第526話 ぶっ壊れ装備
「……あ? ……これ、おかしくねぇか?」
「表記はおかしくありませんよ」
運よくレベルが上がっていた昨日に引き続き本日も念のためステータスカードを確認したアーミラは、また1レベル上がっていることが本当かどうか受付嬢に尋ねた。そんなアーミラの問いに彼女はこっちが聞きたいと言わんばかりの苦笑いを返す。
「お前、これ……」
「詳しくはクランハウス帰ってから話すよ」
「私も是非詳しくお聞かせ願いたいものですが」
唖然とした顔で振り返ってきたアーミラへそう返す努に、受付嬢はにっこりとした笑顔でそう付け加えた。以前ガルムと一緒にアルドレットクロウのスパイ疑惑があると噂していた可憐な彼女に、努も営業スマイルを浮かべる。
「最近ギルドの刻印油の買い取り価格、また上がりましたよね。独占だけはしないようにお願いしますよ」
「それは、私の管轄外なのでわかりかねますが……それとなく伝えておきますね」
努の異様なレベルの上がり方をステータスカードで唯一確認することができた立場にあるギルドは、その要因が刻印装備であることを早々に予測立てて刻印士の育成に拍車をかけていた。
今までは探索者や職人のことを慮ってサブジョブに手をつけなかったものの、ギルドはそれこそダンジョン産の装備を鑑定する人材を育てていた経験もある。そのため刻印士の他にもある薬師や鍛冶師などのサブジョブ育成にも積極的になっていた。
「ウルフォディア戦、ツトムさんのPTはどうお考えですか?」
「気が早いですね。刻印済みの呪寄が広まれば何処かは突破しそうですけど」
「なるほど。……ちなみに刻印済みの呪寄というものは、今着ているそれですか?」
「そうですね」
「わっ、初めて見ました。意外と見た目では刻印済みなことはわからないものなんですねぇ」
アーミラに続いて努もPT契約の解除とステータス更新を済ませている間、受付嬢と今後のウルフォディア戦について軽い雑談を交わした。そんな二人を列の外で待っていたダリルたちと合流せずに監視していたアーミラは、胡散臭そうな目をしている。
「はよしろや」
「それではまた後ほど、お待ちしております」
「あ、どうもー」
今日のシフトは遅番だからかそう言って花開くような笑顔を向けてきた受付嬢に、努はアーミラの非礼を詫びるように何度か頭を下げながら受付から立ち去った。
「随分特別扱いされてんだな、てめぇは」
「あの人含めて三人くらいで特別に対応してくれてるみたいだね。VIP待遇最高―」
「別室連れていかれて浮かれてる奴ら、大抵はカモられてるけどな」
(……そういえば、僕も黒杖オークションでカモられた感じなのか? あの後の対応含めて)
今思い返せば黒杖を目玉商品にして客寄せしたオークションが切っ掛けで幸運者騒動は起き、それはギルドから派遣されたガルムとエイミー協力の甲斐あって鎮火した。あの時はギルドの神対応に感謝していたものの、よくよく考えればただのマッチポンプという見方もできる。
「んだよ」
「いや、そう考えるとギルドって怖いなと。探索者の情報なら大体握ってるでしょ。ステータスに、ドロップ品買い取りと預金残高、あと胃袋とか……その他もろもろ?」
三年前に比べると随分と内装が拡張され続けているギルド内には、まずダンジョンの出入口を担う受付がある。そこでPT契約をしなければ経験値の分配やレイズが出来ないため、ステータスカードの内容は絶対に改められるのでレベルやスキルの隠し事は通用しない。
そして探索者が神のダンジョンから持ち帰ったドロップ品を買い取る質屋があり、そこで得た資金をすぐさま安全に預けられる銀行もある。ギルドには警備団お墨付きである黒の門番が多数控えているため、迷宮都市で一番危険そうで安全なのは他ならぬギルドだ。
