第431話 リズミカルな舌打ち
「チッ」
「…………」
ダリルと再会する時に念のため護衛を任されていたリーレイアが突然舌打ちをしたので、努はまた嫌味の一つでも言われるのかと思った。だがどうやらそれは去っていったダリルに対して向けたようだったので、藪をつついて蛇を出さないように聞こえない振りをした。
そんなダリルが帰っていく姿をクランハウスの中からそっと覗いていたガルムも、彼が完全に見えなくなったところで外に出てきた。そして周囲の顔色でも窺うように藍色の犬耳を動かしながら、所在なさげに努の前で立ち止まる。
「挨拶は、済んだか」
「一先ずはね。まぁ、思ってたより腐ってはなさそうで何よりだよ。それがミルルのおかげなら少しは感謝しないといけないかな?」
「…………」
ゼノからダリルの状況を聞く限りではもう少し精神的に追い詰められているのかと思っていたが、直接話した感じでは自暴自棄になっているというわけでもなさそうだった。それもダリルが随分と入れ込んでいた彼女のおかげなのだとすれば、死に体のまま見逃した価値は少しばかりあったのかもしれない。
そんなダリルが随分と気に掛けていたミルルに関しては、正直なところどうでもいい。直接見たのは数年前に魔石換金所で見かけた時以来で、その後は生きているのか死んでいるのかもわからないような状況だった。そんな彼女を今更になって見つけたからといって、わざわざ死体蹴りまでしようとは思わない。
ただ見たところ探索者としても力をつけていた様子のミルルならば、再び姿を現した自分への復讐に燃えて向かってくる可能性もあるだろう。それを警戒して努は今のところ一人で出歩かないようにしているし、向かってくるようなら容赦はしない。
そのためにもそう簡単には手出しできないようある程度地位を固めた状態で会った方がいいと考え、努はミルルと会うことを先延ばしにしていた。彼女への対応としてはそんな具合だったが、ダリルとの交渉材料になりそうだったので明言まではしなかった。
「チッ、チッ、チッ」
「……何だよ」
「え? そちらこそいきなり何でしょうか?」
(不機嫌オーラ全開の察してちゃん乙)
そんな目を向けられるのは心外だと言わんばかりに顔を歪めているリーレイアに、努は胸の内に浮かんだ言葉を頑張って秘めた。
「何でもないならいいんだよ。わざわざ護衛してもらって悪いね」
「後で護衛費は請求しますから」
「了解。それじゃ、お疲れ様」
「……チッ」
そう返すとリーレイアは濁ったような本気の舌打ちを残した後、クランハウスへと帰っていった。後には鼻で笑いそうになったのを何とか堪えた努と、神妙な顔をしたガルムに盛大な苦笑いをしているゼノが残った。
「リーレイア君は、ほら。あれでもまだ若いからね。あれも一種の、そうだね。甘えている行動なのだと思うよ?」
「毒蛇に甘噛みでもされてる気分だよ」
「……こらこら、陰口は、駄目だぞ?」
そうは言いつつも若干笑いのツボに入ったのか、ゼノは堪え切れない息を漏らしながら注意はした。するとガルムは神妙な顔のまま考えるように腕を組む。
「……あまり酷いようなら私からも注意を――」
「あぁ、それはマジで止めてくれ。誰が注意したところで絶対悪化するだけだから、僕が自分で何とかする。愚痴を聞いてくれるだけでも助かってるよ。それじゃ、さっさと手続きしに行く準備しようか」
慌ててそう訂正した努は急かすようにガルムを軽くクランハウスの方に押しやりながら、ギルドで手続きを済ませるための準備を始めた。
オーリから無限の輪のクランリーダーを変えるために必要な書類を受け取って事前に記入し、それからガルムとゼノに加えコリナにも付いてきてもらいギルドへ提出しに向かう。
これでようやく肩の荷が下りるとでも思っているのか、現在のクランリーダーであるガルムの足取りは軽く大きな尻尾もいつもより多く振っていた。そんな彼の後ろ姿を見ていた努は何となしに呟く。
