第527話 死神が言うな

 

 雲一つない青空の中にポツンと浮かぶ、光を乱反射している硝子《がらす》細工のような空中城。その中の上層には謁見の間のように赤い絨毯《じゅうたん》が敷かれ、巨大な玉座には160階層主のウルフォディアが鎮座している。

 それは探索者たちその場に転移してくると同時に肘掛けから手を放し、黄金鎧の背向から白い炎を噴出し透明な屋根を割って上空へと飛び上がった。


「ウォーリアーハウル」
「飛翔の願い、迅速の願い、守護の願い。祈りの言葉」


 そんなウルフォディアの行動をさして気にも留めないガルムは剣で盾を打ち鳴らしてヘイトを取り、コリナはPTメンバーごとに調整した支援を乞うた。


「契約――レヴァンテ」


 リーレイアは光属性に特効がある出目金のような見た目をした闇精霊と契約を交わし具現化させ、エイミーは手慰みに双剣を曲芸師のように回転させながらウルフォディアが降りてくるのを待っている。ハンナもぴょこんと跳ねた青髪すら動かさず目を閉じたまま深呼吸をしてその時を待つ。

 そしてガルムがタイミングを見計らってPTメンバーの四人から離れ、透明な壁を盾で割り砕き城の外に飛び出した。それを見計らったようにウルフォディアは空気を引き裂くような音を鳴らし滑空して迫る。


「ミスティックブレイド」


 それで斬られて死ねば蘇生は叶わない浄化の剣を手にしているウルフォディアの滑空攻撃を、ガルムは軽やかな空中機動ですれ違うように避けた。その間際、装甲の隙間に剣を置くようにして差し込み風圧に身を任せて離脱する。


「……あれ、何回見ても凄いっすね。職人技っす」
「たまに失敗すると露骨に尻尾下がって面白かったんですけど、最近は中々ミスらないですね」


 自身の速さが仇となり手痛いカウンターを受けて墜落していくウルフォディアを、ハンナとリーレイアは透明な城から顔を覗かせて見ていた。


「はい、行きますよー」
「ひゃっほーい!」


 そんな二人の肩をコリナが叩いて急かしている間に、エイミーは新たに透明な壁を蹴破って空に身を投げ出した。

 勢い良く浮上してきたウルフォディアに彼女は身を捻りながら迫り、挨拶代わりの岩割刃を兜にお見舞いする。その双剣を突き立てたまま火花を散らしながら背向まで引っついた後、噴出している炎に巻き込まれないよう離脱した。


「さぁ、行きましょうか」
「…………」


 リーレイアの肩の上で浮かんでいる黒い出目金は虚空を見つめるばかりで、飛び降りた彼女に遅れて金魚の糞のように続いた。そんな彼女を他所にハンナは闇魔石をのそのそとマジックバッグから探っている。


「取り敢えず降りてから探して下さい。もう足場なしは御免ですよ」
「大丈夫っすよ~。もうやらかさないっす!」
(本当に、劇物でも取り扱ってるみたいな気分になる……)


 昨日のウルフォディア戦では160階層で唯一の足場であるこの空中城を、ハンナは魔流の拳を雑に放ち流れ弾で木端微塵に破壊していた。それはバリアを使える白魔導士ならば問題ないが、祈祷師のコリナからすれば青ざめるような事態だ。

 ウルフォディア戦はほとんどが空中戦になるとはいえ、安定した足場は必要不可欠だ。特に中盤戦最後に放たれる全体浄化攻撃の際、足場のある状態で三人が身体で庇わなければ二人を残すことすら出来なくなる。

 それに戦闘の合間に取る休憩で地に足をつけられないのは、一見地味だが案外辛いものだ。それこそ初見の時は初めの滑空攻撃で空中城を破壊され、PTメンバーの誰かに寄りかかることで何とか休憩を挟むしかなかった。

