第539話 アンチテーゼの真価
その後もダリルにウルフォディアのタンク経験を積ませつつ、そこで起きたディスアドバンテージをゼノとソニアが挽回する展開は続いた。
「はっはぁ!! コンバットクライ!」
対ウルフォディア戦においてゼノはほぼ完璧な動きを見せている。ガルム同様に刻印装備のおかげでウルフォディアの光弾を盾で防いでも軽傷で済むことが楽しくて仕方がないのか、大天使と楽しく踊るように立ち回っている。
「ヒール。エクスプロージョン。エクスプロージョン。……エクス、プロージョン。ストレングス。ギリルト。サラマンダーブレス」
ソニアは従来の灰魔導士としてゼノを回復しながらも周囲の雑魚敵を始末し、途中で進化ジョブを挟み精神力を回復してバフとデバフを撒き散らす。現状ではゼノもそこまで回復を必要としていないし、彼女の支援攻撃も相まって努の出る幕はない。
「神龍化」
そんな二人の活躍とダリルが雑魚敵を引き付けている甲斐もあって完全にフリーだったアーミラは、再び万全の状態で龍の手を具現化する。
「ほい」
右腕だけ巨大化した歪な姿のアーミラに努が風呂敷型のマジックバッグを広げると、彼女はそこに龍の手を突き入れた。そしてダリルのタワーシールドよりも大きい巨大剣を引き出した。
それを龍の手でがっちりと掴んだ彼女はそれを引きずるように持ってゼノの下へと近づき、ウルフォディアの背面でそれをゆっくりと振り上げる。
そしてその巨大剣が断罪するように振り落とされると同時、強烈な力同士の鍔迫り合いが起きた。それは強烈な火花と共に巨大剣が砕ける形となって決壊した。その衝撃で龍の手も力を失ったように弛緩した後、粒子を上げて消えていく。
だがその巨大剣を防ぎ砕いたウルフォディアの黄金鎧も無傷では済まなかった。その機動力を確保している背面の噴出口はその機能を完全に停止し、ウルフォディアは羽が折れた蝶のようにその場を離脱した。
「うひょ~」
風呂上がりの一杯でも飲んでいるかのような声を上げているアーミラは、巨大剣での斬撃で動作に支障をきたしているウルフォディアを眺めている。
「今まで観測されてる限りじゃ最大威力じゃない? 魔流の拳も凌ぐかもね」
「あいつみてぇに連発できりゃいいんだがな。まぁ、これはこれで乙なもんだろ」
ギルド職員の時に派生ユニークスキルである神龍化が発現してから、アーミラは疑問に思っていた。多大な体力と精神力を消費する代わりに龍の一部を宿すこのスキルは、最前線組ですら手こずっているウルフォディアにも果たして通じるかを。
その疑問は今まで見たことがないようなウルフォディアの挙動で多少は解消されたのか、完全に折れている右腕をだらんとさせているアーミラは随分と満足気だった。そんな彼女の腕を支えてハイヒールで治した努は、化け物でも見るような目でこちらを見ているソニアに軽く手を振った。
「それじゃ、しばらくは待機ね」
「別にこのまま戦えるけどな」
「神龍化ぶっ放して満足はしただろ。本番は後半戦からなんだし、次は僕の番だよ」
160階層は三人が浄化された後からが鬼門であるし、仮にそれを呪寄装備で防げたとしても何が起こるかはわからない。もしかしたら呪寄装備に不具合でも起きて誰か浄化されてしまうかもしれないし、五人生き残れてもウルフォディアが従来通りの動きをしてくれるかも不明だ。
そういった不測の事態が起こることを加味してゼノは進化ジョブによる切り札を敢えて使っていないし、アーミラの神龍化も早めに使わせて休ませることで後半戦でも十全に戦えるようにしていた。
「アンチテーゼ」
そんな彼女が抜けた火力の穴を埋めるのが前半戦における努の役目だ。一人だけ呪寄装備の影響を受けずアンチテーゼに特化した刻印装備を着こんでいる彼は、その宣言と共に進化ジョブを解除した。
「ヒール」
努の声と共に努の持つ毒々しい緑杖に刻まれた刻印が輝き、その効果が発動する。回復効果上昇(中)、精神力消費軽減(中)などは武器と防具で重複して効果を発揮し、スキル速度増加により飛ばすヒールはいつもより速い速度でモンスターに飛来した。
