第553話 脳みそデトックス

 

 日曜日にも絶賛稼働中であるゼノ工房。そこに在籍している中でも若手のドワーフであるノグルという青年は、たがねと呼ばれる工具で刻印模様が下書きされた鎧の加工を行っていた。

 努が下書きしている刻印模様に合わせてたがねの刃を当て、反対側をハンマーで叩き金属を削り出すようにして彫り込みを入れていく。ノグルは結構な速さで小気味良い金属音を立て、魚の開きのように広げられた鎧の裏地に模様を刻んでいく。

 ノグルが手をつけている装備は普通、若手のドワーフ如きが手を付けられる代物ではない。天空階層の宝箱からドロップし、あのガルムが装備する予定のある白銀の聖鎧。いくら小規模な削り出しとはいえ、下手をすれば迷宮産の装備特有の効果が消えてしまうこともある。

 装備単体としての価値だけでも自分の年収を超える装備。そんな装備の加工経験などまだ若いドワーフであるノグルには勿論ないため、その効果を毀損してしまう危険性も大いに孕んでいる。


「取り敢えず、これで試してもらえます?」
「おっけー」


 だがそんな貴重な装備の加工を発注しているのもまた、自分とさして歳も変わらなそうな青年だ。この工房のオーナーであるゼノが所属している、無限の輪というクランリーダーのツトムという男。

 彼は刻印の加工を終えた聖鎧をさも普通の装備かのような目つきで確認した後、用意していた刻印油を垂らし筆でなぞって全体に馴染ませた。


「刻印」


 そう努が呟くと溝に溜まった刻印油が電気でも走ったように輝いたが、所々途中で回路が切れているかのように光が通らない箇所が見受けられた。


「ここと、ここですね」
「だね。削りよろしくー」


 刻印油に突っかかりが見られる場所にノグルは再びたがねを使って削り、刻印が発動できるよう調整する。そうしている間に他の職人たちから手を加えていた皮鎧の確認が入ったので、努は同じように刻印が成立するか確認した。


「刻印。お、いけた。お疲れ様―」
「お疲れ様でーす」


 そうした調整を何度か重ねた末に、失敗判定となり染み込むように消えていく刻印油を確認したノグルは一息ついた。いくら小規模な削りとはいえ、天空階層産の鎧に手を入れるなど若輩者の自分には身に余る仕事だ。


「白銀の聖鎧は加工できそう?」


 そんな自分の気持ちなどまるで意に介していなさそうな努の無茶ぶりに、ノルグはもう慣れた様子で返す。


「いや、鎧仕事は荷が重すぎますって。ドーレンさんに依頼して下さいよ」
「だってあの人忙しいんだもん。昔は変な魔石の研究とか魔道具開発もしてたのに、今となっては鍛冶仕事ばっかりで刻印にも消極的だし」
「そりゃあ、あれだけ迷宮産の装備を加工できる腕があればそうなりますよ」


 迷宮産の装備を大胆に解体し別の装備とつなぎ合わせてもその効果を毀損せず、むしろ高めることすら出来るベテランの鍛冶師。そんな仕事が出来るドーレンの価値は、刻印装備が広まった今となっても計り知れない。

 迷宮産の装備は宝箱を開けた者の身体構造に合わせられたものになるため、本人が使う分には問題ない。だがタンクがアタッカー向きな性能をした装備を引いてしまうなんてことはよくあることだし、性別や人種よってもデザインが違うので迷宮産装備の調整は今でも需要がある。

 だが下手な鍛冶師や革細工師が迷宮産の装備を弄ると、STR上昇などの能力が消えてしまうことがある。だからこそ装備本来の能力を毀損しない形でデザインを変えたり、他の装備と組み合わせて能力を掛け合わせ再構築できる鍛冶師はその腕を買われている。

 そんな熟練の鍛冶師になるためには、迷宮産の装備を加工する経験が数え切れないほど必要だ。その過程で使い物にならないように加工してしまい、多額の損失を出すこともあるだろう。

 それを許容するにはアルドレット工房のように損失を受け入れられる資本を持つ大手となるか、そう簡単には逃げられない血縁者に借金を覚悟で技術を継がせていくしかない。

 その難易度自体は鍛冶師などのサブジョブ追加によって軟化しているとはいえ、装備の加工技術は今でも素人ができるものでもない。そんな人材が独立してしまえば大手の工房以外では致命傷になるため、血縁者を何よりも優遇する。

 ノルグはそんな事情もわからず工房で数年下働きをした後、途中でそれを理解してからは迷宮産の装備を触らせてくれるゼノ工房に転職した。当時流行っていた敗者の服環境を受け付けなかったゼノの美的感覚を優先する趣向のおかげで、迷宮産の装備に触れられる機会が多かったからだ。


「革細工師の人たちみたいに、遠慮しなくていいのに」
「私たちだって一応遠慮する精神くらいはあります~」
「ま、ユニスがあれだけ溶かしてもお咎めなしってのはデカいけどね~」


 そんな努の言葉に革の装備や衣類の調整を担っている革細工師の女性職人たちはそう弁解しながらも、狐耳を威嚇するように立てているユニスを見やった。そんな彼女の手元には数千万規模の刻印油を以てしても未だに成立していない、経験値UP(中)の刻印が刻まれた装備がある。