大抵の探索者は身分証明書としては絶対的なステータスカードに紐づけられたその銀行を利用するため、細かい収支から預金残高まで把握されている。その情報を元に探索者の信用情報も確保できるため、お金の貸し借りもお手の物だ。
更に探索者の胃袋を掴みつつも健康面に気を配っている食堂では比較的リーズナブルで新人の懐には優しく、ベテランの探索者がこよなく愛する料理も数多く存在する。
その他にも探索者のニーズに応じて更衣室を大きく拡大したり、突貫工事でスポッシャーの油を落とす巨大風呂を作ったりなど、神のダンジョンの一端を担っている組織とは思えないほどフットワークが軽い。
探索者からすれば気前が良く見えるそれらのサービスは、他で莫大な利益を確保しているからこそ出来ることだ。その利益が一体何処から出ているかといえば、他ならぬ探索者からだ。
「なんか僕もあの人に妙な信頼感あるなと思ったんだけど、多分秘密にしてるような情報知られてるからだ。合法的に探索者の情報抜けるの、強いね」
「……わかるっちゃわかるが、本当にそれだけか?」
普段ならば開けっ広げには話せない金の話も、日々の収支や預金まで自然と知られているギルド銀行の職員になら気兼ねなく相談できる。幸いにもギルドはあくどい投資商品を売ることなどはしていないが、もしそうなれば相当な被害額が出てしまうほど信頼している探索者は多いだろう。
そんな内情を元ギルド職員だからかよく知っていたアーミラからの問いに、努は以前よりも明らかに品質の良い制服を着るようになった銀行の受付嬢に視線を向けた。
「ギルドの受付嬢からしか接種できない栄養はあるかもしれないね」
「やかましいわ」
「探索者って良くも悪くも成り上がりが多いしね。それが探索者としての功績を称えられてわざわざ別室でもてなされたりしたら、多少浮かれてカモられるのも無理ないでしょ。オルファンもギルドでカモられてくれれば平和だったのに」
「お前はババァにカモられて幸いだったな」
「……その辺りは少し複雑だね」
神の手の平の上で踊っている自覚こそあったが、それに神竜人も加わっていることは意識していなかった。それに反旗を翻す気概は今も密かに持ってはいるが、こと彼女に関しては転がし方が上手い。
ならそのまま心地よく転がされる人生というのも、別に悪くはないように思えてきた。ただ転がる手の平は自分で選びたいので、神の手は一度払っておきたい。
そんな内情もあって何とも言えない顔でダリルたちと合流した努を、アーミラは神妙な顔で見つめていた。
――▽▽――
「いよいよ尻に火が付いてきましたわね?」
「…………」
ウルフォディアの浄化を無効化できる呪寄の発見により、いよいよ160階層を突破する兆しが見え始めた。そんな中でも従来通りのゴリ押し攻略を進めているステファニーの問いに、ディニエルは薄目で真意を問うように見返す。
「貴方のお望み通り上がってきたではありませんか? それも想定以上の早さで」
ステファニーはアルドレットクロウの情報員が集めていた資料の置かれた机の上にある、156階層での戦闘風景を撮った新聞に映る努を指で楽しそうになぞった。
アーミラの異様なレベルの上がり具合はここ数日で周知され始めたが、その正確な実態が新聞で報道されてからの探索者界隈は荒れ模様となっていた。
何せアーミラに刻印装備を貸していた努は九日ほどで124から150レベルまで上げたと新聞の取材で発言し、その情報の正確性をギルドが保証したのだ。その要因が刻印装備であることは火を見るよりも明らかであるが、それを作り上げて実践してしまった努を中心に賛否両論が巻き起こっていた。
「レベルだけ上がっても実力が伴わなければ無意味」
「そういった者たちにあの刻印装備が渡る頃には私たちも手に入れているでしょうから、関係ありませんわね。困るのはレベルだけが誇りな者くらいでしょう」
