第542話 160階層観戦:ギルド

 

 ギルド内にある神台の二番台回りには普段よりも中堅探索者たちの数が多かった。その視線はゼノやソニアよりも、ダリルやアーミラに多く注がれている。恐らく現状の中堅探索者よりも実力は低いと見られるその二人が、ウルフォディアと戦えている状況。


「……あの刻印装備も、売られるのかな?」
「義理を通してさえいれば問題ないんじゃないか」
「うーん、神の子!」
「あっ、それ。本人には言わない方がいいよ。少し煙たがってたし」
「あ、そうなんですね。気を付けます」


 そしてそれを可能とする刻印装備を作り上げ、自分たちには良心的な値段で売ってくれた努。そんな義賊のような彼に対する中堅探索者たちの敬意はいつぞやの狂信者を思わせるようなものであり、異様な熱量がそこには存在した。そこにちゃっかりルークも混ざっている。


「にわか共が」


 そんな一団とそれに混じって神龍化に感動している様子の竜人たちを一瞥したリーレイアは、小さく毒づきながら珍しく頼んでいた果実酒を飲み干した。それに付き合う形で勝手に蒸留酒を頼まれていたガルムは、神妙な顔のままグラスを傾ける。

 今回は努たちに二番台を譲りたい思惑もあり、無限の輪の一軍は休みを取っている。その中でギルドに足を運んでいるのはリーレイア、ガルムの二人だけだ。

 ハンナはどうも160階層突破後から翼の羽根抜けが酷いこともあり、コリナ付き添いの下病院にて精密検査を受けている。彼女が言うには魔流の拳を使いすぎた際に起こる反動とのことだったが、いくら何でも羽根が何百と抜け落ちるのはおかしいとのことで強制連行されていた。

 エイミーも二番台を視聴してはいるが、刻印作業をしているユニスと一緒に障壁席で見ているのでこの場にはいない。恐らくユニスが努に任された検証自慢でも聞きながら、彼女の作る刻印装備を鑑定してサブジョブのレベル上げでもしているだろう。


「どいつもこいつも……。迷宮都市に残っていたのが馬鹿らしくなる」


 魔流の拳で全てをかっさらっていった鳥人に、平気な顔で最前線に付いてくる猫人。そして竜人でなくとも惚れ惚れするような巨大剣での一撃を見せつけた神竜人。何だか迷宮都市に残って探索者を続けていたことが古臭いことのように思えて、リーレイアはぶつぶつと腐していた。


「無駄ではなかったと思うがな」
「文句も言えない縁の下の力持ちは言うことが違いますね」
「……すまん、ボトルで頂けるか」


 こうなったリーレイアを放置するとクランハウスでも延々と愚痴り続けそうだったので、ガルムはとことん付き合い膿を出し切らせることを決めた。そんな彼の注文に顔馴染みの給仕は苦笑いを零した後、肩をポンと叩いて奥に引っ込んでいった。


「あれ、アンチテーゼ使うんだね」
「ちょっと試してはいたもんね」


 そしてガルムが酒の席に付き合っている間に、二番台に映る努はアーミラを下げてアンチテーゼを使用していた。それに中堅探索者たちの白魔導士は色めき立ち、そのマイナースキルをあまり知らない者たちは首を傾げる。


「……青ポーションがぶ飲みでもする気?」


 アンチテーゼの仕様を良く知っているアルドレットクロウ在籍の白魔導士であるキサラギは、努の放つスキルの数とそれに込められた精神力が異常なことにすぐ気づいた。

 アンチテーゼはスキルの支援、回復効果を反転させるという性質上、進化ジョブによる精神回復が使えない。アンチテーゼ後は進化ジョブを解除しなければならないため、進化条件を満たすためにはアンチテーゼが切れるまで待つ必要がある。

 ただゼノの回復に関してはソニアで事足りているし、彼自身も聖騎士のため必要ない場面が多い。かといって今のダリルはソニアと努が二人でヒーラーをしてようやく前線を張れるレベルのため、アンチテーゼによって生まれる回復できない時間が致命的となる。

 進化ジョブによる精神力回復込みで運用するのに、時間経過でしか解除できないアンチテーゼは不安定すぎる。それでも努ならその不安定さすらも乗りこなすのかと、古参の白魔導士たちは身を乗り出しながら二番台を見守る。