ダリルを追いかけ回してはつつくように体当たりしていた紙飛行機型のミニオンは、その赤いヒールを受けた。初めこそまるでヒールでも受けたかのように変化のなかった外見。だがその途中でミニオンは突然故障したようにふらつき始め、飛びながら光の粒子が漏れ出し霧散した。
刻印による回復効果の延長によってヒールは着弾してからもその身体を癒すために全身を巡る。だがアンチテーゼによって反転したそれはまさに毒のようにじわじわと相手の体力を奪う。
他にも精神力の自動回復上昇にポーションの効果UP、稀にスキルの消費精神力をなくす精神の気まぐれなど、主にスキルを使うジョブに有用な刻印はいくつもある。その分必要な刻印数が多いので施す難易度こそ高いが、一度その装備でスキル回しをすればもう古い装備には戻れないほど探索の快適さが増す。
更に相手は個々として見ても手強いとはいえモンスターの群れであるため、倒し切ってさえしまえばヘイトを気にする必要はない。
そんな相手にスキルの威力と精神力に特化した刻印装備を着込み、ソニアのおかげでゼノへの回復を気にせず好き勝手できる状況。アンチテーゼ運用においては絶好の機会だ。
「ハイヒール、オーラヒール。エリアヒール。リジェネーション。ヒーリング、オーバーヒール」
努は検証のためにも様々なスキルを試しながらも、ダリルが引き付けているモンスターに回復スキルを一斉掃射した。ダリルだけを避けるように飛来するその赤い気を受けたモンスターは怯みすらしないものの、数秒後には何かしらの異変を起こし消えていく。
「ハイヒール、ハイヒール、ハイヒール」
急激な精神力消費によって起こる倦怠感などの弊害。だが消費精神力の軽減と精神の気まぐれによってさしたる影響を受けていない努は、ユニスからコスパが良いと評判だったハイヒールを自在に操りダリルが引き付けていたモンスターを一掃した。
ウルフォディアの光弾を受けて歪んだままな重鎧を着込んでいるダリルは、周囲にいるモンスターが次々と殲滅されていく様に混乱しながらも自分の責務は全うした。
そして辺りからモンスターの気配が完全に消えたことをその犬耳による聴覚で感じ取り、タワーシールドを下ろして覗き見るように努を見つめた。
『――――』
元来の白魔導士として考えるなら全てを投げ出すかのような猛撃。だがそれを嘲笑うようなウルフォディアの宣告により、数十の魔法陣が瞬時に展開され空を覆う。
「コンバットクライ!」
「エリアヒール」
そんな幾多もの魔法陣に照らされている努は、緑杖で指定するように赤いエリアヒールを次々と置いた。かなりの精神力が込められた赤い空間の中でモンスターは召喚されたと同時、既に体力は削られ始める。
(リポップ狩り最高~)
元々体力が少ないスマイリーや機動性に乏しいモンスターはエリアヒール外に出ることも叶わず、魔石となって遥か彼方に落ちていく。
無駄に硬いことでアタッカー陣から嫌われている知恵の輪のようなモンスターや、機動力の高い紙飛行機型のミニオンなどはエリアヒール外に逃れられた。だがそれでも一定数体力が減っているため、青ポーションを一口飲んだ努のハイヒールによってすぐに沈められていく。
「タワーウェル、シールドバッシュ!」
そんなエリアヒールの運用ついて事前に聞いてはいたダリルは、ヘイトを取りつつもその赤い空間に向けてモンスターを巨大盾で押し飛ばす。そしてそこから出ようとするモンスターと相撲でも取るように押し合い、そこから簡単には逃がさせない。
「ハイヒールハイヒールハイヒール。……ふぅー。言うの疲れてきちゃった」
「…………」
津波のように赤いハイヒールを三連続で放ち瞬く間に再召喚されたモンスターたちを全滅させ、急激な精神力消費で努は眩暈を感じながら一息ついた。そんな様子を後ろで見ていたアーミラはサラマンダーのようにあんぐりと口を開けていた。
アンチテーゼの威力自体も刻印によって強化されているとはいえ、一撃でモンスターを倒すには至らない。少し青ポーションを口にしているとはいえ、白魔導士が一人でウルフォディアの取り巻きを排除できるなど今までの常識ならば有り得ない。
それを可能としているのは一人で放っているとは思えないスキルの数と規模だ。その下支えをしているのがユニスが構築した回復、精神力系の刻印と、努が自ら刻印した自動回復と精神の気まぐれによるものだ。
「リジェネーション」
