第541話 160階層観戦:神台市場
「あれ、指定席めっちゃ埋まってるじゃん。盛況だな~」
「障壁席も二番台近辺はもう完売だって」
「うわー、早めに来ればよかった」
何だか今日の指定席には普段見ないような顔ぶれが多いなと迷宮マニアのおじさん二人はぼやきつつ、少し見づらい位置ではあるものの僅かに余っていた指定席を買った。その後方では最近拡充された自由席通路で飲み物の売り子が歩き、警備団が人流をコントロールしている。
「ツトムのことだし、普通に突破してきそう」
「呪寄装備、もう実用できるようにしたって噂だしな」
160階層の浄化対策に呪寄が有効であることは既に判明していたものの、それを装備したままウルフォディアを攻略することはアルドレットクロウの二、三軍でも不可能だった。
呪寄装備を着込んだ際のデバフは全ステータス値の二段階減少に、体力と精神力が徐々に低下していくこと。その中でも特に体力、精神力の継続低下が思いのほか立ち回りを制限されて厳しく、アルドレット工房でもそのデバフを打ち消す刻印は施せていない。特定のステータスを正常に戻すのが精々だ。
そんな呪寄装備では既に160階層を突破しているPTですら、ウルフォディアに勝つことは難しいと推測されている。だからこそアルドレットクロウの二軍はステファニーたちと同様に、祈禱師のカムラと暗黒騎士のホムラ二人に攻略を委ねていた。
それにロストした際には呪寄装備しか残らないという厄介な性質もあり、刻印装備の需要が高まっている現状では金銭的な損失も大きい。そのため大手クランに比べると資金面に難のある中堅探索者たちは、ロストしてもいい半端な装備で挑むことしか出来ない状況だった。
だがそんな中、刻印士として一躍トップレベルとなった努がウルフォディアに挑む日時を数日前に神台で告知した。
過去の動向からして彼が階層主戦に挑むということは、もう突破する準備は整ったという宣言に他ならない。その事からして呪寄装備のデバフを打ち消す刻印を施すことに成功したのだろう。
「……アルドレット工房、気が気じゃなさそうだな」
「未だに40レベル辺りらしいしな。もう一から育てた方が早いって話も出てるし、そろそろお役御免になるんじゃね?」
「良かった、アルドレットクロウ入ってなくて」
「そもそも入れねーだろ」
努の供給する刻印装備がアルドレット工房産のものより倍近い刻印数を持ち、それを装備した中堅探索者が飛ぶ鳥を落とす勢いで上がってきていること。そんな刻印装備を自前で調達できないことを危惧したアルドレットクロウが工房に業務改善を指示してから一ヶ月半経つが、未だにユニスすら超えられない始末だ。
それにより今までアルドレット工房が許されてきたぬるい経費の扱い――高級店での接待や勘定科目の誤魔化しなども厳しく監査され、仕事をしている風の会議や会食にかまけていた職人たちはどんどん隅に追いやられている。それを塵取りで集めてポイとされるのは時間の問題だ。
ただそんなアルドレット工房のことも、一般観衆や迷宮マニアからすれば所詮は他人事だ。そして一時期不穏な報道が多かった努への悪印象も、今となっては刻印士として名を上げている探索者の一人でしかなくなっていた。
アルドレット工房の誤算は今まで圧力をかけて黙らせてきた職人たちと違い、努はブランクがあるとはいえ上位の神台に映り得る探索者であったことだ。
どんなに取引先へ圧力をかけて仕入れを妨害しようが彼は刻印油を自前で手に入れられるし、息のかかった新聞社に偏向報道させても上位の神台という強力な表現の場が担保されている。力で脅すにしても無限の輪を敵に回すような輩は早々いないし、それすらも失敗した。
だからこそ努は刻印士のレベル上げに困ることはなかったし、それを売るための宣伝も神台で行い購買者である中堅探索者の心を鷲掴みにした。そして今までの彼に対する恩義もあってかアルドレット工房の圧力に怯みつつも粘りを見せたゼノ工房の生産ラインもあり、観衆にも伝わるような結果を出してその盤面を完全に引っくり返してしまった。
その引っくり返された側の者たちも今日は気が気でないのか、珍しく家族の付き添いでもないのにわざわざ神台市場まで足を運んでいた。そして願わくばハッタリであってくれと言わんばかりに二番台を熱心に見つめる者もいれば、排他的に仲間内でツトムを罵ったり酒に逃げたりと様々だ。
そんな珍しい観衆も混じる中、努たちの160階層主戦は始まった。
もはや迷宮マニアでない観衆でもすっかり見慣れているウルフォディアの初動。ガルムのようにリターンすら見込めるような極技は見せないものの、ゼノはウルフォディアの落下刺突をするりと避けた。
「流石にダリルじゃないのかー」
「実際あれで耐えられるのかは見て見たかったけどな」
「見かけ倒しじゃなきゃいいけど」
二番台のPTメンバーの中ではウルフォディア戦において相当数の経験を持つゼノとソニアは、もはや実家のような安心感で見ていられる。その中で神台から異彩を放ち注目を浴びていたのは、タワーシールドを二枚装備した重装甲のダリルだった。
