第744話 180階層戦:神台市場 1
四季将軍:天と対面し始めた努PTが一番台に切り替わった瞬間、市場にざわめきが走った。だが既に見慣れた戦闘そのものより、まず注目をさらったのは努の何気ない発言だった。
ハンナのスリットを戻す。そんな努の口約束を待ち構えていたかのようにあちこちからブーイングが巻き起こる。それに神の眼がまるで意地悪をするかのようにハンナのお着換えタイムを外すように映像を切り替えたことで、そのブーイングはさらに膨れ上がった。
笑い声、口笛、からかい半分のヤジまで飛び交い、神台市場は一瞬お祭り騒ぎのようになる。
「ぶーーーー!!」
「おい既婚者」
「これが騒がずにいられるかっての!!」
神台市場はまるで酒場のような騒めきに包まれた。それに乗じて一際大きな声を上げていた黒縁眼鏡の犬人ことフォルカスを前に、迷宮マニアは白けた目で窘めた。だが彼は何ならハンナの装備を初期まで戻してほしい過激派である。
そんな当の本人はどこ吹く風でメガネの奥の目を輝かせ、ひとり楽しげに騒ぎ続けていた。家族には見せられない男の一面である。
そんな野郎どものブーイングが収まる頃には、ガルムを中心に四季将軍:天と戦う姿が一番台に映し出された。彼が単身でパリィを決め確実に凌いでいく様子に、フォルカスは眼鏡を押し上げて訳知り顔で頷く。
「やっぱガルムとツトムよ。実家のような安心感」
「普通に支援回復回してるだけだろ。まぁ、それが何より大事なんだけど」
「進化ジョブ出てきてからは大体怪しくなってるもんなー。ただ最前線のヒーラーならあれくらいは余裕だろ」
「とはいえハンナの支援管理まで代わりにやってるの、割とおかしくね? 脳みそどうなってんだよ」
四季将軍:天からは悪くない滑り出しを見せている努PTを前に、迷宮マニアたちが各々意見を口にする。そしてハンナのカウントフルバスターと締めの魔正拳が決まると一番台付近の者たちから歓声が沸き立ち、それで他の観衆の目を引いたのか一番台で足を止める者が増えた。
「あ」
ただその後にアーミラとエイミーとの間で行われる赤兎馬のヘイト引き継ぎが上手くいかなかったことを、フォルカスはすぐに察した。そのことでガルムとエイミーの二人で四季将軍:天を相手取ることになるが、果たしてそれでどうにかなるのか。
「うわーー、ここでガルム死ぬかーーー」
「ハンナの死ですら微妙なのに、これは……」
より安定したタンクをするために行った進化ジョブ解除。だがそんな時に限って放たれた刹那零閃を前にパリィを使えないガルムは捌き切れずにその首を落とされた。
「何でパリィしなかった?」
「進化ジョブ解除してたから出来なかったんじゃない?」
「ガルムーーー」
そのことには観衆からもどよめきが走り、空気が一気に冷え込む。そして努に向かって叫んだハンナに神の眼がフォーカスされ、ここからどう立て直すのか期待の視線が向く。
「あー、切っちゃったね。進化ジョブ」
「まーたフォルカス君は狼少年か」
「もうみんな呼んじゃったよ……」
古参たちは半ば呆れ、笑い混じりに揶揄する。すでに仲間を呼び集めてしまっていたフォルカスは天を仰いでため息をつきながら眼鏡を押し上げるしかなかった。
努PTは式神:月との戦いに備え、進化ジョブを制限する方針で180階層に潜っている。その方針が崩れた今、180階層を突破する可能性は下がったとみていい。
だがそれでも努は勝負を投げずにガルムを蘇生させて戦闘を続行した。
「ガルム死んだけどいつもよりは順調じゃね?」
「ま、勝負はここからだろ」
「式神:月まではいけるんじゃない?」
ただ迷宮マニアの冷静な視線とは裏腹に、一般の観衆はむしろ期待を高鳴らせていた。一番台周りの神台市場は熱狂と不安が入り混じり、子供は身を乗り出して画面に釘付けとなる。
「うおぉぉぉ!! ハンナつえぇぇぇ!!」
「魔流の拳最強! 一人で四季将軍:天も倒せちまうだろ!」
「反動の制限が追加されなきゃなぁ……」
「ガルムとエイミーが共闘してる!」
「ツトムも前張って戦えばいいのに!」
魔流の拳を織り交ぜたカウントフルバスターで四季将軍:天を圧倒しているハンナに、それを補佐しながらも火力を出すガルムとエイミー。そしてマジックロッドで四季将軍:天の上腕を受け持つ努を前に神台市場の自由席は歓声で包まれた。
その一方で古参の迷宮マニアたちは熱狂に埋もれながら冷静さを保っている。
「こういう時に限って調子良いんだよなぁ、ハンナ」
「悪足搔きだなぁ……。それこそツトムとアーミラが進化ジョブ温存できた状態でも、アルドレットクロウと競り合うに留まってたわけだし」
「ディニエルくらい火力出せるのか? 残ったエイミーだけで」
「属性魔石のハンナ前提でしょ」
努PTの戦力や方針をこの二ヵ月で知り尽くしている迷宮マニアからすれば、それは確かに悪足搔きであった。お使いを受けて続々と集まってきた友人一同を前にフォルカスもちんまりしている。
「さて、式神:月もお出ましか」
誰かが低く呟いた瞬間、騒ぎは潮が引くように静まる。巨大なスクリーンに映るのは光を呑み込み、闇を濃くしていく式神:月の姿。観衆の視線が一斉に釘付けとなる。
「えー、氷かー。どうせ無理だしそれなら雷に賭けても良かったと思うけどなぁ」
「やるならハンナ主軸でしょー。エイミーに務まるとは思えんし」
「いや、エイミーも強いんだけどね……。ディニエルとかコリナと比較しちゃうとどうしてもね……」
式神:月が出現してからハンナが扱う属性魔石は氷に決められ、唯一進化ジョブを残しているエイミーがアーミラと龍化結びを行う。そして眼光を月色に変化させた四季将軍:天との戦いが始まった。
神台市場の観衆も酒を煽る手が止まり、観客たちの喉が緊張で鳴った。進化ジョブを制限していた努PTが式神:月まで辿り着くのは珍しく、ただその意味を深くは知らない観衆は少し期待を残していた。市場の熱気はそのままに、今度は緊張感へと転じていく。
「来たな、エイミー」
「エ・イ・ミー! エ・イ・ミー!」
「エイミーファンも大喜びだ」
ハンナが氷魔石の魔力を練り上げ疑似的な翼を作り上げている間に、四季将軍:天への先陣を切ったエイミー。それにはファン復帰勢も熱の籠った声援を送っている。
「……あぁ、ツトムが神の眼弄ってるのか? まぁ初めから動かないだろうしいいけどさぁ……」
「視点が固定化されると少し微妙だな。見れますけども」
「ハンナのどーんが遠い」
努が神の眼の隠し機能がないか設定を探っている間は、彼の手の内で視点が固定された。それは迷宮マニアだけでなく観衆も少し物足りなく感じていたが、それが手早く終わると安心したように息を吐いた。
待ってた!ただ一戦の周辺の反応がこんなに待ち遠しいの初めてだわ。