第432話 脱兎の如く
翌日の朝刊ではガルムの重大報告と銘打って半ば釣り記事のような見出しの後、努の復帰が報じられた。
(中身スカスカのまとめサイトか何かか?)
ただ一日では詳しく調べ切れない新聞社もあったのか、気になる年収は? 彼女は? 調べてみました! といった具合の浅い記事が多く見受けられた。調べてみましたが特にはわかりませんでした。いかがでしたか? とでも言われたような顔をしているリーレイアは無言でそれを畳んでからソリット新聞を読み始めた。
未だ新聞社の中では目立っているソリット社は、努の経歴からこれまでの探索者としての活躍などやけに詳しく書いていた。それにミルルについても遠回しに関与していないと書くほどの徹底ぶりだ。
そんな中、実は隠している資産があるのでは、なんて邪推された文字だけを目ざとく発見でもしたのか、朝食の席でハンナがやけに期待したような目を向けてきた。
「ないよ」
「とはいいつつも?」
「ないよ」
「えー」
「羽根毟り取って売っ払うぞ」
「いきなりの悪口!? どうしたっすか!?」
努にとってはゲーム内資産のような認識だったのでどうでもいいことではあるが、それでも三年で帰ってきて数十億G溶かされていたらそれぐらいの暴言は吐きたくなるものだ。台所にいるオーリも内心では食い気味でもっと言ってやれと野次でも飛ばしていることだろう。
「ツトムー! いるなら早く出てこーい! 私の怒りが爆発しないうちになー!!」
それにクランハウスの庭からも朝っぱらから野次を飛ばしてくる輩がいる。普通なら不法侵入で警備団に突き出しているところだが、生憎とその輩は無限の輪と同盟を組んでいるクランの主要メンバーであるためそれも出来なさそうだ。
「朝飯食べたら出るから騒ぐなよ。近所迷惑だろ」
「…………」
兎耳を全開に立てて騒いでいたロレーナにそう言い捨ててぴしゃんと窓を閉めると、彼女は途端に静かになった。だがそこから再びふつふつと怒りでも湧いてきたのか、沸騰したやかんのような金切り声を上げてまた騒ぎ出した。
「人間性は大して変わっていないようで何よりだね。走るヒーラーとしては結構人気出てるみたいだし」
「……なら本人にそう言ってあげた方がいいんじゃないですかね。ロレーナさん、今でもツトムさんを慕っているようですし」
「まぁでも、今は実際微妙なところでもあるしね。三大ヒーラーの内にも入ってないし」
「…………」
努がいた以前からも三大ヒーラーの一人として活躍はしていたものの、ロレーナはその中では邪道的な立ち位置にいた。直接回復による精神力節約と避けタンクを兼任するような立ち回りを独自に確立したものの、安定性に欠けるし早々真似できないことには違いないのでロレーナに次ぐような走るヒーラーは中々生まれなかった。
だがこの三年の間にそれも改善されたようで、上位の神台でも避けタンクを兼任するようなヒーラーも見受けられるようになった。その比較対象が出来たおかげか最前線を走るロレーナの立場は更に強固なものとなったようで、よく喚いている割にカリスマ的な人気もあるようだ。
(まぁ、色物系でいうとアルドレットクロウの祈祷師に持っていかれた感は否めない。三大ヒーラーに入ってる紅魔団のセシリアも模範的なヒーラーって感じだしなー。ヒーラー単体の実力なら負けてないとは思うけど、紅魔団はヴァイスもそうだけどその周りのメンバーもえげつない)
走るヒーラーも白魔導士の選択肢として確立されたものの、それより目立っているのは祈祷師の大幅な伸展だ。以前まではコリナぐらいしか使い物にならなかったが、今ではむしろ白魔導士より祈祷師の方がヒーラーとしての採用率が多いほどだ。
コリナは祈祷師の可能性を広げる初めの切っ掛けになった。ただそれを全体にまで広げたのは恐らく、アルドレットクロウの祈祷師であるカムラという男だろう。彼はコリナのようにPTメンバーやモンスターの死期が見えるユニークスキルは持ち合わせていないが、それでも祈祷師としてのポテンシャルを十全に発揮しているように努には見えた。