「僕はこのままガルムがクランリーダーで全然いいんだけどね」
「……おい、私はよくないぞ。ツトムが帰ってくるまでの間だと言ったはずだ」
「えー。でも別にガルムがクランリーダーでも悪くはなかったよね?」
珍しく食って掛かるような目で顔を寄せてきたガルムから視線を逸らした努は、コリナにクランリーダーについての話を振った。すると彼女は若干迷惑そうな顔をした後、渋々と答えた。
「確かに悪くはありませんでした。ですけどガルムがそれを重荷に感じているのは傍から見ても明らかでしたよ。……本当に、頑張っていたんですから」
特に一年目は努に代わって何としてでも無限の輪を成立させて更に邁進させようと、ガルムは気張りすぎていた。初めはそれでも根性で耐え忍んでいたものの、最後には気苦労が過ぎて倒れてしまったほどだ。それほど精神的負荷をかけてまでガルムは無限の輪のクランリーダーとして、大きな責任を果たそうとしていた。
そんなガルムがクランリーダーだったからこそリーレイアやゼノも協力したのだろうし、彼が倒れた時は今も関係が途切れているダリルですら連絡は取ってきた。そしてそれからガルムは一度も愚痴すら吐かずにクランリーダーを全うしてきた。
ただそういった過去については努に話さないようガルムから昨日念押しされていたので、コリナは少しやりきれない様子で言葉を続けた。
「だから、ガルムだけはちゃんと労ってあげて下さいね。ガルムがいなかったら無限の輪が存続していたかも怪しかったんですから」
「はい」
「……なんか、すみません」
これは本気のトーンだということを感じ取った努が真面目に相槌を打っていると、コリナもそれを察して我に返ったかのように謝った。ガルムが倒れてしまった時、努はそもそも神が関わらなければ辿り着けないような場所にいたのだ。それを責められる謂れは彼にないだろう。
「いや、こちらこそ独断で帰って勝手に戻ってきた分際で言うことではなかったよ。申し訳ない」
「いやっ、別に私は何もしてませんし、ツトムさんにはツトムさんの事情もあったわけじゃないですか? 偉そうに言ってほんと、すみません」
「何を二人で謝り合っているのだ」
丁度曲がり角でぶつかってしまった後お互いにペコペコと謝り出す一般人のような二人に、ガルムは呆れたような顔を向ける。
「確かに私にとってクランリーダーは重荷であったが、幸いにも支えてくれる者たちが周りにいた。振り返ってみれば貴重な体験をさせてもらったともいえる。労いの言葉をかけるのならば、皆にするべきだ。……特にリーレイアには入念にした方がいいのかもしれない」
「善処するよ」
「そのためにも、ツトムが再びクランリーダーになるべきだ。そして出来るのならば、道を違えた者たちへ配慮もしてやってくれ。戻るか戻らないかは別にしても、前に進む切っ掛けにはなるだろう」
「まぁ、その責任を果たすために帰ってきたわけでもあるからね」
そう言うと努はぽりぽりと頬を掻きながら、上空にいくつも映っている神台を見上げた。
「でもガルム、今まで無理してまでクランリーダーを務めてくれたことには感謝してるよ。大分苦労かけたみたいで悪いね」
「……まぁ、なんだ。ツトムが帰ってきたのなら、その苦労も報われたというものだ。気にすることはない」
するとガルムも努の方には顔を向けず、歯切れ悪く返した。それからしばらく無言が続いたが、コリナが鼻をすする音でその静寂は破られた。
「な、何故コリナが泣いているのだ?」
「よ、良かったぁ……。よがっだねぇぇぇ……」
「……いや、よくわからんが取り敢えず顔を拭け。酷いぞ」
コリナは努の言葉を聞いたと同時に萎れたガルムの犬耳を見て、堰を切ったように泣き出した。努がいなくなってしまってから彼がどのように悩み苦しみ、無限の輪のクランリーダーを務めていたか。それを身近なところで見ていただけにガルムの苦労がようやく報われた気がして、彼女は泣きながらチーンとハンカチで鼻をかんだ。
