第792話 マナー違反
ガルムを殴りつけた後に捕らえようとした神の見えざる手は、努が事前に張っていたバリアにより相殺され吹き飛ばされるだけに留まる。だがそれに続いて透明な足も一帯に振り下ろされ、周囲の者たちはその風圧で吹き飛ばされた。
そして努のバリアと相殺されたはずの透明な手足がすぐに再展開されると、未だ神華の口を塞いでいたエイミーの右腕を掴んでへし折った。神華はようやくその口が自由となり、忌々しげに骨折しだらんとした右手を見下ろす。
確かに神華は口を封じられてスキルを扱えなかった。だが神の見えざる手足は元来は魔法であり、バーベンベルク家と同様に無詠唱での行使も可能だった。
ただ神華はその魔法をわざわざスキルと同じように発声して発動することにしていた。それは下界の人々に合わせた余興の縛りであり、ゲームのマナーを守るようなものだった。
だが神華はこの受肉体をみすみす失うことは口惜しかったこともあり、その縛りをかなぐり捨てて神の見えざる手足を無詠唱で行使していた。
「えふふひーふ」
ただスキルに関してはたとえ神華であろうが発声できなければ発動はできない。穴の開いた舌でエクスヒールを無理やり唱えてみたものの発動はせず、神華は肩を落とした後に上空へと飛び上がる。
雷鳥が放った落雷を神の見えざる左手で防ぎ、地上は依然として巨大な足で踏みつける。努が事前に個々人へ張っていたバリアのおかげで潰されることはないが、それでも巨大な足が踏みつけたことで発生する風圧によって制圧する。
そんな者たちを見下ろした彼女は、やれやれと身を翻して空中を歩き遠ざかろうとしていた。
建前で言えば神善試合を汚されて興が冷めたこと。本音は神の見えざる手足を無詠唱で行使したことで、試合に勝って勝負に負けたことが恥ずかしかったから。それに神威からの贈り物であり最高峰であるこの受肉体を、誤作動させることなく完全に我が物にしたかったこともある。
「……は?」
先ほどまで武人がどうこう言っていた神華がうって変わって逃げの一手。そんな彼女を前にガルム含め皆が呆けた顔をした。そこからいち早く復帰したのはディニエルだった。
「逃げるなっ!! 返せっ!! かえせぇぇぇぇ!!」
ディニエルはエイミーが幼い時からの付き合いであり、これからも長い時を生きる中で欠かせない親友だ。そんな彼女が神華に乗っ取られたまま連れ去られていくことなど我慢ならないディニエルは、すぐさま飛び上がり矢を放つ。
「パワーアロー!!」
だがその矢は風圧により威力を弱められ、神の見えざる足を貫くには至らない。それでもまだ努のバリアが備わっている内は近づいても構わないため、ディニエルは全力で距離を詰めた。
「エイミー!」
『グゥゥゥ……』
「…………」
そんな彼女にコリナとアーミラも続き、ガルムも無言でその後を追う。ユニークスキル持ちのコリナは神の見えざる手足をその身で無効化でき、アーミラはまた近づけば龍化結びによる干渉も期待できる。
ただその後方から放たれたレーザーのようなブレスによって、三人の行く手は遮られた。
『ガアアァァッ!!!』
『バアァァァァ!?』
神華の撤退する意思を感じ取ったカミーユは、ブレスを四方八方に放ち障壁の檻を脱していた。そして同様に神竜と化しているアーミラを牽制しながら空を飛んでいた。それにアーミラも咆哮こそ返すが、既に精神力が限界でブレスは放てない。
「くっ……!」
先ほどから探索者たちや迷宮都市を守るために障壁魔法を張っていたスパーダも、そのダメージが蓄積し攻撃に転ずることはできない。せめて神華の協力者であるロイドだけは逃がさないよう徹底する他なかった。
「ふぬっ、ふぬぬっ」
ハンナは翼の羽根が抜け落ちたことでフライにも支障をきたし、飛んで追うことは叶わず抜け殻のような翼をはためかせている。リーレイアはステータスを全て剥奪されているため、その光景を地上から見ることしかできない。
この場にはおらず城壁上で待機していたダリルは、ノースキルノーステータスの影響で周囲がパニックに陥り暴動が起き始めたため、一先ずそれを鎮圧することに奔走していた。ゼノは先んじてロイドから聞かされていた聖戦の起こりを察してからは、一目散に家族の下へ走り妻と子を守ることを優先していた。
そのため神華に対して声を投げかけられる距離まで詰められたのは、ディニエルだけだった。
「エイミー!」
随分としつこい受肉体が好いていそうなエルフの追いすがりを前に、神華は鼻で笑った。そして穴の開いた舌をべーっと出した後、SS+のAGIを駆使して瞬く間に距離を離していった。それに神の見えざる手で掴まれていたカミーユも引っ張られる形で続く。
「はっ……はっ……」
もう姿形も見えなくなった親友を視線だけで追ったディニエルは、悪い夢の中にいるのかと錯覚した。世界が歪み、息苦しくなる。ついにフライの制御も失いかけてふらふらと宙を彷徨う。
「フライ、しっかりして」
そんな彼女に肩を貸したのは、後から合流した努だった。彼の支えと声掛けにディニエルは胡乱げな目のまま、空中制御に意識を割いてそのままゆっくりと地上に降りていく。そして口をわなつかせて随分と冷静そうな努を見やった。
「何を、平然としている? エイミーが連れていかれたのにっ」
「まぁ、これは流石に神運営案件かなと思って」
「……?」
先ほど上空にいた雷鳥と話はつけていた努の要領を得ない発言を前に、ディニエルのやり場のない怒りの矛先が定まらず霧散した。
恥ずかしくなったり、舌をべーっと出したり
エイミーからの精神汚染か