理論値だけでいえば祈祷師は白魔導士よりも精神力消費や回復力などは上回っている。ただ遅れて発動するスキルの特性上即座の対応力では劣るため、ある程度の実力が求められるし致命的なミスを犯せばあっさり全滅してしまう。
そのためまずはコリナのように無駄になってもいいから遅延発動するスキルを常に回し、どの状況にも対応できるような盤面を作って致命的なミスを犯さないようにすることが基本的な祈祷師の立ち回りだ。
その効率的なスキル回しやヘイトの感覚を祈祷師たちがようやく掴み始めた中、元々帝都で下積みをしていたカムラは既にそこには辿り着いていた。そしてコリナの立ち回りを更に磨き上げ、常人でもこなせるような最適解を編み出し続けた。
(祈祷師にしか返しようがない場面もしっかり返せる地力がある。それに加えてあの読みの鋭さだもんな)
その最適解にくわえ、カムラの予測は神がかっているといってもいい。時には死期を見通す死神の目すら凌駕するほどの読みをもってして、絶望的な状況を何度もひっくり返している。それも盤面を見ての理論的な読みがほとんどだというのだから、そんな彼の立ち回りは研究されて徐々に一般的な祈祷師の立ち回りとして確立されていった。
(同じPTにいる妹? の存在も多少は影響してるけど、あれはかなり手強そうだな。性転換した祈祷師版ステファニーって感じだ。それで精神も安定してそうだし完璧じゃないか?)
タンクを務めている妹も妹で、アルドレットクロウの一軍にいてもおかしくない実力を持っている。特筆すべきは斬新なスキルの使い方だろうが、それを加味してもカムラの実力が祈祷師随一であることに変わりはない。一軍もバッファーのポルクという差別化がなければ抜かれてもおかしくはないほど実力は拮抗している。
「ドンマイ」
「…………」
そんなことを考えていたら一人で騒ぐのも無理が出てきたのか静かになり始めた兎が可哀想にも思えてきたので、努は朝食を終えた後に庭の端で体育座りしていた彼女にそう声をかけた。
皮肉を込めた一言でも言われるのかと思っていたロレーナは、一瞬何が起こったかわからない表情をした。
「このやろーー!!」
だが何故かその言葉には見下しと同情じみたものを感じたので、そのまま飛び出すように頭突きした。そして事前に張られていたバリアに当たり、開かない自動ドアに突っ込んだ子供のようにおどおどとした後、キッと努を睨みつけた。
「なんか言葉に棘を感じますね!! 三年ですよ!? 三年ぶりに会った弟子に対する初めの一言がそれですか!?」
「初めの一言でいうなら、さっきの騒ぐなよの方が正しいけど」
「こまけーことはいいんですよ! 帰ってきたなら何よりですねぇ! おかえりなさい!」
キレ散らかしながらも歓迎の言葉は放ったロレーナに、努は軽く頭を下げた。
「どうも」
「軽っ!? 反応が軽い!? もっとこう、感動の再会的な感じじゃないんですか!? 今も頑張ってる弟子をぎゅっと抱きしめて下さいよぉ! なんか前よりがっしりしてるその腕で!」
「それ、ゼノも言ってたな。演劇とかの影響かなにか?」
「……いや? 私演劇とかぜんぜん見ませんし?」
「あぁ、そう」
そうは言いつつも兎耳を迷うように逸らした彼女を見て何となく察しのついた努は、白けた顔のまま話を進める。
「取り敢えず、シルバービーストには今日お邪魔すると思うからミシルに話を通しておいてくれ。それと僕とレベルが同じくらいでフリーの探索者がいたら紹介してくれると助かるかな。ある程度は下でも構わないから」
「それなら私たちが」
「介護されながら階層更新するなんて真っ平ごめんだね」
「……まぁ、ツトムならそう言うとは思ってましたけどね!」
「なら最初からわかりきってることを言うなよ」
「あれ、おかしいな? もしかしてツトムは遠慮というものをご存じでない? 故郷に置いてきちゃったんですか?」