「ツトム君。皆にも、そうだな……。先ほどのようなことを直接言ってやれば、全て丸く収まるのではないのかね? 例えばさっきもこう、ダリル君をガッと強く抱きしめて一言帰ってこいと……」
「何じゃそりゃ」
息をひそめていたゼノもようやく解放されたかのように深呼吸した後、熱い気持ちでそう進言してみたが努はまともに取り合わなかった。
――▽▽――
それからギルドで書類での手続きを済ませ、正式に努は無限の輪のクランリーダーとして復帰することとなった。その事務処理の現場にわざわざ来たカミーユとも軽く話した後、努はゼノと共にギルドを出て神台市場の大通りを歩いていた。
『今日は皆に、重要な知らせがある』
ガルムとコリナは努が探索者として復帰し、無限の輪のクランリーダーとして今後活躍することを知らせるためにダンジョンに潜り、五番台に映っていた。
「……ガルムさぁ、凄い勿体ぶって期待値上げすぎじゃない? 見ている人たち、結婚だ引退だ騒いでるけど」
「ツトム君の晴れ舞台のようなものだし、張り切っているんだろう」
「ほら、みんなポカンとしてるじゃん。三年前の探索者とか今じゃ化石みたいなもんでしょ」
「迷宮マニアなら大体は君の名前くらいは知っているさ。それに上位の探索者もね」
それからガルムが努の名を上げて無限の輪のクランリーダーが変わることを発表したが、観衆の八割がたはあまりピンときていない様子だった。そんなガルムにとっては電撃発表が流れている神台をあまり見ないようにしながら、神台市場の近くにある古い木造の店の扉を努は開けた。
「お久しぶりです」
ポーションの原料となる様々な薬草やダンジョン産の生物などを扱っているからか、店内は少々ケミカルな匂いがする。そんな店のカウンターで前見た時と変わらない古ぼけた揺り椅子に座っていたお婆さんは、努の顔を見ると朗らかな笑顔を見せた。
「おぉ、本当に帰ってきたんだねぇ。今生の別れみたいな手紙を突然送り付けられたもんだから、もう会えないのかと思ってたよ」
「すみません。あんな手紙を送り付けておいてなんですが、昨日戻ってきました。今も各所に挨拶回りしているところです」
「そりゃあ、大変なこった。わざわざ顔を出してくれてありがとうね。出せるものもないってのに」
相変わらずポーションが全て売り切れて繁盛している様子な森の薬屋。そこの店主でありエルフの最長老でもあるお婆さんはお変わりなくお元気なようで努は安心した。
「いえ、生産職の地位が向上してからも、前と変わらずいくつかのポーションを融通してもらっているとオーリから聞いていますよ。その節は本当にありがとうございます」
「別にいいんだよ。今更神様にジョブなんてものを貰ったところで、私のやることは変わらない。ポーションを作って、必要なところに卸すだけさね」
生産職のジョブも定義されるようになってからは、ポーションなどを作る者は薬師というジョブとしてステータスカードに記載されることとなった。その中でもぶっちぎりのレベルを誇るお婆さんは更に重宝される形となったため、そんな中でも変わらず無限の輪へもポーションをいくつか卸してくれるだけでもありがたい。
そんな森の薬屋のお婆さんと久しぶりに長めの雑談を交わした後、努は他にも引き続き無限の輪と取引を交わしているドーレン工房や魔道具職人たちの下へと訪ねて挨拶しに回った。五番台でガルムが大分熱を込めて語っていたことをからかわれながらも、努はおおよその顔見せを済ませた。
(明日はシルバービーストで同じレベル帯の人を探して、ようやく探索か。楽しみだな。……またロレーナ辺りにどつかれなきゃいいけど)
また兎耳五月雨突きを受けることにならなければいいなと思いながら、努はクランハウスに帰宅してやり切った感を出していたガルムを軽くどついた後に自室で眠りについた。
ブルゾンちえみも3年前だし、年が過ぎるのって早いなぁ