第440話 タトゥー

 

「そんなにしてたらそろそろ自分の身体に刻印を……ってならないっすか?」
「ならないよ。そもそも効果発動しないし、発動するにしても痛そうだし嫌だわ。もしそういうスキルが出たらハンナには刻んであげようか?」
「あたしも興味ないっす~」


 以前までは暇があれば様々なスキルを使い倒していた努が、今ではその代わりにダンジョン産の装備にひたすら紋様を刻むようになった。時折小さな水たまりのように溜まっている刻印油にナイフを浸し、歩きながら器用に衣服を刻み続ける姿は傍から見れば狂人の部類に入るのかもしれない。

 ただ百番台以下はランダムに映し出される仕様なので、百七階層程度ではそもそも神台へ定期的に映ることもできない。それが今は逆に良かったかな、なんてハンナは思っていた。

 努が刻印にひた走る行動については、クランメンバーの中でも賛否が分かれている。ガルムは全面的に信頼している様子で何も言わず、ゼノも努の話を聞いてからは素直に従って様々な装備を調達していた。

 逆にリーレイアは努の行動にじれったさを感じている様子だったが、今では失望したのか食って掛かることもなくなった。コリナはまだ努のことを良くも悪くも評価しておらず中立といった様子だった。

 そして探索者界隈でも努の評価は一転していた。初めは努のことを大きく取り上げていた迷宮マニアたちも、彼が想定外の行動をし始めて生産職に喧嘩を売るようなことをしてからは一斉に口を閉じた。今では迷宮マニアとしての威信を守るためにも評価をなかったことにしたり、謝罪する者も出てきたほどだ。

 ハンナにはそうした細かいところまではわからないが、何となく努が大多数から期待されていたものの今では失望されていることは肌感でわかっていた。

 ただリーレイアは勿論だが、何日か前に直接会いにきたディニエルも心配があっての叱責だったのだろう。それに先日ダリルからも様子を窺うような手紙で連絡がきたし、ギルドで門番をしていたアーミラからも疑問の視線を向けられた。身近な者たちはその人なりに師匠を心配してのことだろう。


(でも、師匠の好きにさせてあげればいいと思うっすけどね~。あたしはそれで上手くいったし)


 だが努に任せておけば取り敢えず上手くいくことを、ハンナは身をもって知っている。避けタンクの第一人者として身を立てることが出来たのは、唐突な努の勧誘あってのことだ。

 初めこそ疑い半分だったものの、PT合わせで動きを指南されていくうちに自分の求めていたものはこれかもしれないという確かな手応えをハンナは感じていた。そしてマウントゴーレム戦で避けタンクとして大活躍した時には、どんよりとした曇り空が瞬く間に晴れたかのような感動を覚えた記憶も珍しく残っている。

 そんな成功体験があった彼女は、努から残された手紙の言う通りに従って魔流の拳の修行を継続して行っていた。そしてその総仕上げである外での修行期間をもって魔流の拳の正式な継承者としてメルチョーから認められ、心身ともに生まれ変わったのではないかと思うほどの成長を実感した。

 もしあの手紙がなければそもそも魔流の拳をここまで極めるには至らなかっただろう。当時は魔流の拳よりも神のダンジョンの新しい階層の方に興味自体は向いていたし、暇があればエイミーが行った帝都にも行ってみたいという気持ちもあった。

 だが努の手紙にはそのことが未来予知のように書かれていた上で魔流の拳を極める方向が良いと記されていたし、そのために数十年は生活に困らない資産をポンと残されていた。そして極めつけに彼の部屋で羽根ペンも見つけたので、仕方がないなーと腹をくくって魔流の拳の修行に本腰を入れた。

 一年を要した総仕上げの修行は死が救済にすら思えたし、今ですらとても良い経験だったとは言えない。でもそれを乗り越えたことについては大きな達成感があったし、それに見合う実力もついたと思う。これも自身の向かう方向を示してくれたツトムと、天命を全うするまで魔流の拳の修行に付き合ってくれたメルチョー、二人の師がいてくれたおかげである。


