第437話 瞑想仲間

 

「……師匠。あの人、様子がおかしくないっすか? 一応警戒しとくっすけど……」
「ん?」


 変質者でも見つけたような目をしているハンナが促してきた先には、見覚えのある女性が呼吸困難にでも陥ったかのように大きく肩で息をしていた。ステファニーだ。


(誤解のないよう文面考えた手紙まで渡したし、あれから変に拗らせることはないと思うんだけどな。……指噛み千切りは今でも覚えてるし、またやられたらたまったもんじゃない。ネットに生息してるメンヘラちゃんの比じゃないぞ)


 また拗らせたら今度は自分にも噛みついてくるんじゃないかと警戒しながら、気付かないフリをしてギルドに入ることも考えた。そもそもステファニーが休日に他の誰かと待ち合わせをしている可能性だって大いにある。自意識過剰に声をかけるのはどうかと思う。

 そんな言い訳を色々と挙げてはみたものの、一言くらいは挨拶するのが普通ではあるので努は内心でため息をつきながらもギルドの正門に近づいた。一歩足を踏み出すごとにステファニーの挙動不審さが増していく。


「あ、どうも。お久しぶりです」
「あ……あかっ……ごほっ! ごほっ!」


 ステファニーは溢れ出て止まらない思考を言語化するように口を開こうとしたものの、素早くごにょごにょと動いただけで息が詰まるだけだった。それから彼女は目を閉じて異様に長い深呼吸をし始めたので、努は怪訝な顔を表に出さないよう努めた。するとハンナが背伸びしてちょんちょんと彼の肩を叩く。


「師匠、そんな警戒しなくても大丈夫っすよ。多分、瞑想してるだけっすから」
(……迷走してる? いや、そういうニュアンスじゃないな。めいそう? とくこうととくぼうでも上げてるのかな?)


 ハンナはステファニーが瞑想らしきものをしていることに気付いたのか、修行時代を思い出して少し親近感を持った顔になっていた。しかし瞑想について詳しくない努はそんな感想しか浮かばなかったが、ハンナの話を聞きながら彼女が落ち着くまで待つことにした。


「……本当に、お久しぶりですわ。夢のようです。それと、ツトム様に説明していただいてありがとうございます。ハンナ、で合っていますよね?」
「大丈夫っすよー」


 再び目を開けた時には落ち着きを取り戻したステファニーは、語り掛けるように呟いた後ハンナへ礼を言った。そのまま彼女に視線を固定しながらステファニーは言葉を選ぶように手を合わせてもじもじとさせている。


「ステファニーは今日休みなの?」
「……ッスー」


 努がそう尋ねるとステファニーはちらりとだけ見上げてきた後、歯の隙間から息を吸うような音を出して返事のようなものをした。それからも何か言葉を捻り出そうとしては唇を噛んだり、尋問でもされているかのように目をきょろきょろと動かして目に見える汗までかき始めた。


「取り敢えず、手の感触に集中するといいっすよー」
「そ、そうですわね」
(……思いがけない瞑想仲間って感じか? そういえばハンナも庭で如何にもなことやってるところ見かけたことあったな。メルチョーの教えなのかな?)


 何やらステファニーの手をにぎにぎして落ち着かせようとしているハンナを見て、努は胡散臭そうな顔のまま暇つぶしに遠くへ見える一番台を眺める。


(海外のプロゲーマーにはそういう人もいたけど、日本人じゃまず見なかったしなー。僕のチームでも一人しかいなかったはずだけど)


 瞑想、マインドフルネスはあのスティーブジョブズもやっていたと、耳にタコが出来るほどチームメンバーからまくし立てられたこともあったが、努はそれを取り入れようとは思わなかった。確かにゲームであろうとも心技体が大事だということはわかるが、それについては事前にこの世界で死ぬほど鍛えられていたこともあってそこまで問題にはならなかった。


「師匠、人差し指押さえてほしいっす」
「……いや、遠慮しておくよ」


 するとハンナは手持ち無沙汰になっていた努に気でも遣ったのか、身体の感覚に集中する瞑想の手伝いを振ってきた。ただその途端にステファニーが幽霊でも目の前にしているかのようにぶわりと鳥肌を立てているのを見て、止めておくことにした。


「それじゃ、僕たちはダンジョン潜ってくるよ。休日、楽しんでね」
「えー、やっと落ち着いてきたところだったっすのに~」


 ハンナはぶーぶー文句を垂れていたものの、ステファニーが瞑想を経て落ち着いたことで満足もしたのかその手を離して努に付いて行った。


「…………」


 そして取り残されたステファニーはそれからぴとりと壁に寄りかかってさなぎのように固まった後、跡形もなくなった心の復興作業に努めた。


 ――▽▽――


「ハイヒール」


 あれからハンナと二人で百三階層へと潜っていた努は、彼女が弱らせていたオイルスライムを何度か回復させていた。

 ダンジョン内で進化ジョブに切り替える際にはジョブごとに条件があるが、白魔導士の場合は単純にスキルでの回復量である。普段ならばタンクを回復することで事足りるのだろうが、生憎ハンナは避けタンクなので敢えて弱ったモンスターを回復させることによって努はその条件を満たそうとしていた。


(リスカなんてまっぴらごめんだからな)


