第438話 祈祷師全一
ここ数日、ステファニーの様子がどうもおかしいといった噂はアルドレットクロウの中でも囁かれていた。探索でもいつもの冷静沈着な立ち回りに大きなムラっ気が出ていて、成果の浮き沈みも激しかった。
「どういうことだ……?」
そんな彼女の変化にいち早く気づいていたアルドレットクロウの二軍ヒーラーであるカムラという男は、少しくすんだ金髪を掻きながら彼女がどうしてそうなってしまったのかを調べていた。
「大方、ツトムが原因じゃないか?」
「ツトム……?」
「あぁ、そういえばカムラとホムラは時期的に知らないのか」
その理由についてステファニーの幼馴染でもあり自分たちと同じPTメンバーでもあるソーヴァに聞いてみたところ、すぐに見当は付いた。どうも元々ステファニーの師でもあったツトムという探索者と接触してから、彼女の調子は明らかにおかしくなったようだった。
それからカムラとその妹であるホムラは、努について調べ始めた。ただ彼の情報自体は有名な迷宮マニアたちがこぞって取り上げていたのですぐに集まった。
「まるで英雄譚みたいじゃん。凄いねこの人」
「……どうだかな」
少し青がかった黒髪を手ですきながら棒読みで褒め称えるホムラに、彼は神妙な顔で呟く。
それらの情報を全て信じるのだとすれば、ツトムという人物は迷宮都市の偉人といっても過言ではないだろう。神のダンジョンにおける不遇職を役割理論で救いながらも自ら成果を上げ、迷宮都市での大規模なスタンピードでは一騎当千の活躍をして貴族から表彰されてもいる。そして、前人未到の百階層を初めて攻略した人物。
その明確な実績の他にも曰く、百階層はただ一人でも攻略は可能だったとか、神のダンジョンにおいて一度も死んだことがないなどといった尾ひれがついたような与太話もあった。だがそれらも迷宮都市で古参の探索者に詳しく聞いてみたところ、解釈の違いこそあれど事実ではあるようだった。
「ここまでの実績を残している探索者が、何故突然になって引退したんだろうな?」
「……色々理由は推察されてるみたいだけど、どれもしっくりこないよね。事実は謎のまま」
「随分と囃し立てられているみたいだが、九十階層まではステファニーの後に続いてただけなんだろ。ならもしかしたら案外、最前線で何の情報もなく死ぬのが怖かった、なんてオチかもしれないな?」
「昔のお兄ちゃんじゃん」
「…………」
帝都でダンジョンに潜っていた時の黒歴史を不意に妹から掘り返されたカムラは、息を詰まらせた後にじろりと切れ長な目で睨み返した。
「一緒にするな」
「でも確かに、一度も死んでいないことがもてはやされるのはよくわからない。確かに凄いことではあるけど、同業者としては一度も転ばず顔に泥も付けたことのない人に背中は任せたくない。実質、地面に埋まってるゴールデンボムみたいなもの」
「そうだな」
「実質、昔のお兄ちゃん」
「実質、男装した女に恋して貢がされてたお前の間違いだろ」
「迷宮都市のダンジョンに出会いを求めてるお兄ちゃんに言われたくない」
「それはお互い様だろうが」
元々帝都では家族でPTを組んでいたこともあり、お互いに黒歴史は握り合っている。アルドレットクロウの食堂で二人はそんなじゃれ合いを交わしながら、夕食を終えて食器を片付けにいく。
「…………」
その途中でカムラは横の丸卓で一軍メンバーと共に夕食を食べていたステファニーを一瞥する。今までは夕食の間も一軍メンバーと探索についての打ち合わせをしたり、二軍である自分やその下の軍の方にも顔を出して談笑するくらいの余裕を持ち合わせていた。
そんな余裕は探索の時にも現れていた。どんなに追い込まれた状況でもステファニーは息すら乱さず、むしろ普段以上の支援回復を平然とこなす。観衆が湧き立つようなヒーラーの立て直しを魅せる彼女の表情は普段となんら変わりはない。そんなステファニーを神台で見たカムラは、同業者としてぞわりとしてしまった。
弓の才気に溢れながらも百年以上修練を積んでいるディニエルにすら劣らないほどの安定感を、人間の中でも彼女だけが持っていた。だからこそアルドレットクロウの一軍は一番台足り得るのだ。ステファニーでなければあんなメンバーたちは纏めようがない。
「ツトム様の立ち回りは明日も確認しておいて下さいね。参考にしますので」