「朝からクランハウスの庭に入り込んで騒いでくる奴には言われたくないけど」
「普通なら遠慮するところに敢えて踏み込むことも、愛の一つってもんですよ。ツトムにはこの弟子の気遣いってものがわからないかなー?」
「やかましい」
久しぶりに会ったことでテンションが振り切れているからかいつにも増してウザ絡みの姿勢を崩さないロレーナに、努は付き合いきれなくなったように手を払った。
「さっさとミシルに伝えてきてくれ。僕も久しぶりの探索準備で忙しいんだ」
「そんな邪険にするなら私、もうここから動きませんよ!」
「好きにすれば?」
「…………」
ロレーナは梃子でも動かぬと言わんばかりに寝転んでみたものの、努がそう言い捨ててクランハウスに入りこのままでは放置されると判断した彼女はいそいそと帰っていった。
(丁度良いレベル帯のPTメンバーがいるといいんだけど、そもそもそういう人材が余ってるわけがないしな。それに今の攻略階層からして百階層辺りは中堅上位って感じだし、PTメンバーも固まってきて一番楽しいところでもある。シルバービーストでもあまり期待は出来ないかな)
ロレーナが帰ってからはゼノが調達してきてくれた百階層以降の装備を実際に着てみながら改めて吟味しつつ、努は今後の探索について考えていた。
理想をいえば同レベル帯で実力もある者がベストであるが、そんな人材は既に他の大手クランなどが確保しているか、完全に固定PTを組んでいることがほとんどだ。初めから探索者として魅力的な人材など、よほど力を入れない限りは確保できるはずもない。それにいざそういった人材を入れたところで意外な問題点が浮上することだって有り得る。
それなら人材確保に奮起するよりもむしろ初めから育成するつもりで組んだ方が楽でいい。一癖あるものの実力はある奴がいるなら大歓迎だ。無限の輪でいえば能無しの羽根タンクだったハンナや、独りよがりでクランを解散させたアーミラなどがそれに当たるだろうか。
ただ、余り物だからといって必ずしも当たりというわけではない。しかしそういった見えない地雷は『ライブダンジョン!』で幾度となく踏んできたので、多少の見分けはつく。それに今回はクランに入れるわけでもないので最悪踏んでも離れられるので気楽でいい。
(暗黒騎士で良さそうな奴いないかなー。瀕死タンクやらせてみたい。冒険者もそこまで開拓はされてないんだけど、絶対数が少ないからな。少なめのジョブは大体アルドレットクロウに取り込まれちゃうのが難点だ。バッファーもPTに入れてやってみたいんだけどなー)
自身の人生そのものを賭けて『ライブダンジョン!』で開拓されたようなネタ枠に走る者はかなり少ない。成功例でいえばハンナがそれに当たるだろうが、そんな彼女の足下には日の目を一切見られなかったため確立している道に戻ったり、ひっそりと引退して一般的な職に就いた者などの屍が無数に転がっているだろう。
(一回成功例を出せればそれに付随して派生までしてくれるんだけど、自分の人生を賭けてそんな獣道を開拓していくような奴は中々いないしな。いても大体は成果が出ずに途中で方向転換するし、中々上手くいかないもんだね)
ハンナが筆頭となった避けタンクも今ではただ速さだけで圧倒するのではなく、モンスターの攻撃を受け流して捌くような者も今では上位の神台でも現れていた。彼女が一年ほど魔流の拳の修行で迷宮都市を出ている間に、避けタンクは派生し進化している。
「もうちょっと赤っぽい感じの方が師匠っぽくないっすか?」
「最近の流行りは寒色系だし、ツトム君にも似合うと思うぞ」
「性能的にはどっちでもいいからこっちにするよ」
装備の見た目に関してやいのやいの言っているハンナとゼノを横目に試着を終えた努は、最善までのPTメンバーを探すため一先ずシルバービーストのクランハウスへと向かった。
瀕死タンクって現実で考えたらめちゃめちゃ辛そう