 しかも空中城がなければ蘇生場所も空中になるため、すぐさま誰かがキャッチして飛翔の願いが叶う十秒ほどは抱えていなければならない。

 仮に十数秒ほど落ちたとしても豆粒ほどの大きさにならなければ場外判定を食らって死ぬことはないが、大抵は落ちている間にウルフォディアが召喚した雑魚モンスターのミニオンに狙われて死んでしまう。


(普通逆なんだよね、立場がさ)


 昨日はそんなこともあって何度か190センチ近い巨漢のガルムを抱える羽目になったコリナとしては、もうああいった気まずい場面は避けたいところだった。

 そしてようやくしっくりとくる闇魔石を探り出したらしいハンナを連れて天空城から離れた時、ウルフォディアは光の靄《もや》がかった浄化の剣を振るってガルムとエイミーを退かせると儀礼的な構えを取った。

 機械的で洗練された鎧から聞こえるにしては透き通った大天使の号令。その宣告に従い無数の魔法陣が描かれ天空階層のモンスターが次々と召喚される。


「ダークエレメント」


 その出現位置を幾多もの戦闘経験で完璧に予測していたリーレイアは、出目金が吐き出していた黒いひし形の結晶を一つ消費して黒い細剣に闇属性を纏わせる。そして出現したばかりな黄色いてるてる坊主のような見かけをしたスマイリーというモンスターを突き刺し、黒い結晶を射出して闇属性の遠距離攻撃をバラまいた。


「グッドモーニング」


 コリナも初撃のモンスターに対して特効効果をもたらすスキルを駆使し、星球両手にミニオンの殲滅にかかる。その後方ではハンナも闇魔石を砕き、暗雲のようなものを拳に纏わせて薙ぎ払うように射出している。


(序盤の殲滅は本当に早くなったなぁ。闇魔石と刻印装備様様だ)


 魔流の拳を安定させたハンナの闇魔石を使っての範囲攻撃は、あのマデリンよりも殲滅力が高い。それに最適解ではないとはいえ、それでも今までより効果の付加数が上昇している刻印装備のおかげで160階層での立ち回りはかなり楽になった。それが五人分ともなれば尚更だ。

 ウルフォディアが呼び出すミニオンたちは雑魚モンスターといえど、コリナの力を持ってしても一撃で倒せない強靭さを秘めている。にもかかわらずちょっとした攻撃みたいに放つレーザーはガルムのステータスでも盾を貫かれる。

 それに加えてリーレイアやエイミーが優先的に倒しているスマイリーは、全て回復スキル持ちだ。隙あらばスマイルを振り撒いてウルフォディアは勿論、倒すのに手間取っていた他のミニオンも回復する。

 だが今は刻印装備による火力上昇により、比較的柔いミニオンなら一撃で粉砕できる。特に武器の刻印数が五つとなったことで、戦闘中に度々訪れる閉塞感はすっきり晴れた。


「モーニングスロー」


 以前まで散々苦労して倒していたミニオンが、今ではモーニングスターをぶん投げるだけで墜落するほどの致命傷を負う。その感覚があまりにも痛快で楽しく、160階層での星球の消費が激しすぎてオーリに窘められたほどだ。


(回収めんどくさぁい)


 なので最近は長い鎖をつけた星球で何とか消費を抑えているものの、使い勝手が悪いのであまり遠距離のミニオンは狙えない。それから十体ほどミニオンを始末した彼女は元気な犬でも窘めるように鎖を引き戻した後、進化ジョブを解除した。


「治癒の願い。癒しの光」
「コンバット、クライ。シールドバッシュ!!」


 高揚した声でスキルを発しながら栗のように刺々しいミニオンを盾で弾き飛ばしているガルムに、コリナは支援回復を送る。

 以前までは食らえば装備に穴が開くレーザーも、今は裏地に刻まれた刻印が光る盾ならば防ぐことができる。浄化の剣を避けた先に迫るウルフォディアの掌から放たれる光弾も、即死せず致命傷で済む。

