で口をむにっと閉ざしつつ、ステファニーをちらりと見た後に視線を一番台へと戻した。そんな彼女の様子にステファニーは小首を傾げながら近づく。
「どういう顔ですの?」
「んー。ま、一番台見てみなよ。ツトムが映ってるけど今なら見れるでしょ?」
ロレーナの言葉にステファニーは少し身を固まらせたものの、式神:月を引っ張り出した結果も付いてきた今なら、努の姿を見ても平静を保てる気がした。呼吸を整えた彼女は伏し目がちなまま一番台を見上げる。
そこには臨時PTとしてダリル、リーレイアを入れた形で努PTが180階層へと挑んでいる様子が映し出されていた。そこに映る努は心底楽しそうな顔でガルムに回復スキルを送り、PTの崩壊を防いでいた。
(何で、そんな顔ができますの?)
最善を目指すために自分を削って、削って。ふとした時に自我すらなくなってしまうのではないかと思うほど追い込んでいるのに。そうしなければ到底追いつけないと思っているのに、貴方はそんな顔で180階層に挑むのか。
四季将軍:天の上腕は既に落とされ、アーミラのヘイトが溢れたことでタンク陣は身体を張って彼女を守っている。もしアーミラが死ねば次に死ぬのは蘇生してヘイトを引き継いだ努。そうなればヒーラーが消えて終わりを迎える。
そんな危機的状況だと言うのに、彼は笑みを浮かべながら緑の気を次々と放ってタンク陣の死を翻していく。そのうきうきとした感情が乗っているような数多ものヒール。だがそれらには一切の無駄が見えない。無我夢中で最善を尽くしている。
目をかっ開いてその光景に釘付けとなっているステファニーを前に、ロレーナは気まずそうに頬を掻いた。
「見てた感じ、臨時PTとは思えない完成度なんだよねぇ……。まぁ、ある種ツトムの得意分野ではあるんだろうけど。多分この調子だと、ツトムたちも式神:月まで行くかもね」
「……てない」
自分はこんなに苦しみながら削いでいるのに、貴方は楽しんで削いでいるのか。そんなの勝てるわけない。ステファニーの心がひび割れ、胸の奥で囁かれる絶望が一気に噴き出す。
「かてない……かてなあぁぁあぁぁぁいいいい!! かてなあぁああああいいいい!!! いやぁぁぁああぁぁぁ!!!」
まるで目でも焼かれたかのように発狂し始めたステファニーを前に、ロレーナはギョッとして兎耳を立てた。そして彼女の顔から血が流れ出しているのを見た途端、取り押さえる。
だが既に右の目玉は抉られかけており、まだ繋がれた神経がぶらぶらとしていた。
「ちょ、ちょっとーーー!! 落ち着いてーーーー!! ヒール!!」
「ぐぅぅぅぅぅっ……!! はっ、離せよクソ兎ぃぃぃぃぃ!! こんなもん見せやがってぇぇぇぇ!! こんなもんっ……! うわああぁぁぁぁあああぁぁぁ!!!」
取れかけの眼球を何とか押し込んで治癒したロレーナに、ステファニーは叫び散らかしながら何とか拘束から逃れようともがいた。その間にディニエルが面倒くさそうな顔で合流する。
「ロレーナ。あまりいじめないで」
「えーっ、私の責任!? いやでもまぁ、うーん?」
「ツトムも式神:月まで辿り着きそうなの?」
「あー、四季将軍:天の上腕取ってて、前線も崩壊しなさそうだしねー。やらかし鳥もいないし順当にいけば辿り着くかも」
「……だからか」
これこれと言わんばかりにガルムたちを回復している努の姿を一瞥し、ステファニーの絶望に想像がついたディニエルはため息をついた。そして大人しくなり始めた彼女の手を引く。
「あっちのギルドに行く。ロレーナ、回復はよろしく。下手に失明されて時間が経っても困る」
「……一番台見せただけなのにぃー」
「まだ刺激が強すぎたみたい」
そうは言いつつ共同戦線を組んでいることもありロレーナも同行したが、道中のステファニーはもう暴れる気配もなかった。
「もう終わりですわ。あのままツトム様も式神:月まで辿り着いて、私たちとは違って突破してしまうんですわ。それもあんな楽しそうに研ぎ澄ませて。苦しみ抜いている私には到底不可能です。結局、楽しんでる人には勝てないのが道理なんですわ」
「どんな物事でも突き詰めていけば苦しみは生まれる。それはツトムも同じ」
「どうだか……」
アンニュイな表情を見せるステファニーを前に、ロレーナは白けた横目を返す。
「でもあんたもあんな風な顔してた時あったでしょ」
「私が……?」
「ほら、火竜戦」
