第736話 にゃんつくな
「一歩進んで二歩下がる感じ」
ギルドの黒門に吐き出され床に伸びている努のぼやきに、亜麻色の服を着せられたエイミーは神妙な顔で手を差し伸ばす。その手を取ると女性とは思えない力でグイッと引っ張られて、努はエイミーと急接近させられ少したじろいだ。
「……大丈夫なの?」
「急がば回れってね」
ハンナとアーミラには聞こえない小声で尋ねてきたエイミーに、努は気取った笑顔で返した。それにガルムはピクリと犬耳を立てたものの口は挟まなかった。
努たちは最終盤に出てくる式神:月に動きを読ませないため、今まで使ってきた進化ジョブなどを制限して180階層に挑んでいる。そのため前哨戦の最後である冬将軍:式にすら手間取ることもあるくらいで、四季将軍:天には競り負けている状況だ。
流石にガルムのパリィなしで突破は出来ないと努は判断し、彼だけはタンクの中枢として全力を出させている。ただ属性魔石を使えないハンナに、進化ジョブを封印したアーミラ、エイミー、努の戦力低下は計り知れない。
そもそも進化ジョブを開放すると精神力が全回復するため、それを制限されるだけでスキルの回転数は落ちてしまう。特に精神力消費の多い白魔導士の努にとっては嫌な縛りプレイであった。
更に大剣士の進化ジョブでサブタンクを務めていたアーミラが抜けたことで、前線の枚数が不足しガルムとハンナの負担が増した。いい加減将軍たちとの連戦にも慣れてきたとはいえ、その負担増で釣り合いはトントンといったところである。
それに神龍化で四季将軍:天の上腕を飛ばすことがセオリーになっていた分、それがない戦いでは秋将軍:穫の薙刀が残ったままだ。その手数の多さはタンク陣に重くのしかかる。
仮に式神:月まで辿り着けたとしても、デバッファーの進化ジョブを扱えるエイミーの状態異常付与もすぐ回復されてしまうだろう。なのでガルム同様アーミラにも神龍化を切らせた方がいいのではとPT内で議論されたが、努の判断により最終局面まで取っておくことになっていた。
異様に頑丈なテクトナイトをマジックロッドで扱える努の進化ジョブが使えないことも痛手である。視野の広さを用いたマジックロッドによる妨害は、的確に将軍たちを怯ませタンクの負担を減らしてきた。だがそれもこの状況下では行えない。
更にハンナも属性魔石を扱えないことでユニークスキルじみた上振れも見込めず、痒い所に手が届かないようになった。
それに嫌気が差した彼女は数日前に属性魔石をこっそり持ち込んできたが、目敏い鑑定持ちのエイミーに感知され罰として刻印装備のスリットを増やされる羽目になった。それには職人と観衆も大歓喜である。
そんなないない尽くしである努たちはステファニーPTと一、二を争う展開から一転して、嘘みたいに転げ落ちていた。
それが式神:月を見越した対策による一時的な落ち込みであることを、迷宮マニアは理解していた。だが観衆や報道陣からすれば期待外れもいい所である。そのため無能な判断を下したPTリーダーである努の判断を酷評し、その愚かな行為を是正させようとしている。
「ちょっとは慣れてきたっすねー。式神:星も意外と無色の魔石だけでも何とかなるっす」
「俺もアタッカーのまま前線は張れるしな。一刀波で相殺安定すりゃ尚いいんだが」
「息をつく暇を作ってくれるだけでもありがたい。あとは私とハンナの腕の見せ所だな」
「そーっすね! これはこれでおもろいっす!」
ただ世間からの批判とは裏腹に、PTメンバーたちは努の判断を信頼してそれぞれの役割を全うしようとしてくれている。
そんな中でPTとしての懸念を伝えてくるエイミーも、自らの不安に振り回されてはおらずあくまでブレーキ役に徹してくれていた。
忠犬のガルムにサブタンクで手一杯なアーミラ、そして何も考えていないハンナ。その中でバランスを取って全体像を掴もうとしてくれる彼女を努は頼もしく思っていた。
「まぁ勝負は時の運だし、絶対に勝つとまでは言えないけどさ」
「えー?」
「それでもディニエルには負けて帰ってきてもらった方が色々と都合が良い。そこは皆も同意見なはずだよ?」
努がそう念を押すと、誰よりも早くハンナが青翼をおっ立てて拳を突き上げた。
「ディニエルにはぜぇーったいに泣きっ面で帰ってきてもらうっす! そのためなら魔石の制限だろうがなんだろうが何でもやってやるっすよ!!」
「ま、律儀なババァに格付けはしとかねぇとな? まだ一流二流を気にしてるようだしよ」
「あたしたちが一流!! ディニエルは二流っす!!」
「やかましいが、私としても同意だ。真っ先に無限の輪に見切りをつけ、最後に戻ってくるのなら相応のツケは払って貰わなければな。その手始めとしても180階層では勝っておきたいところだ」
ディニエルとは小さい頃からの付き合いであるエイミーは勿論だが、無限の輪初期のPTメンバーとして名残のあるハンナも彼女に対しては一物抱えている。その他も並々ならぬ闘志を燃やしている様子のPTメンバーを横目に、努はエイミーに振り返った。
「僕はこの方向性でいいと確信してる。悪いけど最後まで付き合ってくれ」
そんな努の宣言にエイミーは流し目を送った後、ふいと視線を逸らして肩をすくめた。
「しょうがないにゃあ……いいよ」
「……僕に対する必殺のフレーズやめてくれる?」
以前にエイミーが不意に漏らした天然のしょうがないにゃあを前に思わず大興奮して完全詠唱まで完了した努の黒歴史は、当然彼女も覚えていた。その言葉を前に何とかにやつかないよう口元を押さえながら返した努に、エイミーはほれほれとSっ気のある表情を見せた。
「こういうのが好きなんでしょ?」
「いや、そうじゃなくて」
にゃんにゃんと手を丸めてこれ見よがしな猫ポーズをエイミーは決めたが、努は違うそうじゃないと途端に真顔で返した。
「師匠、普通に変態の部類じゃないっすか? あたしにもこんな装備着せさせるし」
「てめーが属性魔石持ち込まなきゃそんな破廉恥装備にはならなかっただろうがな」
「は、はれんち?」
「……まぁ、趣味は人それぞれだからな」
ガルムはそう結論付けて装備の回収率が良かったマジックバッグを肩に引っ提げ、エイミーとにゃんついている努に顎をしゃくってやんわりと止めた。
月まで行けたらあっさりクリアしそうw