160階層で詰まっている現状でも到達限界レベルである170が未だにいないのは、156階層の経験値効率があまりにも悪いからだ。初めの草むらで100レベルを目指すような作業なので探索者としてはまるで成長しないが、それで評価されるのならやる者も一定数いる。
その無為な作業を努力だと言い張る者たちからすれば、努のやったことは到底容認できるものではない。それに職人との刻印士騒動でヘイトを買っていたこともあり、その刻印装備を独占している努は結構なバッシングは受けていた。
「性格が悪い。単純に」
「あの女狐にすら追い付けない生産職も悪いと思いますけれど。最近になってようやく危うい立場を自覚し始めたようですが」
だが刻印士の有用性が証明されてそろそろ一ヶ月が経とうとしているが、本業の生産職が未だに片手間な努のレベルに追い付いていないという事実。それがアルドレット工房には重くのしかかり始めていた。
それこそ努が作ったレベル上げ特化の刻印装備なんてものは、アルドレットクロウからすれば真っ先に手に入れたいものだ。それなのにアルドレット工房は未だにその刻印すらステータスカードで補足できない。
唯一のレベル50刻印士も今まで迫害されてきたからかろくに話も聞かず自身の工房から出てこない。それならばせめてと同じくレベル50のユニスに話を聞きに行くも、まずはツトムに話を通せとしか言わない。
だが今まで様々な伝手を利用して圧力をかけ、鉄砲玉のオルファンまで送り込んでも潰せなかった男に、アルドレット工房が話なんて通せるわけがない。
そんな事情を知ってか知らずかユニスは素直に頭を下げれば話くらいは聞いてくれるなんて能天気なアドバイスしかくれず、アルドレット工房は歯痒い状態のまま時間をかけてレベル上げするしかない状況になっていた。
「それに比べてツトム様は素晴らしい。もうご自身の立場は確立されていたのに、それを捨ててまでこちらの土俵に乗り込んでくるとは……」
努こそもう過去の功績で満足して停滞してもおかしくない立場の人であるにもかかわらず、寝る間も惜しんで三年の空白期間という致命的なブランクを乗り越えようとしている。
そんな彼の強行軍はまるで過去の自分を想起するような追い込みぶりであり、ステファニーは惚れ惚れしたように頬へ手を当てた。そんな彼女をディニエルは意外そうな目で見た。
「貴女にしては棘がある言い方」
「棘ですか? まさか」
彼女からの指摘にステファニーはむっとしたよう頬を軽く膨らませたものの、徐々に言葉の自信を失うように萎んでいく。
「……ただ、ツトム様がいなかったこの数年で鍛えたヒーラーの実力を、160階層でお披露目したい気持ちはありますわね」
「弟子の鑑。二番だけど」
「兎と狐がどうしようと私には関係ありませんわ。私の全てをぶつけるだけです。ディニエルもようやく張り合える相手が帰ってきて良かったですわね?」
「貴女はツトムの他にも目を向けてあげた方がいいと思うけど。カムラとか、セシリアとか」
「ディニエルにだけは言われたくないですけど……」
それこそディニエルは今も同じく160階層突破の可能性を秘めた紅魔団のヴァイスと比較されたり、アルドレットクロウのアタッカーからは羨望の眼差しを向けられることもあるがまるで意に介していなかった。
だが努が帰ってきてからの彼女は表情が表によく出るようになった。移籍してからもずっと一軍の座を譲らないからこそ彼女と一緒に過ごすことの多いステファニーからすれば、そんな変化はわかりやすかった。
「紅魔団もユニークスキル二人の割にはそこまで強さを感じない。警戒すべきはハンナくらい。あとは呪寄の開拓次第」
「嚙み合うと確かに怖いですわね、あれは」
その後も二人は160階層についての雑談を交わしつつも、情報員が収集した自分の立ち回りを見直して次こそは突破をと意気込んだ。
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