第818話 いい大人が
クリスティアは弓に矢を番えているものの撃ってはこない。彼女からすればこの騒ぎを聞きつけた警備団が介入してくることも勝利条件に含まれている。時間を稼げるのなら膠着状態が続いても構わないのだろう。
「コンバットクライ」
『グルァ!!』
副隊長とフェンリルの規格外なぶつかり合いで既に会議室には穴が開き、騒ぎを聞きつけた迷宮制覇隊の隊員たちが様子を見に来ていた。既に警備団への通報がされていてもおかしくはない。
「バリア、フライ」
ただ110番もないこの世界において、警備団の本隊がやってくるまで少なくとも15分はかかるだろう。その間にここを切り抜けるため努はまず最大限の精神力を込めたバリアを再展開し、足場も含めて安全な場所を仕切った。
先ほどフェンリルが周囲を警戒するよう呼びかけたことから、敵はクリスティアだけでなく迷宮制覇隊であることを努は再認識した。そのためバリアによる守りを入念に固めた後、マジックバッグから普段探索している時と同じ装備を取り出す。
ポーションホルスターを腰に巻き、ローブを脱いで機械階層からドロップしたハイコンテクストな上着を羽織った。それは精神力消費を抑える特性を持ち、刻印はエイミーと対人戦をした時と同じような構成である。
そして装備の準備が終わると自身の身体に這わせているバリアを一部ずつ解いては補強し、いつも神のダンジョンに潜っている時と同じ状態にする。障壁魔法ほど自由度のないバリアでそれを行うのは至難の業だが、お団子レイズを使える努からすればそれもお手の物だ。
努は元々自分の身体の至る所にバリアを張って過ごしているが、日常生活でよく使う手足や顔面にはわざわざ張らない。あまり備えすぎて日常生活が不便になるのは困るし、不意打ちによる致命傷さえ避けていればヒールで持ち直すことも可能だからだ。
「……何を、するつもりだ?」
そのあまりにも入念な準備の様を見せつけられていたクリスティアが思わず口にすると、努はまだバリアで補強しつつ答える。
「ディニエルから聞いたんですけど、エルフの逸話っていうのは恐ろしいみたいですね? 特にまだ将来のある若者なんて害したら、末代まで根絶やしにされるとか」
平均年齢が400歳を超えるエルフにとって、ディニエルはまだ成人したてのピチピチである。仮にそんな彼女が殺されようものなら、ただでさえ数の少ないエルフはその者を百年単位で許さない。
実際数百年前にエルフが殺された際に事が起きた逸話があるからこそ、エルフに手を出す者は少ない。それに輪をかけてダークエルフのクリスティアは数百年もの間、スタンピードの軽減に人生を捧げ多くの命を救ってきた伝説的な存在である。
それは神のダンジョンが発生していなかった期間がほとんどであり、仲間の死体を積み重ねるような日々であったことは窺える。今も床に転がっている獣人二人だけが大袈裟なのではなく、国宝と言っても差し支えない存在なのだろう。
そんなクリスティアに敬意を表すように、努は森の薬屋の青ポーションをホルスターから引き抜いて口にした。それを飲んで精神力を完全回復した努は一息ついた後、顔を上げる。
「――ただ、お前は若くないよな?」
エルフの逸話があるから。数百年もの間、迷宮制覇隊として活動してきたから。力による制圧を試みても殺されないと思っているのか? いい大人が。
「っ」
テクトナイトが重々しく動作を開始して持ち上がり、上からクリスティアを潰しにかかる。利き腕を狙ったその一撃を彼女が躱すと、岩杖は会議室の床を深々と抉った。そして床に食い込んだままマジックロッドによって横に引きずられ、床板が軋む音を立てて剥がされていく。
副隊長とフェンリルも派手だったが、努も大概だった。もはや建物を壊すことが目的なのかと思うほどテクトナイトを振り回し、足場や天井がみるみるうちに崩壊していく。既に努もフライを使い、クリスティア含む迷宮制覇隊たちも宙に浮いて注視していた。
