第775話 無限ループ
マウントバグは基本的に温厚な生態の虫型モンスターであり、以前の竜種のようにお遊びで火を振り撒くことはない。そのため余計な刺激さえしなければわざわざ転がって街を破壊し尽くすこともなかった。
ただその規格外な巨体を維持するための魔石を確保する食事は、人からすれば生活必需品である燃料が大量に消失する災害となる。既にマウントバグが這い出てきた帝都の周辺は魔石を食い尽くされ、命以外のほとんどを失った大量の難民が発生する事態が起きていた。
それでもマウントバグの食欲は留まることなく、その脚は魔石が豊富にある迷宮都市にまで伸びた。だがそこで手痛い反撃を受けたそのモンスターは生命の危機を覚え、その体を丸め脚の隙間から魔力を噴射する準備を始めた。
その推進力を以て巨体を転がし、せめてもの抵抗をしてきた街も引き潰して魔石を喰い漁ってきた。その例に漏れず転がり始めたマウントバグを前に、バーベンベルク家の長男長女は対策を講じる。
障壁魔法の強みは迷宮都市へと事前に張り巡らせているストックと、その応用性にある。バーベンベルク家次期当主であり迷宮都市の守りを担うスミスは、事前情報として入っていたマウントバグの転がりに対し傾斜で対応した。
スミスが事前に張っていた障壁魔法をかき集め、瞬く間に変形し組み上げていく。それはマウントバグが転がってくることを想定して作られた、球の通り道である。
「バリア」
「バリア」
「バリア」
スミスが形取った障壁魔法に対し、警備団の者たちがバリアでそれを補強する。
かつては貴族への不敬に当たるとして障壁魔法への補助はご法度だったが、暴食龍による被害が出てからはその風潮は消え去った。だからこそ事前にマウントバグを油まみれにするという小細工も弄せた。
「シルフ、お願いっ」
『♪』
「契約――ウンディーネ」
精霊術士たちが契約している大量のシルフたちは、マウントバグに対し向かい風を吹かせてその勢いを少しでも削いだ。ウンディーネたちはバーベンベルク家と警備団が共同で作り上げた通り道に流水を流し、それを天に昇らせた。
「みっ、見て下さいっ! この美しい障壁魔法をっ」
迷宮都市の上空まで届かんとする螺旋障壁を前に、動画機を用いて報道しているキャスターも思わず興奮の声を漏らす。ウンディーネと契約しその一助となっていた努も、その圧倒的スケールであるウォータースライダーを見上げて感心していた。
そしてそのウォータースライダーが完成した直後、丸まりきったマウントバグが脚の隙間から魔力を噴射しながら迷宮都市へと迫る。
その巨体が転がるたび地面はひび割れ、僅かに残っていた魔石混じりの土砂が周囲へと弾け飛ぶ。真正面から受け止めればいかにバーベンベルク家の障壁魔法といえど、ただでは済まない。
だがスミスは冷静な目でその進路を見据え、己が組み上げた傾斜へと意識を集中させていた。
「通せ」
短く告げたその直後、マウントバグは螺旋障壁へと突入した。バキバキと派手な音を立ててバリアが砕け散る。
警備団が重ねているバリアに、バーベンベルク家の障壁魔法ほどの精緻さはない。感覚共有もなければ、形を保ったまま制御し続ける器用さもない。
だからこそその用途は単純だった。螺旋障壁の表面で衝撃を受けるたびに砕け、障壁魔法へと届くはずだった荷重を一枚ずつ削り取っていく。
ぱきぱきと連鎖する破砕音の裏で、警備団のバリアは使い捨ての盾としてその役目を全うしていた。
そして事前に施されていた刻印油、ウンディーネの流水によって摩擦を極限まで奪われたことで、マウントバグの巨体は衝突することなくそのまま障壁の内側を滑り上がっていく。
まるで初めからそうして使うために作られていた玩具の球のように、丸まった巨虫は轟音と共に迷宮都市の上空まで組み上げられた螺旋を駆け上がった。
その様子を見上げていた探索者たちから、おお、とどよめきにも似た声が漏れる。
ただ傍から見ればそれは見事な仕掛けでしかないが、障壁魔法と感覚を共有しているスミスにとっては別である。螺旋障壁を駆けるマウントバグの圧倒的な質量と勢いは、障壁を伝ってそのまま自らへ圧し掛かってきていた。
その重みにスミスの靴底が石畳を削る。片足が半歩下がり、そのまま膝がわずかに沈む。
「やれるか」
「はいっ!」