努の弟子として荒野階層で何度も頭がパンクするほどヒーラーの練習を行わされた後、満を持して挑んだ火竜戦。そこでステファニーはまだ未熟だったタンクを何度も蘇生して立て直し、見事勝利を手にした。
確かにその成功体験はステファニーをより高みに導いた原点と言えるものだったが、今となってはそれも霞んで見える。
「……それとこれとは規模が違いすぎますわ」
「今となってはそうだけど、当時はユニークスキルでもなきゃ突破できないような強敵だったでしょ。その時のあんたもタンクが死んでもさっきのツトムみたいな目、してたけどね」
「…………」
その姿を見ていたロレーナにそう言われたステファニーは、さして納得のいっていない顔のまま右目を閉じてぐりぐりして位置を調整した。そして努たちが潜っているであろうギルドの方に到着し、ディニエルを先頭に進んでいく。
「アーミラの神龍化待ちかな。のんびりしてる」
「あぁ……もう安定化していますわ。終わりですわぁ……。もう見たくありませんわぁ……」
「初見であれに対応できるなんて思えないけど」
式神:月によるメタ読みすらも乗り越えることなど、いくら努PTでも無理があるだろう。それこそガルムのパリィ前提で動いているPTなら尚更である。だがステファニーは完全に病んでいる様子であり、ディニエルとロレーナはそんな彼女が早まらないよう隣に付いていた。
「さて、どうなるか」
そして努PTも遂に式神:月を開眼させるに至り、先ほどディニエルたちが経験した時と同様に四季将軍:天の目に月光が宿った。
その途端に四季将軍:天はガルムにパリィされないようにスキルの発動タイミングをずらし、ダリルにスキルを集中させた。そのメタ読みを前に努PTも前線が総崩れとなる。
「……存外粘る。アーミラだけは動きを読まれていない?」
「見たくなぁい……見たくないぃぃぃ……」
ステファニーたちは式神:月のメタ読みを前に多少は足掻けたが、十分ほどでステファニーのヘイトが溢れて全滅することとなった。だが努たちPTはアーミラが進化ジョブを切りタンクとして粘ることで、首の皮一枚で戦線を維持していた。
「ほら! ツトムも苦しそうな顔してる! にやにやしてない!」
「…………」
何か一つでも手をしくじれば終わる。そんなプレッシャーの中で行われる努の支援回復に淀みはないが、確かに先ほどの表情とは雲泥の差である。
「ん? 殺し切り? 何でだろ」
「何なんでしょう。それこそまた神龍化打てれば勝機もありそうですし、ツトムが何の理由もなしに勝負を急ぐような真似をするとも思えませんけどねー」
観衆たちが見やすいように神の眼で補正がかけられているため、月光が遮られ180階層が薄暗くなり始めていることは神台越しではわからなかった。だが努の指示に何の迷いもなく従ったアーミラやリーレイアを見るに、何かしらの理由があるのだろう。ガルムとダリルはこういう時にはアテにならない。
「うわ、それ熱ぅ……」
「ユニークスキルずるぃぃぃ……突破されるぅぅ……突破されるぅぅ……」
「…………」
初撃を無視してからの完璧なパリィを見せたガルムと、不完全ながらも神龍化でのブレスを放ったアーミラに周囲の観衆含め三人も息を呑んだ。また目を掻き毟ろうとしたステファニーの手を、ロレーナとディニエルが咄嗟に握って抑えた。
だが神龍化のブレスを以てしても四季将軍:天を倒すには至らず、アーミラ、ダリル、ガルムの三人は天に召された。それでも尚諦めはしない努の横に雷鳥が轟き落ちた。
「馬鹿野郎ぉぉぉぉ!! そっちじゃねぇぇぇ!!」
「…………」
そして四季将軍:天ではなく式神:月の方に飛んで行ってしまった雷鳥を前に、努の絶叫が響く。その後一番台は黒に染められた後、ギルドの黒門が開いて敗者たちを招き入れる。
それを見届けたステファニーは二人の手をゆっくりと払うと、床に打ち付けられた痛みで悶えている彼に近づく。
彼の姿は気が狂うほどに眩しかった。自分が忘れていた楽しさも、自分だけだと思っていた苦しみも、彼は味わっていたのだろう。
「……お疲れ様ですわ」
苦しみばかりに目を向け、他人にはそれがないのだと決めつけていた。だがそんなことはないのだ。だから自分も彼のように在りたい、そうなるという決意を込めてステファニーは手を差し伸べる。それは自分への手向けでもあった。
ステファニーが先行くでもなく、下がってくわけでもなく、真っ当にライバルしてるな。でもステファニーは狂愛要素ないと寂しい