今までの環境からして重装備のタンクはほとんど存在しなかったし、上位の神台だけでいえばまさに皆無だった。だからこそ重騎士の中でもより装甲の厚いダリルは話題となっていた。
「まぁ……悪くはない」
「真正面から受けても壊れねぇのな。一昔前にでも戻ったみてぇだ」
「避けタンクしか選択肢ないようなもんだったしな」
刻印装備の充実していなかった深淵階層、天空階層ではいかに装備を壊さずモンスターの攻撃を受け流すかの技術がタンクに問われていた。そういった最前線のタンクに比べるとダリルはまだ荒削りの立ち回りであるが、特に崩れることもなくモンスターの集団を引き付けられている。
「え、なにあれ」
「うわ! 凄いな!」
「神龍化、あんな威力あったっけ……? 第九守護者が即死かよ」
「レベルもあるんじゃね? 一気に150まで上がってるし」
「神だ……」
そんな物珍しい装備のダリルがタンクを務めていることに観衆は注目こそしていたが、アーミラの神龍化ブレスでの一掃には思わず席から腰を浮かせる者が多かった。ちらほらと拍手も起こり竜人のファンから黄色い歓声が上がる。
「ダリル、駄目じゃね?」
「ゼノと比べること自体が可哀想ではあるけど、それにしたってちょっとお粗末だな」
「そうか? 初見で死なないだけでも偉いと思うけど」
「ソニアまで尻拭いしてる時点でお察しだろ。あと単純にツトムの刻印装備のおかげじゃね? 呪寄込みでVIT下がってなくて、体力減少も無効化してるみたいだし」
ただその後ウルフォディアのヘイトを取ったダリルの泥臭い立ち回りと、ものの見事にボコボコな様で観衆は腰を落ち着けた。そして160階層に対しての目が肥えている迷宮マニアはそうこき下ろしつつ、彼の装備やソニアの機転を褒めていた。
「ツトム、アンチテーゼ使わないな。浄化後にでも使うのか?」
「まぁ、アーミラだけでも処理は出来そうだしな」
「あ、すみませーん」
そう話しつつもしばらくは間延びした展開が続くと思ったのか、迷宮マニアは通路を練り歩く売り子に冷えたエールとハンバーガーのおかわりを注文した。
「取り敢えず、浄化前までは大丈夫そうだな」
「一番台でも見るか」
「キャラメリーゼのポップコーン下さい!」
「俺はチョコで。あ、飲み物いる?」
「エールでよろしくー」
160階層の視聴はもはやプロ級である観衆たちも、初動の見どころは済んだと判断したのか他の神台を見たり食事や飲み物の補充、お手洗いなどに向かう。そんな中で二番台を見ている者は単純に無限の輪の二軍の中で推しの探索者がいる者と、お手洗い含めて事前準備を整えている迷宮マニアくらいだった。
「え、また神龍化……?」
その状況下でアーミラは再び神龍化を唱え、右腕に龍の手を具現化させた。巨大な影を背後から映し出されたダリルの尻尾は縮こまり、努の補助によりその手に見合うドーレン工房自信作の巨大剣が引き出される。
「うわあぁぁぁ!!」
「なんじゃそりゃぁぁ!?」
「でぃああああああ!!」
「神だぁ……」
巨大剣での強烈な一撃。そして武器も腕も折れたアーミラだけでなくウルフォディアも明らかによろめき痛み分けとなった場面で、二番台から目を離さなかった者たちは爆発したような歓声を上げた。拍手喝采が巻き起こり竜人たちは歓喜の涙すら流し始める。
「え、なに?」
そんな大騒ぎは他の神台を見ていた観衆にも伝播し、思わず他の席からも二番台への注目が集まる。そして今まで見たことがないウルフォディアの黄金鎧が機能不全を起こした姿に、観衆たちは目を剥いた。
「いや、何がどうしてあぁなったの!?」
「あーあ、あれを見逃すとはツイてないね」
その決定的な瞬間を見逃した男はエールを持った手を震わせながら嘆き、その妻であろう女性はからかうように黄金色のポップコーンをあーんした。
「いや、強すぎだろ! ヴァイスより有効打出してるんじゃね?」
「危ねー。トイレ行かなくて良かったっー」
「なーんでギルド員なんかで腰落ち着けてたんだよ! 探索者やれ探索者!」
「アーミラ様……」
あんなユニークスキルを持っておきながらギルド職員なんていう安定した仕事についていたことへの野次や、神竜人への崇拝度が更に増してきた竜人など彼女への評価は様々だった。
「お、ここでアンチテーゼ。流石に神龍化立て続けには使えないっぽいし、その間ツトムがアタッカー受け持つ感じか」
「ツトムだけ呪寄装備無しだしな。見せてもらおうか、本気の刻印装備とやらを」
「……もうアルドレット工房連中の魂半分抜けてね? 死体蹴りにならなきゃいいけど」
「まだ全員浄化される可能性もあるから……」
呪寄装備の体力、精神力の継続低下が無効化されている現時点でアルドレット工房の立つ瀬はもうないようなものだが、それも浄化さえされれば帳消しとなる。迷宮マニアはやけくそ気味に野次を飛ばしている余裕のないおじさんたちを一瞥した後、二番台に視線を戻した。
コメントでやいのやいの言ってるのも新台の観戦者みたいでなんか良いなって思ってるから変な批判でも気にならないの楽しいわ。