万が一が起きた際には介入するつもりであるバーベンベルク家当主スパーダの声に、スミスは視線を向けずそう返した。額には汗が滲み、障壁を制御する両手は微かに震えている。それでも螺旋の形は一切崩れない。
「…………」
迷宮都市の守りを一身に担う長男と、それを見守る父。努はそんな二人の姿をちらりと見下ろした後、再び上空へと目を戻した。
螺旋障壁を滑り上がるマウントバグの巨体は、迷宮都市全体に巨大な影を落としていた。昼であるにもかかわらず暗みを帯びたことに違和感を覚えた住民たちが、避難所や建物の窓から空を仰ぐ。
そこにあったのは天を巡る災害そのものだった。
城壁に勝る甲殻の塊が、迷宮都市の空をぐるぐると昇っていく。その異形の様に子供は泣き、大人たちは言葉を失う。動画機を構えていたキャスターすら一瞬声を失い、遅れて興奮気味に叫んだ。
「迷宮都市の上で、マウントバグがっ……! 転がっていますっ! 何と面妖な光景でしょうかっ!」
そんな声を他所にマウントバグはなおも螺旋を登っていく。だが無限に続くように見えたその勢いも、流石に衰えを見せ始めていた。
魔力噴射の勢いが徐々に弱まり上昇速度が目に見えて落ちていく。迷宮都市の上空近くまで達したところでその巨体はついに頂点で止まりかけた。
そして僅かな静止の後、今度は重力に引かれるまま下降を始める。
それを確認した者たちの間に再び緊張が走る。いかに一度受け流したとはいえ、あの質量がそのまま降ってくるのだ。そのままどこまで被害が広がるかはわからない。
だがそんな空気を意に介した様子もなく、スオウは反対側へと手を掲げた。
「私の番ですか」
その声と共に、迷宮都市の反対側で新たな障壁魔法が立ち上がる。
スミスが用意していたものと同系統のそれは、同じく球の通り道として設計された第二の螺旋障壁だった。下降してくるマウントバグの軌道に道を作り、予め用意していた障壁を瞬く間に変形し組み上げていく。
その動きに迷いはない。長女らしい繊細さと大局を見渡す冷静さを併せ持った障壁魔法が、新たな水の道を描き出す。
「バリア!」
「急げっ、第二障壁の補強だ!」
警備団も即座に対応し、スオウが作った螺旋障壁にバリアを重ねていく。ウンディーネたちも流れを理解したのか、新たな通り道へと流水を流し込み、第二のウォータースライダーを完成させた。
それを見上げた努は思わず口元を引きつらせる。
「無限ループでもさせる気か?」
「そのつもりでしょうね」
傍らでそう答えたステファニーも感心したように第二の螺旋障壁を見つめている。
バーベンベルク家の狙いは単純だった。真正面から巨体を止めるのではなく、二つの螺旋障壁で延々と受け流し続けること。都市に被害を一切出さず、その巨体を転がし疲れさせて弱らせる。
「さぁ、次はこちらへどうぞ」
上から落ちてくるマウントバグを前にスオウがわずかに唇を吊り上げる。その先に待つ第二の螺旋障壁へ向け、丸まった巨虫が再び落ちていく。
ただそれをそのまま妹へ受け渡すほど、スミスは落ちぶれていない。第一の螺旋障壁を維持したまま下降していくマウントバグの軌道へ最後まで干渉する。既に上昇時の負荷だけでも凄まじいものであったが、今度は重力まで乗った衝撃が障壁越しにそのまま叩きつけられる形となる。
その圧にスミスの肩がわずかに沈み、口元から息が漏れた。
「ぐっ……」
それでもスミスは両手を下ろさない。障壁を僅かにたわませることで落下の勢いを殺し、そのまま軌道を滑らせるようにして第二の螺旋障壁へと繋げる。それは以前にバーベンベルク家当主が暴食龍の体当たりを弾き飛ばした際に見せた技術の模倣だ。
内蔵を殴打されているような衝撃。だがその代償と引き換えにマウントバグの落下は致命的なものとならず、丸まったままの巨体は乱れることなくスオウの作り上げた通り道へと乗った。
「受け取ります」
スオウが静かに告げた直後、第二の螺旋障壁がマウントバグを呑み込む。新たな流水が巨体の甲殻を撫で、丸まった虫は再び轟音と共に空へと駆け上がり始めた。
それを目で追った努は思わず遠い目で内心ぼやく。
(ハメやめてね)
何しろ二つの螺旋障壁が成立した今、マウントバグは迷宮都市の上空を延々と転がされ続けるだけである。巨大な図体を檻の中で回される虫そのものの光景に、努は若干の同情すら覚えた。
『かわいそう?』
そんな努の横から虫型モンスターの誘導という仕事を終えた蠅の王が語り掛ける。