(確かにこのままじゃ探索者としては駄目かもしれないっすけど、師匠の凄いところはそこじゃないっすよね~。こう、クランリーダーとして? んー、師匠として? 凄いんすよね~。それがみんなにはわかんないっすかね~)


 何やら努は探索者として終わりの道に進んでいるだの言われていはいるが、師匠の凄いところはそこではない。師匠としてとにかく凄いのだ。だから別に師匠が血迷って刻印の道に走ったとしても、彼が無限の輪にいて何かしらの言葉を残してくれるだけでも価値がある。現にそれでガルムは調子が良い気がするし、自分も恩返しのし甲斐がある。


(そしてそんな師匠を支えるのも、弟子の役目っす! 階層攻略についてはあたしが何とかするっす! 頑張るっすよー!!)


 そんな思いのハンナはまるで親の介護に寄り添う娘のような慈愛の心を持って、今もダンジョン内であるにもかかわらず刻印に励む努に連れ添っていた。


 ――▽▽――


「刻印? するの速くなったっすねー」
(……何だかなぁ。ハンナには変に同情されてる気がするんだよな。もしかして本当にこのまま本格的な生産職に転職する気って思われてる? まぁ、半分当たってはいるから否定も出来ないんだけど)


 そんなハンナの余計なホスピタリティ溢れる対応に努は違和感を持っていたものの、それで特に不都合もないので放置していた。


「前より全然上手くなってるっすよ!」


 ただそれからも刻印する度にまるで子供でも扱うかのような褒められ方が続いたので、努は眠さもあってか野暮ったい顔つきのまま答えた。


「慣れだよ、慣れ。それに刻印階層だけあって油には困らないから、ここで稼いでおきたいしね。……まさか生産職が刻印油の流通にまで口出せるとは思わなかったからな~。少し認識が甘かった。ゼノとかには結構な迷惑かけちゃったな」


『ライブダンジョン!』の生産職でもそういったことは若干あったものの、現実の卸売業者や職人たちほど繋がりは強くなかったので大きな問題には成り得なかった。だがここではなまじ現実な分、人同士の癒着が強いことをそこまで考慮していなかった努は反省するようにため息をつく。

 幸いにも装備関連ではゼノが自身のブランドを立ち上げるほど顔が広く周知されていて信頼されていたし、ドーレンも工房関連の素材を扱う卸売業者と誠実な付き合いを長年続けて関係を築いていた。そのおかげで無限の輪に刻印油などの素材を一切卸さない、といった嫌がらせ行為などは起こらなかった。だが下手をすればそういった事態が起こることも有り得た。


「ふんふん。でもゼノはむしろ頼られて張り切ってたじゃないっすか? なら、どんと任せちゃえばいいんじゃないっすか?」
「まぁ、それはそうなんだけどね。今更僕が出張っても事態は悪化しそうだし」


 ハンナは鼻息で返事をするような相槌をうちながらも、オイルスライムからドロップした刻印油を特注のスポイトで回収する。確かに彼女の言う通りゼノは是非とも任せてくれと笑顔で胸筋を叩き、刻印の素材調達にも協力してくれている。

 ただ、彼はガルムのように自分を妄信しているわけでも、ハンナのように謎の自己解釈をしてこちらの話を右から左へ聞き流すような馬鹿でもない。サブジョブの低すぎる現状のレベルと生産職の改革について論理的に説明してある程度努が達成したい目的は理解しつつ、過去に無限の輪で受けた恩もある前提があったから引き受けてくれたのだ。

 確固たる装備のブランドを築き上げた今のゼノにとって、生産職に盛大なバッシングを受けて観衆や迷宮マニアも巻き込んで炎上しているような今の努と関わることはデメリットでしかない。いずれは努が刻印する際に使用している装備を支援していることを指摘され、彼のブランドに傷をつけることも容易に想像できる。

 そうして落ちてしまうであろうゼノのブランドや評判を回復させるために必要なのは、そんな努を支援して得られた結果だ。

 つまるところこのまま努が何の結果も出せなければ、ゼノも支援の継続可否を検討せざるを得なくなってしまうだろう。彼にも彼の守るべき家族や立場があるし、いくら過去に恩があっても見返りが期待できず不良債権になりそうな者にずっと支援を続けていくことは厳しい。