(半々ってところか)
フェンリルが警戒を示していた通り、この会議室の他にも戦闘を予見して装備を整えている者はいた。そういった伏兵たちの中からタンク職のみを狙ってテクトナイトで殴りつけて痛手を負わせ、非戦闘員らしき者たちは見逃した。
「パラライズ」
「エクスプロージョン」
「エアブレイズっ」
「クロスカッティング」
「パワースイング」
その間に一階と三階で戦闘準備をしていた隊員たちは一斉攻撃を仕掛けたが、努が入念に張っていたバリアによって全て防がれる。
「エアブレイド。ホーリーレイ、ホーリーレイ」
そしてクリスティアが放った暴食龍の呪いがかかった矢を風の刃で打ち払った努は、続けて聖なる光線を的確に放ち数十人が放つスキルを消失させた。それらを貫いた光線同士が反射し、努のバリアに殺到していたスキル群までも相殺させた。
「はぁっ!?」
迷宮制覇隊の隊員が驚きの声を隠せない中、努は青ポーションを飲み干し空容器をマジックバッグにぶち込む。
圧倒的なステータス差があるからこそ、それほどの人数差を物ともせず戦況は維持されていた。頼りの副隊長もフェンリルが全力で相手をし、ユニークスキルである狂化を使わざるを得ない状態まで追い込んだ。
ただその間に努が倒したのは頑丈なタンク職だけである。タンク職以外をテクトナイトで殴れば内臓が損傷し死に至ることは犬人で実証済みであり、その他スキルも必殺は免れない。
何ならこの戦闘で人死にを出すことこそ迷宮制覇隊の目的でもある。顔見知りの男が自爆覚悟でスキルの射線へ飛び込んできた時には、努が咄嗟にバリアで庇わなければならなかったほどだ。そしてその一部始終から努が人死にを出したくないのだと悟った者たちは、彼に倣うように次々と決死の行動を取り始めた。
「アンチテーゼ」
だがタンク職を殴れたことで努は既に条件を満たしていた。テクトナイトの制御を放棄し、ラチェットロッドに切り替えた努が詠唱する。
「エリアヒール」
本来であればそのスキル範囲内にいる者たちを等しく癒す緑の陣。だがそれは効果を反転し範囲内にいる者たちを蝕み続ける赤い陣となる。テクトナイトにより吹き抜けとなった迷宮制覇隊のクランハウスが、赤いエリアヒールに包まれた。
「……!!」
「ガァッ!!」
その異変を狂化中でありながらも察知した副隊長が努を狙おうとするも、フェンリルが腕に食らいつく。そのまま力任せに引き戻された巨躯が壁へと叩きつけられた。
「鑑定、ヒール。鑑定、ヒール」
鑑定で相手のHP状況を確認してその減り具合からDPSを瞬時に計算した努は、その状態のまま余力のある者たちにヒールを飛ばして回る。苦痛を伴わない分その恐ろしさに気付くのが遅れる。足から力が抜けていくのを自覚した時には、既に迷宮制覇隊の者たちはその場に膝をついていた。
迷宮都市において最高峰のレベル。そしてアンチテーゼ用に調整されている刻印とそれを扱う技術。それにより迷宮制覇隊の者たちは次々と倒れていき、HPが二割を切った頃には手足を動かすことも叶わなくなる。
「エリアヒール! 回復スキルで対応しろ!」
そんな赤陣の中でクリスティアは器用に努のヒールを避けながら回復スキルで対抗し、白魔導士たちにも指示出しして緑陣を張らせた。その対応力に努は片眉を上げながら緑ポーションを飲み干す。
「鑑定、ヒール。ヒール」
だがそれよりも対処しなければならないのは、自分と同じくノースキルノーステータスの影響を受けていない副隊長である。ただ彼は既にユニークスキルの狂化を使っており、フェンリルに足止めされている状態だ。
そんな彼に努はヒールを連打して追い込む。刻印装備による回復特化の影響もあり、今はエクスヒールよりもヒールの方が回復効率がいい。