「……巷じゃ、ツトムが私を破産させるための罠って言われてるのですよ」
「別に僕も損したいわけじゃないから、さっさと成功してもらえると助かるんだけど」
「本当に60レベル台で作ったのですよねぇ……? もしシルバービーストにいなかったら、ここに泊まり込みする羽目になってたのですが」
「自分で貯金全部ベットなんてしたんだし、自業自得だろ。ハンナじゃあるまいし」


 刻印士のレベルが60になった時、ユニスは早速経験値UP(中)の刻印を施してじゃーんと努にお披露目した。そのお祝いとして彼は結構な量の刻印油を贈っていたし、ユニスも60レベルになる前からちまちま溜めてはいたので貯蓄は潤沢にあった。

 だがそれらは全て彼女が手にしている刻印装備に飲み込まれ、今は探索者と刻印士で何とかその日暮らしをしている状態だ。そんな博打を打った彼女に努は呆れながらも、生活に困らないぐらいの資金は融資していた。

 そんなユニスの様子を見ていた職人たちは、一先ず深淵階層産の装備ぐらいの規模なら努が依頼してきたものでも仮に失敗しても大丈夫だと安全なラインを見極めた。

 その後実際に迷宮産の装備を裁断して組み合わせたものの、能力の消失を防げなかった事案は起きた。だがゼノ工房内のルールにある通り、それが起きた原因を顛末書に書きその状況を写真機で撮ったものを残しておけば努も納得して次の装備を納品してくれた。

 そう表面上では納得しつつも裏で圧力をかけてきたり、後になって補填を迫ってくるようなことはその辺の工房や発注者なら良くあることだ。だがそういったことも本当に努はしてこないと確認が取れてからは、ゼノと同様にデザインを重視する革細工師たちは率先して迷宮産装備の改造を引き受けた。

 そしてそれは女性陣だけに限らずノルグや他の鍛冶師も同様だったので、今は深淵階層産の装備を加工し探索者に合わせてサイズの調整をする仕事も積極的に担っている。そんな仕事の中で時折複数の迷宮産装備を組み合わせることにも挑戦はしているが、顛末書を書くことの方が断然多い。

 だが職人たちの顛末書が増えるにつれて、迷宮産の装備を加工するための情報と技術は確実に上がっていく。ゼノ工房は努が刻印を引っ提げて現れる前からもそうして知見や技術を貯めていき、初めはお遊戯工房なんて言われていた評判を覆している。


「いずれは繋ぎ合わせも視野に入れてるんだ。頼むぞ~」
「そんな圧力の掛け方してくれるのは光栄なはずなんすけどね……」


 だが今や最前線の浮島階層にいる努から言わせれば、深淵階層産なんて型落ちの装備に過ぎない。せめて天空階層ぐらいのものでなければとのことで、ノルグは今回ゼノに加えてガルムの装備も担当することになっていた。

 その仕事だけでも中々骨が折れるというのに最前線に引けを取らない装備のリメイクにまで手を付けると、いよいよ最後の休日まで削られるかもしれない。ただでさえ最近は彼女から付き合いが悪いとせっつかれているノルグからすれば困りものである。


「ハイヒール。さぁ働け~。明日には納品だぞ~」
「そう言うならもう少し下書き早くあげてきて下さいよ……」
「そこを外注できないのがどうもねー。まぁあとは予備の鎧だけだし、頼むぞ~」


 PTメンバーごとに組んでいる刻印の下書きが終わり後は装備の加工待ちとなった努は、それを行う職人たちの肩や頭を揉みながら回復スキルを施している。ヘッドマッサージでも受けるように頭をじょりじょりとされているノルグは、脳みそを清流で丸洗いされているかのような清々しい気分を味わっていた。


「前から思ってたんですけど、これって、ヤバいことじゃ、ないんですよね……?」
「もしこれに頼り切りで数日寝ないで稼働とかしてると、アルドレットクロウで精神病んだ人の二の舞になるだろうね。一日くらいなら大丈夫だけど、その後はちゃんと寝なよ」
「マッサージ師として本当に開業してほしい~。通うから~。一回30分~」
「いやでーす」


 深々と頭に食い込ませたメタルシャワーを引き抜かれたような顔をしている女性のドワーフは、数十秒にも満たない施術を物足りなさそうにしている。その後肩こりが気になる鳥人の奥様も、ハイヒールの込められた指圧にくぐもった息を漏らした。

 そんな光景を白けた目で見ていたユニスは、今も刻印油を溶かし続けている。もはや毎日の小銭貯金かのように赤字を垂れ流している彼女は、儲け話を探るように呟く。


「最近そういう店も見かけるようにはなったのですが、どうも物足りないのです」
「ね~。こんな楽になるならと思って数万Gの店行ってみたけど、てんで駄目だったし!」
「そもそもレベルが足りないんじゃない? アルドレットクロウの抱えてる施術師は100超えらしいし」
「まぁ、それぐらいの探索者ならダンジョン潜るですよね。それより儲かるなら私が開業してもいいのですが」
「最前線相手が客ならまぁ……採算は取れるかもね」
「……その技術を得るために、私もマッサージを受けてやってもいいのですよ」
「狐人はもうある程度頭の構造わかったから用済みなんだよね。ドワーフは職人街でしか見かけないから貴重だからいいけど」
「それはそれでどうなのです?」


 相変わらず仲が良いんだか悪いんだかわからない二人の言い合いを聞き流しつつ、ノルグは予備の鎧にも手を付け始めた。

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