「……なんで、精神力切れないわけ?」
「瘦せ我慢じゃない? ツトムって前から精神力の追い込み方異常だったし」
「……だったらもう青ポで回復してるはず。目算一割は切ってるけど」
「というか、威力もおかしくないか……? 160階層の召喚モンスターがあんなにぽこぽこ死ぬ……?」


 ステータスカードに映る回復スキルをそのまま羅列するような努の詠唱。だが発射されるスキルに込められた精神力と飛ばす、撃つ、置くなど様々な形態からして、無茶を通していることは確実だ。

 今この場にいるキサラギが率いるアルドレットクロウの白魔導士たちも、この数年間遊んでいたわけではない。自分たちが限界だと思い込んでいた精神力はまだ使い込めることに気付き、一割を切るまで追い込むことも練習では出来るようになっていた。

 そんな彼女たちが感覚的に持っている精神力の計算と、努の状態は丸っきり合っていない。目算では精神力を一割切っているにもかかわらず、結構な精神力を込めていることが窺えるハイヒールを三連発。いくら瘦せ我慢が出来ようが物理的に精神力がなければスキルの発動は出来ない。

 それに努よりもレベルが高い自分たちがアンチテーゼ運用したとしても、160階層の召喚モンスターを次々と倒せることなど到底出来ない。それほどの威力を持ち合わせている強スキルなら、そもそも自分たちはここまで苦労していないだろう。


「いや…………わけわかんない。なんでまだ打てるの?」
「いくら刻印装備で精神力系強化したって、あんなエリアヒール撃てるはずない。どういう原理?」


 その後ウルフォディアの魔法陣展開に合わせて努はエリアヒールを次々と置いた。その無茶苦茶なスキルの回転率に白魔導士たちは空笑いを禁じ得なかった。


「えぇ? ツトムめっちゃ倒すじゃん」
「おい、アンチテーゼ強くね?」
「でもあのステファニーが見逃してるはずないでしょ。刻印装備ありきなんじゃない?」
「いや、あのエリアヒールだけで倒せちゃうのかよ! やばくね?」


 そんな努の殲滅力はアンチテーゼのことがいまいちわからない探索者たちも流石に理解したのか、その後も津波のようなハイヒール三連発をかましている彼に注目が集まった。それにガルムは満足したように頷いている。


「ボケがよ。161階層からは精霊奴隷にしてやる」


 リーレイアもどこぞの神竜人みたいに毒づきながら、異様な笑顔で二番台を見守った。その後ウルフォディアが浄化態勢に入ったことでギルド内もざわつき始める。


「問題はあれで浄化突破できるかだよな」
「取れたてと比べると若干鼓動が弱まってるって噂だしね」


 刻印を施した呪寄でも浄化に有効だということは既に検証されているが、ことツトム産のものでは一度も試されていない。もしかしたら過剰に刻印を施している分、浄化されてしまうなんてこともあるかもしれない。


「あぁ、全然だいじょうぶだぁ」
「これ、もう突破は確実じゃない?」


 だが最後に残った努がすんなりゼノを蘇生させ、聖騎士の進化ジョブを開放した彼が立て続けにダリルとアーミラを蘇生したところでその杞憂は取り払われた。その事実にギルドの受付嬢の内の一人はくすりと笑う。


「……あー、ダリルの刻印だけ消えてるっぽい?」
「そりゃ、あんだけまともに被弾してりゃな。あんな酷いタンク久々に見たわ」


 まだ160階層に数回しか挑んでいないタンクから見てもダリルの動きは酷かった。あれでウルフォディアを突破できるなら自分でも問題ないだろうと、大半の者が考えてしまうほどの実力。そしてその認識はそこまで間違ってもいない。

 そんなダリルに対しての低い評価にはガルムも納得はしていた。だがそれを他人に言われるのは癪に障ったのか、リーレイアから注がれたばかりの酒を一息で飲んだ。


「五人PTの弊害もそこまではなさそうだな」
「ちょっとウルフォディアの挙動が変わって、モンスターの数増えるくらい? それでも二人だけでやらされるよりは相当マシだよね」
「腐れ剣士パターンはないか」