『…………』
そして赤いヒールを幾度も受け、副隊長は倒れ込む。それを氷の檻で囲ったフェンリルに番を任せ、努はエリアヒールの幅を狭めていく。このまま垂れ流しては大量殺人鬼となってしまうし、白魔導士たちで身を寄せ合って耐えているクリスティアに注力する必要もあった。
「鑑定、鑑定」
ラチェットロッドを手元で早回ししてから青ポーションを口にしている努は、彼女たちから目を離さない。エリアヒール内から抜け出そうと駆けた者は赤いヒールで撃ち抜き、鑑定してHP状況を確認した兎人をマジックロッドで押しやって自害させないようにする。
「健気な死に役だね」
それでも尚、舌を噛み切って死のうとする兎人の口から血が一筋流れる。だが今のHP状況では自力で舌を噛み切る力も残っておらず、傷は浅く死には至らない。
「んぅっーー」
努は迷宮制覇隊の者が持っていたスキル封じの猿轡を兎人に噛ませ、そのまま縛り上げた。
その一瞬の隙にクリスティアは一矢を差し込む。兎人に対処するために解いたバリアの綻び。そこを正確に掻い潜り、暴食龍の呪いを帯びた矢が努の身体へと喰らいつく。
「そんな型遅れの装備でよくやるね」
見事な一撃ではあった。だが赤陣に蝕まれたクリスティアの身体は衰弱しきっており、普段の膂力は望むべくもない。それに今となっては暴食龍を上回るモンスターなど神のダンジョンにはいくらでも存在する。矢は機械階層の上着に阻まれ、その肌まで届くことはなかった。
「鑑定、ヒール」
エリアヒールを解いた努はクリスティアのHP状況を把握した後、その頭を右手で掴んで赤いヒールを打ち込む。彼女のHPは一割を切り、身体が強制的に弛緩していく。それでも尚努はその手を離さない。
「んぅーーー、んぅーーー……」
「や……め……」
このままではクリスティアが本当に殺されてしまう。猿轡を噛まされた兎人は涙を零しながらくぐもった声で許しを乞い、床に伏していた顔見知りの男も何とか声を絞り出して顔を上げた。
「…………」
だが当のクリスティア本人はようやく迎えに来た死を受け入れているのか、その無表情は変わらなかった。数百年仲間の死を見送ってきた彼女からすれば、ようやく自分の出番が回ってきたといったところだろうか。
そんな彼女のHPが遂に1%まで減ったところで、努のアンチテーゼ発動から五分が経過した。ここまで人のHPを追い込んだのは彼としても初めてであり、念のためヒールを左手から出して解除されていることを確認する。
「耐えろよ。エクスヒール」
「……!?」
あと一歩で至る死の淵。そこから急速に引き上げられたクリスティアの脳がばちばちと迸った。いかに死を理性で受け止めていようと、生にしがみつく身体は正直である。その喜びは生物の本能に根ざすものであり、反射的な幸福がクリスティアの表情に浮かび上がる。
「は、は、は……はひっ………」
「おー。笑ってるところ初めて見たかも」
「ちっ……ちがうっ、こんな、ものっ……!!」
感情を表に出さぬよう己を律していたクリスティアはそれを否定したが、死の淵から蘇った多幸感でその頬は緩みっぱなしになっていた。それを否定するためにクリスティアは立ち上がろうとするも、脳がふわふわとして身体が言うことを聞かない。
「それじゃ、もう二度と力任せに楯突いて来ないで下さいね? 次はその顔、皆の前に晒しますよ」
「……ふーっ、ふーっ」
「エリアヒール」
そして努はボロボロの迷宮制覇隊クランハウス全域にエリアヒールをかけた後、警備団がやってこないうちにその場を退散した。それから1%まで追い込まれて努から直接脳ヒールを受けたクリスティアほどではないにせよ、迷宮制覇隊は生の喜びに包まれた。
普段は無口な大年増エルフがセイの喜びによってだらしないアヘ顔を晒すのを見て……ちょっと下品なんですが……『勃起』してしまいましてね……。