 これまで進化ジョブによる避けタンク運用を環境的に強いられていた彼は、160階層で受けタンクが出来ることが随分と嬉しそうだ。


「…………」
「いや、前なら感謝するところでしょう?」


 それはリーレイアも同様のようで、刻印装備とレヴァンテとの契約により火力が格段に増した彼女はガルムの周囲にいたミニオンを闇の結晶で八つ裂きにしていた。しかしまだまだ耐えられたと言わんばかりなガルムの目を見て、半ば呆れたように呟いた。


(これなら刻印士に専念してくれたら……って思っちゃったけど、本当に追い付いてきたもんなぁ。どういう思考回路と、精神してたらあんな風になるんだろう……?)


 それこそ努が刻印士に専念してくれていたとしたら、刻印装備は今よりも充実していただろう。何より浄化を無効化できる呪寄を刻印によって実用可能にまでしてくれたら、ウルフォディアなんてもはや目ではなくなるかもしれない。

 だが努はあれほどまでに労力と費用をかけた刻印士をあっさり踏み台にして、裏方仕事を捨てて表舞台に躍り出た。そしてそれがただの絵空事でないことを自身のステータスカードを公開することによって証明した。

 刻印は装備の強化だけでなく、レベル上げの加速度すらも激的に早くしたようだった。何十日も156階層に籠りきってもいないのに、レベル上げ専用の刻印装備を付けて適当に潜るだけでアーミラのレベルはするすると上がった。そして努の驚異的なレベル上げの記録は探索者を震撼させた。


(それに負けないよう、みんな頑張ってる。凄いな)


 そんな努の活躍と比例するように、ガルムとリーレイアはここ最近成長が目覚ましい。勿論新たな刻印装備や精霊によるものも大きいが、何だか自分だけ置いて行かれているような感覚を覚えているのは確かだ。

 正直なところ、自分としてはもう十分じゃないかという気持ちはあった。このまま可もなく不可もなく探索者を数年続けて、身体が付いていかなくなったら後はのんびり食道楽を満喫するのも悪くない。努との関わりも他の人たちと違って元々凄い人だという認識だっただけに、何とか付いていくのがやっとだという感想しかない。

 だがそんなことを考える暇があるほど緩慢な環境は、努が帰って来てから数ヶ月でここまで変化した。頼もしいやら、恐ろしいやらわからない。

 ここまで急激な環境変化に見舞われることなど早々ないので、妙な焦りはあった。リーレイアやガルムより大分歳の離れた自分が果たしてこの変化に付いていけるのか。まだまだいけると空元気が出てくるほどの若さでもなければ、もう腰を落ち着けるほど老いてもいない。

 それこそ家庭を持って少し保守的な側面が強くなっていたゼノなんかも、それをおくびには出さないものの少しは心を乱されているだろう。ちょっと探ってみた感じでは、自分と同じようなことを思っている気配はした。


(でも、そんなもんだよねー。環境に振り回されるのはいつものことだし)


 ただ元々は看護師だった彼女は、それこそ神のダンジョンから発現した回復スキルにより数日で激変した医療の現場を間近で体感していた。それに比べればこの環境変化もまだマシだ。

 しかし初めてのスキル発見ほどではないにせよ、三種の役割といいここまで探索者全体に大きな影響を及ぼす規格外の人物もそういない。それと同じクラン、同じヒーラーという立場で関わっていると考えるだけで結構なプレッシャーで、その迫力だけで飲み込まれそうになる。


(異界の規格外には、こっちも規格外!)


 それでも魔石を自身の身体に吸収して放出する規格外の拳法を扱えるハンナなら、ハンナなら何とかしてくれるという期待は込められる。

 そんな調子で死神の目というユニークスキル持ちであるコリナは、彼女に願いを託すことで精神の均衡を図っていた。

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