流石にまた再召喚というわけにもいかないのか、少し機動力の衰えたウルフォディアはゼノを殺さんと浄化の剣を振るうだけだ。そんな大天使に努はダメ押しのスキルを送る。
ヒールより精神力消費が多い代わりに回復効果が持続する効果を持つリジェネーション。『ライブダンジョン!』と違いクリティカル判定の連続で即座にヒールしなければ死ぬ状況もあるこの世界において、リジェネ系の回復スキルはあまり利用されてこなかった。
だがアンチテーゼによってリジェネーションは一定時間の間ダメージを与え続ける攻撃スキルへと化ける。それで恐らくゼノからヘイトを奪わぬまま火力は出せると判断した努は、寄ってきたダリルの装備交換に移った。
「すみません、手がちょっとあれなんで、ポーション飲ませてもらっていいですか?」
タワーシールドの長時間運用でほぼ握力を失っていたダリルに、努は細いポーション瓶のコルクを外して彼の口元に差し出した。それを彼は雛鳥のように咥えそのまま上向いて飲み干すと、嬉しそうに手をぐーぱーさせた。
「アンチテーゼ、えげつなくないですか? 聞いてたよりも凄かったですけど」
「呪寄装備さえなければみんな同じようなことはできるよ。急激な精神力消費だけは避けられないけど」
運が良ければ精神の気まぐれによって消費精神力が抑えられるとはいえ、その確率上長い目で見ないと評価できない刻印ではある。場合によっては進化ジョブによるスキル回しをワンサイクル終えても発動しないなんてことすらある。
ただ攻略時間のかかる階層主戦においては、十分その刻印数を以てしても採算は合うと努は確信していた。これの発動を前提とするならば一スキルの精神力消費量がコントロールしやすいアンチテーゼはより化ける。
(まぁ、ネタ構築感は拭えないな。回復に飽きたヒーラーが暇つぶしにやってもいいけど、普通に黒魔導士入れて特化装備着させればいい話だし)
とはいえアンチテーゼ運用はあくまでヒーラーでも奇抜な手で火力が出せる程度のもので、物理魔法共に耐性を持つウルフォディアに対して少し有効であるというだけだ。多数のモンスター殲滅だけなら黒魔導士や呪術師でも、努と同じような刻印装備さえあれば再現はできる。
「お、戻ったか。ヒール」
そして結構長めに設定するよう精神力を込めて使用したアンチテーゼの効果時間がようやく終わったので、努は進化条件の達成も兼ねてダリルとアーミラを念入りに回復しておいた。
「あの調子じゃ全体浄化も早そうだね。というかべこべこだけどよく生きてるね、それ」
「ですねー。正直受けるのでやっとなんで、ゼノさん本当に凄いですね。この装備じゃなくても絶対無理ですよ、あんなの」
部活終わりの部室みたいに天空城で座りながらリラックスしているダリルは、ウルフォディアにボコボコにされるも脱ぐことは叶わない呪寄装備を可哀想な目で見ている。
「……神龍化、いらねぇじゃん」
「ウルフォディアには有効なんだからいいでしょ。それにアンチテーゼは階層主相手じゃ最後の追い込みくらいでしか使えないよ。いつでも解除できないのはゴミです」
神龍化よりも雑魚敵の殲滅は早かった努に対して納得がいかない顔をしているアーミラに、彼はそう弁明しながらも乾いた口をお茶で濡らすようにして一息ついた。
「あー、結構巻いちゃったね」
その後もう何度かウルフォディアはモンスターの再召喚をしたものの、アンチテーゼ運用の白魔導士からすればリポップ狩りの餌食にしかならなかった。そのついでにウルフォディアからのヘイトを稼ぎすぎないよう火力も出したおかげか、想定よりも早く全体浄化の兆候が現れた。
「素晴らしく順調だね! あとは浄化さえ乗り越えれば完璧だよ!」
「何事もなく行くといいんだけど」
そう言いつつ努は四人の呪寄装備がちゃんと機能しているか再確認した後、円陣を組むようにして努を浄化から守る四人を座りながら見上げた。そしてウルフォディアの全体浄化が始まり、透明な足元が真っ白になった。
アンチテーゼが強いというより、ちゃんと160で通用する刻印が全く流通してなかったってことなんよね
まあ一番レベル高い努でさえ数億以上使ってるだろうから結局刻印レベル80台とかの職人が何人も出てこないと詰まりどころな気はする