 そういった時には白魔導士自らが自傷して回復を繰り返すことで条件を満たすこともあるようだが、未だにステータスカードの確認でさえ唾液で済ませている努がそんなことを望むわけもない。いざという時にはやるかもしれないが、それがモンスターをいたぶること済むのならいくらでもする。


「おっ、溜まったっぽい」


 すると青ポーションを飲んでもいないのに精神力が少し回復した感覚が得られたので、努は心の内でジョブの切り替えを望んだ。


「おぉ、師匠なのに神々しい感じするっすよ!」
「なのにってなんだ。なのにって」


 進化ジョブの切り替えについてはスキルのように口へ出さなくとも可能であり、それと同時に各ジョブごとに演出じみたエフェクトも加わるので神台受けがいいことは聞いていた。


(確かにダンジョン内で切り替えてみると、ステータスが変わった感じもわかりやすいな。あとこれで精神力リセット出来るのは強いな。その分ヘイトは買うみたいだけど)


 そんな神々しいオーラのようなものを手で払いながら、努は自身のステータスが変化したことを確かに感じていた。昨日は事前にステータスカードから進化ジョブに変えて潜っていたのだが、こちらの方が確かに変化の度合いは理解しやすい。


「エアブレイズ」


 その見た目こそは先ほど試し打ちした時とまるで変わらない風の刃は、オイルスライムに当たると粘体の中で動き回る核に届かんばかりの切れ込みを入れた。普通の白魔導士が放つエアブレイズでは怯ませて足止めするのが精々だろう。


「ホーリー」


 努が数十本の針を射出するように放った聖属性の攻撃スキルであるホーリーは、切れ込みが入って傾いていたオイルスライムの粘体に幾多も突き刺さり、その内の一つは動き回る核を捉えていた。途端に鏡餅のようにぺたんと地面に広がって光の粒子となり始めたオイルスライムを見て、ハンナは感心するように唸った。


「むー。昨日もホーリーとか使えばよかったんじゃないっすか?」
「せっかくディニエルが加わってPTが安定してたんだから、新しいスキルを中心に試したかったんだよ。使い慣れてるスキルが強いのはわかりきってたし」


 進化ジョブでは蘇生系のスキルが使えなくなる代わりに、黒魔導士と似たスキルが使えるようになる。昨日はそれらの試し打ちと、神台で見ていた近接主体の白魔導士の立ち回りも真似していた。


(そのおかげで近接戦闘を捨てる決心は出来たしな。僕はスキル回しと精神力管理で突き抜けるしかない)


 昨日のお試しで自分に近接戦闘の才能がなく、更にそもそもの努力量も周りと比べると足りていないことは改めて理解した。コリナのようにモーニングスターで正面からモンスターを撲殺できるような器量とパワーを自分は持ち合わせていない。


(仮にステータスがなかったとしても、無限の輪の中では弱めのコリナにすら力負けするだろうしな。全員遺伝子レベルからおかしいんじゃないか? 特にコリナ、同じヒーラー職なのに立ち回りがゴリゴリすぎる。何であんな害のなさそうな雰囲気でゴリラみたいなパワーと度胸あるんだよ。日本人が真似できるわけないだろあんなの)


 結構ハードな山登りを通じてそこそこ鍛えてきた自負のある努としては何とも情けないことではあるが、この世界ではしょうがないと割り切るしかない。


(最近になってやっと男としての自信のようなものも出てきたところだったのになー。まぁ、好き好んでヒーラーやってる時点でそこは諦めるべきなのか)


 三年経っても相変わらずちびっこいままなハンナは外見だけなら貧弱そうに見えるが、ダンジョンでの動きを見れば人の皮を被った化け物といっても過言ではない。それにアーミラも大剣士というジョブの恩恵のおかげで馬鹿みたいな重量の大剣を振り回せるのかと思いきや、素で持ち上げることは可能なほどの馬鹿力を持ち合わせている。まさに力こそパワーだ。

 それに今は実際に幼女の皮を被った虫系モンスターも紅魔団にいることだし、そんな化け物連中と自分が戦闘面で張り合うのは馬鹿らしいにもほどがある。

 確かに今の白魔導士なら近接戦闘をこなすこともステータス上可能で、杖の性質に沿った近接攻撃ができるスキルで火力も伸ばせるので神台でそういった戦闘をしている者たちは良く見かける。だがそれはあくまでモンスターが蔓延るこの世界の住人だからこそ出来ることだ。モンスターどころか動物すら自分の手で殺したこともなく、これからそれをしようとも思えない努は別の戦い方をせざるを得ない。

 結局のところ、今まで自分が歩いてきた場所にある武器で戦うしかないのだ。努にとってそれは『ライブダンジョン!』で培った経験と知識。それは神のダンジョンで利用されて更なる磨きがかかったと共に、努自身の新たな経験にも繋がった。そして世界規模で流行ったゲームでは逆に神のダンジョンでの経験を活かし、数多くの上位勢と共に切磋琢磨しながら濃密な年月を過ごしてきた。

 その膨大な経験とこの数日で得た知識を元に、努は自分の中での最適解を既に出していた。


(進化ジョブに関しては独自の路線で突き進んでも問題はなさそうだな。細かい立ち回りはミルウェーから盗もうっと)


 一先ず百三十階層付近で停滞している金色の調べのヒーラーであるミルウェーのしている立ち回りを模範にしながら、努はハンナと共に刻印階層を順調に攻略していった。

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