「は、はい」
だがそんなステファニーが今は食事中であるにもかかわらず情報員から調達した努に関する書類を大っぴらに広げ、それを読むことばかりに集中しているようだった。
アルドレットクロウの食堂では基本的に下の軍が上の軍の席に直接行って話しかけるようなことは、暗黙のルールで禁じられている。なので三大ヒーラーであり二軍のカムラでもステファニーに自ら話しかけに行くようなことは出来ない。そしてそれは他の者も同じなので、今もアルドレットクロウの一軍をひた走る彼女と話せる数少ない機会を失い意気消沈している者も多い。
(セシリアやロレーナなら、まだ納得は出来たんだがな……)
三大ヒーラーの一人で、ステファニーと同じ白魔導士でもあるセシリア。彼女のPTは一番台のアルドレットクロウに負けずとも劣らない勢いがあるし、実績も十分にある。それか単純な白魔導士単体の実力でいえば実質セシリアを退けて三大ヒーラーに入るのではないかと評価もされている、走る白魔導士のロレーナ。彼女たちのことを意識しているのなら納得は出来る。
だが自分の知らない努という人物にステファニーが意識を乱されていることは、内心ではあまり容認はできなかった。それも現時点で怒涛の階層更新をしているわけでもなく、白魔導士として新たな実績も上げていない彼を相手に、何をそんなに感心を寄せているのか。
現時点でのヒーラーのトップに君臨しているのは間違いなくステファニーである。だがジョブは違えど同じヒーラーである自分が彼女に大きく実力を離されているわけではない。周囲の評価からしても実力は拮抗しているといってもいいし、自分もそんな彼女をライバル視していることに違いはない。
「お兄ちゃん、顔」
「……あぁ」
だが何故、自分には見向きもせずに努という男を注視するのか。現時点でのヒーラー、そしてアルドレットクロウのナンバー2は俺だ。俺を見ろ。そんな気持ちが顔に出ていたからか、妹からふくらはぎを軽く蹴られながら指摘されたカムラはすぐ真顔に戻した。
「番台抜いてわからせるしかないでしょ」
「……それが簡単に出来たら苦労しない。しかもその前に、あの紅魔団も抜かなきゃならん」
「弱点あるだけマシじゃん?」
「弱点とはいっても、別にセシリアが明確に弱いわけじゃない。探索歴も長いし、良くも悪くも平均点は取ってくる。美人ってだけで生き残ってるわけじゃ――」
「顔はお兄ちゃんのタイプっぽいもんねー」
「……だからって擁護してるわけじゃないぞ」
「どうだかねー」
ホムラはそう言いながら疑うような目を向けてきた後、お盆を押し付けてきた。そんな彼女からそれを受け取ったカムラはぶつくさ言いながらも食器は丁寧に下げた。
――▽▽――
「……はぁ。今更生産職にでも鞍替えするつもりなのですか? あの人は」
クランハウスを出てギルドに向かう道中でリーレイアは呆れたようなため息をつきながら、緑髪の上から額の横をぐりぐりと押している。そんな彼女にガルムはにべもなく言った。
「何か狙いはあるのだろう」
「相変わらず全面的に信頼しているようで、結構なことです。……ドーレン工房に弟子入りするぐらい本気ならまだ理解はできましたが、あんな片手間でやったところで大した成果など上がるはずもない。それよりもまずはレベルでしょう。最低限のレベルがなければ話になりません」
朝の基礎訓練が終わった後に刻印油を使って敗者の服に素人が取ってつけたような刻印を記したり、朝食の際には厨房で回復魚の捌き方をオーリから学んだりしていた努は、刻印士と薬師のレベルが上がったとはしゃいでいた。
だがリーレイアからすれば努のそれは無駄な努力をしこしことやっているようにしか見えなかった。現にいくつものサブジョブを持っているものの、どれも大して役に立つレベルに至っていない半端者どもは既に存在する。その二の舞に努もなるのではないかとリーレイアは危惧していた。
「ツトムはあまりレベル上げを――」
「確かにツトムは過度なレベル上げをしない傾向にありましたが、最低限はしていたはずですよ? 火竜戦でも、マウントゴーレム戦でも最低限のステータス値とスキルを手に入れるまでは上げていました。そしてそれはたかが六十、七十レベルでの話です。百レベル以降は必要経験値が更に上がります。百十階層はまだいいでしょう。ですが今からでもレベル上げをしておかないと、百二十階層で百十レベルには到達しないと思いますが?」