「まぁね。あぁも手玉に取られるとは思ってもないだろうし」
『大丈夫。あれに感情はないから』
現に数多もの虫モンスターを屠ってきた蠅の王はいつものように羽音を鳴らしていた。努はフライで浮いたまま付いてきたミナの方にも目を向ける。
「ご苦労様。あの誘導がなかったらこうも上手くいかなかったと思うよ」
「うん」
『~~♪』
どこか得意げなミナと調子を合わせるように羽音を鳴らす蠅の王。その軽い空気につられて張り詰めていた周囲にも僅かな緩みが生まれる。
実際、誰の目から見ても勝ち筋は見えていた。このまま転がし続けて弱らせれば都市に被害を出さず討伐まで持っていける。そう確信するには十分な状況だった。
だからこそ、その異常は誰の目にも鮮烈だった。
スオウの螺旋障壁を抜け、再びスミスが受け止めようとしていた軌道へマウントバグが――止まった。
正確には止められた。まるで転がってきた球を誰かが足裏でぴたりと押さえつけたように、あれほどの質量と勢いを持っていた巨体が唐突に静止する。それによる風圧が簡易的に張られている障壁を激しく打った。
「……は?」
誰かの呆けた声が漏れる。探索者たちが目を見開く中、ただ一人、スパーダだけは即座に反応した。
「総員、退避!」
その怒号と共に障壁魔法が新たに展開される。迷宮都市側を庇うように張られた多重の障壁は、異常事態に対する当主の本能的な判断だった。
直後。止められていたマウントバグの巨体が上から踏み潰された。
凄まじい圧砕音。城壁に勝る甲殻がひしゃげ、丸まっていたはずの巨体が無理やり押し潰される。脚がへし折れ、甲殻の割れ目から体液と砕けた魔石の残滓が撒き散らされる。その破片がスパーダの張った障壁にべちゃりと張り付く。
それは一瞬の出来事だった。だが城壁上からその光景を見ていた探索者たちには確かに見えていた。
何もない空間に浮かび上がった巨大な足。それがマウントバグの上へと落ち、災害級のモンスターを虫けらのように踏み潰し足形を残した光景を。
「な、何だあれ……」
「足……? 今、足が見えたぞ……!?」
騒然とする探索者たちを余所に、その見えざる気配は次の獲物へと移っていた。
「っ!?」
腕をつねられたかのような痛み。スパーダが張っていた障壁が見えざる指先で小さく破られ、空中で待機していた蠅の王の身体が不自然に持ち上がる。
見えない何かの指先が、蠅の王の小さな身体を器用に摘み上げる。それはまさしく人間が虫をつまむように繊細で、間違っても潰して自分の手を汚さないための配慮が見られた。
『えっ!? なに!? ツトムっ! なにこれっ!? 助けてっ』
激しく震える蠅の王の羽音。それを意味ある言葉として理解できたのは努だけだった。そしてその意味を正確には把握できないにせよ、助けを求めていることだけはわかる少女。
「はーちゃん!」
「っ!」
その声に最初に反応したのはミナだった。ほとんど反射のように空を蹴り、フライを使い前へ飛び出す。努も一拍遅れてその後を追う。
努は空中でもがく蠅の王を見上げた。フードを深く被っていたその小さな体は、見えざる手に摘ままれている。そしてそのフードがそっと剥がれた。
露わになったのは人の顔ではなかった。複眼。細かく震える触角。湿った光沢を持つ口器。人のような衣服に包まれていたその奥にあったのは、巨大な蠅そのものの頭部だった。
「……っ」
初めて見た蠅の王の素顔に努が驚くのも束の間、見えざる指先がその頭部を掴む。そして躊躇もなく引き千切った。
ぶつりと嫌に湿った音。頭を失った蠅の王の身体が空中で痙攣し、そのまま力なく垂れ下がる。
その凄惨たる絶望を前にミナが足を止め、努もまた硬直する。
「いやっ。いやぁぁぁぁぁ!!」
そうしてそのまま落とされた頭部をミナは絶叫と共に追いかけ、努は胴体から聞こえる羽音の意味を聞いた。
『なんで? なんで? なんで? なんで?』
「……メディック」
そんな疑問を無機質に呈する胴体をフライで受け止めた努は止血処置を行う。だが疑問の声は止まない。
そしてマウントバグの潰れた死体と蠅の王の亡骸を見下ろすように、誰もいないはずの空間から声だけが降ってきた。
「ノースキルノーステータス」
その神なる詠唱は迷宮都市全土に響き渡った。
更新ありがとうございます。なんかもっと効果的な場面で使うもんだと思ってた。