 少数PTで挑む方が逆に難易度が下がる40階層を引き合いに出しつつも、探索者たちは自分たちがこれから挑む未来を一秒たりとも逃さぬよう観察する。


「ゼノソニア、絶妙だな」
「まぁ、最前線は伊達じゃねぇよ」
「一時期は最終選考にも残ってたしな」


 無限の輪やシルバービーストの中では隠れた位置にいるとはいえ、二人のウルフォディア戦はまさにお手本のような立ち回りだ。ディニエルやコリナのような絶技こそないが、失点がほとんど見受けられない。

 そんな二人だけでも浄化後のウルフォディアはある程度相手取ることは出来るが、今回はそれに加えて神龍化を扱えるアーミラまでいる。モンスターの大軍相手でも怯まずに立ち向かう彼女をソニアは火力支援でサポートしつつ、最低限の攻撃のみを受けてウルフォディアの剣舞をいなしたゼノには回復を送る。


「勝利宣言の後は全滅するって相場は決まってるんだよね」
「でもツトムとダリルも復帰したし、これ……」
「あとは野となれ山となれだ」
「装備売ってくれ頼む」


 無造作な髪型になっているゼノの決め顔に突っ込みこそ入ったが、ただでさえ優勢であるこの状況での努とダリルの復帰は勝負を決定づけたと言ってもいい。


「そりゃあ、こうなるよな」
「うん……」


 ウルフォディアは二人で挑まなければならなかったからこそ、その本体の強さと無尽蔵に湧き出るモンスターが厄介で堪らなかった。だがそれを五人がかりで分断できるとなれば、当然その分戦闘は楽になる。


「エクスヒーー――ル!!」
「エクスプロージョン」


 ここぞとばかりにとっておいた聖騎士の進化ジョブ。それをゼノは勿体ぶらずに扱いソニアはウルフォディアを削ることに集中し、戦況を盤石なものにしていた。それに加えて召喚モンスターを引き付けられるダリルにそれを殲滅できる火力を持つアーミラ。


「神龍化」
「アンチテーゼ」


 先ほどと同様に龍の手を具現化したアーミラは採算度外視の巨大剣を再び振りかざし、ウルフォディアに致命的な一打を与えた。その間に努はアンチテーゼを使用し、ダリルが引き付けていた召喚モンスターを瞬く間に始末していく。

 そして最後はソニアのエクスプロージョンでウルフォディアは内部から光の粒子を漏らし始めた。その姿のままよろよろと空中城に舞い戻ると、その場にかしずくようにしゃがみ魔石へと姿を変えた。


「……潮目が変わりそうだな」


 ステファニーやハンナといった化け物がいなくともウルフォディアを突破できる事実。それが今日明らかとなったことで、最前線の概念も覆されるだろう。それは探索者だけでなくギルド職員も理解していたのか、業務も片手間にざわざわとしながら二番台を見守っている。

 そしてゼノとソニアがウルフォディアからドロップした極大光魔石の前で感極まっているところで、努が神の眼を寄せてアーミラとツーショットになった。


『この刻印装備、ゼノ工房でもう販売してるんでよろしく。あ、ステカは忘れずにね。転売は相応の覚悟を持ってやるように』
「…………」


 そんな神台からの言葉にギルド内は一瞬しんとなった後、中堅探索者たちは餌に群がるように受付へと殺到した。その騒ぎにギルド職員は死んだような目になりつつも業務にあたる。


「……どうすんのよ、これ」
「おいてかれちゃう?」
「…………」


 そしてその中でもまだ努から刻印装備の販売を制限されている最前線組のアルマは頭を抱え、ミナは素朴な疑問をヴァイスにぶつけた。ヴァイスは絶望した様子を見せているアルドレットクロウの顔馴染みを見つめた後、そっと目を閉じた。


「どうすんのよ!! ねぇ!!」
「……自力で突破するしか、ないんじゃないか」


 ただそれで誤魔化すこともできずアルマに頭を引っ叩かれたヴァイスは、受付の大混雑を見てしばらくは回ってこないだろうことを察してそう結論付けた。


「しこたま飲ませてやりましょうか」
「やめておけ」


 そして努たちが帰ってくるのを今か今かと待ち構えていたへべれけのリーレイアは、ガルムに肩を担がれクランハウスへと運ばれていった。

コメントを書く