お前だけが努の過去を、思考を知っていると思うなよと言わんばかりの顔で言いのけたリーレイア。だがそんな彼女を前にしてもまだまだ言い返す気満々に尻尾を立てているガルムを見て、ゼノは一つ咳払いした。
「過度に煽るのは止めたまえよ。些か品に欠けている」
「確かにそうかもしれませんね。失礼しました。ですがそれを言うならツトムにも同じように忠告したらどうですか? あの人は行動自体が皆を煽っているようにしか思えてなりませんが。それにあれほど中途半端なことをするより、近接戦闘の訓練をした方が確実に役立ちます。それなのに模擬戦に付き合うと言ってもはぐらかして逃げる有様ですし」
「……先ほどのリーレイア君から模擬戦を申し込まれたら、私とて逃げたくはなるよ」
早朝の基礎訓練の後、確実に半殺しにはしてきそうな迫力の垣間見える笑顔で努に模擬戦を申し込んでいた彼女を見ていたゼノは苦笑いしながら呟く。
ただリーレイアの私情も多分に混じっているものの、彼女の言うことに一理あるのも事実ではある。白魔導士は進化ジョブに切り替えた際には精神力を必要としない近接戦闘も出来る方がいいし、現に上位の白魔導士はほとんどが人並みにこなせる。その点、努は三年前から模擬戦自体が苦手であり、現在も多少鍛えてはいたもののその弱点を克服しているようには見えなかった。
「うーん。でもその辺りは、ツトムさんも考えてはいると思いますよ。この前チラッとリビングでツトムさんが何かをメモしているところを見ましたけど、末恐ろしいほどびっちり書いていましたから」
「今も熱心な生産職のことについて書いていただけなのでは?」
「文字自体は読めなかったんですよね。ほら、ツトムさんの部屋にもいくつか読めないメモ書きがあったじゃないですか? あんな感じで。でも多分、自分のことについて考えてるような感じだったような~」
ムチムチとゴリゴリの丁度境目を彷徨っていると努の中では定評のあるコリナは、以前に増して肉付きの良くなった腕を組んで唸った。
「それに、今ではステファニーさんの専売特許みたいになっていますけど、ツトムさんも精神力の使い方は異常なほど上手いじゃないですか? それに最後まで精神力を使い込めるような……根性? 気力? んー、ツトムさんに合うような言葉が見つかりませんけど、それもありますからね。そんなに心配しなくてもすぐに上がってくると思いますけど」
「別に心配してはいませんけどね。むしろ死んでほしいくらいです」
「あっ、はい」
モーニングスターを持って近接戦をゴリゴリにこなせるコリナであるが、彼女からすればそれは少しでも精神力の消費を減らして倦怠感や気持ち悪さを軽減させるための逃避行動に過ぎない。建前では白魔導士や祈祷師も前に出るべきだと主張するヒーラーも多いが、本音では大体その問題に行き着いているのではないかとコリナには思える。
スキルの使用に不可欠である精神力は、半分を下回るにつれて様々な症状が出てくる。まるで寝不足にでもなったかのような倦怠感に、若干の気持ち悪さ。残りが三割ぐらいを切ってくると明確な吐き気が襲ってくる。それ以上精神力を使ってしまうとあまりの不調に気絶してしまう者も出るほどで、いっそ殺して楽にしてくれと思えるほどで実際に死ぬ者も多い。
だからこそ探索者たちは精神力が半分を切らないようにスキルを使っていたため、効率的なスキル回しなどはあまり開拓されてこなかった。だがそんな中ステファニーは他の白魔導士と比べると明らかにスキルの使用頻度が高く、それでいて気持ち悪そうな表情すらおくびにも出さず平常時と変わらぬ立ち回りを続けている。
「私たちは私たちのPTで最善を尽くすだけだ。まだ下の階層にいるツトムも、いずれは必ず追いついてくる。その時に私たちが落ちぶれているようでは本末転倒だろう。上の番台も下の番台も強敵だらけだ。ツトムにかまけている暇はないぞ?」
「…………」
ツトムが帰ってきた時に飼い主が戻ってきた時の犬のように尻尾を振って一番浮足立っているお前が言うな、という言葉が口から出そうになったものの、もしあのことを言い返されたら何も言えない。そんなリーレイアはきりりとした顔でそう言ったガルムに対して何も返さなかった。
末恐ろしい?