(まぁ、結果が出ないなんてことは有り得ないんだけど。生産職はレベルが正義なんだよ。技術なんてものはそのレベルがある前提の上で成立する。レベルも上げず低い成功確率の装備に職人の技術とやらで無謀な刻印に挑んでは失敗して、たまに成功する時の快感にばかり支配されてたり、見栄えばかり気にしてご丁寧な刻印に丸一日かけて仕事した気になって悦に浸ってるような生産職に、負けるわけないだろ)


 森階層の宝箱からドロップする革装備に手早く刻印油を塗ったナイフで刻印して、スキルを唱えて成立した途端にマジックバッグにしまって新たな装備を取り出す。それを探索中の空いている時間と、探索を終えてからも部屋に籠って夜更けになってもしている。

 そして努はこの数日で刻印士のレベルを11にまで上げ、刻印する装備を敗者の服から一階層から二十階層までの間に出るものに格上げしていた。


「……くぁう」
(あんまり睡眠時間は削りたくないんだけど、最前線まではそこまで集中力がいるわけでもないしな。まぁ、それを言い訳にして探索者としては結果出ませんでした、なんて言うつもりもないけど)


 自分の欠伸に釣られておおあくびをしているハンナを見た後、前方からぺったんぺったんと跳ねているオイルスライムを複数確認した努は杖を前に構える。するとハンナは欠伸まじりのまま軽く走った。


「こんばぁーっと、くらい」
「エアブレイズ、ホーリー」


 オイルスライムが赤い闘気を発したハンナに触腕を飛ばす動作をすると同時に、努はそれを迎え撃つように風の大刃を縦向きに飛ばす。空気のブレと共に黒い触腕は切断され、そのまま本体にも深い切れ込みを入れる。

 その切断面の間に聖属性の白い光線が後を追うように入り込み、爆竹のように弾けて動き回っていたオイルスライムの核を破壊する。


「てやーっ!」


 水の魔石を割って黒の触腕を直進しながらもぬるりと腕で受け流したハンナは、そのまま本体にライダーキックさながらの蹴りを入れた。その気が抜けるような掛け声とは裏腹に、彼女は流水で流れるようにオイルスライムの体内に侵入してそのままするりと反対側に抜けた。


(あれで倒せるのがマジで意味がわからん。バグ技かよ)


 聞いたところ体内の核を翼から発する微弱な魔力で壊しているとのことだが、努からすればそもそも本体をバグ技のようにすり抜けていることも意味がわからない。そしてオイルスライムからドロップした刻印油を回収しに向かうと、ハンナはにこにこしながら腕をつんつんと叩いてくる。


「よっ! 流石師匠っすね!」
(このよいしょ鳥のせいでアタッカーとしての自信がなくなっていくよ。僕、贔屓目抜きにしても普通に強いと思うんだけど……)


 生産職にかまけてばかりと言われるのも鼻につくので、勿論努としては探索者としても結果を出す所存でありその実力もあると自負している。コリナのように肉弾戦は出来ないが、『ライブダンジョン!』でアタッカーをしていた経験を活かせるスキル回しと遠距離戦は少なくとも同レベル帯の白魔導士の中では群を抜いている。

 ただ努の見立てではユニークスキル持ちに匹敵するようなハンナの無茶苦茶ぶりと、そんな彼女の過度な持ち上げで何だか手応えを奪われているような気がしていた。


(明日にはクロアとPT合わせなのにな。いや、アタッカーとしてのDPSはしっかり出せてるし、ヒーラーとしても問題ないから実力不足とまでは言われないと思うんだけど。何でこんな無駄に不安にならなきゃいけないんだ。神台には少ししか映ってないし、大丈夫だとは思うけど)


 ハンナが自分をよいしょする様が神台に映らないようにはしてきたが、どうも介護されてる感は否めないし周りからの評価も怪しくなってきている気がする。それが悪い影響に及ばなければいいがと思いながら、自分を助ける気に満ち溢れていて調子が良い彼女の頭を微妙な顔のまま撫でていた。

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